婚約破棄された悪役令嬢は、隣国でもふもふの息子と旦那様を手に入れる
確かに乙女ゲームは好きだった。
なんなら乙女ゲームのモブに転生とか憧れてた。
でも、転生先は悪役令嬢で、このタイミングとかいったいどうしろっていうの……?
私は途方に暮れていた。
「フィリーナ・ラエネック。残念ながら君とは婚約破棄だ。君が行った悪行についてはこちらに証拠が揃っている。侯爵令嬢だとは思えない所業だ」
良く響き渡る低い声が、しずかな学園の講堂に響き渡る。
冷たく侮蔑を含んだ声が、私に容赦なく降りかかる。
ゲームで聞いた時はときめく声だったけれど、その冷えた嘲笑は自分に向けられるとぞっとするばかりだった。
今、私は彼の前に這いつくばっている。貴族令嬢としてはあるまじき姿だ。
私の前には一人の少女と妙に顔の整った五人の男性がいる。更に私達を取り囲むようにたくさんの生徒たちが遠巻きに私たちを見ている。
学園の食堂の中には、たくさんに人が居るが、しかし誰も私に手を貸そうとはしない。
当然だ。
彼らは乙女ゲームの攻略者たちで、王族を含む高位貴族だ。
私は今まさに断罪されている悪役令嬢だった。
中心に居て私に冷たく告げているのはテオフィール・リシュリュー。私の婚約者だった人だ。
金色の瞳に金色の髪。傲慢ともとれる程の自信に満ちた顔は、上に立つものとしてのカリスマとなっている。
王太子である彼は、当然のように攻略対象者だった。私は彼のことが好きで好きで、けれどどんなに頑張って努力しても関係は変わらなかった。
いつでも私には優しくなかった彼は、ついに運命の相手と出会ったらしい。
彼の隣に居る小動物系の可愛い女の子が、きっとこの乙女ゲームのヒロインなのだろう。
ゲームでは名前はなかったけれど、確か彼女の名はイリス・ツーボン、伯爵令嬢だ。
「……テオフィール様、私は」
「大丈夫だ。君は私の後ろに隠れていればいい」
「ありがとうございます。あの、私にはテオフィール様が居るのですから……頑張りますわ」
「無理はしないでくれ。傷ついた君をこれ以上つらい目には合わせたくはないのだ」
「そんな……。でも嬉しい、です」
彼女はそっとテオフィールの服の裾を掴み、うるんだ目で私の事を見ている。しかし、その目の奥には愉悦が潜んでいた。
おびえるようにテオフィールの腕に顔をくっつけて、勝ち誇ったように唇をゆがめた。
……ああ、はめられた。
フィリーナとしての記憶をたどっても、彼女を虐めたりなんてしていなかった。
私の顔はいかにも悪役令嬢だったし、嫉妬から嫌味を言ったけれどそれだけだ。褒められた行動ではないが、婚約破棄をするには罪が軽すぎるはずだ。
「何とか言ったらどうだ!」
グラードが私を睨みながら見下ろす。大柄で筋肉質な彼はテオフィールの側近であり、こちらも攻略対象者である。
この男に突き飛ばされ、私は前世の記憶が戻ってしまったのだ。
……記憶がよみがえった為にまだゲームと同じだと冷静になれるだけ、感謝するべきなのだろうか。
そもそも婚約破棄するとはいっても、まだ王太子の婚約者である私を突き飛ばして床に這いつくばらせるとか、貴族の男としてどうなの?
私が不快な顔を隠せずに睨むと、グラードはかっとしたように怒鳴った。
「イリス様がどんなにつらいかわからないのか!」
ゲームでは大型犬のように可愛かった彼だが、今はただ乱暴者にしか見えない。無駄に筋肉質な体格が、圧迫感があって怖い。
私がびくりと肩を震わせると、ヒロインは眉を下げて見せた。
「そんな言い方したら、フィリーナ様が可哀想……」
元凶の彼女は弱弱しく震える声で、定番の台詞を言う。
「ああ、すまない。イリス様のお気持ちを考えたら……」
私には怒鳴ったグラードがしゅんとしたように身体を小さくしている。
「私の為に……ありがとう」
ヒロインが感動したように笑い、グラードが照れたようにはにかんだ。そんなヒロインを愛おしそうに見て、テオフィールは彼女の肩をなでた。
「君は優しいな。君がされたことを思えば、こんな事ぐらい当然なのに」
微笑まれ、ヒロインは急に顔をぐしゃりとゆがめた。
「……それでも、わたし、わたし」
「泣かないでくれ」
大きな目から涙が溢れ、テオフィールが悔しそうに彼女を抱き寄せる。そのままヒロインは声を殺すように、すすり泣いた。
それはしんとした空気の中で、悲し気に響き渡る。
周りの空気が一気に彼女に同情的になったのがわかった。
私から見ても、抱きしめてあげたくなるような可憐さだ。
「……駄目だわ」
ここで悪役令嬢である私が反論したところで、よりひどい事になるだけだろう。
皆が私に憎しみに満ちた視線を送り、小動物のような彼女は、ちらりと私を見て微笑んだ。
この茶番じみた断罪を、私はどうにもならない気持ちで眺めていた。
*****
悪役令嬢が婚約破棄や誤解を覆せるはずもなく、私は色々な現実に押しつぶされそうになりながら学園から家に帰ってきた。
そして、家に着きほっとすると、この婚約破棄は侯爵家への影響もあると気が付いた。すぐに父に報告しなければいけないと、私はそのまま父の執務室に重い足取りで向かった。
父は若い頃に侯爵位を継ぎ、王城で宰相としても働いている。冷静で怜悧な父は、皆に恐れられていると同時に影響力がある。
ゲームでは何度も見たが、実際に目の前にするとできる人の圧がすごい。どうなるのだろうと心臓がどきどきとする。
しかし、当然説明しないわけにはいかない。たどたどしく事実を伝える私の言葉を意外にも父はじっと聞いてくれた。
「……ということなのです。大変、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「謝るな。お前のせいだけではない。……ああ、そうだな。ちょうどよかったんだな」
私が一通り話し終えると、父は拍子抜けするほど軽い口調で言った。
「どういう事ですか?」
「お前はおそらく隣国であるグラッサーグの王へ嫁入りとなる。……戦争に対する莫大な賠償の一部に令嬢の嫁入りが含まれていた」
「戦争に対する莫大な賠償? 戦争では多少の賠償があったとは聞いていましたが……初耳です」
「惨敗だという事を隠しているからな。グラッサーグへの嫁入りなど、普通の貴族は応じないだろう。公にしていない以上、グラッサーグという獣人の国への嫁入りだと蔑む目を逃れることは出来ない」
「確かに、獣人は本物の獣のようだと」
「実際は違うがな。知性も品位も力もある。しかし、偏見というのは難しい。……この事もあってお前との婚約破棄をすんなり認められたのだろう。罠にかかったという事だ」
「そんな裏があっただなんて」
「諦めろ。……お前が浅はかだったのだ。相手の女の方が上手だった。妃になる為には、そういう腹黒さは必要だ。更にお前の悪行を我が家の落ち度として、王家はこちらの力も削ぐつもりだろう」
「っ……申し訳ありません」
転生前の記憶を思い出して混乱していたとはいえ、あの場で家に迷惑をかけてしまう事を思いつかず悔しくなった。
父が築いてきたものを、私が壊してしまう。私にだって、何かできたかもしれなかったのに。
ただ断罪という場に呆然としていた自分が恥ずかしくて、悔しくて涙がにじんだ。
悔やみぎゅっと手を握る私の肩を、父はそっと撫でた。
「このままにすることはない。安心しろ。フィリーナ、お前をしあわせにすると言った言葉を反故にするなど、死に値する」
私と同じような悪人顔の父が、顔に似合うセリフを言う。
「お父様……」
「お前は私の可愛い娘だ。この素直なところが可愛いというのに」
私の事をぎゅっと抱きしめてくれた父の体温に、私の目からは涙が零れた。背中をとんとんと叩いてくれる手つきが優しく愛情を感じ、泣きやみたいのにどんどん涙が流れてしまう。それを父がそっとハンカチで拭いてくれる。
温かな父に手を回しぎゅっと抱きしめた。
この世界がゲームだと思い出していても、断罪は怖かったのだと、今さらながらに思った。
前世の記憶が戻った分客観的になれた部分があるとはいえ、私はテオフィールが好きだった記憶も確かにあり、断罪は苦しかった。
「お前にはグラッサーグについて教えておこう。大方の貴族が思っているようなところではない」
「隣国だというのに、あまり交流がありませんよね。……確か獣人がたくさんいるんですよね」
「その通りだ。この国はグラッサーグを獣人の国として蔑んでいるが、おそらく文化としてもこちらよりも上だ」
父から聞いた隣国の話は知らないことだらけだった。
隣国であるグラッサーグは獣人の国として栄えている国だが、資源が豊富で大国だということだ。獣人といっても、技術も進化していて大きな国として力があるらしい。
軍事的にも、私達には計り知れない不思議な力を持っているという報告が宰相である父にあがっている。
私たちが住む国であるヴァライサよりもずっと規模が大きく、力がある。そう、父は認識していた。
隣国として、今後安定した関係を築いていくべきだと考えていた。
しかし何を血迷ったか陛下が戦争を仕掛け、あっという間に負けてしまった。
戦争があったことは父が多忙になった事で知っていたが、そんな状況になっていただなんて。
戦争自体は一カ月程度でしかなく、それも膠着状態になってしまった為に終戦となったと聞いた。
結局王族同士で話し合い賠償金を多少支払うことで手打ちになったと発表していたが、実際は従属国になったという事だった。
ゲームにはそもそも隣国自体が出てこない。
「全く知らなかったわ……」
「無能が隠しているのだ。このような大事いつまでも隠しておけるわけがないというのに」
無能というのは陛下の事だろうか。
……うち、反逆罪とかにならないかな。
父の言い草にひやひやしながら、私は疑問を口にした。
「そんな力がある大国が、従国扱いになった国から嫁入りを望むのは何故でしょう? つながりを求める貴族へではなく、王族への嫁入りなのですよね?」
「何か理由があるのだろうが、知らされていない。……こちらでどうにかなるように手を打つから、待っていてくれ。それでもつらかったら何を置いても逃げてこい」
「ありがとうございます。……ごめんなさい」
「いいんだ。無能はこの機会に引いてもらった方がいい。こんな事をした無能たちに対し、私がこのまま黙っているとは思わないでくれ。それと、お前は浅はかなところは少し学ぶように。……まあ、少しでいいからな」
父は厳しい顔で苦言を言い、その顔のまま私の頭を撫でるので笑ってしまった。
知らない国に行くのは不安だけれど、父は味方だ。
断罪され婚約破棄もされ、急に知らない獣人に嫁入りする。
だけど、それでもこの状況は最悪じゃないと感じられて、嬉しかった。
*****
「長旅でご苦労さま。疲れたかな? グラッサーグへようこそ」
馬車に揺られて一週間。やっと着いたのは広大な敷地内にあるお城だった。 華やかな庭園に大きなお城は、これだけで財力が存分にあるのを感じるのに十分だった。
思った以上の人数が迎えてくれて居るのが見え、驚いてしまう。
出迎えの声をかけてくれたのはその中でも目立つ、黒い瞳に黒い髪が美しい青年だった。彼の頭からは黒いピンと立った大きい耳が生えていて、よくできたコスプレみたいだ。
細いのにしなやかな筋肉を感じるような体躯に耳の印象も相まって、まるで狼のようだ。
短めの尻尾がふわりふわりと揺れ、本物なのだと不思議な気持ちになる。
つやつやの毛は、前世実家に居た猫を思い出させた。
……ちょっと、いや、かなりさわってみたい。
「お出迎えありがとうございます。初めてグラッサーグに来たので景色も珍しく、とても楽しかったです」
「それは良かった。この国が気に入るといいのだが」
私が自分の欲望を抑えにこりとほほ笑みかけると、彼も同じように笑い返してくれた。
しかし唇は笑みの形をとっているものの、瞳の奥は警戒心を感じる。
それでも従属国からの嫁入りだという事態にしては、対応がとても優しい。蔑むようなこともなく、客人扱いだ。
獣人を下に見ているうちの国の人とは大違いだ。獣人の話題が出ているだけで、嫌悪と侮蔑を感じた。
目の前に彼らが居たとしても、きっとその気持ちは隠し切れなかっただろう。
とはいえ、私は前世を思い出す前から特に獣人に対して嫌悪感もなかったし、前世を思い出した今となっては可愛さしか感じない。
獣人は初めて見たけれど、耳と尻尾が生えている以外は、ほぼ私と変わらない。
……服を着ているところはわからないけれど。
出迎えてくれた皆が、それぞれ猫っぽかったり狐っぽかったり犬っぽかったりしているので、獣人の国と言うのは本当のようだ。
これからここで過ごし、たとえ厳しい生活になったとしても癒しとなりそうだ。
もふもふとしていたりつるつるとしていたり、更には色々な毛の色があって、可愛い。
「さあ、お手をどうぞ」
先程の黒髪の美青年が私に向かって手を差し出す。すっかり獣人の姿にやられていた私は慌てつつも、その手に自分の手を重ねた。
「はい。……あの、あなたはどなたですか」
「この国の王であるレイナルド・グラッサーグだ。これから、よろしくお願いするよ」
優雅に礼を取り、にこりと笑いかけられ、私は慌てて頭を下げた。
「陛下とは知らず、失礼いたしました。……私はフィリーナ・ラエネックです。よろしくお願いいたします」
……まさか王様が出迎えだなんて、びっくりするよ! しかも、自らエスコートしてくれるなんて。
敵国に売られて来たとは思えない待遇に、私は目を瞬いた。
獣人はとても可愛かったり美しかったりしているし、国はとても豊かそう。人々も急に石を投げてきたりもしないし、むしろ王様が出迎えてくれて私に笑いかけている。
この一週間、馬車に揺られながら最悪の事ばかりを考えていた私は、寝不足のあまり幻覚を見ているのかと疑った。
「この耳や姿は珍しいか? ……フィリーナの国では獣人が居ないし、君の国での獣人の扱いは知っている。王命であるだろうから、なるべく君の希望には沿うようにしたいと思っている」
値踏みするように私を見る彼に、やはり警戒されているとわかった。しかし、その言葉の中には心配してくれているような優しさも感じる。
私は自分の気持ちを率直に話すことにした。
「そうですね。残念ながら私の国では偏見が蔓延っています。でも、私は獣人の方とは初めてお会いしましたが、私たちとあまり変わらない印象です。耳とかはコスプレみたいですが近くで見るとやっぱりちゃんと作りものじゃなくて、不思議で、少し触ってみたい気がします。……あっ」
ついうっかり本音を話しすぎてしまい慌てて口を押えると、レイナルドは目を見開いた後くはっと噴き出した。
「触りたいとは、面白い感想だ。……後で思う存分さわらせようか?」
ひとしきり笑った後、レイナルドはすっと私に近づき囁くように嘯いてくる。その声は低く甘やかで、自分の頬がカッと赤くなったのがわかった。
近すぎる! 急に色気が凄い!
「わわわ、大変不敬でした申し訳ありません大丈夫です! それに私はこれから結婚する身ですから、そんなに近付いたらいけないと思います!」
私が恥ずかしくなって訳が分からなことをまくしたててしまった。従属国がしていい態度ではない。
どうしていいかわからなくなってしまった私の肩を、レイナルドがぽんぽんと優しく叩く。その瞳からは警戒心が消えていた。
「気にしないでくれ。……秘密だけれど、私は威厳がないってよく言われるんだ」
「まあ……ふふ」
おどけたように笑って首をかしげて見せる彼に、思わず笑ってしまう。私の失敗に怒るでもなく冗談にしてくれた。優しい。
こちらが彼の本当なのだろう。この穏やかで優しい雰囲気なら、周りも色々なことを進言しやすそうだ。
うちの国の陛下も王太子であるテオフィールも、命令して従わせるような人だったものね……。
優しい上司とか、やっぱりこれ全部幻覚なのかな……私、凄く疲れてるしな……。
前世の上司も……うん。思い出したくないな……忘れよう。
今までとの違いに想いを馳せていると、レイナルドは不思議そうな顔で私の顔を覗き込んできた。
先程の事を思い出し、どきどきとしてしまう。
……純粋に心配してくれているのに! もう!
「大丈夫かな。やっぱり疲れているよね、早めに部屋に案内しなくては」
「いえ、こんな風に出迎えていただいてとても光栄で……わっ」
話している途中に急にどしんとした衝撃をうけた。不思議に思って下を見ると、ぎゅうぎゅうと温かな塊が私の足に貼りついている。
「ママ!」
ぴょこんと私の半分にも満たない身長の小さい男の子が、私に抱き着いている。
嬉しそうな顔で私を見る目は大きく、大人よりも毛がもじゃもじゃとしていてかなり犬に近い。
ふわふわした毛が全体的に生えていて、もっこもこだ。銀色の毛並みは豪華で、あどけない笑顔が庇護欲を誘う。
可愛すぎる。動物と子供のいいとこどりかな?
「ママ、ママだ!」
可愛い声で、私のことを嬉しそうにママと呼んでもう一度ぎゅっと足を抱きしめた。毛がふわふわとくっついて、くすぐったい。
どうやら優しい上司も足に張り付いている子供も幻覚じゃないようだ。
「ねえ、可愛いさん。あなたは誰かしら」
「ぼくはリカランドだよ」
頭をなでると、金色の瞳を細めてぎゅうぎゅうと頭を擦り付けてくる。毛のふわふわとした感触が気持ちいい。子供特有の湿った温かな体温が伝わってくる。
ううう、可愛い。レイナルドの弟だろうか。
……嫁に来たというのに、ここの国の事も家族になる人の事も何もわからない。
「リカランドというのね。可愛いわね。どこから来たのかな?」
「ママに会いに来たよ! えへへ」
「ふふふ、私はあなたのママじゃないわ。あなたのママはどこなのかしら?」
「ううん、ママなんだよ」
私の足にまとわりついてリカランドはにこにことしている。この子の親はどの人なんだろう?
きょろきょろと周りを見ると、皆があからさまにほっとした雰囲気で私たちのことを見ていた。
なんだろう? ほほえましいとかじゃない感じ……。
レイナルドも驚いたように私の足に居るリカランドを見つめている。
「リカランド……」
「ねえ、ママ、好き!」
リカランドがそう言って笑うと、レイナルドは一瞬何故かぐしゃりと顔をゆがめ、そして、ふわりと花のように笑った。
そのあまりに綺麗な笑みに、どきりとする。
「リカランド……ああ、良かった。この子はあなたの事がすごく気に入ったようだ。フィリーナ、リカランドは私の息子なんだ」
「そうだったのですね。とても可愛い息子さんですね」
「ああ、そうだ。可愛く思えてよかった……彼は君の息子にもなるから」
かみしめる様に、秘密を教えるようにレイナルドがそっと私に告げた。
「えっ。私の結婚相手って陛下なのですか!? ……私は第二夫人って事だったんですね」
一夫一妻が染みついていたからこの可能性について全く考えていなかった!
何故王族との結婚が、と思ったけれどそういう事だったのか。獣人の国だから珍しい人間の第二夫人が欲しかったのかもしれない。
自ら出迎えたのは、自分の嫁だったからなのか……色々と衝撃を受けるが納得だ。
「違う。どうしてそういう話になるんだ。それに私が相手では不満なのか?」
私が心の中で頷いていると、何故かぶすっとした顔でレイナルドが抗議してくる。その顔があまりにも子供っぽくて、最初の美しい印象とのギャップで笑ってしまう。
「いえ、私に不満などありません」
そうだ。もちろん婚約破棄されたばかりの悪役令嬢に選択肢などない。それに、意外だったけれど、彼との結婚自体は嫌でもない気がした。
「ちがうよママー」
リカランドもぴょんぴょんと飛んで否定する。
「何が違うの?」
「ママは、ママ一人だよ!」
私の手をぎゅっと握り、ママは私だけだと真剣に伝えてくる。
どうやらリカランドは私の事をママと呼んでいる。多分だけどこの子は四歳ぐらいだろう。普通なら自分のママが誰かわからないなんてことはないはずだ。
……ということは。
「死別の奥様がいらしたのですね。失礼しました」
「それも違う」
確実に正解だと思い謝ったけれど、そっけなく首を振られた。
「……難しすぎませんか? 正解をおしえてください」
「フィリーナはなかなかせっかちだな」
私が解けない問題に悔しい気持ちで居ると、レイナルドはくすくすと笑った。正解をすぐに教えてくれる気はなさそうだ。
「リカランド、こっちへおいで。こんなところでずっと立ち話じゃなくて、移動しよう」
「やだ。ママとははなれない」
「わがまま言わないんだよ。フィリーナは長旅で疲れているから、こっちへおいで」
「やーだー。レイナルドとはいかなーい」
「そこはパパじゃないんですね」
ぐぐぐっと私の足に捕まって抗議を示すリカランドを、私はそっと抱きあげた。子供の温かな湿度を感じる。
私の腕の中に納まったリカランドは、小さな両手でぎゅっと私の首につかまった。
苦しい。力がつよい。
「ちょっとこっちにしてね」
手を外して自分の腕をぽんぽんとすると、わかったというように腕をぎゅっと握った。そのまま私の身体に身体を預け自由な感じに首を伸ばした。
ううう、やっぱり可愛すぎる。
そんな私達のやり取りを、なんだか泣きそうな顔でレイナルドが見ている。
「ありがとう、フィリーナ。一緒に美味しいご飯でも食べながら話そう。この国の料理はなかなか美味しいと思う。君も同じように感じてくれるといいんだけど」
*****
レイナルドから聞いた話はこうだった。
リカランドは王家に代々伝わる魔法陣の中に突然現れたらしい。
なので、レイナルドとリカランドは血のつながりがないどころかリカランドは精霊の類ではないかということだった。
「魔法陣から現れるのは神様からの贈り物という伝説だけれど、本当に見るとは思わなかったな。おとぎ話のように聞かされていた話が、現実だったとは」
ため息をついて、レイナルドはお茶を飲んだ。
ふるまってくれた食事はとても豪華で美味しくて彼らの歓迎の気持ちを感じた。レイナルドは話し上手で、食事はとても楽しく終わった。
リカランドが野菜を嫌がっていたぐらいで。
そうして、食後のお茶と焼き菓子を並んでソファで頂きながら先程の話の続きをしてくれた。
隣の距離は近くて、どきどきするのに安心する不思議な感覚だ。
「……それはなんというか、素晴らしいですね?」
膝の上でごろごろと転がっているリカランドは、見た目動物っぽいものの普通の子供と変わらなく思える。ふわふわの髪の毛に、ぷくぷくほっぺ。触ると吸い込まれそうに気持ちいい。
撫でると嬉しそうにくすくすと笑うのが可愛すぎる。
贈り物は天使だったのかな?
「書物によると王家の子供として育てなければいけないということだから、私の息子になったのだが……」
「みんなきらーい」
「この国にはリカランドが気に入る令嬢が居なかったのだ。何回もパーティーを開き、色々なご令嬢と会ったが、全て駄目だった。……それで、ええと、タイミングが良かったから、藁にも縋る気持ちで」
最後は少し申し訳なさそうにしていたが、戦争の賠償をタイミングが良かっただなんてうちの国は本当に相手になってなかったんだなと思った。
しかし、私にとっては幸運だったともいえる。
「でも、なんだか嘘みたいな話ですね。伝説の神様の贈り物がここにいてこんなに可愛いだなんて」
「ふふ、本当に……。もう結婚は無理かと諦めかかっていた」
「リカランドが気に入らないと結婚できない仕組みだったんですね」
だから皆もほっとした雰囲気だったんだ。
「そうなんだ。だから、フィリーナが来てくれて本当に良かった。正直リカランドが大丈夫なら誰でもいいと思っていたのに、こんな可愛くて面白い子が来てくれるとは思わなかった。私も嬉しいんだ」
「私に面白要素ありました? ……ああもう、戦争の賠償に嫁が欲しいなんてどんな裏があるのかとすっごく悩みました」
「それは申し訳なかった。でも、リカランドの事は言うわけにはいかないんだよ。フィリーナの事は当然大事にするつもりだ。 ……リカランドが気に入らなかった場合は、自国にちゃんと帰れるようにするつもりだったし。もう返さないけれど」
「ふふ。それなら良かったです。……今帰ってもきっと大変になってしまうところだったので、リカランドに気に入ってもらってよかったかもしれないわ」
婚約破棄が二回は大変な事だ。
父はああ言ってくれたものの、問題を起こした私は良くて一生家に居ることになるだろう。
……それに、今頃あの二人が正式な婚約者になっているはずだ。それを自分の目で見なくてはいけないのは、きっとつらかったから。
私がほっとして呟くと、レイナルドはぐっと私に近付いた。
「……それはどういう事?」
「え?」
「フィリーナが大変ってどういう事なの。ちゃんと教えて」
謎の圧に押されながら、私は今までの事をレイナルドに話した。私の話を聞きながら、レイナルドの綺麗な顔はどんどんと険しくなっていった。
私が助けを求めるようにリカランドを見ると、彼はにっこりと笑った。
「ねえねえ、フィリーナの国、ほろぼす? こわい目にあったんでしょ?」
「わわわ、滅ぼすだなんていわないで。私の大事な国で家族もいるのよ。……そうだ、お父様にも、大丈夫だったって伝えなくっちゃ」
「そうだ、リカランド。そんな風にしなくても、あの国はうちの従属国なんだ。長い間苦しめる方法なんていくらでもある。まずは王族への財政を絞っていこう」
「えっ。過激派」
私が謎の行動力に引いていると、キラキラとした目でリカランドがレイナルドを見ている。
「そうなの? じゃあそうしよー」
「ああ、それにフィリーナを私の妻として連れて行けば、フィリーナを蔑ろにした奴らは皆フィリーナに頭を下げるしかない。そういう方がきっとああいう奴らには痛いはずだ。私達の権力を見せつけよう」
「そうなんだ! じゃあそれもそうしようよ! いつ行こうか。ねえねえフィリーナ。旅行だね旅行だね、面白いところはある?」
二人が盛り上がってどんどん話しているが、結局は新婚旅行の話に落ち着いたようだ。
会ったばかりの私の婚約破棄のことをこんな風に怒ってくれて、心が温かくなる。
一緒に旅行、行きたいなと素直に思えた。
「ふふふ。色々あるわ。ここの国がいい所なのは間違いないけれど、私の育った国にもいい所はあるのよ」
「わーたのしみー。フィリーナ、案内してくれる?」
「ええ、もちろんよ。家族旅行は初めてね」
「かぞくりょこう」
「ええ、リカランドとレイナルドと私と、家族三人で」
「……フィリーナだいすき」
「ええ、会ったばかりなのに不思議ね。私もあなたが大好きよ」
リカランドは真っ赤になった後に、私に抱き着いた。ふわっとした毛の感触が嬉しくて私も抱きしめ返す。
「私もだ」
何故か拗ねたようにレイナルドも呟いて、さらに大きな身体に私は包まれた。
三人でいる体温は暖かく、悪役令嬢にもしあわせがあるんだなと嬉しくなった。
「ああそうだ、フィリーナ。リカランドは本当に国を滅ぼせるから、迂闊な事は言わないように。フィリーナが望むならいつでも滅ぼしていいけれど」
「えっ」
「いいんだよー」
にこにこと笑うもふもふ天使は、可愛いだけじゃないみたいだった。
でも、その優しさと可愛らしさに、私はもう一度彼を抱きしめた。
*****
「フィリーナ。良くも私の前にまた現れたな」
「テオフィール様……私、もう大丈夫です。あなたに愛されているんですもの」
「ああ、優しいな。それにひきかえ、フィリーナは」
ヒロインと攻略対象者のはずなのに、セリフはまるで悪役のようだ。
久しぶりに会った彼らを見ても、驚くほど感情が動かないことにほっとした。彼らはまだ私がテオフィールに未練があるように感じているようだけれど。
テオフィールは私のことを憎しみに満ちた顔でにらみつけ、ヒロインは彼に守られるように腕の中に納まった。けなげにも私のことを慈愛に満ちた微笑みで見ている。
実際は、見せつけてるのだろうが。
でも、全然もう関係ない。
「フィリーナがなんだって?」
「フィリーナ大丈夫? これが悪いやつ? ほろぼす?」
「レイナルド! それにリカランド。大丈夫よ。……それこそ私にはあなたたちが居るんだから」
「フィリーナ、なんという言い方を……」
私の皮肉が伝わったようで、ヒロインとテオフィールはそろって不快そうな顔になった。
……これぐらい言っても、いいじゃない。
私が彼らを捻くれた気持ちで見ていると、私の後ろから冷えた声が聞こえた。
「なぜヴァライサごときの王族が私の妻にそんな無礼な事を言っているんだ? さらには呼び捨てにするだなんて」
「なっ」
「ヴァライサが私の国の従属国になった事を知らないのか? それとも、宗主国であるグラッサーグの王族の顔もわからないのか?」
いつも優しい口調のレイナルドがにこにことしながら全く不快だと器用に伝えると、テオフィールは渋々といったように膝をついた。
もう名前も思い出せないヒロインの彼女は、そんなテオフィールの事を呆然と見ている。そして、はっとしたように私のことをにらんだ。
「妻の教育が足りないようだな」
「……イリス」
テオフィールが名前を呼ぶと、ヒロインは悔しそうな顔で膝をついた。
「レイナルド王、……申し訳、ありません」
じっと跪く二人を見た後、レイナルドは不安そうな顔で私のことを見つめた。
「フィリーナ、大丈夫か?」
「ええ。もう大丈夫です。さっきの言葉は嘘じゃないの。二人が居るから、私はもうこんなことで傷つく事ないわ」
「それは良かった」
心底ほっとしたように、レイナルドが微笑んで私は嬉しくなって彼の手を握った。隣でリカランドも私の手を握ってくれた。両手に花だ。
「今ヴァライサ王にもこの国の今後について話してきたばかりだが、後でまたヴァライサ王に話をしよう。……この国の者たちは、立場の違いが分かっていないようだと」
「申し訳ありません! お許しください!」
テオフィールが青い顔で頭を下げ、ヒロインは下を向き肩を震わせていた。
私はレイナルドの裾を引っ張った。
「……レイナルド」
「私の妻に感謝するんだな」
「かんしゃしろー」
「ありがとう、リカランドも。……さぁ、観光に行きましょう!」
「ああ、君のおすすめの場所、育った場所、楽しみだ」
「かぞくりょこうだぞー」
私が二人に呼びかけると、彼らは嬉しそうに笑った。




