壁のたまごを見つめる仕事
いつものように会社に向かっていると、スーツ姿のおっさんが壁を見つめているのを発見した。
どう考えても話し掛けちゃいけない雰囲気だったが、会社に行きたくなかった俺はいつの間にか声を掛けていた。
「あのー、何をなされているんですか?」
三十代中肉中背といった男は、返事をするでもなく壁を見つめ続けている。
「……あのー」
「ああ、すみません、集中していたもので」
おっさんが薄くなった髪をポリポリと掻きながら口を開いた。あくまで壁を見続けたまま。
「何を見ているんですか?」
「何って、壁ですよ」
当然だと言わんばかりに壁を指差しながら答えるが、意味が分からない。
「仕事とか行かなくて大丈夫なんですか?」
通勤中に話し掛けている俺が言えたことではないが、スーツ姿で何をしているのか、と気になって仕方がない。
「いやいや、これが仕事なんですよ」
おっさんがそう言うと同時に、俺の背後の雑踏から何かが飛んできて壁に衝突した。それは卵だった。熱の通っていない生卵だったそれは、殻が弾けて中身が壁にへばりついてずり落ちた。
「!? 大丈夫ですか!」
「ええ、大丈夫ですよ。これが私の仕事
ですから」
いきなり卵を投げつけるという失礼極まりないことをされても、落ち着いてどっしり構えているおっさんに一種の尊敬を覚えていた。
「おお! この卵ブランド物ですよ!」
壁の卵を注視しながらおっさんが興奮気味に言うと、俺の疑いの目が薄くなり、次第に輝きを放ち始める。
「その仕事、どこに行ったら出来るか教えてください!!」
会社員になって荒んだ心に光が差して、学生時代の熱い情熱を取り戻したような気分だった。
「ええもちろんですよ、そこの路地を曲がって三軒先のハロー―――」
おっさんが壁を向いたまま指を指して説明していると、横から何者かの手が伸びてきた。
「ちょっといいかな? 職務質問させてもらうよ」
それは警察だった。二人組の男性警官が壁を見つめるおっさんに質問を投げ掛ける。
「こんな所で何してるの? 職業は?」
この人はとても大切な仕事をしているんです、そう言い掛けて口をつぐむ。ここはおっさんにもプライドがあるだろうから黙っておこう。
「いやーその、実は無職で……」
あっさり壁から目を離し、たどたどしい返答をするおっさんを見て、燃え上がっていた心は縮こまって消えていった。
「……あ、会社に遅れる」
俺は質問責めにあう無職のおっさんを横目に小走りで会社に向かった。
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