沈黙の代償
「話しなさい」
エリシアの声は、低く静かだった。
命令。
密偵は、笑った。ほんの僅かに。
「……っ」
次の瞬間だった。舌を、噛んだ。
「!?」
血が溢れる。魔女が即座に反応する。
「止めなさい!」
だが、遅い。密偵の身体が痙攣する。
拘束されたまま、力が抜ける。
「自害……!」
エリシアの声が震える。
「まだよ!」
魔女が駆け寄る。額に手を当てる。
呼吸が、止まる。心音も、消える。
沈黙。
地下室の空気が、凍り付く。
俺は、男を見ていた。
……また、だ。
あの感覚。胸の奥が、引かれる。
ぐい、と。
意識がやめろ。俺は、後退ろうとする。
だが、抗えない。
魂の残滓。未練か、恐怖か。
それとも――命令を果たせなかった後悔か。
一瞬で、視界が反転した。
暗闇。
冷たい。
痛み。
息が出来ない。
……身体?
俺は、密偵の中にいた。
視界の端で、エリシアと魔女が見える。
声は、遠い。
何かを叫んでいる。
それよりも記憶が、流れ込んでくる。
凍える夜。
石畳の上。
幼い身体。
空腹。
震える手。
「……いらない」
母親の声。
背を向ける父親。
置いて行かれる。
雨。
段ボール。
ゴミ。
腐った食べ物。
奪う。
殴られる。
逃げる。
また、奪う。
冬。
動けない。
死ぬ――
その直前。
黒い影。
「拾え」
低い声。
手が伸びる。
暗い部屋。
刃物。
毒。
教えられる。
殺し方。
殺され方。
暗殺一家。
家族、という名の組織。
名前を、与えられる。
任務を、与えられる。
そして――
命令。
ルーク・ヴァレンシュタイン。
その顔。冷たい瞳。
「第二王女を排除しろ」
――っ!!
俺は、弾き飛ばされた。
元の視界。
地下室。
冷たい石の床。
目の前には、動かない密偵の身体。
「……ポチ?」
魔女の声。
俺は、震えていた。
身体は無いのに震えている気がした。
『る』
『う』
『く』
板を指す。
『し』
『じ』
『さ』
『れ』
『た』
エリシアの瞳が、見開かれる。
「……兄上の側近が?」
俺は、頷いた。
胸の奥に、残っている。
あの、幼い日の記憶。
捨てられた、子供の。
俺は、何も言えなかった。




