憤雷の長、忌々しき記憶を想う
雲は遥か遠くの空まで吹き飛ばされ、大地は水の波紋の如く抉れて砕けていく。
水面に降り注ぐ暴力の雨が、平穏と闘争のバランスを完全に崩した。人間も魔物も、敵も味方も、何もかもが区別なく消し飛ばされていく。命を持つ存在とは、こうも簡単に崩れて死んでいくのかと思うほど、数えるのも馬鹿馬鹿しい数が終わっていく。
人ではない両者は、生まれ育ちも信条も、数多の命を踏み台にしてまで叶えたい目的や願いも一致しない。けれどもその力は、周囲の環境をも変貌させるほどの力だけはほぼ互角と言っていい。空間を埋め尽くすほどに眩く強い赫雷、それを片っ端から相殺していく形ある闇……台風の目である二体は、交差する超常の中で死闘を繰り広げていた。
闇を纏った杖が、槍の様に振るわれる。上半身、下半身、脇腹から肩まで体の隅々を狙う神速の攻撃たちを、紙一重で俺は避ける。掠ったか掠っていないかも定かではない間合いを保ち、その上で反撃や追撃を行う。
戦いにおいて大事なのは、攻撃ではなく防御である。考えなしに突っ込んで短期決戦を望んでも、体力が無限に続くわけではない。必ず集中の糸が途切れ、相手はそこを的確に殺しに来るのだ。一撃でも当たれば隙が生まれる、その隙にもう一撃、隙が生まれたまた一撃を受ける……このレベルの先頭になれば、攻撃を先に当てた方が勝ちと言っても過言ではないのだ。
「楽しいのぅ! 余の絶技に付いて来れる戦士は何百年ぶりだ⁉ 誇るがいい、憤雷の長、最後の神殺しよ。お前は魔界最強の存在に、今まさに拮抗し剣を振るっているのだ!」
「五月蠅ぇクソババア! お前は俺の地雷を踏み抜いたんだ、死んで地獄に逃げれると思うんじゃねぇぞ!」
此度の怒りは研ぎ澄まされていて、それでいて荒々しく轟いている。現状、この世界で唯一俺と互角に戦える魔王だからこそ赫雷が当たらないものの、そんじょそこらの英雄怪物如きではどうすることもできない威力と回避難度を秘めているのだ。
やはり、一筋縄ではいかない相手である。怒りの中に冷静さを混ぜていなければ、今頃俺の身体は穴まみれ、もしくは形を持つ闇によってずたずたにされていた。魔法の腕は言わずもがな、武術も人間以上の練度と鋭さを秘めている。だが、それ以上に。
(こいつ、さっきからずっと笑ってやがる)
振るった神剣があと一歩で首を断っていたかもしれない、赫雷が直撃して体が爆散していたかもしれない、放った一撃を返されていたかもしれない。死の淵を渡っているはずなのに、同じ不安定な綱の上で戦っているはずなのに……それでもこの女は笑っていた。不敵に、楽しそうに、瀬戸際に愉悦を感じながら。俺の太刀筋をことごとく避けていく。
笑いもするし、泣きもするし、怒りに身を任せて魔王らしい行動をすることもある。だが、エデンという魔王にはやはり感情が欠如しているのであろう。痛み、苦しみ、自らの死に対する恐怖が。
「化け物……!」
「お前に言われたくは無いな。負けっぱなし愛されっぱなしのお前は、勝つことも愛することもできなかった……いいや違うな、後者に関しては出来ないふりをしていたのだろう?」
「――殺す」
怒りを通り越した何かが、俺の冷静さと引き換えに力を与える。威力は跳ね上がり、範囲は乱れ広がり、太刀筋の速度は赤く染まりながら上昇していく。振り切った怒りが幾度も上限を突破する、その度に俺は攻撃する。――防御のことなど、考えてもいなかった。
「――チェックメイト、じゃのぅ」
ぶちゅん。潰れたような、抉れるような音を立てて、直後に俺は地面に膝をついた。血だまりの中心にいるのが自分であり、ひしゃげた右の脇腹から血が止まらないことにも気づいた。
からんからん。悲しい音を立てて、神剣が血だまりの中に落ちる。俺は昇って来る血液を吐き出して、吐き出して、吐き出しまくって、痛みが先なのか恐怖が先なのか、走馬灯やら何やらがぐるぐると巡ろうとしていた。――脳裏に浮かんだのは、忌々しくこびりついて離れない、あいつの顔だった。
(……イーラ)
手を伸ばす、アイツから奪った最強の神剣に。
負ける訳が無い、俺が、アイツの次に強い俺が……あいつがいないこの世で俺は最強なんだ、最強じゃなきゃ、いけないんだ。俺はアイツに負け続けた、だったらせめてあいつ以外に負けないまま死ななければ。
手が届くまでの一瞬、俺の脳内に雪崩れ込んできたのは、俺の人生の中で最も恥ずべき汚点であり、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど思い返し続けた、アイツが生きていた頃の充実した記憶の数々だった。




