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私を侮辱した新興貴族?いいえ、私の商才の前では塵も同然です。〜旦那様を守るため、私は経済の女王になります〜

作者: 猫又ノ猫助

 意識が浮上すると、まず感じたのは鼻腔をくすぐる独特のハーブの香りだった。病院の消毒液とは違う、土と植物が混じったような、どこか懐かしいような匂い。重い瞼をゆっくりと開けると、そこにあったのは見慣れない天蓋付きのベッドと、古びてはいるが趣のある木製の天井だった。


「目が覚められましたか、リリア様!」


 震える声に振り返ると、そこにいたのは見慣れない老年の女性だった。白い髪をきちんとシニヨンにまとめ、皺の刻まれた顔は心配と安堵に歪んでいる。彼女が着ているのは、まるで歴史ドラマに出てくるようなメイド服だ。


「リリア…様?」


 掠れた声で、私は呟いた。私の名前は、確か「田中 頼子」だったはずだ。そして、たしか、会社のデスクで意識を失ったのだ。過労死、という二文字が頭をよぎる。まさか、ここは天国……?


 混乱する私に、そのメイド――後に私の専属侍女となる、マルタだと知る――は、これまでの経緯を説明してくれた。私はこの国の伯爵令嬢、リリアナ・エクレール。高熱を出して倒れ、数日間意識不明だったという。そして、貧乏な家を救うため、辺境の地を治めるヴァルシュタイン伯爵家に嫁ぐことが決まっている、と。


「リリア様。伯爵家のために、どうか……」


 マルタの言葉は途切れ途切れで、その顔には悲壮感が漂っていた。私は自分の体を見下ろす。手は細く、爪はきちんと手入れされているが、指先には土仕事でできたような僅かなささくれがある。鏡を覗けば、そこには見知らぬ、しかし整った顔立ちの少女が映っていた。これが、私。田中頼子改め、リリアナ・エクレール。


 まさか、異世界転生?しかも、貧乏貴族の娘に?


「貧乏って、どのくらい貧乏なんですか、マルタ?」


 思わず、口から出た言葉だった。マルタは目を丸くし、それから力なく笑った。


「そりゃあもう……この屋敷の各所に隙間風が出来る程にでございます」


 冗談でも、笑えない。私の前世は、ブラック企業で過労死寸前まで働いていたキャリアウーマンだ。学生時代から稼ぐことしか考えてこなかった。それが、この状況。呆れるよりも、むしろ闘志が湧いてくるのを感じた。


 数日後、私はヴァルシュタイン伯爵家へ向かう馬車の中にいた。隣には、私の夫となる人――アルフレッド・ヴァルシュタイン伯爵。端正な顔立ちに、騎士らしい引き締まった体格。社交界には疎いと聞くが、実直で誠実な雰囲気が漂っている。


「道中、お疲れではないですか、リリア」


 アルフレッド様は、私の様子を気遣うように尋ねた。その声は優しく、緊張していた私の心が少しだけ解れる。


「ありがとうございます、アルフレッド様。おかげさまで、快適でございます」


 私は精一杯の笑顔で答えた。馬車が辺境伯領に入ると、窓の外の景色は一変する。豊かな森が広がり、澄んだ川が流れる。自然は豊かだ。けれど、領民の家々は質素で、荒れた畑も目につく。


「この領地は、資源に恵まれているのですが、いかんせん商業が発展しておらず……」


 アルフレッド様は、申し訳なさそうに説明した。彼は騎士としては優秀でも、経営に関しては全くの素人なのだと、嫁入り前にマルタから聞かされていた。


「大丈夫です、アルフレッド様。私にお任せください」


 私はアルフレッド様の手を取り、微笑んだ。私の手に、彼の温かい指が触れる。その指先から伝わる彼の優しさに、私は決意を新たにした。


 この世界で、私は二度目の人生を歩む。貧乏伯爵夫人として、夫の顔に泥を塗るわけにはいかない。前世で培った知識と経験、そして持ち前の商才を全て注ぎ込んで、このヴァルシュタイン伯爵家を立て直してみせる。


 ◆


 ヴァルシュタイン伯爵領での日々は、想像以上に充実したものだった。私は現代の知識を駆使し、領地改革に勤しんだ。まずは、領地の特産品であるハーブに着目した。以前はただ乾燥させて薬草として売るだけだったが、私はその香りに注目し、美容効果の高いハーブオイルや、リラックス効果のあるアロマサシェの開発に着手した。


 品質管理を徹底し、パッケージデザインにもこだわった。王都の流行をリサーチし、貴族の女性たちが好むような、繊細で上品な香りを追求する。最初は半信半疑だった領民たちも、私が持ち込んだ現代的な生産管理やマーケティングの知識が、実際に利益を生み出すと知ると、積極的に協力してくれるようになった。


「リリアのおかげで、領民たちの顔つきが明るくなった。本当に、感謝してもしきれない」


 アルフレッド様は、夕食の食卓でそう言ってくれた。彼の言葉は、何よりも私の喜びだった。彼が真面目に領地と領民を思う気持ちが、私を突き動かしていた。アルフレッド様は、慣れない王都での商談にも同行してくれ、私の交渉を隣でじっと見守ってくれた。時には、私の言葉だけでは納得しない商人たちを、彼の騎士としての威厳と誠実さで黙らせることもあった。彼の存在は、私の大きな支えだった。


 領地の特産品は、王都の貴族たちの間で瞬く間に評判となった。特に、私が開発したハーブオイルは「ヴァルシュタインの奇跡のしずく」と呼ばれ、女性たちの間で争奪戦が起きるほどの人気商品となったのだ。そのおかげで、ヴァルシュタイン伯爵家の財政は目覚ましい回復を遂げ、ようやく借金生活から抜け出すことができた。


 そして迎えた、王都の夜会。アルフレッド様と連れ立って足を踏み入れた会場は、まさに光と熱気の坩堝だった。以前の夜会では、質素なドレスをまとった私を侮蔑の目で見る者もいたが、今では皆が好奇の目で私を見つめ、中には敬意を込めた視線を送る者もいる。これも全て、私たちの努力が実を結んだ証だ。


 そんな中、ひときわ目を引く女性が、私たちの方へと歩み寄ってきた。


「まあ、ヴァルシュタイン伯爵夫人ではございませんか。ご無沙汰しておりますわ」


 声の主は、セレスティーナ・メアリーズ。新興貴族メアリーズ伯爵家の令嬢だ。今日の彼女は、真紅のベルベットに金糸の刺繍が施された、いかにも高価そうなドレスをまとっていた。首元には大粒のルビーのネックレスが輝き、その圧倒的な財力をこれ見よがしに見せつけている。


「セレスティーナ様、ごきげんよう」


 私は微笑みながら会釈を返した。しかし、彼女の視線は私を通り過ぎ、アルフレッド様に釘付けになっていた。


「アルフレッド様も、相変わらずお素敵ですわね。辺境の地で埋もれているのは、勿体ないことですわ。是非私を新たな妻として迎えませんか?」


 セレスティーナは甘ったるい声でアルフレッド様に話しかけ、その指先が彼の腕に触れそうになる。アルフレッド様は、さりげなく身を引いて私の傍らに寄った。


「セレスティーナ様。私の妻が隣にいますので、お控えください」


 アルフレッド様の低い声に、セレスティーナの顔が一瞬凍り付いた。だが、すぐに表情を取り繕うと、私の方へ視線を向けた。


「あら、ごめんなさい、わたくしったら。伯爵夫人の地味さに、ついお見落とししてしまいましたわ」


 口元は笑っているが、その瞳には明確な侮蔑の色が宿っている。彼女の言葉は、私の領地で作ったドレスを、そして私の存在そのものを侮辱するものだった。周囲の貴族たちが、面白そうに私とセレスティーナを見比べているのがわかる。


「セレスティーナ様は、いつも派手がお好きですものね。わたくしは、質素な方が性分に合っておりますので」


 私は、微笑みを崩さずに言い返した。この程度の挑発など、前世の修羅場をくぐり抜けてきた私には、何の痛痒もない。


「それは結構なことですわ。でも、わたくしは思うのですの。真の貴族とは、品格もさることながら、やはり財力がなくては務まりませんわよね?」


 セレスティーナは、わざとらしく強調して言った。「ヴァルシュタインの奇跡の滴」で多少なりとも財政が回復したことを知っての、当てつけだろう。彼女は、私の財力が、自身の莫大な富には遠く及ばないことを、私に見せつけようとしているのだ。


「ええ、おっしゃる通りですわ、セレスティーナ様。私もそう思います。けれど、真の財力とは、単に手元にある金銭の多さだけではございません。いかにそれを生み出し、そしていかに賢く使うか、だと考えておりますの」


 私は、セレスティーナの挑発に乗らず、むしろ彼女の土俵に乗って見せた。私の言葉に、セレスティーナの瞳が僅かに揺らぐ。彼女は、私の言葉の真意を測りかねているようだった。


「ふふ、ご冗談がお上手ですこと。わたくしは、貧乏貴族の御令嬢が、これ以上強がるお姿を見るのは、心が痛みますわ」


 そう言い放つと、セレスティーナは取り巻きの令嬢たちを連れて、会場の奥へと消えていった。彼女の背中を見送りながら、私は静かにアルフレッド様の手を握りしめた。


「悔しいか?」


 アルフレッド様が、優しい声で尋ねた。


「いいえ、まさか。むしろ、面白いと思いましたわ」


 私は顔を上げ、アルフレッド様の目を見つめた。


「あのセレスティーナ様は、財力こそが全てだと信じていらっしゃる。ならば、わたくしは彼女の信じるものが、いかに脆いかをお見せするだけですわ」


 私の言葉に、アルフレッド様は驚いたように目を見開いたが、やがてフッと笑みを漏らした。


「君は、本当に面白い人だ、リリア。だが、無理はするな」


「ご心配なく、アルフレッド様。新興貴族?いいえ、私の商才の前では塵も同然ですわ。旦那様を守るため、私は経済の女王になります」


 私は、アルフレッド様の腕にそっと寄り添い、静かに、しかし確固たる決意を胸に、夜会の喧騒に身を委ねた。セレスティーナとの「財力勝負」は、今、始まったばかりなのだ。


 ◆


 セレスティーナとの夜会での一悶着から数日後、私は早速行動に移った。彼女が「財力こそが全て」と豪語するならば、その足元から崩してやる。感情的な反論や社交界での揉め事など、私の望むところではない。ビジネスの舞台で、彼女を完膚なきまでに打ちのめす。それが、私の「ざまぁ」だった。


 まずは、セレスティーナのメアリーズ伯爵家の資金源を徹底的に調べ上げた。前世で培った情報収集能力をフル活用し、王都の情報屋や、信頼できる商会のコネクションを辿る。ほどなくして、彼女の家の主な収入源が、隣国の貴族向けに輸出している高級絹織物と、王都で唯一、最高級の宝石を扱う宝飾店であることを突き止めた。特に、宝飾店はメアリーズ家の富の象徴であり、独占的な地位を誇っていると知れた。


「なるほど、これが彼女の自信の源、というわけね」


 私は書斎で資料を広げながら、不敵な笑みを浮かべた。メアリーズ伯爵家は新興貴族ゆえに歴史が浅く、伝統や血筋ではなく、ひたすら財力で成り上がってきた家だ。だからこそ、その財力が揺らげば、脆い基盤も一気に崩れ去るだろう。


「リリア、本当に大丈夫なのか?あまり無理はするな」


 夜遅くまで資料を読み込む私を、アルフレッド様は心配そうに見守っていた。彼にとって、商売の駆け引きは未知の世界だ。私が危険な綱渡りをしているように見えるのかもしれない。


「ご心配なく、アルフレッド様。これは私にとって、いつもの仕事と同じです。それに、この程度で無理など、前世の修羅場に比べれば可愛いものですから」


 私はそう言って笑った。前世で、億単位のプロジェクトをいくつも成功させてきた経験が、私の背中を押していた。アルフレッド様は私の言葉に眉をひそめたが、やがて諦めたように大きく息を吐き、静かに私の隣に座ってくれた。彼が何も言わず、ただそこにいてくれるだけで、私は大きな安心感を得られた。


 翌日から、私は新たな事業の準備に取り掛かった。ターゲットは、セレスティーナが独占している最高級宝飾品市場だ。


「ヴァルシュタイン家が宝石を?」


 私の提案を聞いた老執事のトマスは、驚きを隠せないようだった。無理もない。我がヴァルシュタイン伯爵家は、代々騎士の家系であり、商業とは無縁だったのだから。


「ええ、トマス。それも、メアリーズ伯爵家を凌駕するような、画期的な方法で、です」


 私は微笑んだ。私の狙いは、単に同じ土俵で競争することではない。ゲームのルールそのものを変えることだ。


 私は、前世の知識で知っていた**「合成宝石」**の技術を応用することにした。この異世界にも、錬金術や魔術が存在する。それらを応用すれば、理論的には不可能ではないはずだ。私は早速、領地の錬金術師を呼び寄せ、合成宝石の製造方法を説明した。最初は懐疑的だった錬金術師も、私が提示する理論と、完成した際の莫大な利益を説明すると、目を輝かせて研究に没頭し始めた。


 同時に、私は宣伝戦略も練った。セレスティーナのように、ただ豪華な宝飾品を並べるだけでは意味がない。私が作り出すのは、**「誰もが手の届く、しかし誰もが憧れる、新しい時代の輝き」**だ。


 私は王都の流行を徹底的に分析し、これまでの宝飾品にはなかった、繊細でモダンなデザインを考案した。そして、王都の貴族階級だけでなく、新興の裕福な商人階級にもターゲットを広げた。


「高価な宝飾品は、もはやステータスではありません。真の価値は、その美しさと、それを手に入れた者の『物語』にあるのです」


 私が考案したのは、**「煌めきの物語」**というキャッチコピーと、合成宝石が持つ「錬金術の奇跡」という神秘性を掛け合わせたブランディングだった。貴族がこぞって集まる社交場に、私の新しい宝石を身につけた領地の商人を潜り込ませ、口コミでその美しさと手頃な価格を広める。さらに、限定販売や、購入者への特別なサービス(例えば、イニシャルの刻印サービスなど)を導入し、顧客の所有欲を煽った。


 メアリーズ伯爵家の宝飾店は、代々続く名門だったが、その経営は保守的で、宣伝方法も旧態依然としていた。セレスティーナは莫大な広告費をかけ、貴族の御用達を謳っていたが、私のゲリラ的な宣伝戦略と、画期的な新商品には、全く対応できていなかった。


 私の計画は、着実に、そして確実に進行していった。錬金術師たちは、驚くべき速さで合成宝石の製造技術を確立し、私のデザインした新しい宝石が次々と生み出されていった。王都では、私の新しい宝石の噂が、瞬く間に広がり始めた。


「リリア様、また新しいご注文が殺到しております!この勢いでは、メアリーズ様の宝飾店は……」


 トマスの報告に、私は満足げに頷いた。王都の貴族たちは、常に新しいもの、魅力的なものを求めている。そこに、私が前世から持ち込んだビジネスセンスが、見事にハマったのだ。


 アルフレッド様は、私の事業の進展を静かに見守っていたが、私の考案した合成宝石を目にした時、その美しい輝きに目を見張った。


「これは……本当に、君が作り出したのか?」


「ええ、アルフレッド様。そして、これがセレスティーナ様への、私からのご挨拶ですわ」


 私は微笑んだ。彼の顔に、驚きと、そして深い信頼の表情が浮かぶ。


「君の才覚こそが、真の財産だ、リリア。私は君を信じている。どんな時も、君の隣にいる」


 アルフレッド様の力強い言葉は、私の心を温かく満たした。彼の存在は、私の何よりの原動力だった。


 セレスティーナが、私たちの夫婦関係を財力で引き裂こうとしたことを、彼女はまだ知らない。だが、彼女が「財力」で私に挑んだことこそが、彼女自身の破滅の始まりなのだ。


 ◆


 私の「煌めきの物語」シリーズは、瞬く間に王都の貴族社会を席巻した。特に、社交界で最も影響力を持つとされた、ある公爵夫人が私の宝石を身につけて夜会に現れたことで、その人気は爆発的なものとなった。彼女が身につけていたのは、私がデザインした深紅の合成ルビーのネックレスだった。本物のルビーと見紛うほどの輝きと、従来の重々しいデザインとは一線を画す軽やかさが、瞬く間に女性たちの心を掴んだのだ。


「ヴァルシュタインの宝石は、今までのものとは格が違うわね。デザインも洗練されているし、何より、手頃な価格でこの輝きが手に入るなんて!」


 そんな噂が社交界を駆け巡り、私の宝石は飛ぶように売れていった。メアリーズ伯爵家の宝飾店は、その古い歴史と独占的な地位にあぐらをかいていたため、この急激な変化に対応できなかった。彼らが「本物」と称する高価な宝石は、もはや一部の超富裕層のコレクションとしてしか機能せず、流行に敏感な貴族女性たちの興味は、完全に私の「煌めきの物語」へと移っていた。


 焦り始めたのは、他ならぬセレスティーナだった。彼女は私の宝石の噂を聞きつけ、自らの宝飾店で同等の品質の宝石を安価で提供しようと画策した。しかし、彼女が頼る宝飾職人たちは、私の合成宝石の技術には遠く及ばない。さらに、彼女は私の斬新なマーケティング戦略を理解できず、旧態依然とした「御用達」の看板に胡坐をかき続けていた。


「ありえないわ!なぜ、あんな辺境の貧乏伯爵夫人が、私の店よりも売れるなんて!」


 セレスティーナが、自分の宝飾店の売り上げ報告書を投げつけながら叫んでいるという噂が、王都の裏路地の情報屋から私の元に届いた。彼女が、自身の財力と地位が揺らぎ始めたことに、ようやく気づき始めた証拠だった。


 ある日、セレスティーナは私の領地にある工房を訪ねてきた。彼女の顔には、夜会で見せた傲慢な笑みは消え失せ、焦りと苛立ちが滲み出ていた。


「ヴァルシュタイン伯爵夫人!あなた、一体何をしたの!私の宝飾店の売り上げが、半分以下になったわ!」


 彼女は、まるで私が悪質な魔法でも使ったかのように、私を詰問した。


「セレスティーナ様、ごきげんよう。貴女の宝飾店の売り上げが減ったのは、決して私のせいではございませんわ。ただ、時代の流れが、貴女のビジネスに追いついてきただけのこと」


 私は涼しい顔で答えた。彼女の問いかけは、もはや私への侮辱ではなく、ただの敗者の嘆きに聞こえた。


「時代の流れですって!?ふざけないで!あなたのような成り上がり者が、私に説教する気!?金で買えないものはないのよ!私はあなたの工房を、あなたの事業を、全て買い取ってやるわ!」


 セレスティーナは逆上し、私に札束を叩きつけるかのように、巨額の買収額を提示してきた。彼女は、力ずくで私の事業を奪い取り、すべてを元の鞘に戻そうとしているのだ。


「買い取る、ですって?セレスティーナ様、残念ながら、私の事業は、単なる『商品』ではありません。それは、領民たちの努力と、錬金術師たちの情熱、そして何よりも、私の知恵の結晶ですわ」


 私は冷ややかな目でセレスティーナを見つめた。


「そして、知恵は、お金では買えませんのよ」


 私の言葉に、セレスティーナの顔は青ざめた。彼女は、自分が最も信奉してきた「財力」が、この場で何の役にも立たないことを、まざまざと突きつけられたのだ。


 その頃、私はもう一つの決定的な打撃を準備していた。それは、メアリーズ伯爵家のもう一つの主要な収入源である、隣国への絹織物輸出ルートの遮断だった。


 前世の経験から、為替の変動や他国の政治状況が貿易に与える影響は大きいことを知っていた。私は、隣国の王族内に派閥争いが起きていることに目をつけ、秘密裏にその対立する派閥と接触した。そして、彼らが求める、新しい、より高品質な染料を、私の領地で開発した独自の技術で提供することを約束したのだ。これにより、隣国はメアリーズ家との貿易を縮小し、私の領地との新たな貿易関係を構築し始めた。


 セレスティーナが、宝石事業の不振に喘いでいる間に、彼女のもう一つの大黒柱が、静かに、しかし確実に崩れ去っていたのだ。


「セレスティーナ様、貴女が信じる財力は、確かに強大な力を持つでしょう。ですが、それは『いかに賢く稼ぎ、いかに賢く使うか』という知恵があって初めて、その真価を発揮するのですわ」


 王都の社交界で、セレスティーナがメアリーズ家の財政難に陥っているという噂が広まり始めた頃、私は彼女の目の前で、冷静に、そして明確に言い放った。彼女は、もはや私の前に立つ気力も失ったように、ただ唇を震わせるだけだった。


 数週間後、メアリーズ伯爵家は莫大な負債を抱え、その財力は見る影もなく衰退した。セレスティーナは社交界から姿を消し、彼女の豪華絢爛なドレスも、高価な宝石も、もはや誰の目にも触れることはなくなった。


「リリア、君は本当に、すごい」


 アルフレッド様は、私の手を握り、深く感動したように言った。彼の目は、私への愛情と、そして限りない尊敬の念に満ちていた。


「旦那様を守るため、ですから。私の大切な居場所ですもの」


 私は彼の胸に顔を埋めた。セレスティーナが財力で私たちの関係を引き裂こうとした時、アルフレッド様は一度たりとも私を疑うことはなかった。彼の揺るぎない信頼が、私がこの戦いを勝ち抜く最大の力となったのだ。


 私たちは、王都の貴族社会において、最も注目される夫婦となった。ヴァルシュタイン伯爵領は経済的に繁栄し、私の商才は国中に知れ渡った。


 セレスティーナが私を侮辱した新興貴族?


 いいえ、私の商才の前では、塵も同然だった。


 私は、愛する旦那様を守るため、そして自分の生きた証を刻むために、この異世界で、真の経済の女王になったのだ。

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