第六章 観測データの欠損
「シュン君、君は宇宙の何に興味があるんだ」
カイの問いに、少年は小さく肩を震わせた。
谷口が口を挟もうとするのを、カイは静かに、しかし拒絶の意志を込めた手で制した。
部屋を満たす、古い図書室のような湿った匂いと、換気扇の唸り。
シュンは消え入りそうな声で、ようやく言葉を絞り出した。
「……ぼく、火星の砂嵐の音が、数字で聞こえる気がするんです。でも、先生には、そんなのは観測ミスだって、欠損データだって言われて……」
その言葉を聴いた瞬間、カイの脳裏に、かつて自分が捨てられた暗い教室の風景が蘇った。
欠損。ミス。ゴミ。
統計学において、平均から外れた値は「外れ値」として排除される。
だが、宇宙物理学において、最も重要な発見の多くは、その外れ値の中にこそ隠されている。
超新星爆発の予兆も、ブラックホールの存在も、最初はすべて「ありえないノイズ」として処理されていたのだ。
「それはミスじゃない」
カイの声は、いつになく低く、鋭かった。
「宇宙において、完璧に美しいデータなんて存在しない。あらゆる光は、数十億年の旅を経て摩耗し、ノイズにまみれて届く。君に聞こえている砂嵐の音は、君という観測機だけが捉えることのできた、特別な信号なんだ」
谷口は、困惑したように眼鏡を拭き直した。
「カイ先生、あまり突飛なことを仰るのは困りますな。彼はまず、標準的な基礎学力を身につけねば……」
「基礎とは何ですか?」
カイは谷口に真っ向から向き合った。
「平均的な答えを出す能力のことですか? 宇宙開発の現場で求められるのは、誰も見ていないデータの欠落に、誰よりも早く気づく直感です。谷口先生、あなたはかつて私を『36』という一つの数字で定義しました。でも、その数字の裏側にあった、私の熾火のような情操を一度でも観測しようとしましたか?」
谷口の表情が強張る。
部屋の隅にある古い時計が、重苦しく時を刻む。
カイは自分が、かつての恩師を糾弾しているのではなく、かつての自分を縛っていた呪縛を、今まさに解き放とうとしていることに気づいた。




