第十話 規律の化身、粉物に堕ちる
「……な、なんですの、その禍々しい赤い触手は!?」
地下特別書庫に、カルミラさんの悲鳴が響き渡る。
彼女の視線の先――俺がまな板に置いたのは、商店街で買って来たタコの足である。
「そ、それは悪魔の使いなのです! ノア先輩、ついに闇魔法に手を出してしまったのです!?」
「神への冒涜っすよ! 浄化魔法を唱えるっす!」
剣の柄に手をかけるメルティと、詠唱を始めるクロエさん。
貴族社会において、タコは『海魔』や『悪魔の眷属』として忌み嫌われる。
だが、俺たち平民から言わせれば、ただの美味なる海の幸に過ぎない。
「みんな大げさだね……」
港町では普通に食べられていることも知らないなんて、これだから貴族は。なんて言ったら、扇子で叩かれるか、木剣を突きつけられるかのどちらかだろう。
俺は余計な火種を避けるべく、適当に言葉を濁してため息をつくだけに留めた。
ただ、俺の右腕に張り付くココナだけは、そんな配慮は持ち合わせていないようだ。
「お兄さまの言う通りです! こんなに美味しい海の幸を見た目だけで悪魔扱いするなんて、貴族の方は、本当に痛い方ばかりですね」
「痛いですって……? ココナさん、いくらなんでもそれは言い過ぎでは……?」
「いいえ! だいたい気味が悪いと言うなら、隙あらばお兄さまにすり寄ろうとする先輩たちの方が、よっぽど悪魔的で気味悪いです! 少しはこのタコを見習って、吸盤のように地に足をつけてはいかがですか!?」
妹の凄まじい偏見と暴言が、満面の笑みで放たれた。
当然、カルミラさんたちのこめかみに青筋が浮かぶ……と思いきや、なぜか頷き始めた。
「地に足をつけて……」
「確かに私たちは男に依存しすぎて、足元を掬われたのでした……」
「タコのようなうねうねとした執念……今のあたしたちに一番足りないものっすね……」
男に騙されたという当て馬たちのトラウマが、ココナの理不尽な暴言で目が覚めたらしい。
とはいえ、これ以上放っておくと、変な宗教が誕生しかねない。
相変わらずの噛みつきっぷりに頭を痛めつつ、俺は咳払いで場を仕切り直す。
「今日の活動は、たこ焼きパーティーをすることにしたんだ」
「久しぶりのタコパですね、お兄さま!」
「たこ焼き……? この異形を火あぶりにするということですの?」
「……まあ、そんなところかな」
「火あぶり……数百年前に行われた魔女狩りみたいな儀式っすか……」
「……いや、そんな恐ろしい儀式ではなく、パーティだからね」
俺は半球状のくぼみが並ぶ魔道丸型鉄板に火を入れた時、コンコンと控えめなノックの音が響いた。
「あら、顧問のレティア先生かしら? 今日もいいタイミングでいらっしゃいましたわね」
「すっかり先生も、ノア先輩のジャンクフードの虜なのです」
誰もが先生が様子を見に来たのだと思った。
俺も気軽な足取りで扉を開けたのだが、そこに立っていたのは、予想外の組み合わせだった。
顧問の先生の隣に、副会長のクラリッサ先輩がいたのだ。
クラリッサ先輩は銀縁眼鏡の奥の瞳をいつになく伏せ、きっちりと結われたアッシュグレーの三つ編みすら、今日はどこか元気がなさそうだ。
その横で、先生が呆れたように息を吐いた。
「……クラリッサ先輩? 退去勧告なら、建国祭の勝負で撤回されたはずですが……」
俺が尋ねると、先生が肩をすくめた。
「こいつが書庫の前で入りづらそうにウロウロしていたからな。引っ張ってきたんだ」
「せ、先生……!」
クラリッサ先輩は恥ずかしそうに眉を寄せて、突然深く頭を下げた。
「違います。本日は生徒会を預かる副会長として、建国祭でのユリウス殿下の度を越した振る舞いを謝罪しに参りました」
「……謝罪ですか?」
静まり返る書庫。
常に規律と誇りを重んじる彼女にとって、身内である王太子の暴走を止められなかったことは、耐え難い屈辱と後悔だったのだろう。
「ユリウス殿下は王太子と生徒会長の特権を盾に、貴方たちの正当な努力を踏みにじろうとしました。私がもっと早く諫めていれば……本当に申し訳ありません」
「あ、頭を上げてください。俺たち、もう気にしてませんから。……あ、そうだ。そんなことより……」
「……はい?」
俺は呆気にとられるクラリッサ先輩の腕を引き、強引にソファーに座らせる。
先生も慣れた様子でどっかりと腰を下ろした。
「な、何を……私は謝罪をしに来ただけで……」
「謝罪の気持ちがあるなら、食べていってください。ちょっと食材が多すぎて困ってたんです」
「え……?」
困惑する彼女の前に置いたのは、刻まれたタコと鉄板だ。
「お、お兄さま!? なぜ、またむっつり泥棒猫を隣に座らせたのですか!?」
「……ココナ、先輩に対する言葉遣いは気をつけようね。それより、みんなも生徒会の副会長が平民の文化を学ぶのは有意義だと思わない?」
俺が視線で助け舟を求めると、カルミラさんはパチンと扇子を広げた。
今日の扇面には、『愛とは連帯責任』と綴られている。
「……まあ、確かに生徒会は平民の泥臭い文化を見下ろすのではなく、共に悪魔の触手を食べてこその相互理解というものですわね」
「悪魔の触手……!? 貴方たち、これを本当に食べるつもりですか!?」
「私も長年騎士団にいたが、海魔を食うという発想はなかったぞ……」
クラリッサ先輩の顔から血の気が引き、先生すら顔を引きつらせているが、俺は容赦なく鉄板に油を引いて生地を流し込む。
ジューッという小気味良い音と共に、立ち昇る香ばしい香り。
そこへ、天かすと紅しょうが、そして主役であるタコのぶつ切りを入れていく。
生地が焼けてきたタイミングで、俺は手首のスナップを利かせ、生地を素早く反転させる。
魔法のように球体へと姿を変えていく様は、まさに平民の叡智と技術の結晶だ。
「なんて手際の良さ……。いえ、それよりも……」
クラリッサ先輩がゴクリと喉を鳴らした。
鉄板の上でコロコロと転がる黄金色の球体。
そこから放たれる香りが、彼女の嗅覚を容赦なく蹂躙していく。
「仕上げに特製ソースとマヨネーズ。それから鰹節と青のりをかけて……完成です」
熱気を受けて、鰹節がまるで生きているかのように踊る。
「闇魔法ですか!? 削り節が蘇ってうねっていますわ!?」
「ゾンビっすよ!」
「死してなお踊り狂うとは……凄まじい執念なのです」
「ふふん。これは、お兄さまのたこ焼きの熱気に平伏しているだけです!
「……ただの熱対流だよ。さあ、熱いうちにどうぞ」
俺が舟皿に取り分けた『たこ焼き』を差し出すと、令嬢たちは親の仇でも見るかのような目で、爪楊枝を突き立てた。
「こ、こんな禍々しい悪魔の食べ物……。ですが、これも平民の文化を知るため、仕方ありませんわね……」
カルミラさんが震える手でたこ焼きを持ち上げ、意を決して口に入れる。
カリッとした表面。
内部に閉じ込めらた高温のトロトロの生地。
それが容赦なく令嬢たちに襲いかかる。
「あふっ!? ほ、はふっ!?」
カルミラさんの美しい顔が驚愕に染まり、赤い瞳から涙が溢れ出す。
熱い。だが、出汁の旨味とタコの弾力、甘辛いソースのハーモニーがたまらない。
「カルミラ先輩、どうかな?」
「美味しいですわ……!? 舌が焼けるように熱いですけれど、噛むほどに旨味が爆発しますわ!」
「私も一口……お、美味しいのです!」
「確かに火傷しそうっすけど、ソースとマヨネーズのジャンクな味がたまらないっす!」
「なんだこれは……外側はカリッとしているのに、中から煮えたぎる出汁の生地。……悪くない。無性に酒が欲しくなる大人の味だな」
皆は恐る恐る口に運び、同じように涙目でハフハフと熱気と戦いながらも、暴力的な美味さに陥落していく。
「先輩もどうぞ。謝罪の誠意、見せてくれますよね?」
俺が差し出した熱々のたこ焼き。
規律の化身であるクラリッサ先輩は、抗いがたい匂いと周りの熱狂に耐えきれず、ついに口を開いた。
「うっ……!? この出汁の深い味わいと、弾力のある食感……美味しいです!」
クラリッサ先輩の頬が自然と緩んだ。
謝罪という重い空気が消え去り、第二陣、第三陣とたこ焼きを焼いていく。
「ノア先輩、次は私が焼いてみるのです!」
「あたしはチーズを入れたいっす!」
「お兄さまの隣はココナの特等席です!」
「お前たち、これはあくまで部活だからな。あまり騒ぎすぎるなよ」
わちゃわちゃと鉄板を囲む令嬢たちと先生を見ながら、俺は追加の生地を作り始めた。
その横で、すっかりたこ焼きの美味さに魅了されたクラリッサ先輩が、小さく息を吐く。
「……生徒会の副会長として、このような騒ぎを黙認するのは規律違反ですが……今日だけは特別に見逃してあげます」
「ありがとうございます、副会長様。またいつでも謝罪に来てくださいね」
「つ、次は謝罪ではなく、視察です!」
顔を赤くしてそっぽを向くクラリッサ先輩。
規律の化身を巻き込んだ平民部のたこ焼きパーティーは、賑やかに幕を下ろしたのであった。




