王女は、幽霊を見る
夜は静かだった。
魔物の襲撃は退けられたが、勝利というにはあまりに重い。
城壁の外では、倒れた兵士達の遺体が運ばれている。
俺は、その様子を上から眺めていた。
……あの若い兵士も、その中にいる。
さっきまで生きていた。
笑っていた。未来があった。
それが、もう無い。
「……また、死なせてしまいました」
小さな声が、風に紛れた。
俺は振り向く。城壁の端。
月明かりの下に、一人の少女が立っていた。
淡い金の髪が揺れる。白と青の外套。
まだ幼さを残す横顔だが、背筋はまっすぐ伸びている。
……エリシア。
王族の末娘。辺境へ送られた少女。
彼女は城下を見下ろしたまま、唇を噛んでいる。
拳が小さく震えていた。
「私が……ここに来なければ」
俺は声が出ない。代わりに、一歩近付く。
その瞬間。
彼女が、ぴたりと動きを止めた。
ゆっくりと振り向く。
月明かりが、その瞳を照らす。
真っ直ぐに。
まるで、俺の位置を正確に捉えているように。
「……そこに、いますね」
息が止まる。見えている?
本当に、見えている。
俺は思わず身を引く。
彼女の視線は追ってくる。
「昼間から、感じていました」
静かな声。
「王座の間でも……」
ああ。あの時か。
魔女だけじゃなかったのか。
彼女は一歩、こちらへ踏み出す。
距離は三歩ほど。
「あなたは……魔物ですか?」
その問いに、胸がちくりとする。
否定だ。俺は首を振る。
ゆっくりと、大きく。
彼女は目を細める。
「……違うのですね」
半信半疑だが恐怖よりも好奇心が勝っている。
いや。孤独、か。
「声は、出せないのですね」
俺は頷く。
彼女は小さく息を吐いた。
「私は……おかしくなったのかと思いました」
月明かりの中で、彼女の瞳が揺れる。
強がりの仮面が、ほんの少しだけ外れる。
「誰にも、言えません」
当然だ。
幽霊が見えるなどと言えば、騒ぎになる。
「ですが……」
彼女は再び城下を見下ろす。
担架が運ばれていく。
白布がかけられた身体。
「あの兵は、私の命で出撃しました」
声が震える。
「私は、ここを守ると決めました。だから命じました」
沈黙。風が吹く。
「ですが……正しかったのでしょうか」
その問いは、俺に向けられていた。
俺は答えられない。
声が出ない。胸の奥に、さっきの兵士の記憶が蘇る。
泥だらけの訓練。
両親の笑顔。
誇らしげな背中。
……後悔はあったか?
いや。
恐怖はあったが逃げたいとは、思っていなかった。
俺は、ゆっくりと彼女の正面に立つ。
そして、右手を胸に当てる。
兵士の敬礼を思い出しながら。
エリシアの目が見開かれる。
「……それは」
彼女は、白布に包まれた遺体を見る。
そして、俺を見る。
「……そう、ですか」
小さく、しかしはっきりと頷いた。
「彼は……逃げなかったのですね」
俺は、もう一度頷く。
エリシアは目を閉じる。
数秒。やがて、ゆっくりと目を開く。
そこにあったのは、涙ではない。
決意だ。
「ならば」
背筋が伸びる。王族の顔に戻る。
「私は、選び続けます」
その言葉に、胸が熱くなる。
俺は何もしていない。
ただ、記憶を受け取っただけだ。
それでも彼女は、前を向いた。
エリシアは、俺を見つめる。
「あなたは、何者ですか」
答えられない。
彼女は小さく微笑んだ。
「……名が無いのなら、私が呼びましょう」
月明かりの下。
静かな声が落ちる。
「あなたは――私の、影です」
胸の奥で、何かが揺れた。
消えかけた自分の輪郭が、少しだけ形を持つ。
俺は、ただの幽霊。
この少女には、見えている。




