3 可約×不可避
3─1 首府ルアン
ケンプの撤回の速報は、当然ながら数力者らの間で大きな衝撃を持って広まった。四色問題の討伐が振り出しに戻っただけでなく、四色問題が恐るべき難問であり、討伐戦略を根本的に見直す必要があることが確実になったからだ。同時に、二つの問題も発生した。
一つ目は、探索域の問題。狩り残しが潜んでいるであろう洞窟が、どこにあるか分からない。オイラー公爵は登山家たちに依頼し、アルデーシュの森に存在する洞窟を詳しく調査した。その結果、ケンプが発見したマデリーヌ洞窟の他にも、マーセル洞窟、ショヴェ洞窟、オルニャック鍾乳洞が発見され、それぞれの入口までのアプローチが整備された。ただ、洞窟内には四色問題の難問が潜んでいる恐れがあるため、内部探索は数力者の仕事になる。
二つ目は、鍛錬の問題。これまでの鍛錬相手だった、アルデーシュの森にいた易問たちはケンプ隊が二色鎖で狩り尽くしてしまった。動きが制限される窮屈で足場の悪い洞窟内部で、難問たちにぶっつけ本番で挑むのは危険すぎる。
この問題も、ほどなく解決した。
「おぉ? あれは新しい店かぁ?」
大聖堂前の市場の片隅に、ひっそりと小さな屋台が鎮座していた。大きな籠に、西瓜ほどの大きさの白球が山盛りに入っている。看板には
四色問題:
£九九
とだけ書かれている。
「ね、きみ、これどういうこと?」
大籠の傍でうつらうつらと座っている売り子に声をかけてみる。深いフードの下から小柄な少年?が気だるそうに顔を上げた。
「試してみる? この釦を押してみて。」
白球を一つ手渡され、言われるがままに白球に一つだけある釦を押してみる。と、まさしく四色問題のような複雑な模様が浮かび上がった。
「これ、もしかして…」
「お兄さんたち、数力者? なら、解いてみてよ。」
「おぉ、やってみよう。──多面体公式。射影。…二色鎖。」
易問相手なら、二色鎖がまだ最強の数力であることには変わりなく、多くの数力者がその複製石を持っていた。模様が瞬時に四色に塗り分けられた。
「さすがだね。釦を押したら白色化できるよ。」
押すと、元の白球に戻った。試しにもう一度押してみると、今度は別の模様が浮かび上がった。
「これは、毎回無作為な模様が浮かんでくるのかい?」
「そうだよ。数力者なら、使い途は説明しなくても分かるよね。一ついかが?」
「うむ。四色問題討伐の鍛錬に良さそぉだな。一人に一つずつ貰おぅ。」
「まいどあり。気に入ったらまた買ってね。」
この白球は「攻撃してこない四色問題」とか「模擬球」などと呼ばれて評判になり、四色問題討伐を目論む数力者たちがこぞって買い漁った。子供の知育玩具として買い求める好事家な親もいた。
「長期休暇?」
ランゲジーズの座長であるノイマンが、かしこまったフォートを不思議そうに見つめた。
「はい、一ヶ月ほどお休みさせて戴きたいのですが。その間の私の穴は、セルグが埋めてくれることを了承してくれています。」
「あら、そこまで話を通してるのね。いいの? セルグちゃん?」
副座長のチューリングは、フォートに付き添ってきたセルグに視線を移した。
「ま、なんとか頑張りますよ。」
頭の後ろで腕を組みながら、気楽そうにセルグが答えた。
「君たちはお互いの着脱芸を使えるから大きな問題はないだろうがな。大変だぞ。」
「フォートちゃん、訊いてもい〜い? 長期休暇で何をするつもりなの?」
「はい、最近少し疲れ気味なので故郷のエトルタに戻り、ゆっくり親孝行しようかと。」
「そうか。了解した。親御さんも喜ぶだろう。」
まるで事前に準備していたかのような流暢な回答に、ノイマン座長はむしろ違和感を覚えた。
「おぃっす。お暇はもらえたかい?」
大きな荷物を背負ってサーカステントから出て来たフォートを、一人の数力者が待ち構えていた。
「はい、特に問題なく。」
「そぉか、良かった。じゃぁ、行こうか。まずは鍛錬から始めよう。」
「よろしくお願いします。」
3─2 マーセル洞窟
「どうだ、白く美しい渓谷だろう。さぁ、この川原でテントを張ろうか。」
バーコフは美しい新妻に自信たっぷりに提案した。
「そうね、夜は綺麗な星空が見えそうだわ。」
「僕は君ばかりを見ているかもしれないけどね。」
お決まりのお世辞を言って、バーコフは川原にテントを張り始めた。
「でも、新婚旅行で山キャンプだなんて、聞いたことないわよ?」
「ははは。変わり者の数力者と結婚したからには、こんなこともあると思ってくれ。」
アルデーシュの森の東端の川原。バーコフがテントを張りながら頻繁に視線を送った崖の中腹には、マーセル洞窟の入口が見えた。
「レジャー道具も準備してきたんだよ! ほら、このボール!」
ゴムのように弾力のある白いボールを新妻にぽんと投げた。
「キャッチボール?」
「まぁ、似たようなもんだ。釦が一つあるだろう。押してくれ。」
「あら、何だかおかしな模様が浮かんできたわよ。不思議なボールね。」
「こっちに投げ返してくれ。」
言われるがままに新妻がぽんと投げ返した。
「─射影。二色鎖!」
空中にあるうちにバーコフが数力で四色に塗り分け、キャッチした。
「どうだ。きれいなものだろう。」
カラフルになった模擬球を自慢気にくるくると回しながら新妻に見せた。
「そうね。貴方の数力で綺麗になったわね。ステンドグラスみたい。」
バーコフは模擬球を白色化して新妻に投げ返した。
「そら、もう一度。」
再度起動されて別の鱗模様を浮かび上がらせた模擬球を、新妻は投げ返した。
「─射影。おっと、こいつは二色鎖がいらないな。」
またカラフルな四色に塗り分けられた。
「どうだ!」
得意気なバーコフに新妻は呆れながら、この風変わりなキャッチボールを続けるしかなかった。
「それで先輩、二色鎖の改良は進んだのですか?」
「まぁ、まだ完璧ではないけどね。一度、実戦で試してみたいんだ。」
バーコフはフランクリンはじめ数人の後輩数力者たちとマーセル洞窟の見える川原に来ていた。
「こないだから妻とキャッチボールしながら精製した、この数力石をね。」
「…奥さん、ぼやいてましたよ。変なキャッチボールに毎日付き合わされてるって。」
「大丈夫だよ。こないだここに来たときも楽しんでたよ。」
「え? まさか新婚旅行でここに?」
「あぁ。討伐の下見も兼ねて、ね。」
(それ、絶対、大丈夫じゃない…。)
フランクリンは言葉を飲み込んだ。どうせ聞いちゃいない。
バーコフは起動された模擬球をフランクリンにぽんと渡した。
「二色鎖はほぼ完成された強力な数力だったよ。ただ唯一、環状二重鎖が交叉してしまうと討伐失敗する。そこで僕は、絶対に交叉しないこの数力を練り込んだんだ。まず─環状国。」
一つの環が模擬球に巻き付いた。
「そして─可約配置。」
数力石「可約配置」から模擬球に向かってぱちんと火花が飛び、環の内側の鱗が輝いた。
「仕上げに─最小反例。」
模擬球が白色化された。
「え? なんですかコレ?」
「模擬討伐完了、だよ。この数力石「可約配置」には、環状国の配色に影響しない鱗模様が記録されてるんだ。分かりやすく言うと、四色問題の弱点を集めたものだね。」
「なるほど、そこに最小反例ですか。怪物に対して「お前を倒せないことを示せ」と逆に迫る古くからある数力ですね。これが使えるなら、彩色せずに瞬殺できる…。」
「その通り。僕はこれまで妻とキャッチボールしながら色んな弱点を記録してきたんだよ。かなりの種類の四色問題を討伐できると思うね。」
「ですが…。」
「そう。全ての弱点を記録しているわけじゃない。記録にない鱗模様のときは、射影を応用した可約判定からやり直しになるんだよ。これは時間が掛かるうえに、その鱗模様が弱点なのか、やってみないと分からない。」
バーコフは数力石「可約配置」の複製石を取り出し、フランクリンたちに配った。ダイヤモンドのように輝く小さな宝石を星空のように内部に散りばめられた、美しい数力石だ。後輩たちは、思わずみとれた。太陽の光にかざして見る者もいた。
「だから、君たちの手を貸して欲しい。今のこの可約配置でどこまで太刀打ちできるのか確認したい。また、新しい弱点を見つけたら可約配置に記録して強化してくれ。だけど、くれぐれも無理はしないでね。弱点探しに時間がかかる難問に遭遇したら、すぐに撤退しよう。」
バーコフはマーセル洞窟の入口を見上げた。
マーセル洞窟は、まるで芸術家が作った巨大アートのような鍾乳洞だった。入口では巨大彫刻のような鍾乳石が迎えてくれ、少し奥には棚田のようなリムストーンが広がっていた。更に、地下水脈跡によって形成された、延々と続く広い鍾乳トンネルもあった。ここなら戦いやすい。
バーコフ隊が慎重に探索討伐を繰り返すことで、弱点の鱗模様の面積が、当初の25個から徐々に96個まで拡大強化された。しかし完全討伐までの見通しは全く立たなかった。
その一方、世間には討伐数の多さのみを競う雰囲気が漂い始めていた。四色問題は完全討伐できないのかもしれない、といった半ば諦めにも似た雰囲気。ちょうどこの頃、数力者ゲーデルが不完全性定理を完成させたことから、もしかしたら四色問題も決定不能な怪物かもしれないと主張する者さえ現れた。
3─3 ショヴェ洞窟
「よぉし、こいつも可約配置に入ってた。」
バーコフから譲り受けた「可約配置」の複製石を、ヘーシュは独自に強化し続けていた。
「師匠の可約配置の中のダイヤモンドは、少し色味がありますね。」
弟子のハーケンがしげしげと見つめた。
「おぉ、気づいたか。可約配置にも難易度の差があってな。こうやって難易度で分類しておくと、効率よく討伐できるのさ。」
「なるほど…。」
世間では、ヘーシュの「可約配置」の方が、原作者のバーコフのものよりも強力なのではないかと噂されている。その理由が垣間見えた気がした。
「それにしても、ここは音がよく響く。部屋毎に壁画をテーマにした曲で演奏会とか、やってみたいもんだ。」
ヘーシュは、短く控えめにAの音を発声した。いつまでも複雑に反響しながら絡み合う残響に、音楽家でもあるヘーシュは目を閉じて聴き入っていた。
アルデーシュの森の西端付近にあるショヴェ洞窟。天然の鍾乳洞ながら比較的起伏の少ない地面のため動きやすい。大小様々な形状の部屋を幾つも連結したような構造になっており、さながら複数のホールを備えた天然のコンサート劇場のようだ。音の反響の味付けが部屋毎に異なっていることも、ヘーシュは気に入っている。さらに、三百点を超える古代壁画が発見されており、そのほとんどは牛、馬、鹿、ヒョウ、フクロウなどの動物画である。おそらく古代人たちの生活の場だったのだろう。それこそ演奏会を楽しんでいたかもしれない。
「おぉ、いたぞ。─多面体公式、環状国、可約配置、最小反例。どうだ?」
石柱の影にいた四色問題をヘーシュが見つけ、手早く数力をかけた。しかし、環状国で囲った鱗模様は光らなかった。ヘーシュが側に控えていた青年に視線を送った。
「記録にない新しいタイプのようだな。どぉだい? やってみな。」
「はい。─計上公式、環状国、D可約判定。」
四色問題が縛られ、環とその内側の鱗の色がくるくると変わり始めた。
その様子を、ハーケンはじっと見つめた。今回の探索の集合時に、灰色のフードを深く被った青年が探索に加わることをヘーシュから唐突に紹介された。数力者ではないが、その特殊な独自能力を試してみたいと、言わば見習い弟子のような扱いだった。
「時間がかかっているな。」
「はい、すみません、もう少しです。」
環の内側の鱗がぱぁっと輝き、ぱちんと火花が飛んで可約配置の中に入った。
「D可約判定、成功です。では─可約配置、最小反例。」
四色問題に再び火花がぱちんと飛んだ。─パンッ。
「ふぅっ。」
「お疲れ様。君の初討伐、になるのかな。おめでとう。」
「ありがとうございます。」
青年は紅潮した顔で応じた。討伐の疲労、達成感、興奮が入り混じっているようだ。
「いまのD可約判定は?」
ハーケンが尋ねた。
「彼のために練り込んだ数力だ。我々が射影で実行する可約判定の簡易版だ。」
「簡易版?」
「可約判定は極めて複雑な手続きの射影だ。しかし、可約配置にも難易度の差があると言ったろぉ? これも、その難易度の研究成果の一つだ。簡単な可約配置ならお決まりの手順で判定できるのさ。数力者でなくても、な。」
「一般人でも?」
「まさか。この青年は数力者ではないが、特殊な能力を持っている。着脱と言うね。この杖、構築の木を媒介にして規則的な数力を行使できる。」
青年の持っている杖には可約配置を始めとして複数の数力石が埋め込まれている。
「それで今回の討伐に加えたのですね。」
「そぉだ。着脱がどの程度通用するのか、試してみようと思ったわけさ。」
だが、という言葉をヘーシュは飲み込んだ。たかがD可約判定に時間が掛かり過ぎだ。俺なら秒で終わるのに。数力者の中でも随一の可約判定能力を持つヘーシュならではの不満が募った。
「もう1つ、試してみたい数力があるんだ。」
「この壁画から得たアイデアですよね?」
「そぉだ。」
それは、奇妙な壁画だった。前回の探索討伐で発見した、雷に貫かれる複数の四色問題らしき壁画。これを見て、ヘーシュは「すぐ帰ろう」と言った。
「可約配置は強力な数力だ。だが、完全討伐まであとどれだけ掛かるか全く見通せない。もっと、まとめて討伐する手段が必要だとずっと考えていた。─多面体公式、荷電。」
空洞の連絡口に見えた四色問題を見逃さず、すかさずヘーシュが数力で拘束した。
「それで、この壁画から得たアイデアで練り込んだ数力がこれだ─放電。」
四色問題の鱗がぴかぴかと光量を変えながら光った。しばらくの時間のあと、一部分の鱗模様だけが強く光った。と、そこから強い稲妻が方々に飛び、その場の空気がピーンと張り詰めた。
「この配置なら─可約配置、最小反例。」
バアアァァァンッ アンッ アンッ アンッ アンッ ァンッ ァンッ ァンッ …。
討伐成功を告げる大きな破裂音が、いつまでも反響して鳴り響いた。
「な、なんですか?! いまの数力は?!」
突然の強い閃光と破裂音に、ハーケンは思わずその場にうずくまっていた。
「不可避集合だ。思ったより派手だったな。」
ヘーシュも少し驚いた様子で杖をハーケンに見せた。可約配置の隣に黒っぽい数力石が埋め込まれている。可約配置が小さな宝石を散りばめたような美しい石なのに対して、不可避集合は黒い糸くずのようなものでごちゃごちゃに固められていて、何と言うか…泥団子のようだ。
「可約配置の強化版ですか?」
「いや、違う。これは、四色問題のどれかに必ず含まれている配置、つまり、共通点を記録している。そして、放電の稲妻で、この配置を含む四色問題を束ねる。もしこの配置が弱点だった場合─つまり可約配置が有効ならば、稲妻で繋がった四色問題たちをまとめて討伐できる。洞窟の奥の方からも破裂音がしたろぉ?」
「すごい… これなら…。」
「いや、まだ完全討伐は遠い。不可避集合は八九〇〇種にのぼると見積もっている。無限よりはマシだが、可約判定や不可避判定に掛かる時間を考えると、まだ絶望的だ。」
この数力にハーケンが心酔した一方で、ヘーシュはまだ不満だった。放電の手続きに時間が掛かりすぎだ。一斉に攻撃されたらひとたまりもない。これなら、最初から可約配置で攻撃した方が速そうだ。まして、可約判定に長けた俺なら…。
「君は、数力者になりたいのかい?」
ヘーシュが放電を繰り出している間、ハーケンは灰色フードの青年にそっと尋ねた。
「いえ、憧れているだけです。数力を練り込むほどの能力はありませんし…。」
「しかし、先ほどのD可約判定は見事だった。」
「ヘーシュさんの数力石を使っただけですので。」
「数力石を使えるだけでも、十分数力者に近いと思うのだがな。着脱だっけ? 思い出したよ。ルアン市場で君たちの大道芸を見かけたことがある。」
「はい、ありがとうございます。ただ、ヘーシュさんは私のことをまだ信頼していない様で…。」
そうかもしれない。まだこの青年の名前すら教えてもらっていない。師匠には、何か含むところでもあるのだろうか。
「訊いていいかな。君の名前は?」
「フォートです。」