悪女は惚れ薬で一夜の夢を見たい
「クラリス様……あなたはオズワード様には相応しくないわ。早く彼と別れてあげてください」
学園の放課後。
人気の少ない裏庭に呼ばれたと思えば、私の婚約者であるオズワードと別れろという話だった。
相応しくないなんてこと、当然知っています。
そう心でつぶやくけれど、声に出すことはできない。してはいけない。
私よりも頭一つ分小さい、同級生だけど別のクラスの女の子が三人で、悪人と対峙したかのようにぎゅっと手を取り合っている。
発言したのは真ん中の子で、オズワードと話しているのを何度か見た。
「それで、私と別れて彼は婚約者も居なくなってどうするのかしら。ミリア様が結婚するとでも?」
「そうよ。私がお父様に頼んで、彼を婿にしてもらうわ。そうすればあなたみたいな女性らしさもなく嫌な人と結婚する事もなく、もっと幸せになれる」
綺麗なピンク色の髪の毛を凝った編み込みで飾った、可愛い可愛い女の子。
取り巻きの真ん中で、自分の正義を疑いもしていない。
その姿すら、可愛い。
でも、彼を譲ることは出来ない。
私はよく試合相手に怖いと言われる、挑戦的な笑顔を作った。短い髪を耳にかけ、不思議そうに首を傾げて見せた。
「そうかしら。あなたよりはずっとふさわしいから、私が婚約者に選ばれたのだと思うし、婚約したままなのだと思うけれど。彼にとって、あなたより私の方が魅力的、ということではなくて?」
「何てことを……! そんなずないでしょう!」
私に対峙していた可愛い可愛い女子とその仲間たちは、カッと頬を赤くして私を睨みつけた。
私はさらに続ける。
「知らないのかしら。私はグラリーア侯爵家の一人娘よ。その私は彼の家に入る。これ以上いい条件なんてあるかしら。オズワードは婿に行かない。……それに、伯爵家だなんて家格が釣りあわないでしょう」
「オズワード様はとても優秀なのよ! でも、彼の家は今のままでは駄目になってしまう、オズワード様が継ぐまで持たないわ。確かに我が家は伯爵だけど、うちなら彼の能力を生かせる。それに、オズワード様は家柄で人を判断するような人間じゃないのよ」
知っている。彼の優しさは、誰よりも。
私にだって優しいのだから。
「その条件なら、ずっと悪いでしょう? 私の家はオズワードと同じ侯爵で、とても裕福よ。彼が継ぐまでにどれだけ援助したところで、金銭的に問題がないわ」
「お金で彼を買うだなんて……! 下品だわ」
自分が同じ事を提案しているのに気が付かず、軽蔑した視線をむける。
「少なくとも、私は婚約者だし、彼から別れようなどと言われたことはないわ」
「……それでも、あなたみたいな傲慢で可愛くもない人間と婚約だなんて、オズワード様がかわいそう。あなたの魅力じゃなくて、家の権力でしょう。大女!」
目を潤ませ捨て台詞を吐いて、立ち去っていく彼女たちの後姿は小さい。
細い肩に小さい身体は庇護欲を誘う。
ああいう子の事を、男の子は好き。
知ってる。
……でも、おおおんなって。
知ってはいても、実際に言われるとつらい。
でも私に涙は似合わない。
そもそも泣いたりなんてしないと思っているに違いない。
私の身長は男性並みに大きく、鍛えているために筋肉がある。騎士の家系である為ずっと剣を扱ってきた。
騎士課の男子生徒ともやりあえる自信がある。
騎士に憧れて、ずっとずっと努力してきた。
……でもそれは女性としての魅力じゃない。
勝手に滲む涙をハンカチで拭いて、私はベンチに座った。
こういう事は多々ある。
今日も人気のない裏庭に来て欲しいと言われた時からわかっていた。
だから、気合を入れてきた。それに、人気がないということは落ち込んだって誰にも見られない。
大丈夫だ。
「どうした、クラリス」
下を向いて涙が出ないように集中していると、上から知った声が降ってきた。
「えっ、オズワード! だ、大丈夫よ。少し疲れてしまった気がして座っていただけ!」
私は慌てて何もないというように顔をあげて笑顔を作った。
「……そうか」
私の顔をじっと見た後、声の主オズワードは頷いて隣に座った。
綺麗な横顔は何を考えているかわからない。
彼も休憩だろうか?
「裏庭に何か用があったの? こんな所に来るだなんて珍しいわよね」
「特に用はないんだけれど、君が見えたから。大丈夫か?」
「ええと、なにか……見た?」
「いや、落ち込んでいるようだったから」
「いいえ、大丈夫。たまには裏庭でゆっくりしたいなと思っていたの」
私よりも少し低い身長に細い腕のオズワードは、小さいころからの婚約者だ。
美少年、という言葉がこれ以上なく似合っていた彼は、そのまま十六になった。
キラキラと流れるような金髪。薄い吸い込まれそうな緑色の瞳。
整った顔で均整の取れた身体は、私みたいに筋肉質な感じはしないのに素早く力強く動く。
周りの状況も良く見ていて、仲間に彼が居るととても心強く、敵にすると全体が一段強くなったように感じる。
……同じ騎士課だけれど、彼にはまったく勝てない。
私の憧れの騎士だ。
「明日、私の家で会えないかしら」
「もちろん、光栄だ。好きだと言っていたフィリアラ菓子店によってから行くよ」
いかにも嬉しそうに笑ってくれる事に勇気を得て、私は続きを口にした。
制服のポケットに入れている小さな瓶に、そっと触れる。
「わあ、嬉しい。美味しいのよね焼き菓子って……それで、午後は一緒に訓練をして久しぶりにうちに泊まらない? 料理長のグリアダとも、騎士にいいとされる料理を一緒に考えているの」
「泊まりだなんて子供以来だね。思い切り訓練もできるしもちろんいいよ。楽しみだな」
何の疑いもなく、オズワードは頷いた。
「会えてよかったわ。また明日」
「ああ、気を付けて」
いつだってオズワードは紳士的で、婚約者としてふるまってくれる。
だけど私と彼は、婚約者だけど恋人ではない。
私の不毛な片思いだ。
きっと、ずっと、これからも。
**********
オズワードとの婚約は、私がどうしてもと親に頼み込んで決めてもらった。
だから、権力を使った大女というのは正解だ。
彼は親同士の取引だと思っているだろうけれど。
物語の主人公のようなオズワードとまったく釣り合わない悪女だ、と呼ばれているのも知っている。
それでもいい。私の夢をかなえる為に。
オズワードの家は没落しそうだ。
このままでは領地が借金に消えるともっぱらの噂であるし、事実だ。
彼は、騎士団長に相応しい。
私の家は、大きな商家をやっていて、小さいものを私も一つ持っている。
彼の家を建て直すことができる。
私の勝手な願いなのはわかっているけれど、でも、彼には騎士団長になってほしい。
騎士団長には、侯爵以上の家柄が必要だ。
……でも、それだけじゃない。
魔法研究をしている友達のミッシェラに貰った小瓶をぎゅっと握る。
彼女はいつもいつも魔法の話しかしないけれど、とてつもないものを作る事がある。
それもこのひとつだ。
『惚れ薬』
信じられないけれど、本当らしい。
効果は一日程度だと自分で試したらしい彼女が言っていた。
飲んで初めて見た相手の事が、キラキラとして、とても素敵に見えたそうだ。
次の日によく見たらただの教授だったと言っていたので、後遺症もないようだ。
今日、これを飲んでもらって、一夜の夢を見たい。
結局、自分の夢はこれなのだ。
愛し愛される、彼との夜を過ごしたい。
惚れ薬をみてから、どうしてもその考えが抜けなくて、今日決行する。
……それに、それならきっと彼は絶対に私と別れない。
誠実な人だから。
それを、利用する。
彼のことをまったく考えない、好かれたいという希望。
一夜だけでも叶うと思ったら、急に手に入れたくなってしまった。どうしようもなく。
そして、これさえあればそれが叶う。甘い誘惑だ。
……自己嫌悪と期待の間で、私は周りが見えなくなっていた。
学園の食堂で惚れ薬の瓶を眺めるだなんて。
「なにこれ、何を持っているの?」
「そ、それは……! 返して!」
ハッとして声の方向を見れば、昨日会ったばかりのミリアが不思議そうに瓶を持ち上げていた。
惚れ薬はいつの間にか、私の手から彼女の手に渡っていた。取り巻きの二人も、不思議そうに瓶を眺める。
じっと瓶を見つめた後、彼女はこれ以上ないぐらいに勝ち誇ったように笑った。
「これってもしかして、惚れ薬じゃない?」
「え……」
「クラリス様は誰も知らないと思っていたのね。ミッシェル様が開発したって、聞いたわ。まだ、魔法研究学科の数人しか知らないだろうけど、私の友人が居るの」
手が震える。まさか、もう知っている人がいるなんて。
ミッシェルは自分の開発したものの影響には頓着しない。
もともと約束もしていないし、私への義理もない。友人だけれど、彼女の開発は彼女のものだから。
「ああ、いやだ。こんなものでクラリス様はオズワード様に好きになってもらおうとしていたの? 信じられないわ!」
「恥知らずね……惚れ薬をオズワード様に使おうとしているなんて」
「こんなものに頼って、婚約を継続させていたのかしら」
彼女たちの大きな声は、食堂に良く響いた。
かあっと恥ずかしくなる。私の馬鹿みたいな夢が皆にばれてしまった。
彼から一度でも甘い言葉をささやいてもらえると。
嘘でも、素敵な一日を過ごせると。
それに、オズワードの気持ちを無視したことも。
「やめて……」
「やめないわ。オズワード様に知らせないと! ああ、ちょうどいらっしゃったわ」
泣きそうな気持になりながら頼むと、ミリアは食堂の入口の方に視線を向けた。
そこには今一番会いたくない相手が立っていた。心配そうな顔で、こちらへ向かってくる。
ミリアはオズワードに近づき、そっと腕を取った。
「オズワード様! 今、これをクラリス様が持っていたんです。魔法技術科のミッシェルが開発した、惚れ薬なのです」
「そうです。こんなもので、オズワード様の心を奪おうとしたのですわ。本当にひどい……!」
「おかわいそうな、オズワード様……」
ミリアはいたわるようにオズワードの肩にそっと手を置いた。
こんな時なのに二人の距離感に、胸が痛くなる。
オズワードが驚いたようにこちらを見て、その目線から逃げる為に私は下を向いた。
「ごめんなさい、オズワード。彼女たちの言っていることは本当だわ」
全てが言い訳だ。惚れ薬を持っている婚約者など、気分がいいはずがない。
しかも、今日の誘い。目的はあからさまだ。
しかし、目の前にハンカチが置かれ、驚いて視線を上げると笑ったオズワードが居た。
優しい仕草で私の頭を撫でる。なにこれ、夢?
動揺していると、オズワードはミリアに視線を向けた。
「ミリア嬢、私とクラリスは婚約している。君は驚くぐらいに距離が近すぎる。婚約者の前で誤解があったら大変だろう。二度と近づかないでもらえるかな?」
「えっ……オズワード様……?」
ミリアは信じられないように目を見開いた。
「君は淑女教育も受けていないのかな? 婚約者の前でその相手に触れるなんて、論外だと思うのだけど」
「な……なんてことを!」
「それに我が家が侯爵家というのを忘れたのだろうか。学園内とはいえ、そもそもの身分についてはある程度意識するものだとは思っていた」
オズワードが次々とミリアに攻撃的な言葉を投げつける。
最初は驚いていたミリアだったが、怒りで顔が赤くなった。
「侯爵家だって言ったって、名前だけじゃない! すぐに没落するわ。それに、惚れ薬を使うような大女に、お金で買われたくせに!」
「……流石、伯爵家だな。その程度か」
オズワードは冷たい視線を向け、唇だけ笑みの形を作った。それはぞっとするほど冷たく、美しかった。
ミリアはびくりとして、一歩引いた。
彼のこんな態度、見たことない。
「ミッシェラに惚れ薬の作成を依頼したのは俺だ。個人名義にしているが、色々な薬を彼女と協力して開発して、販路を開いている。もう家を立て直すには十分で、学園を引退した後は侯爵をすぐ継ぐ。それまでは父上にお飾りでいてもらっている」
「えっ……」
「伯爵家の情報網では、ここまで調べられないのは当然だ。仕方ない」
「馬鹿にしないで……!」
「さて、没落しない侯爵に正面から喧嘩を売った君については、後で君の父上に相談させていただこう」
「え……う、うそ……」
状況がわかって青くなったミリアを、同じように青くなった取り巻きが見つめている。
慰めたりしないのは、巻き込まれたくないからなのか。ミリアは一人、膝をついた。
「さて、クラリス」
「オズワード……」
「君とは話し合いだ」
婚約破棄についてだろう。
惚れ薬だけじゃなく、私は用無しもいいところだ。
笑顔なのに怖いオズワードに手を引かれ、私たちは騒然とする食堂を後にした。
*****
「婚約者として愛を伝えていたつもりの君は、まったくそれを信じていなかったようだね」
「オズワードは、没落予定で私と結婚するんじゃないの……?」
「どう考えても、君が好きだからだ。ただ、俺は……うちが没落しそうだから、君が騎士としての俺を支えるために婚約してくれたのだと思っていた」
くやしい、もっと表現するべきだった……、と悔しがる彼を、驚いてみる事しかできない。
オズワードは私の頬をするりと撫で、そのまま顔を近づけてキスをした。
「え。う、うそ! キス、キスした!」
「惚れ薬が必要なのは、俺の方だとずっと思っていた……絶対に逃がさないから」
「夢、なのかしら……」
「夢じゃない。むしろ俺の方が夢みたいだ」
「信じられないわ。私はあなたより背が高いし、女性らしさもないし……」
「クラリスは騎士としてとても強く、努力をしている姿が美しい。それに、背が大きくて何が悪い? 君より小さい俺のことは格好悪いと?」
「そんなはずないでしょう! オズワードは誰よりもきれいで、素早く動ける素晴らしい騎士だわ」
「そう、それと同じだよ。それに、話していて楽しいし、可愛いとずっとずっと、思ってた。惚れ薬を使ってくれるぐらい思ってくれるなんて嬉しいな」
「あなたの気持ちを考えずにごめんなさい。夢が見たくて……」
「じゃあ、夢じゃない一夜を過ごそう。何回でもね」
凄く愛おしいものを見るようなオズワードの視線にくらくらする。
ぎゅっと抱きしめられれば、彼の体温にこれが現実だとわかる。
私も、戸惑いながらも彼の背に手を回した。
「嘘みたい」
「嘘じゃないって、今日証明しよう。……今日は泊まっていいんだよね……?」
甘く、欲を感じるささやきに、私は一夜を思い、頷いた。




