婚約者は今更いりません!悪役令嬢は異世界食を開拓中
目の前に見たことのないお肉が鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てて焼けている。
……すごく、美味しそう。
早く手を付けてしまいたいのを我慢して、もう少し焼けるのを待つ。
「頼む! 頼むから戻ってきてくれ!」
美味しそうな音の間に雑音が聞こえてくる。
お肉はそろそろ良さそうだ。
私はどきどきとしながらナイフを差し込む。驚くほどにするりと切れたお肉の断面は、赤い。
けれどこれで正しく焼けているらしい。
焼けすぎると灰色になり、すべてが台無しになると聞いた。
「リーニャ! 頼む! こっちを見てくれ」
少し大きめに切ったお肉を口に入れると、さっぱりしているのに濃厚な味が口いっぱいに広がる。
すごい! おいしすぎる!
語彙力が死ぬほど美味しい。
異世界とはすばらしい。
乙女ゲームの中身がこんな風に美味しいお肉世界だったとは……
私は神様に感謝しながら、お肉を食べた。
二口目も美味しい。それどころか、より美味しく感じる。なくなったことに物足りなさを感じてしまい、早く次をと思う。
食べれば食べる程お腹がすくんじゃないかな?
魔物の魅力……すごい。
「リーニャ!」
目を瞑って堪能していると、グイっと肩を掴まれ、強制的に声の主の方に向かされた。
キラキラと眩しい銀髪に紫色の瞳、甘そうな顔をしているけれど全体のバランスとしては筋肉もあり引き締まっている。
その顔が悲しそうに歪められていて、必死な顔で私の事を見ていた。
「……なんでしょう。レオナード・ストームハート様。私の事は、どうぞリーディヤと」
「今までのようにレオと呼んでくれ……なぜ、何故私を避けるのだ、もう一度君と仲良かったころに戻りたいんだ。理由を教えてくれ!」
「私とあなたはたまたま婚約しているにすぎない他人です。更に言うならその婚約もいつまでなのか」
「他人じゃない! いずれ結婚する婚約者だ。お願いだ、話を聞いてくれ」
あまりにもその懇願が必死でしつこいので、私はついに折れた。
「……わかりました。お肉を食べてからにしてください。あとここは庶民が集まる食堂なので移動しましょう」
「ありがとう! リーニャ……」
*****
私がこの世界が乙女ゲームだと気が付いたのは、十五歳の時だ。
『闇の中の輝き、光の中の愛』
この乙女ゲームに出てくる、悪役令嬢リーディヤ・ブラッドローズが私だ。
といっても、ライバル令嬢と言うわけではなく攻略対象者であるレオナードの婚約者として出てくるだけだ。
ヒロインが出てきて、あっという間に婚約者を奪われる。そして、その時に取り乱したことで追放され庶民に落とされてしまう雑魚悪役令嬢だ。
でも、そんな事は起こらないと思っていた。ヒロインは学園で攻略対象者の男性と仲良くしていたけれど、レオナードとは一定の距離があったから。
私とレオナードは仲が良かったし、私は彼が好きだった。
レオナードも同じ気持ちだと感じていた。
だから、別ルートに入っているか同じ世界に見えるだけなんだなあ、なんて楽観的に考えていた。
あの時までは。
学園でヒロインとレオナードが二人で話しているところを見たのだ。
それは乙女ゲームの一場面と同じだった。
「リ……リーディヤとは……家が決めた婚約者だ」
「まあ、そうなのね。二人は仲がいいと思っていたわ」
「仲はいいけれど、恋愛関係ではない」
ヒロインは気の毒そうな顔をして、しかし、すぐににっこりと笑った。
「大丈夫よ、レオ」
レオ。
私と彼だけの呼び方。それを。
この後はとても聞いていられずに、走って逃げた。
この後二人は一緒に食事に行き、仲を深めるのだ。
パラメーターが一気に上がるイベントだ。そうだ、彼は攻略されている。
悲しかった。
今まで仲良くしていた記憶もあった。
それがこんなあっさりと終わってしまうなんて、信じられない気持ちだった。
一方で納得もしていた。
ここは乙女ゲームの世界で、しょせん私は悪役令嬢なのだと。
その日から、レオナードを避けた。
それに、婚約破棄をして追放されても大丈夫なように、市井の調査をしに城下町へ赴いた。
いくら前世の記憶があったとしても、常識が全然異なるかもしれない異世界で暮らしていくための事前準備として。
そこで出会ったのが、魔物食だった。
貴族は魔物は俗物だと食べない。
だから、緊張した。
これからは、これが主食になるのかもしれないと。
前世でも食べたことがない魔物を、これから食べて生きていかなければいけないと。
震える手で、切り分けた魔物の肉を口に入れた。
……貴族をやめよう。
それぐらいの破壊力だった。
あっという間に、悲しさから解放された。
だから、今は婚約破棄で良かったのだ。
「……という場面を見まして、浮気かなあと」
「まさか、そんな事で……。あれは誤解だ……」
ヒロインとの会話を聞いたことを話せば、レオナードは驚いたように息をのんだ。
「誤解? でも、私達は恋愛関係ではないのですよね?」
「そうだ。君が、私の事を好きじゃないのかもしれないと思い、そう言ったんだ」
「……でも、もういいの。婚約解消しましょう。恋愛関係じゃない結婚なら、しなくていいと思ったの」
「私は君が好きだ! 貴族的な結婚ではなく、ずっと一緒に居たいと思っている。私が弱虫で正式な告白をしたかったのを、先延ばしにしていたんだ。だから、彼女にも恋愛関係だというのを言えなかった。すまない……リーニャ、私と付き合ってください」
硬い決意をした顔で、レオナードは私の手をとった。
その目はキラキラとしていて期待に満ちている。
レオナードの見た目と優しい性格、私は彼が好きだ。他の誰だって、彼の告白を断らないと思う。
でも私は首を振った。
「お断りします」
「誤解だとわかったのにどうして!」
「ええと……貴族はもういいかなあと」
「何故なのだ。君はずっと貴族の令嬢として暮らしてきて、何も問題なかったじゃないか。どうして急に貴族が嫌に!」
真剣な彼のまなざしが重く、理由を言わなければ許さないという意思を感じる。
そうだった。この人はこういう頑固なところがあった。
私は意を決し口を開いた。
「……ご飯が」
「え?」
「市井のご飯が美味しいのです! 魔物が! とても!」
「ま……まもの」
「ええ。貴族であるレオは、魔物は嫌でしょう? ……だから、私は貴族をやめるわ。魔物食を学んでいきたいの」
決意を口にすると、自分の考えが間違っていなかったと思える。先程のお肉。あれは凄く美味しい。
もっと美味しいものが溢れているのかもしれないのだ。
私の言葉にぽかんとした顔をしたレイナードだったが、すぐに気を取り直したように頷いた。
「いや、君がそこまで言うなら、私は魔物を食べる! 大丈夫だ!」
「え……嘘よ。あなたは生粋の貴族なのに……それに、魔物を食べる嫁だなんて、なんて言われるか」
「いや、それこそ問題ない。公爵家からであれば、新たに魔物食の流行を作れる! 君がひとりで研究する以上に、美味しいものが出てくるはずだ! それだけの権力を、持っている。約束しよう」
「驚くべき程に、魅力的な提案だわ……!」
私がレオナードの画期的な提案に慄いていると、彼はにやりと笑って私に手を差し出した。
「これができるのは公爵家だけだ。そして、私は騎士だ。庶民では到底倒せない魔物を約束しよう。……是非、結婚してくれリーニャ」
私は美味しいお肉を想像して、レオナードの手をとった。




