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婚約破棄された悪役令嬢は、隣国でもふもふの息子と旦那様を手に入れる 他、異世界短編まとめ  作者: 未知香


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2/12

元貴族の令嬢、(身に覚えのない)恋が実るようです

「ずっと、ずっと君が好きだ、ネリア。君のやりたいことは何でも叶えたいと思う。その準備はしてきたつもりだ。どうか、私と結婚してください」


 紅潮した頬で私の前に跪き、青年は透き通るような紫の瞳でまっすぐに私を見つめている。

 高級な銀糸のようなきらめく銀色の髪が、風に吹かれてさらりと揺れた。


「ネリアの恋が実って、本当に嬉しい! こんな夢みたいな人が本当にいたのね」


 ミサーラさんが感動したように目を潤ませて私達を見ている。


 確かに目の前に居る人は、銀髪が美しく、冷たい目をした美形だ。加えて言うならすらっとした長身で、動物のような筋肉を感じさせる。

 サッシュがつけられた白い制服は国の騎士団での高い位置を示し、貴族であることは間違いないだろう。


 私が好きだと公言してきた人物と一致する。


 でもその人物……架空の人物なんですけど!?


 **********


「ごちそうさまでした」


 調理にかまけてたまってしまっていた食器を洗っていると、カウンターの前にいつのまにかグライアさんが立っていた。


 私がやっている定食屋はセルフサービスではないのだけれど、彼は忙しい時間の時はこうして食器を下げてくれる。

 その心遣いが嬉しい。


「いつもありがとう、グライアさん」

「この時間は忙しいだろうから。今日のも美味しかった」


 お礼を言うと、いつものように茶色の瞳を伏せ少し恥ずかしそうに、にこりと笑ってくれる。


 くすんだ茶色に同じような色の瞳。いつも着ている服は目立たないローブのようなものだけれど清潔感がある。いつも照れたように笑うから、つい話しかけてしまう。


 私は手を止め、お会計をしながら話しかけた。


「どれが好きだったかしら」

「どれも美味しかったけれど、甘辛い角煮が好きだったかな」

「だと思った!」

「やっぱり、ネリアにはすっかり好みがばればれだ」

「伊達にもう半年定食屋やっていないですからね」


 ふふふ、と思わず笑みがこぼれてしまう。


 この定食屋に定期的に来てくれる常連のグライアさんは、文官だと思われる見た目だけれどお肉が好きだ。それも、がっつりした味付けの。

 こんもりと盛ったご飯も、毎回綺麗にぺろりと平らげる。


 今日は来る日かな、と思って作ったので気に入ってもらえて嬉しい。

 空の食器を見るのは、満足感がある。


「じゃあ、お互い午後も頑張ろうね」

「はい、また来てください」


 丁寧に頭を下げたグライアさんを見送り、私は混みあっている店内を見渡した。

 まだまだ人がたくさん来てくれる時間だ。気合を入れなければ。


「仲良しね。そろそろお店を開いて半年だし、彼なんていいんじゃない?」


 腕まくりをしてキャベツを刻み始めた私に、カウンターでお茶を飲んでいたミサーラさんがいたずらっぽく笑う。


「人が入ってくれるようになって、まだ三ケ月ぐらいです。ふふふ、ミサーラさんは本当に恋愛話が好きですよね」

「そう! 私はもう結婚してしまったから、恋愛話を聞くのは大好き」

「まったくもう、私は結婚しないって言っているのに」

「それは知っているけれど、結婚しなくても恋愛は楽しいじゃない」


 華やかな見た目のミサーラさんは恋多き女性だったらしい。しかし、今の旦那さんである運命の相手と出会い、結婚し一緒に鍛冶屋をやっている。


 子供は独立もうしていて、私の事も自分の子供のように可愛がってくれている。


 私が右も左もわからずに店を借りた時に、散々お世話になった。今でもこうして休憩時間はお茶を飲みに来てくれる。


 私も彼女の為に、カウンターの前の一席は必ずあけておく。


 忙しい時間の合間にこうして話しかけてくれる時間が、私の息抜きにもなっている。


「私には好きな人が居るんです。高貴な人なので、叶わないですけどね」

「もう、ネリアはせっかくモテるのに。仕方ないわね」


 定番のセリフできっぱりと言った私に、ミサーラさんは肩をすくめてカップを持った。



 モテるというかはわからないが、定食屋という接客業で人と関わりが多いために声をかけてくれる人は多い。


 なので、昔から密やかに思いを寄せている人が居る、きっと貴族だから叶う事はないとしてきた。


 だいたいはこれで諦める。


 しかし、それでも、とどういう人が好きなのか好みをしつこく聞かれることもままある。


 こういう人はどうかな、といわれると特定の人を指しているかもしれないので、それとは反対の言葉を言う。


 高貴な人、という前提とはいえここは王城にも近く、騎士の出入りも多い。

 貴族であてはまる人が居たら大変だ。


「髪の毛の色は何色が好きですか? 金色は?」

「いいえ、金色はあまり好きじゃありません」

「青は?」

「そうですね、青もあまり……」

「良くしゃべる人は好きですか?」

「いいえ。落ち着いている方が好きなのです」

「この辺にいい人が居るんじゃないの?」

「いえ、実は名前も出せない高貴な方で想っている方が居るのです。なので、誰とも付き合う気はありません」


 そんな事を繰り返しているうちに、いつの間にか私には、高位の貴族で銀髪が美しく、冷たい目をした無口で、しかし優しい好きな人が居るという事になった。

 すらっとした高身長で、立派な体格をしている美形の青年だ。


 ……理想が高すぎる! これはイメージダウン待ったなし。


 しかし、聞かれる事が面倒になった私は、すべてを投げ出した。

 結果的に言い寄る人が減ったので、私はこの設定を突き通すことにした。


 ……でも実は、だんだん狭まっていく好みがあの人に似ていると思い当たった。


 途中からその人を思い出して話してしまうことがあるくらいだ。

 成長したあの人。どんなふうになっているだろう。


 銀髪は貴族では珍しくない為、名指しになるだなんて事はないはずだ。


(……小さい頃の話だから、今はどうなっているか知らないし。それに、この下町で話しても耳に入る事なんてない、よね。彼は私の事なんて忘れてしまっただろうな)


 私は忘れることはないけれど。

 私は大事な思い出を思い浮かべながら、キャベツを刻み続けた。


 **********


「なかなか降りやまないなあ……」


 ぱたぱたと窓に雨が当たる音が響いている。

 外の窓から眺める景色は、灰色の空と溢れんばかりの雨粒で満たされている。街から人が消えてしまったかのように、誰もいない。


 王都では雨は珍しく、雨の日は外に出ないという人も多いらしい。


 それでもぽつぽつとお客様が来てくれたお昼休憩の時間も過ぎ、店には誰もいない。

 私はカウンターの後ろで、蒸気が立ち上る熱いカップを手に椅子に座った。


 人が居ない短い休憩時間に砂糖を三杯入れたミルクティーに、お手製のハーブを入れたクッキーは定番だ。


 一口飲むと、甘さがほっとする。


 誰もいないお店の中は、雨音だけが響いて時間がゆっくりと流れるような気がする。昼間だけど少し薄暗くて、なんだかのんびりとした気持ちになった。


「今日はもう、おやすみかな」


 もともと夜営業はしていないので、ティータイムが終われば閉店だ。今日はもう誰も来なそう。


 もうそれだったら、時間がなくてできなかったあの煮込み料理作ってみようかな……!


 だとしたら、のんびりクッキーを食べている場合じゃない。

 ひらめきにやる気が出た私は、急いで大きな口を開け残りのクッキーを放り込んだ。


 その瞬間、カランと入り口のベルが鳴った。そこにはびしょ濡れのグライアさんが戸惑ったように立っていた。


 完全に油断した姿で、口にはぎゅうぎゅうにクッキーが詰め込まているせいでとっさに言葉が出てこない。

「……!」

「あれ、お休み……だったかな?」


 おやすみじゃないです、と言いたかったけれど喋れない。ただあわあわと両手を振る私に、グライアさんはぷはっと吹き出した。


「ごめん食事中だったんだね、ゆっくり食べてください。……タオルだけ、借りてもいいかな」


 笑われてすっかり恥ずかしくなった私は、何度も頷いて逃げるようにタオルを取ってきた。戻ってきて、残っていた紅茶を飲み込むとやっと落ち着いた。


「ううう、接客業としてあるまじき姿でした……」

「こんな雨の日に、誰か来るとは思わないよね」

「すっかり油断してしまいました。……お詫びに、これもどうぞ」


 同罪にならないかと私が食べていたクッキーを渡すと、グライアさんは驚いたように目を瞬いた。そして、目を伏せて微笑んだ。


「このお店に最初に来た日も、クッキーをくれたよね」

「はい。懐かしいですね。あの日も大雨で、グライアさんはびしょびしょに濡れていましたね。……あの日、グライアさんが来てくれて本当に嬉しかったんです」

「大げさだ」

「大げさじゃないですよ。カウンターに座ってください。コーヒーでいいですか?」

「……そうしたら、ネリアと同じものをください。誰も来ないのなら、たまには一緒に飲みませんか?」


 思わぬ誘いに戸惑ったものの、今日は誰も来ないのは間違いないだろう。……グライアさんは来たけれど。


 あの日も大雨で、静かで、お店には誰も居なかった。

 三か月前。思い出話には早いけれど、私はグライアさんの隣に座らせてもらうことにした。


 自分のものも入れ直し、迷ったけれど私のも彼のも同じ味にした。


「もう、既にちょっと懐かしいです。風邪ひかないでくださいね」

「うん。……う、甘い」

「ふふふ。この甘さが、ほっとするんですよ。一緒のものを飲みたいとか言うから」


 意地悪な気分で笑えば、グライアさんは急に余裕そうな顔で紅茶を飲み美味しそうに微笑んだ。


「そうですね、ほっとする甘さだ」


 思わぬ綺麗な所作に、どきりとする。


「もう。急に真面目な雰囲気出して!」

「ははは、実は私は真面目な男なんですよ」

「そうだったんですね。私も真面目ですけど」

「それは知っています」


 グライアさんのことで知っていることは少ない。

 その事に何故か一抹の寂しさを感じ、振り払うように甘い紅茶を飲んだ。



「こうやって静かに過ごす日もたまにはいいね」


 しみじみとグライアさんが言う。私も思い切り頷く。


「なんだかのんびりしますよね……」


 甘い紅茶、雨の音、静かな店内。


「でも、あの日は全然のんびりって気分じゃなかったので、今の穏やかな気持ちの方がちょっと不思議な気もします」


 あの日も雨だった。


 **********


 この店をオープンして三ヶ月たった頃。

 ミサーラさんの助けもあり、仕入れや内装は大分落ち着いてきていた。


 お昼はだんだん常連と呼べる人も増えてきたけれど、それが過ぎると急に人が途絶えることも多くあり胃が痛かった。


 お店を始めてはじめての雨は、驚くほど誰も来なかった。

 その頃はまだ雨の日に出歩かない習慣がある事を私は知らなかったから、あまりの事に心が挫けそうになった。


 誰か入ってきてほしいと、私はじっと扉を見ていた。


 カラン。来客を知らせる扉につけたベルが鳴った。

 私は嬉しくなって立ち上がり、大きく声をあげた。


「いらっしゃいませ!」

「濡れたままで、申し訳ないです。なにか、身体を拭くものを借りていいでしょうか」


 入ってきたのは、申し訳なさそうにした頭から足先までびしょびしょに濡れた男の人だった。


 今日は寒い。大変だ。私は慌ててタオルを渡した。


「大丈夫ですか! これ使ってください」

「……ありがとう、助かります」


 水を滴らせながら、少し警戒したような距離感で、男の人はタオルを受け取った。


 茶色のくせ毛で、黒い服を着てそばかすだらけの肌に大きな茶色の瞳はノラ猫の様だった。髪の毛が水を吸ってくるくるとしている。


 乱暴に顔を拭いてほっと息をついたところで、彼は店内を見渡した後カウンターに座った。


「……何か注文を」

「ありがとうございます! 温かいお食事ならこの辺が」

「申し訳ないのですが、食事はしたばかりなんです。飲み物と、軽い食べ物をいただけますか?」

「そうなんですね。どんな飲み物は好きですか? 寒いので甘いものはどうでしょうか。苦手ですか?」

「……そうですね。好き、です」


 ちょっと恥ずかしそうに言う彼に、気にしないでほしくて私は自分のカップを見せた。


「私も甘いもの、好きなんです。ブラックも飲みますが、こういう寒い日はミルクと砂糖をたっぷり入れて飲むのが好きなんです」

「ふふ、温かいものを飲むとほっとしますもんね。では、コーヒーにミルクと砂糖を」


 私がおどけると楽しそうに笑ってくれて、私も先程までの陰鬱な気持ちも忘れて嬉しくなった。


 さっきまで世界に一人だけしかいないかのような気持ちだったのが、嘘みたいだ。


 コーヒーを入れたカップに、クッキーを添えて出す。


「じゃあ、私が焼いたばかりのクッキーもどうぞ! ……あんまり人に出せるものじゃないかもしれないんですが、美味しいんですよ」

「おすすめなんですね」

「これは、サービスです! 私の憂鬱を吹き飛ばしてくれたので」

「俺が?」

「あっ。突然こんなこと言われても戸惑いますよね」

「……何があったのか、聞いても?」


 静かな、それでいて優しい声がして、思わずじわりと涙がにじんでしまう。それを慌ててこっそり拭い、息を吐く。


「実は、ちょっと気が重かったんです。何も成し遂げられない私が、お店をやっていけるのか。雨の中、ひとりぼっちみたいな気持ちになってたから、お客様が入ってきてくれた時、ぱっと目の前が明るくなった気がしたんです」

「そんな大層なものじゃないけれど……それに、床も濡らしてしまったし。タオルも借りて、迷惑をかけっぱなしだ」

「全然いいんですよ! さあ、苦手じゃなかったらクッキーも食べてください。軽食はメニューを見てもらえれば。飲み物だけでも全然いいですし」

「ありがとう……これは」

「私が焼いたんです。なんかピリッとしてて、美味しいんですよ」


 私がすすめると、彼は目を見開いてクッキーをじっと見た。そして恐る恐るというようにひとくち齧り、信じられないという風に私の事を見つめた。


「これは……」

「あれ、苦手でした? ちょっと変わった味だったかな……」

「いや、美味しい……美味しいよ。ただ、珍しいと思って」

「これはハーブを混ぜてるんですよ! 本当はお肉とかに使うみたいなんですが、私は好きで」


 小さい頃はこれがそういう材料だとは知らなかったのだ。でも、甘さの中に辛みがいいアクセントになって、ついつい手が伸びる。


「オリジナルなんだね」

「そうなんです! 気に入ってもらえたなら、嬉しいです」

「……うん。すごく気に入った。また、食べにくるよ」

「ありがとうございます。是非是非。お昼から夕方まで営業していますから」


 あんまり負担にならないようにそう言うと、意図を汲み取ってくれたのか目を伏せ照れたように笑って、またひとくちクッキーをかじった。


「また来るよ」



「それから本当に定期的に通ってくれて、嬉しいです」

「私が来なくても、どんどん繁盛店になって行ったけれどね。その内入れなくなるんじゃないかと心配だ」

「予約もしますよ!」

「それは助かるな。……ネリアは結婚とかは、考えてないの?」


 伺うように言われて、私は困って首を傾げた。


「そうですね。このお店は私の城ですから。……今は考えられないんです」


 それは本当だ。

 このお店を手に入れて、私は本当に自分として暮らすことができたのだから。


 ……私は、一年前まで貴族だった。


 しかし、妹の悪行をすべて擦り付けられ、婚約破棄もされてしまった。妹を溺愛していた父はそれを知っていたけれど、私は結局家を追い出された。

 もうそれ自体は気にしていない。


 どういう意味が込められているかもう知る由もないが、父がくれた数個の宝石。これを元手に店を始めることにした。

 元より誰もご飯を作ってくれない時があり、自分で食事を作っていた。


 自立していかなければ、と思った時にはこれしかないと思った。


 最初は泣きながら料理をしていたけれど、徐々に人が増えて今ではお昼時は満員だ。


 この生活を手放すつもりはない。


「……好きな人がる、というのを聞いたのだけど」

「そうなんです。それに最近好みを聞いてくる人が何故か多いんですよね」


 私がちょっと愚痴っぽく言うと、グライアさんはにこりと笑った。


「でも、おかげで君の好みがはっきりしたわけだ」

「……もしかして、気づいてました?」

「君が聞かれた人以外の事を指してることなら」


 ずばっと当てられて、私は思わず笑ってしまった。


「鋭いです」

「気づいたのは途中からだけれどね。……ちょうど良かったよ」


 何故か満足そうに言うグライアさんの後半の言葉は、ひとりごとだったようでよく聞き取れない。


 でもばれてしまったのならば、となんだかちょっと心が軽くなった気がした。


 ……嘘は嘘だから、ちょっとだけ気が重かったのだ。ちょっとだけ。


 雨の音が鳴り響いて、私は昔話をする気になった。穏やかなグライアさんの目は、あの彼を思い出させた。

 色も形も全然違うのに。


「最初は全然気にしてなかったんですが、理想の男性像と似た子との思い出があるんです。……それが初恋だったのかもしれないですね」

「……初恋。銀髪の、男の子?」

「そうです。小さいころだから当然長身でも立派な体格でもありませんでしたけれど。それに、貴族ではあると思いますが高位かはわかりません」

「確かに子供ですもんね」


 二人で笑いあう。秘密を共有したみたいで、なんだかちょっと楽しくなってしまった。


「与太話だと思って聞いてくれますか?」

「……もちろん、大丈夫だ」


 私が声を潜めて言うと、グライアさんも神妙な顔をして頷いた。真面目な顔がおかしくて、また笑ってしまった。


 **********

 私は、伯爵家の生まれだった。

 しかし、家族から放置されていた私は、家で開かれるパーティーの時にはいつでも一人だった。

 それ自体はもう寂しくはなかったけれど、遠くから聞こえるにぎやかな声には憧憬を感じた。


 その日も、皆の楽しそうな声が聞こえて、中庭までこっそり見に行っていた。


「なにしているの?」

「!!!」


 後ろから声をかけられて、振り返ると同じぐらいの年の男の子が立っていた。


 ああ、見つかってしまった。


 男の子は少し長めの銀髪を後ろに流し、華やかな白を基調としたスーツを着ていた。間違いなくパーティーの参加者だ。


「ごめんなさい……わたしの事、黙っていて」


 ここに居たことがばれれば、父からは叱咤を受ける。閉じ込められるのは嫌だった。


「いいよ」


 私の懇願に、びっくりするほどに男の子はあっさり頷いた。


「えっ、いいの?」

「うん。でもなんでここに? パーティー見てたの?」

「ありがとう。私……パーティーを見るのが、好きなの。みんなキラキラしていて、素敵。ご飯も美味しそうだし」


 そこまで言うと私のお腹はぐう、となった。


「中に入ってご飯食べようか」


 わたしの事を笑いもせずに、真面目な顔で男の子が手を差し出した。どうしていいかわからない私に、彼は首を傾げた。


「君が誰だかは知らないけど、今日は人数が多いし誰が居るかなんて把握してないよ。大丈夫」

「……でも、わたし」


 私は質素なワンピースの上に、メイドのおさがりだと思われる仕事着を着ていた。多分彼は私の事をメイドの娘だと思ったただろう。


 ……ここの娘だなんて、誰も思わない。


 みすぼらしく、誰にも好かれていない事がわかる自分の姿が恥ずかしくなった。

 ぎゅっとスカートを握り断りの言葉を探していると、男の子はじっと私の事を見た後に頷いた。


 さっと私の手をとり、呪文を唱える。すると、ぱっと私の周りが光った。


「これなら目立たない」

「えっ。……ど、どうして……?」


 私が驚きに目を見開くと、彼は目を伏せて恥ずかしそうに視線を逸らした。


「俺の魔術なんだ……変装の魔術」


 私の薄汚れた仕事着は、ピンクのレースが重ねられた軽やかなドレスに変わっていた。裾にはキラキラと虹色にひかる石がついている。


 恐る恐るスカートを持ち上げると、それは夢みたいに輝いた。


「私、ドレスを着てる……」


 呆然としたまま呟くと、彼は恥ずかしそうな顔をして自分の頬を撫でた。


「髪の毛もドレスも見様見真似だから、変なところがあったらごめん」

「そんな事全然! ……ドレス……私、ずっと……着たかったから」


 ずっと大丈夫だって思ってた。

 思うしかなかった。


 でも、みんなの輪に入りたくて。話してみたくて。

 ……似合わないとしても、可愛い服を、着てみたくて。

 そんな風にずっと思っていたことに、気が付いた。


「ありがとう、うれしい……」


 お礼を言うと、同時に私の目からはぼろりと大きな涙がこぼれた。


「えっ。だ……大丈夫? ハンカチ! そうだハンカチちょっとまって!」

「……ふふっ」


 それまでひょうひょうとしていた彼の慌てた様子に、私は涙が止まらないままに笑ってしまった。


「変装の魔術って、とっても素敵な魔術なのね! 驚いたわ。私も魔術が使えればよかった」

「……こんなの、全然素敵じゃない。炎や氷、回復だったらどんなに良かったか……」


 私が褒めると、さっと男の子の顔が曇った。悔しそうに彼は言うけれど、私にとってこんなに素敵な魔術はなかった。


「そうなの?」

「そうだよ。魔術の力がつよい事は、貴族にとって大事なんだ。……属性が駄目だと、皆ががっかりしているのがわかる」

「そうなんだ……」


 貴族の事は、私にはわからない。誰も教えてくれなかったから。

 けれど、目の前に居る子がこんな風に自分の事を駄目だと思うのは違うと思った。


「でも、私をしあわせにしてくれたわ。夢みたいに嬉しかった。あなたの事、本当に感謝している。これだけ自然に姿が変わるだなんて凄い事だわ。炎や氷や回復にはない、違う力があるのよ! きっと、人の役に立つ魔術だと思う」

「そうかな……違う、力」

「そうよ!」


 私が力強く頷いて見せると、男の子は照れたように目を伏せて嬉しそうに笑った。そして、私に向かってさっぱりとした顔で手を差し出した。


「じゃあ、この素敵な魔術でお腹をいっぱいにしに行こう、お嬢様」

「……うん!」


 そのまま二人でお腹いっぱい食べて、人が居ないベンチに座ってお礼の気持ちを込めて私は自分で焼いたクッキーを渡した。


 私には渡せるものが、これしかなかったから。


「……美味しいご飯を食べた後だけど、お礼にクッキーあげる」

「ありがとう。嬉しいよ。……ん、食べた事ない味だ」

「これね、お庭にあるハーブを混ぜてるんだ。なんかピリッとしてて、好きなの。……苦手だった?」

「君が焼いてるんだ。初めての味にびっくりしたけれど、美味しい」


 そういって笑ってくれて、私の胸に温かなものが広がった。


「ありがとう。今日は一日、凄く凄く楽しかった。ドレスも本当に素敵で、私、なんだか本当に夢みたいだった……」

「それは、僕も。……変装なんて魔術、得意でも役に立たないって言われてたから。残念ながら他の属性は人並みぐらいなんだ」

「他が人並みで、変装が得意だったらそれはもう素晴らしいと思うわ! ……それに、この魔術は私の事をとっても幸せなお嬢様みたいにしてくれた。今日の事は忘れないわ」


 私が手を差し出すと、彼は眩しそうに私を見た後、ぎゅっと手を握ってくれた。


「僕も、楽しかった。君の役に立てて、君が喜んでくれて、本当に幸せな気持ちになったんだ。ありがとう」


 あっという間に日が傾いてきた。

 夢の時間はおしまいだ。彼の家族も、そろそろ探しに来てしまうだろう。


「また、会おうね」

「……うん、ありがとう」


 魔術は解かれ、私はまた放置された子供に戻った。

 男の子とはこの日以来会えなかったけれど、今日まで私を支えてきた大事な思い出となった。


 **********


「……という思い出があって、彼の銀色の髪の毛、綺麗だったなって思い出したのはあります。だから、好きな髪色で銀髪がでてきたのかなあ、と」

「そ、そうなんだね」


 何故か言い淀んだグライアさんは、何かを堪えるようにぐっと紅茶をあおった。


「……私、家を追い出された貴族だなんて、馬鹿みたいだよね」

「そんな事はない」


 温かい思い出と共に冷たい家族を思い出して、つい口を出た言葉を、グライアさんは力強く遮った。


「え……?」

「君は、その子にも力を与えたと思う。救われたと思う。それに、君みたいな何の落ち度もない人を虐げるだなんて、それこそ馬鹿みたいだ」

「……ありがとう」


 優しい言葉に、思わず涙が出そうになる。それを振り払うように立ち上がる。


「おかわりはいかがですか?」

「ありがとう、もらうよ。……話してくれて、ありがとう」

「いいえ、なんだかしんみりしちゃった! 次は何か食べましょう!」

「嬉しいな! 今日はなにが食べられるか楽しみだ」


 グライアさんが笑うので、私ははりきってカウンターに戻り腕まくりをした。


 **********


 今、私の店の前には人だかりができている。


 閉店準備をしていると、常連の騎士から外に来て欲しいと呼ばれたのだ。

 また好みでも聞かれるのかな? とため息交じりに外に出ると、そこには常連や近所の人、ミサーラさんまで揃っていた。


 そして、真ん中に花束を持った一人の青年が居た。


 何もわからないままその人の前に連れ出されると、彼はばっと私に花束を渡した。


「ずっと、ずっと君が好きだ、ネリア。君のやりたいことは何でも叶えたいと思う。その準備はしてきたつもりだ。どうか、私と結婚してください」


 紅潮した頬で私の前に跪き、青年は透き通るような紫の瞳でまっすぐに私を見つめてくる。


 高級な銀糸のようなきらめく銀色の髪が、風に吹かれてさらりと揺れた。

 緊張と期待がごちゃ混ぜになったような顔をして、端から見ればわたしの事を好きで好きでたまらないように見えるだろう。


「ネリアの恋が実って、本当に嬉しい! こんな夢みたいな人が本当にいたのね」


 ミサーラさんが感動したように目を潤ませて私達を見ている。


 確かに目の前に居る人は、銀髪が美しく、冷たい目をした美形だ。加えて言うならすらっとした長身で、動物のような筋肉を感じさせる。彼の着ている服は白い制服で、サッシュを見ただけで私でもわかる、騎士団の偉い人だ。


 私が好きだと公言してきた人物と一致する。


 でもその人物……架空の人物なんですけど!?


「えっ。だ……誰」


 こわい。

 全く知らない人にプロポーズされているだけでなく、その相手は私の事を丸でよく知っているような顔をしている。


「おめでとう! ……良かったわ、ネリア」

「おめでとうございます!」


 しかし、一番恐ろしいのがこれだ。


 周りにいる皆が、私に対して祝福の言葉を投げかけているのだ。

 一番お世話になった隣のお店のミサーラさんに至っては涙を浮かべている。


「高位の貴族で銀髪が美しく、冷たい目をした無口で、しかし優しい……。すべての条件が当てはまるだなんて、驚きだわ」


 私も驚きです、ミサーラさん……。その人は架空の人でした……。


 確かに目の前に居る青年は高位の貴族で、驚くほど美形。そして優しく私を見つめている。私が語った人との相違点はほぼない。


 でも、知らない人だ。


 私の恋が実ったと嬉しそうにしている皆の前で拒否の言葉を言えない私に、夢みたいに美形な知らない彼は微笑みかけた。

 立ち上がると、皆に向かって綺麗な所作で一礼する。


「ありがとうございます、皆さんに祝福して頂いてとても嬉しいです。またご挨拶させてください!」

「ちょ、ちょっと……あの……!」


 彼の挨拶にお店の常連の騎士の人達やミサーラさんが拍手をしだした。

 そのまま拍手を受けながら、手を引いて店の中に入った。


 あっという間に二人になる。


 まずい、このストーカーは既成事実を作りにかかっている!


 どうしたらいいのかと慌てる私の肩を抱き、青年は耳元でそっと囁いた。


「驚いたよね、ごめんね……。でも、もう逃がす気はないんだネリア。ずっと、ずっと探していたんだよ。こんな風にしてしまうぐらい、馬鹿みたいに大好きなんだ」


 驚くほどに甘く低く響いた声に、頭がくらくらとする。


「あの」

「……私だ。……ネリア……」


 私が何か言おうとすると、緊張したかのようにぐっと手に力が入った。懇願にも似た苦しい響きに、思わず彼の顔を見た。

 先程までの堂々とした態度とは一変した眉を下げた顔には何故か見覚えがあり、まさかという気持ちになった。


「……諦めて私と結婚してくれ」

「もしかして……グライアさん? それに、もしかしてあの時の男の子……?」

「そうだ。ネリアどっちも私だ」


 嬉しそうに、それでいて申し訳なさそうにグライアさんが頷いた。


「どうして……変装だなんて」

「あの日は仕事帰りだったんだ。君と出会って、変装の腕を磨いた。仕事でもよく使うようになったんだ」

「そうなのね。魔術だなんて、全然わからなかった」

「その後は、君があの時の子だと気が付いて……貴族だと、警戒されるかもしれないと。もっと、確実にしてから告白したいと思ったんだ。君が私の事を覚えているかも自信がなかった」


 確かに貴族だとわかっていたら、私はこんな風にグライアさんと気やすく話すと事はなかった。思い出を共有したいと思う事もなかったはずだ。


「姑息なのはわかっている。諦めて私と結婚してくれ。ずっと、ずっと君を探していた。君が伯爵家の人間だとは思わず、途方に暮れていたんだ。あの雨の日、偶然入った店で君に会えたのは、奇跡だ」

「そんな事、あるのね」

「あのクッキーのおかげで、すぐにわかった。本当に嬉しかった。それに、君があの時の事を覚えていてくれたことも。……外堀を埋めて、絶対に君を手に入れると息まいてきたけれど……」

「外堀?」

「ああ。君に面前でプロポーズさえすれば、君の公言している好きな男だと思われるだろうと」

「えっ。まさか!」


 私が好きなタイプを聞かれるのは、グライアさんが手をまわしていたからだったの!?

 モテていると思っていた自分が恥ずかしい。


「君はとても魅力的だ。だから、結婚する気がないと言っても、いつ、どうなるかわからない。ミサーラさんだって、運命の相手と急に出会ったと聞いた。気が気じゃなかったんだ」


 そういって、グライアさんは私の事をぎゅっと抱きしめた。急な事に恥ずかしくて逃げようとするが、力がつよくて逃げられない。


「私の専門は諜報だからね。……もう、あの時みたいに君を泣かせたままにはしない」

「……私、あなたがドレスを着させてくれた時本当に本当に嬉しかったの。あれから全然泣いてないわ。あなたのおかげよ」

「私も、君に似合う男になりたくて、努力してきた。途中、君に会えなくてどうしていいかわからなくなってしまった時もあった。……だから、だから今どうしても君を手に入れたい」


 もう、とグライアさんの腕をつかむと、彼の腕が震えていることに気が付いた。


「……ごめんね。好きなんだ。……君に好きになってもらえるように、努力するから」


 グライアさんが、怯えたように謝り続ける。

 そんな風に言って欲しいわけじゃない。


 私の心を救ってくれた二人。それが同一人物で、私の事を好きだと言ってくれる。

 その事実に、胸がぎゅっとなった。


 グライアさんと話すのは楽しかったし、彼だから大事な思い出だって話す気になった。


 優しい空気。雨の音。ふたりの秘密。

 真剣な瞳。

 全て、大事な思い出で、これからもずっと大事にしたい。


「……そうね、身に覚えがない恋だったけれど、実ってしまったんだもの。仕方ないわね」


 私が冗談めかして言うと、ぐしゃりと顔を歪めたグライアさんがぎゅうぎゅうと私を抱きしめた。


「大好きだ。大事にする。本当に大好きなんだ!」

「……私もきっと、あの時から好きだったわ」

「ネリア! 嘘みたいだ。ネリア……ありがとう……大事にする……」


 苦しいぐらいに愛情と体温を感じ、私はそっと目を閉じた。


 **********


「良かった……本当に良かった」

「副団長に似た人にならなかったらどうしようとひやひやした!」

「銀髪が出てきたときは、感動したよな」

「ああ。……でも、副団長が居なければ俺だって……」

「いや、それは忘れろ。あの執着ぶりは危ない」

「……声をかける人、減ったもんな……」

「何があったかは、知るべきじゃない。諜報と陽動が得意なんだぞ……」

「ネリアさんの生家の伯爵家、どうなったか知ってるか……?」

「知りたくもないな……ああ、ネリアさん……」


 店の外ではひそひそとグライアさんの部下が噂しているのは、私には知る由もなかった。


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