放課後と僕と咲う先輩
夕日が斜めに差し込んで、先輩の横顔を垂らしていた。しん、と静まり返った玄関で、先輩は下駄箱の扉を開く。
靴を取り出そうとして、先輩が目を優しく細めた。
白く細い指が重ねられた上靴の上に置かれた封筒をつまみあげ、僕の方へ振り返る。
封筒の上で夕日が踊る。
「ね、これ、何かな?」
先輩がイタズラっぽく笑う。
「これが,君からの挑戦状?」
僕は下駄箱の側面に貼られているポスターを見ながら答えた。先輩の顔を見ることが、なぜか今は出来なさそうだった。
「はい。」
「そっか。」
先輩が笑って、封筒の桜の花のシールをぺりっとはがし中に指を差し入れ、そっと便箋を引っ張り出す。
先輩はつまらなそうな顔でむくれてから、ゆっくりと便箋に目を落とす。
短い文章だったから、先輩はあっという間に読み終わって、無言で便箋を閉じる。
俯いたその肩が微かに震える。
「せ、先輩…?」
「…面白い!」
先輩がゆっくりと顔を上げた。
きらきらと目が輝いている。
「最高の謎ね!」
謎々研究会、元部長の先輩はこの謎に興味を惹かれたみたいだ。
嬉しそうに微笑む。その手にしっかりと便箋を握りしめて。
その便箋にはこう書かれている筈だった。
「さくらのきから、今赤い咲う貝」
そう、桜色の文字で。
「じゃ、まずは移動しましょ。」
下駄箱で推理はなんとなくダサいでしょ、そう言って先輩は微笑んだ。
ーーーーーーーーー
三年二組の教室は夕日の金色に染め上げられていた。
「不思議だな、卒業したのが昨日のことみたい。」
先輩が微笑み、開いていた窓の枠に腰掛ける。
先輩の後ろに、満開の花を散らす桜が見える.
「忘れもの、取りにきただけなのに、ここでまた謎解きするなんてね。」
そう。ここは謎々研究会(僕たち二人)の部室。
先輩がいなくなるから,来年には潰れる部活だ。
先輩が楽しげに足をバタつかせた。
スカートの端が、長い髪が、その動きに合わせてなびく。
先輩が、静かに目を伏せる。
「最後の謎解きだね。私と.…君の。」
何か答えようとしたけれど、喉が、かあっと熱くなって、声がうまく出せなくなった.
そんな僕を、先輩は陽だまりのような目で見つめた。
遠くから陸上部員の掛け声が聞こえてきた.
「文字の特徴を観察してるとね。」
やがて、先輩がポツリと言った.
「全体的に丸みを帯びた字なのよね。そのくせに『赤い』の『い』の字が真っ直ぐな線を二本並べたみたいになってるし、ひらがなと漢字の大きさがバラバラだし、君もうちょっと字、綺麗に書いたら?」
「余計な世話です。」
なんなんだよ、こっちはちょっとしんみりしてたのに!
先輩がころころと楽しそうに笑う.
「ねえ、これはひらがなになるの?」
僕はちょっと考えて、答えた.
「はい。」
「ふぅん。」
先輩はノートを開き、そこにシャーペンでこう書いた。
いま あかい わらう かい
「言っときますけど、質問にはYESかNOで答えられるやつしか答えませんよ.」
「わかってるわ.」
先輩はそう言って長い髪をかき上げた.
白いうなじに、少しどきっとした。
「共通してるのは、全てが母音と『か』とか『き』の伸ばせば『あ』になる言葉になっていることね.これは、偶然?」
「ノーコメ」
「答えてよ。約束でしょ?」
「…NO」
先輩の「お願い」には僕は何故かどうしても答えてしまう.最後くらい別に良いと思ったのに。
先輩がそれ以降、全く喋らなくなったので、僕は文庫本を広げる.
坂口安吾の「不連続殺人事件」
読みながらちらっと先輩の方を振り返る。
先輩は楽しそうに文字を書きつけている.
丁度読んでいた本で二人目の被害者がでたころ、先輩が顔を上げた.
「分かったよ!」
そう、宣言する.
「『今』は『ま行』の「い」を指しているのね.
ということは、「今」は『み』を指してるのね.」
やっぱり、この先輩には敵わない.
先輩が指を一本立てて笑う.
「『赤い』は『カ行』の『あ』…つまり、「か」
『咲う』は少し違うわね.この漢字、「わらう」って読むのよね.知らなかった?」
「…YES.」
「勉強不足ね、出直しなさい。
だから少し誤解したけれど、これはそのまま「さう」と読むのね.
…つまり、『サ行』の『う』…答えは、『す』。
そして、「貝」これは『カ行』の『い』…つまり、『き』 」
吹き込んだ春風が先輩の髪を揺らす.
その中に立つ先輩が、告げる.
「答えは、「みかすき」。」
「はい不正解っ!!」
僕は思いっきり笑った。
「途中まではあってるけど違いまーす!」
ぽかん、とした様子の先輩がむっとほおを膨らませる。
「私はあなたの先輩よ!先輩をからかっちゃいけませんって学校で習わなかったの?」
「ええまあはい。習ってないです。」
「ひどい!」
それから二人で笑った。
笑いが収まっても、相手が笑っているのを見てまた腹から笑いが込み上げてきて,また吹き出した。
ようやく笑いが収まってから,僕は先輩に教えた。
「『赤い』だけなんで『い』がついてるか、気になりませんでした?」
先輩は首を振る.
「わからなかった」
「僕はすごい字が汚いってさっきおっしゃってましたよね、先輩自身.あれ、『い』じゃなくて、『 ゛』なんです。…つまり、「か」ではなく「が」 』
僕は少し嬉しかった。
今まで先輩が間違えたことなんてなかったから。
「それで?にやにやしてないで、『さくらのきから』
の意味、教えてよ.」
先輩が急かす.
「あれは、そのままの意味で、さっき解読した言葉の前に『き』を付け足すだけですよ。
だって書いてあるじゃないですか.
さくらの『き』から、って。」
「成る程ね。…つまり。」
先輩が言葉を繋げ始めたので、僕は慌てて止めた.
「なんで止めるの?」
「…答えが。」
ぼそっとつぶやいた言葉が聞き取れなかったらしい、先輩が首を傾げる.
「答えが、その、…『きみがすき』…に、なるんです.」
先輩が目を見開く。
それから、ばっと俯く.俯いたその耳が、赤い。
僕の顔が赤くなる.
「…え、えっとそのだから…す、好き、です。先輩。」
顔が熱い。恥ずかしい。
先輩が顔を上げて,
「|泡 与 彩 マオ《あわ あた さい まお》」
そう言って、にっこりと微笑んだ。
付け足し。
泡 わ行の「あ」…「わ」
与 た行の「あ」…「た」
彩 さ行の「い」…「し」
マオ ま行の「お」…「も」。
答え、「わたしも」