4 放電×着脱
4─1 首府ルアン
「うわ… 増えてる…。」
サーカステントの外で、ツェイティとヒーウッドが並んで昼寝をしていた。大怪我で治療中のケンプとリンゲルに代わり、保護したよしみでランゲジーズ一座でヒーウッドの面倒を見ることになっていた。ツェイティもすっかり仲良くなり、この二匹の昼寝もいつもの光景だ。しかし今日はさらに二匹の狐も隣で昼寝していた。
「なんだか賢そうな狐ちゃんね…。きっと、ヒーウッドのお友達ね。」
ベイジーが微笑ましく見つめていると、四匹の耳が一斉に左を向いた。こちらに向かって歩いてくる二人の足音を聞きつけたようだ。ヒーウッドが薄目を開けて見ている。
「こんにちは。数力者のハーケンと申します。座長さんとお話がしたいのですが。」
「あら、数力者のお客様。座長は中で稽古中ですの。少し待っててくださいね。」
ベイジーがテントの中に引っ込んだが、すぐに出てきた。
「中でお話を伺います、ですって。こちらへどうぞ。」
「ありがたい。失礼します。」
「唸振! 自己相似!」
薄暗いテントの中央広場で、セルグが絡繰音楽に合わせた着脱芸の稽古をしていた。それを厳しい表情で見つめるノイマン座長の傍までベイジーが二人を案内した。
「座長、先程のお客様でーす。」
「はじめまして。数力者ハーケンと申します。こちらはアッペル。」
二人がぺこりと頭を下げた。
「座長のノイマンです。お話とは?」
セルグの稽古を横目で確認しながら、ノイマンは二人と向き合った。
「単刀直入に申し上げます。四色問題の討伐に協力して戴けないでしょうか─あの着脱で。」
意外な申し出に、ノイマンは反応に迷った。セルグの耳がぴくりと反応した。
「着脱は数力じゃありませんよ? 怪物の討伐なんて…。」
「そこはご安心ください。構築の木を媒介にして数力を行使できます。試してみますか?」
弟子のアッペルが短い杖をノイマンに差し出した。杖には、小さな数力石が埋め込まれている。
「そうですな。おい、セルグくん。」
聞き耳を立てていたセルグが、待ってましたとばかりに着脱芸を中断して駆け寄ってきた。
「はいはい! 何ですか?! 怪物の討伐?」
「やっぱり聞いてたな。だが気が早い。まず、この杖を持ってみなさい。」
苦笑しながら、ノイマンは杖をセルグに渡した。
「この数力石は、融合整列を精製したものです。着脱と相性の良い数力ですよ。」
そう言いながら、ハーケンはカードの束を取り出してシャッフルし、足元にバラバラに撒き散らした。百枚くらいあるだろうか、色んな数字が書かれている。
「さぁ、その数力を使って、数字の順番にカードを並び替えてみてください。」
セルグはふぅっと息を吐いて、杖を握りしめた。杖の中まで神経が通っているような、不思議なほど手に馴染む感覚。その神経は、埋め込まれた数力石にも繋がっているようだった。
「着脱。」
全てのカードがふわりと舞い上がり、一同を囲むように一列に並んだ。まだ数字はバラバラだ。
「ま…融合整列。」
数力石がぱっと光ったかと思うと、カードが一瞬で数字の昇順に並び替えられた。
「え、すごい。着脱が加速されたみたい。」
並び替えの終わったカードを着脱で束の形に戻しながら、セルグは目を丸くした。ハーケンも満足してカードの束を受け取った。ノイマン座長は黙りこくり、何手も先を考えているようだ。
「我々だとカードをたった二本の手で持って操作する必要があるのでね。着脱は複数の物体を同時操作できるのが素晴らしい。複数の四色問題に囲まれても、まとめて討伐できるでしょう。」
「都合の良いことばかり言われましても困りますな。リスクは?」
「勿論あります。その討伐のための数力─可約配置と不可避集合はまだ練り込み途中の未完成品です。特に、可約判定と不可避判定がまだ不安定です。」
「そんなの大丈夫だよ! 僕ならうまく使えるよ!」
以前から怪物の討伐に憧れていたセルグは、この降って湧いた好機を逃したくない様子だ。
「安全第一でお願いしますよ。セルグくんはうちの主力なのでね。」
言い出したら聞かないセルグの性格をノイマン座長も重々承知していた。それに、うまくすればランゲジーズ一座の良い宣伝になるかもしれない。
「では、ご協力していただけるのですね?」
「まだ条件がありますな。」
第一に、数力者以外が怪物を討伐することは認められていないので、ルアン大聖堂の承認を得る必要がある。第二に、討伐の報酬の半分をもらうこと。フォートが休暇中のいま、セルグまで抜けられると興行はしばらく休業になってしまう。その間の収入を確保する必要がある。完全討伐までは出来なくとも、せめて討伐数に応じた報酬がルアン大聖堂から得られるはずだ。第三に、着脱芸に応用できそうな数力石の精製に協力すること。
「至極当然のご要求です。まずは、ルアン大聖堂に掛け合いましょう。」
「座長、ありがとう!」
オイラー公爵との謁見の許可が下り、ハーケンとノイマン座長、セルグは謁見室の前に立っていた。
「大丈夫かな…。うまく話せるかな…。」
ハーケンは緊張を隠さなかった。
「怖い人なんですか?」
セルグはおずおずと尋ねた。ルアン大聖堂の中に入ることなど滅多になく、まして謁見室など初めてなのだ。
「いや、逆だ。気さく過ぎる人なんだ。」
「なら、大丈夫じゃないですか。」
「…分かってないな。まぁ、会えば分かるよ。」
「そうですな。」
ノイマン座長は公爵のことを知っており、自分が話すことを始めから放棄している様子だった。
扉番に中に引き入れてもらうと、いつもの作業部屋、もとい謁見室だった。
「おーっ ヒーウッドくん、相変わらず砂糖抜きのドーナツが好きやなぁ!」
部屋の隅で二匹の狐と一匹の猫がエサを食べていた。
「あれ、あの狐と猫って…。」
「うちで面倒を見ているヒーウッドと、その友達だな。この時間帯はここにいたのか。」
ノイマンはあきれた様子でつぶやいた。傷の癒えた最近のヒーウッドは昼時だけサーカステントにいるが、それ以外の時間帯は決まって行方不明になっていた。
「あ、悪い悪い! 待たせたな!」
「この度は、謁見の機会を戴き…」
「そんなんえぇから! で、なに?! 着脱で討伐したいんやったっけ?」
「はい。この少年は…」
「いっぺん見せてんか! ほれ、模擬球がいっぱいあるやろ! やってみぃ!」
もう既に公爵ペースで話が進んでいる。
「このボールプールみたいなのは、もしかして…」
「せや! 全部模擬球や! オモロいからいっぱい買ぅたんや! 起動するのが面倒なんやけどな。おい、お前ら手伝うてんか!」
公爵が部屋に控えている従者たちに声をかけた。
「いえ、それには及びません。─着脱。」
セルグが全ての模擬球を起動した。複雑な鱗模様が浮かび上がった。
「おー! 便利なもんやな! さすがや!」
「この数… セルグくん、大丈夫かい?」
「はい、ハーケンさんの模擬球で練習しましたから。─着脱、不可避集合、可約配置、最小反例。」
模擬球たちがふわりと浮き上がり、一同をドーム状に囲んだ。多くの模擬球が稲妻で連結されたかと思うと、まとめて白色化されてプールに戻された。まだ十個ほど残っている。
「まだこの数力石は未完成でして…。ここから時間が掛かります。」
「不可避判定。計上公式、荷電、放電。」
残った模擬球の鱗模様がぴかぴかと光量を変えながら光った。その様子を公爵も黙って見つめていた。十五分以上経っただろうか、強い稲妻が飛んで三つのグループに連結された。
「可約配置、最小反例。」
二つのグループが白色化されてボールプールに戻された。まだ一グループ残っている。
「環状国、可約判定。」
模擬球の光っている不可避集合部分が環で縛られ、環とその内側の鱗の色がくるくると変わり始めた。また十五分以上経っただろうか。環の内側が強く光った。
「最小反例。」
全ての模擬球が白色化されてボールプールに戻された。セルグの額には汗が滲んでいる。
「すみません、お時間を取らせてしまいました。」
「もぃっぺん、やってみてんか。」
「え? いえ、これ以上、公爵のお時間を取らせるわけには…」
「ええから、もっぺんや。」
「セルグくん、行けるか?」
「はい、頑張ります。」
少し疲れている様だが、気丈に答えた。深く息をついて、構築の杖を構え直した。
「着脱、不可避集合、可約配置、最小反例。」
ボールプールの模擬球が再起動され、ほとんどが白色化されてプールに戻った。
「不可避判定。計上公式、荷電、放電。」
「ここや! 力を抜いて、もっぺん放電してみ?」
「え?」
セルグは言われたまま、少し出力を緩めて放電した。すると、今回はすぐに一グループだけにまとめられた。
「─可約配置、最小反例…。」
全ての模擬球があっさりと白色化された。あっけに取られた一同が公爵を見つめた。
「どや。不可避判定が簡単になったやろ。ほかにも放電を強化する手段はあるはずや。ここでしばらく放電の強化に専念せぃ。それが、君らに討伐を許可する条件や。」
「ずいぶん遅かったわねー。心配したわよ。」
すっぽりと夜闇に包まれたサーカステントに、へとへとになった三人が戻って来た。
「わりぃ、オイラー公爵に特訓させられてたんだ。」
「大変だったねー。それで、討伐の許可はもらえたの?」
「なんとかね。宿題までもらっちゃったよ。」
ベイジーに、十個ほどの模擬球を見せた。
「これで、戻ってからも放電の強化を続けろって。」
「ねぇ、それ、いっぱい使うの?」
奥から目を擦りながら出て来たパインが口を挟んだ。
「え? …あ〜 まぁ、たくさんあるほど良いトレーニングになるかな。」
「ちょっと待ってて。」
パインが自分の工作部屋に引っ込み、ごろごろと何か大きなものを引きずって来た。車輪付の巨大な籠に白球が山盛りに入っている。公爵のボールプールの2〜3倍の量がありそうだ。
「え?! これ全部、模擬球? パインも買い占めてたの?」
「? これ、在庫品。ボクが作って、売ってる。一座の副収入になってる。」
「そうか、君はあの店の売り子だね。」
ハーケンのルアン市場での記憶と、目の前の朴訥な少女が一致した。
「セルグならいいよ、好きなだけトレーニングに使って。」
「まじかー。知らなかった。」
「ありがたい。これだけあれば、群集の模擬や、可約判定の強化まで出来そうだ。」
ハーケンの胸に色々な感情がこみあげた。ランゲジーズが着脱の他にも有力な道具を保有していたこと、そのランゲジーズと協業できる幸運、四色問題の完全討伐に確実に迫っている高揚感、そして何より、この僥倖を呼び寄せた自分の討伐戦略が正しいという確信。
セルグがはっとして尋ねた。
「あれ? ってことは、座長はこれを知ってたんですよね? なんで黙ってたんですか?」
「あの公爵の前で、自由に発言できる者がいると思うか? それに、伝説の数力者に稽古をつけて戴けるなどという千載一遇の好機に、わざわざ水を差すこともなかろう。」
たしかに。セルグは返す言葉もなかった。ベイジーがぱんっと手を叩いた。
「はいはい、とりあえずそこまでー。お腹へってるでしょ? 夕飯にしましょ!」
4─2 オルニャック鍾乳洞
「なんでお前らもついてくんだよ。」
「だぁってぇ、セルグだけ王国南部の観光地で長期休暇なんて、ずるいじゃない?」
「そーそー。」
「観光地でも長期休暇でもねぇし!」
「どうせ興行がしばらくお休みになるんだし、似たようなもんでしょ。あんたほど器用じゃないけど、あたしたちだって着脱を使えるんだから。手伝うよ。」
アルデーシュの森の南西端に位置するオルニャック鍾乳洞に向かう連結馬車。先頭車両にはハーケンと弟子のアッペルほか、全部で五人の数力者が乗っていた。二両目にランゲジーズのセルグ、ベイジー、ジャスリン、パイン、ツェイティの四人と一匹の着脱能力者が乗っていた。
「ハーケンさん、ちょっといーですかぁー?!」
ガラガラ軋みながら土路を転がる車輪音に負けないよう、ベイジーが声を張って先頭車両に呼びかけた。
「どうしたー?」
「どーして、あたしたちに協力を依頼しようと思ったんですかー?」
「ルアン市場で君たちの大道芸を見掛けた事があってねー! 戦力になると思ったんだー!」
一部は真実だが、実際のところはショヴェ洞窟でのフォートの働きを見ていたことが大きい。ただ、ヘーシュ師匠は数力者ではないフォートの存在を表に出したくない─つまり、数力ではない能力を信頼していない様子だった。だが、俺は師匠とは違う。手伝ってもらうのなら、堂々と正式な討伐隊メンバーに加わってもらう。それがハーケンの、ヘーシュとは相容れない信念の違いだった。だからこそ、ノイマン座長やオイラー公爵とも掛け合ったのだ。お陰で、放電や可約判定の強化までできた。四八〇項余りの例外処理を備えるまでに強化された数力の放電は、現時点で二色鎖を超える最強の武器であると自信を持って宣言できる。ただ、その数力石の形状はお世辞にも美しいとは言えなかったが…。
「さぁ、もうすぐ到着するぞ。」
アルデーシュの森の南西に位置し、この一帯では最大規模の洞窟であるオルニャック鍾乳洞。奥の方には、大きな空洞もある。何より、ヘーシュお気に入りのショヴェ洞窟から離れている。師匠とは異なる戦略で討伐に臨む以上、やはり師匠との重複討伐は避けたかった。
入口付近に拠点用のテントを張り、洞窟突入の準備を整える。ランゲジーズの面々には、アッペルが構築の木で作った杖や盾が配られた。討伐用の数力石の数々が埋め込んである。
「お前ら、判定はするなよ。遅すぎるんだよ。」
「はーい。分かってるわよ。でも、そんなセルグだってツェイティより遅いでしょ?」
「ツェイティがあてになるかよ。」
そうなのだ。着脱犬ツェイティに試しに構築の杖を咥えさせたところ、あっという間に不可避判定を成功させてしまった。どうやら、この数力と相性が良いらしい。
「役者も揃って、準備も完了。では、行きますかね。簡単な導線は準備してある。」
ハーケンが事前に敷いていた木板を補強、延伸しながら慎重に歩を進めた。途中で遭遇した四色問題たちは既に不可避集合や可約配置に記録済の鱗配置だったため、ベイジーたちでも簡単に討伐できた。そうするうちに、奥の大空洞に到達した。
ランタンで照らしても、奥の壁や天井面までは光が届かない。うずたかく何十枚にも重なった皿のような鍾乳石筍群や、滝のように長く垂れ下がった鍾乳管群が白く不気味に浮かび上がった。ハーケンが周辺に注意しながら足場板を敷き広げた。
「ここなら広く戦えるはずだ。長期戦になると思うが、さぁ、始めようか。」
林立する石筍群の間からこちらに向かってくる四色問題たちの姿が、ランタンの光の中にゆらゆらと見え始めた。
「お前ら、後衛を頼むぞ。」
ベイジーたちに声をかけて、セルグが前に出た。討伐用の数力石を全て埋めた大盾を構えた。
「─着脱、不可避集合、可約配置、最小反例。」
四色問題たちがふわりと浮き上がり、頭上の広い空間で静止した。多くの四色問題を連結する稲妻が石筍や鍾乳管を一瞬照らしたかと思うと、これまでにない激烈な連続破裂音を残して討伐が完了した。バアババアァアァァンッ ァァアンッ ァンッ ァンッ …。
「これは耳栓が必要だな。」
慣れているはずのハーケンも顔をしかめた。めいめいが適当にこよりを作って、耳栓にした。
「ちょっと、こっち、手が離せないんだけどー!」
討ち漏らした四色問題を空中で固定しながら、不可避判定の作業中のセルグが振り返った。
「あはは、ごめんごめん。ほらっ!」
ベイジーがセルグにも耳栓を詰めた。ツェイティの頭には布を巻いた。
「サンキュ。」
セルグが力加減を変えながら放電を繰り返す。と、ある一部分の鱗模様だけが強く光って稲妻が飛んだ。不可避判定、成功だ。
「可約配置、最小反例。」
ハーケンがすかさず討伐した。バアアァァァンッ。…と、その閃光の中に、さらに奥から寄ってくる四色問題たちの姿が見えた。
「げ、まだ不可避判定が終わってない奴らがこんなにいるのに…。」
セルグが少し青ざめる。
「セルグくんは、その不可避判定に集中してくれ。ベイジーくん、ジャスリンくん、パインくん、あの四色問題たちを我々の頭上に固められるかい?」
『それくらいなら簡単! 着脱!』
『─不可避集合、可約配置、最小反例!』
五人の数力者が一斉に数力を行使した。バババアァアァァンッ。また討ち漏らしがいる。
「セルグくん、ツェイティくん、不可避判定を頼む。」
ベイジーたちが着脱で四色問題をセルグの方まで移動させた。
「了解! 不可避判定。計上公式、荷電、放電!」
ひらめく光の中に、また奥から追撃してくる四色問題たちがちらちらと見えた。
「きりがない…。」
「いや、きりはある。不可避集合は無限ではない。強化したおかげで、せいぜい二千種類程度まで絞られているはずだ。」
「セルグ、これ使ってみて。」
パインが手袋を差し出した。
「ボクが試作中の絡繰手袋。着脱の変動パターンを学習して、自動的に最適な着脱を構成してくれる。少し楽になると思うよ。」
「ほんと? 助かるよ。さすが一座の絡繰担当!」
着脱と放電を繰り返し、何時間戦っただろうか。とうとう足元に現れる四色問題はいなくなり、空中に四色問題の群集が雷に貫かれて失神した状態で浮いていた。
「セルグくん、お疲れさま。一旦、ここで休憩にしようか。」
「彼らの空中固定は任せてねー。」
ジャスリンが四色問題や鍾乳管の間をリズミカルにすりぬけながら言った。新しい舞台の演出でも考えているのだろうか。放電の光のおかげで、洞窟一体が明るく照らされている。
「お弁当、食べましょ!」
ベイジーが大きなお弁当箱を広げた。
「おぉ、ありがとう。お腹ペコペコだよ。いつも通り美味しそうだね。」
「ほーら、あたしたちもついてきて良かったでしょ!」
「この量…。まさか我々の分まで?」
ハーケンが戸惑いながら訊いた。
「もっちろん! 数力者さんたちって、こーゆーこと疎いでしょう?」
「…感謝する。」
「いーんですよー。うちの公演が再開したら、観に来てくださいね。おひねりも歓迎ですよ!」
「さて、最後の仕上げだ。可約判定に掛かろう。」
ハーケンが空中固定された四色問題を見上げた。
「うえぇ、何時間かかるんだろう…。」
セルグはうんざりしながらため息をついた。
「我々も手伝うが、結局はセルグくんとツェイティくんの着脱の速度が頼りだ。よろしくな。」
「そーそー。疲れたらあたしたちが肩とか揉んだげるよ!」
「はー… せめてフォート兄がいてくれたらなぁ。」
「呼んだか?」
大空洞の入口から、フォートがひょっこりと顔を出した。
「えぇ?! お兄ちゃん、なんでここに?! びっくりしたー。」
近くにいたベイジーが飛び上がった。
「君たちの出発と入れ違いでサーカステントに戻ったんだ。座長に事情を聞いて、急いで追いかけてきた。長い間、留守にしてすまなかったね。」
ハーケンは、気まずそうにフォートを見つめていた。
「ハーケンさん、しばらくぶりです。」
「ヘーシュ師匠は、何か言ってなかったかい?」
「いえ、まだヘーシュさんには伝えていません。慌ててここまで来たもので。」
「そうか。今回の探索討伐の成果は、後で師匠に報告しよう。ご覧の通り、素晴らしい成果だ。師匠の数力を強化することで、ここまで来た。」
「ハーケンさんは、ヘーシュさんのやり方がお気に召さなかったんですね?」
「参ったな、そうなんだ。数力ではない能力であろうと、戦力に加えるなら内密にせず筋を通して正式に依頼したい。改めて、フォート君も我々の討伐に協力してくれないだろうか。」
「水くさいですね。そのつもりで来ましたし、ノイマン座長からも許可をもらっています。可約判定ならヘーシュ師匠の直伝ですよ? よろしくお願いします。」
にっと笑って返した。いつもの兄貴分と合流できて、セルグも元気を取り戻したようだ。
「ありがとう。では、始めようか。」
激しい光と破裂音を断続的に洞窟内に轟かせながら討伐が完了するころには、夜がすっかり明けていた。完全討伐の達成感よりも疲労感の方が勝っていた一隊は、まず洞窟入口の拠点に戻って体を休めた。その後、マデリーヌ洞窟、マーセル洞窟、ショヴェ洞窟を順に探索して討伐し続けた。全ての不可避集合と可約配置が記録されているため、これらの洞窟ではさほど時間が掛からなかった。全ての討伐が終わったとき、改めて完全討伐の実感と興奮が一隊を包みこんだ。
4─3 ルアン大聖堂
「おーっ! 来たな! すごいな、お前ら!」
ルアン大聖堂に四色問題の完全討伐を報告すると、すぐにオイラー公爵から呼び出された。
「それが完成した数力石の可約配置と不可避集合か。綺麗なんと汚いんやな!」
遠慮のない公爵の物言いにハーケンが苦笑しながら答えた。
「はい、この二つを組み合わせて使います。全ての鱗配置が記録されています。」
「よっしゃ、ほしたら四色問題のお触れんとこに、そいつらの複製石を展示しといてくれ!」
『ありがとうございます』
ルアン大聖堂の大広間には、様々な怪物の情報が掲示してあった。特に、賞金が懸かっているほどの有名な難問の情報は中央の目立つ場所に配置されていた。
ヤン‒ミルズ方程式と質量ギャップ問題
リーマン予想
P≠NP予想
NS方程式の解の存在と滑らかさ
ホッジ予想
ポアンカレ予想
BSD予想
「なんだかどれも手強そうな怪物ばかりね…。数力者のみなさんはこれに立ち向かっているの?」
ベイジーが戸惑いと感心が入り混じった声で尋ねた。
「さすがに、みんなではないけどね。だけど、こいつら懸賞怪物を完全討伐するのは、全数力者が密かに抱く野望だろうな」
ハーケンが冷静に応じた。
「え? どれも懸賞金£百万?! すごっ!」
「それくらいの超難問ってことさ。」
「あら? 一つだけ、なんか違う?」
それは、ポアンカレ予想だった。完全討伐の大きな認証印が押されていた。
「そう、これは最近完全討伐された。だけど完全討伐した数力者が変わり者でね。懸賞金を受け取らなかったんだ。」
「えぇ?! もったいない〜。てか、数力者って、みんな変わり者ばかりだと思ってたけど…。」
「ま… まぁ、そうかな。でも俺はまともな方かと…。」
「え?」
「ん?」
「…えーと、なんかいっぱい落書きされてるわよ?」
「これは完全討伐のお約束だな。数力者たちが祝辞を書いているんだ。」
「狩場にいったら、狩残しがいたぞ」「たしかに。けど、ザコばっかだった」「俺はペレルマンの完全討伐を認めるぞ」「そうだそうだ。おめでとう!」「俺たちが完全討伐するはずだったのに…悔しいがコングラッチュレイション!」「まさか微分幾何なんて古典的な数力で討伐できるとは。エクセレント!」「手術? 熱量? エントロピー? なんかすごい」「賞金いらないって? うそだろ」「俺にくれよ! いや、やっぱやめとく」「なんでいらないんだろ?」「理由はいろいろある」「あれ? 本人キタ?」
「なにこれ。なんかフクザツね。ワケわかんない。」
「これが数力者流のお祝いなんだよ。」
「あっ、あれじゃない?」
懸賞怪物のすぐ近くに配置されていた、四色問題のお触れをベイジーが見つけて駆け寄った。なお残念ながら四色問題に大きな賞金は懸けられていない。
怪物の内容を説明するお触れには「完全解決」の大きな認証印が押され、その下にハーケン隊メンバーの名前と討伐方法の概要が貼り出されていた。足元に置かれた小さな机の上には、サンプルとしてだろうか、模擬球が一つ展示してあった。
「この机に可約配置と不可避集合の複製石を置いておけばいいのねー。…あれ? 完全解決?」
「普通は完全討伐なんだがな。でも、祝辞の落書きもたくさんあるし、完全討伐と認められているはず… だが… 」
ハーケンは目を見開いたまま、次第に青ざめていった。
「ふぅーん。すごいねー。」「とりあえずおつかれさまー」「どうせまた狩り残しがいるんだろ」「そもそも四色問題なんて大した懸賞金も懸かっていない雑魚だろ?」「こんなのは数力じゃねぇ!」「大道芸人風情が数力石を使いこなせたはずがなかろう」「着脱なんて半端な能力に頼るなんて、数力者の風上にも置けないやつらだ」「ケンプの二色鎖は美しい数力だった。こいつらは力で押し切っただけで、ただの醜いドカタ作業に過ぎない。」「不可避集合の悪臭、空前絶後」「不可避集合と可約配置って、四色問題にしか使えない数力だろ。いらねー。」「こいつらは数力者じゃない。詐欺師だ。」「若手数力者に指導もしてるらしいぞ」「は? ありえねー。くせーからこの街から叩き出せ!」
「なに… これ… ひどくない…?」
皆、無言だった。ベイジーが漏らした一言の他には。
ハーケンはうつむいたままぶるぶると震えていた。ヘーシュ師匠は、こうなることを予見していたのだ。数力以外の能力に頼ると、数力者たちの反発を招くことを。だから、フォートの存在を内密にしようとしていたのか。それにしても、なんという視野狭窄だろうか。
「こんなことに巻き込んでしまって、すまない。」
オイラー公爵の指示通り、可約配置と不可避集合の複製石をそっと置いて、一同はその場を去った。
──その後、ハーケンとアッペルは首府ルアンから姿を消してしまった。