2 二色鎖
2─1 ラクロワ島
「あら?」
ツェイティの聞き慣れないはしゃぎ声を耳にして、ベイジーはサーカステントの外に出た。餌箱が空になり、ツェイティが見慣れない猫と一緒にじゃれあっている。
「いつもならまだ餌を食べているはずなのに…。なんだろう あの猫…?」
「すみません、うちのヒーウッドがお邪魔しまして。」
息を切らせて駆け寄ってきた若者が詫びた。
「お兄さんの猫ちゃん?」
「いえ、私の先生の飼い猫なのですが。とにかく社交的で、目を離すとすぐに新しい友達を作りに行ってしまうんです。」
「へー。ツェイティって、割と人見知りなのよ。すごいわね。こんなに楽しそうなの 珍しいわ。」
「そんな風に言ってもらえて…恐縮です。」
しゃがんだベイジーの足元にツェイティが寄ってきた。傍にはその猫もいる。手足がほっそりと長く、碧く美しい瞳。その瞳が人懐っこくベイジーの緑の瞳を見つめている。
「こんにちは。お名前は?」
「あ、ヒーウッドです。」
若者が代わりに答えた。
「ヒーウッドさん、ツェイティとお友達になってくれてありがとうね。」
にっこりと笑ったベイジーの足をツェイティがぺろっと舐めた。「腹減った」のサインだ。
「…もしかして、ヒーウッドさんに餌をあげちゃったの…?」
「ひぇぇ。」
「いいわ。今日は特別ね。持ってきてあげる。」
「あの、そんな…。」
「大丈夫よ。あ、でももし申し訳ないと思ってくれるなら、今度うちの公演を観に来てね!」
2─2 アルデーシュの森
数力者がアルデーシュの森に自由に出入りできるよう、オイラー公爵がシャルル国王の許可を取り付けて以来、有名無名問わず数多の数力者が討伐に向かうようになった。四色問題は単体なら狩りやすく、数も多いため、数力の腕試しやトレーニングの相手としても格好だったからだ。しかし、完全討伐できる者は一向に現れなかった。モルガン隊も苦戦していた。
「どいつもこいつも、ピクニック気分だな。」
ケンプが忌々しげに呟いた。登山家でもある彼は、軽装備で森に入ってくる数力者の姿も気に入らないらしい。
「完全討伐してやろう、ってな気概のある奴はいねぇのかよ? ったく!」
「でも先生は今度こそ完全討伐するおつもりなんですよね?」
「あたぼうよ。練り上げたこの二色鎖でな。」
琥珀のような黄色い石の中に、赤緑色の鎖が浮かんでいる。
「どんな数力なのですか?」
「説明するより、実戦で見た方が早えーよ。」
ケンプの足元をついてきていた愛猫のヒーウッドがフーッと警戒しながら尻尾を太くした。どうやら怪物を見つけたらしい。
「おっ、早速現れやがったな。二匹か。いいぞ、まとめて面倒みてやる。まずは─多面体公式。」
四色問題が縛られ、動きが止まった。
「次に適当に色を塗る。─射影。」
手早く鱗が塗り分けられたが、塗り損ねが残っている。
「先生?」
「うるせぇ黙ってろ。こっからがこいつの出番だ。─二色鎖!」
塗り損ねの鱗を中心に、二色交互配色された鱗列に鎖が巻き付いていく。すると、巻き付かれた一部の鱗列の色が入れ替わった。
「ほれ、あそこに四色目が入るようになっただろ。」
リンゲルが手早く最後の鱗に射影してパズルに留めを刺した。─パパンッ。
「すごい、こんな簡単に…。」
「どーでぃ。塗り損ねをすぐに修正できるんだぜ。おまけに数匹くらいならまとめて足止めもできる。どんな鱗模様だろうが、何匹来ようが、二色鎖で巻けばちょちょいのちょいよ。」
「まさか、先生は本気で完全討伐されるおつもりですか?」
リンゲルがやや興奮気味に尋ねた。
「最初っからそう言ってるだろ! 登山も討伐も同じよ。周到に準備しておけば簡単に征服できる。ほれ、お前にも複製石をくれてやる。」
ふと見ると、数力猫ヒーウッドの首輪にも複製石が仕込まれている。
「三人で狩り尽くすぞ。一週間もあれば十分だろう。」
「三人? 二人と一匹ですよね?」
「こまけぇことはいいんだよ!」
2─3 マデリーヌ洞窟
ケンプが完全討伐を宣言してから一ヶ月。狩り残しの怪物がいないか何人もの数力者がアルデーシュの森に確認しに行ったが、いまのところ見つかっていない。ケンプの功績を称える声が日増しに高まってきた。
「やっぱりもういねぇみたいだな。」
「わざわざ再確認だなんて、先生も好きですね。」
「おぅ山は大好きだからな。とはいえ、こんな怪物もいねぇ低山はピクニックみたいなもんだ。」
アルデーシュの森の中を探索しながらケンプが誇らしげに話した。
「よし、今日はあの川原にテントを張るぞ。今夜は気楽にここで祝杯を上げて、明日戻ろう。」
「賛成です!」
少し広めの川原に悠々とテントを張り、小さな祝宴の準備をしていると、ヒーウッドが渓谷の斜面の中腹付近を睨んだ。
「ん? ヒーウッド、どうした?」
「何だか少し警戒しているようですね。」
「どこを見てるん…お? ありゃ何だ?」
ヒーウッドの視線を追うと、小さな洞穴のようなものが見えた。
「そういや森の中ばかりで、あんな洞窟は探索してなかったな。見てくるか。」
「ご一緒します…って、ほとんど崖じゃないですか! どうやって登ります?」
「俺が登山家なのを忘れてねぇか?」
装備の中にあるハンマー、ハーケン、ザイルといったクライミング道具を覗かせた。
「さすがです。」
「周到な準備が大事だといつも言ってるだろ。俺が支点を作りながら登るから、後からついてこい。ザイルで引っ張ってやる。」
ケンプが慣れた動作でするすると急斜面を上っていき、洞窟の入口に到着した。肩に乗っていたヒーウッドがぽんと降りた。保護具を装着したリンゲルが引っ張り上げられていく。
「ありがとうございます。」
「てぇしたことねぇよ。お前も鍛えな。それより、ヒーウッドを見てみろよ。」
ヒーウッドの目が、耳が、髭が、全身の毛が、まっすぐに洞窟の奥を向いている。
「やはり、何か怪物を見つけたのでしょうか。」
ランタンに火を灯し、洞窟の中を覗き見る。
「こいつぁ…。」
「見事なものですね…。」
中に広がっていた天然の鍾乳洞の景色に二人とも息を呑んだ。ゴツゴツと起伏のある乳白色の地面からは大小高低様々な形状の石筍や石柱がニョキニョキと伸びている。天井からは暖簾のような鍾乳衣紋や、簾のような鍾乳管や氷柱石が垂れ下がっている。濡れた地面に足を取られないよう慎重に奥に進んでいくと、移動するランタンの光に照らされた奇岩たちが様々な表情を楽しませてくれた。
「おっ、いやがった。」
石筍の影に怪物が見えた。刈り残しの四色問題だ。
「ちっ。完全討伐なんて宣言するんじゃなかったな。恥ずかしいぜ。」
「いえ、まだ誰も気づいてませんから、ちょちょいのちょいと片付けちゃいましょう。」
「そうだな。…って、それは俺の台詞だろが!」
「す、すみません。私がやっちゃいますね。─多面体公式。射影。二色鎖!」
先日の森の中で飽きるほど使い倒した数力の連続技だ。
ガキンッ。二色鎖の一部が交叉して、弾け飛んだ。
「?! 先生! 二色鎖が切れました!」
想定外の事態に、リンゲルはうろたえた。
「はぁ? 俺がやってやろう。─多面体公式。射影。二色鎖!」
ガキンッ。結果は同じだ。
「そんな馬鹿な! もう一度──二色鎖ン!」
交叉した二色鎖の色交換を強引に作用させると、同色が隣接してしまった。討伐失敗だ。
「こいつぁ…二色鎖で狩れねぇ…。」
「先生! あちらを!」
リンゲルの指す方向─洞窟の入口の方─から大量の四色問題が押し寄せてきた。
「まさかこいつらみんな、二色鎖が効かねぇのか? しかも洞窟の入口を塞ぐたぁ、ふてぶてしい野郎達だ。」
「せんせぇ〜…。」
「情けねぇ声を出すんじゃねぇ。二色鎖が使えねぇなら、多面体公式と射影で倒していくしかねぇだろ。」
「それでは時間がかかりすぎて間に合いません!」
「他に手がねぇだろ! 根性みせろ!」
それぞれの怪物が攻撃体制に入った。球形に丸まり、一斉に突進してきた。
「どうしたの? ボロボロじゃない! わわ、ケガもしてるし!」
散歩中のツェイティが、ヨロヨロと歩くヒーウッドに気づいてベイジーを引っ張って行った。慌てて保護し、サーカステントで介抱した。ヒーウッドの首輪のタグから飼い主が数力者ケンプであることが分かり、ルアン大聖堂に通報すると、オイラー公爵はすぐにケンプの捜索を指示した。
ケンプとリンゲルは川原で救助を待っていたところを発見された。怪物の攻撃と、急斜面を滑落したことで深傷を負い動けなくなってしまったのだ。
──そして、ケンプの二色鎖による完全討伐宣言は撤回された。