結婚編1
「それじゃ、アヤ、行ってくる。」
「行って…らっしゃい…気を付けて…」
「………アヤ…そんな顔をして……」
「え、顔。ご…ごめんなさい…私…」
「アヤ…アヤ…あぁ…くそっ…なんで出張が…」
「征爾さん、ごめんね…ごめんなさい…私…」
「あぁ、アヤ…。好きだよ…愛している…このまま連れていきたい…」
「征爾さん…出張…時間が…」
「…くっ…わかって…る…アヤ…もうちょっとだけキスさせて…俺が…耐えられない…もうちょっとだけアヤを補充させて…」
そう言うと征爾は玄関先で涙目になっている絢音を抱きしめ濃厚なキスを繰り返す。
これは今生の別れ…ではもちろんない。
珍しく征爾の海外出張が絢音の授業期間に入ってしまった。
いつもであれば絢音の時間の空いている時期に合わせて上手く出張を入れ、医療関係の学会等であれば絢音を伴って出席し(絢音は医療関係者で征爾の妻だと周りは思っているらしい…というか征爾がそう思わせている。実際まだ書類上妻にはなっていない、というだけでその他は概ね間違ってはいない。)、仕事関係であれば、昼は事前に調べておいた絢音の好きな植物園で絢音を待たせ、仕事の後に合流していた。夜はもちろんその地域の美味しい食事を堪能し、征爾は片時も離さずに絢音を抱いたまま1つのベッドで眠る。仕事上の夜の会合は全て拒否している。征爾のようなイケメンが夜の会合に参加すればどうなるのか…それは仕事関係者もわかっているようで、征爾は堂々と、愛妻を待たせている、と言って仕事が終わるとさっさと引き上げている。もちろん左手薬指にしている絢音とお揃いのペアリングを大事そうに触れながらだ。
しかし今回は、どうしても出張が絢音の授業期間に重なってしまい、海外へ行くことになってしまった。征爾が特許を取った新しい医療器具が欧米でも非常に人気となり、その発案者である征爾に直接話を聞きたい、ということになってしまったのだ。しかもその他の医療器具やソフトなどについても話の場を設けてほしいということになり、問い合わせがあったいくつかの国にまとめて出張としていくことになってしまった。期間はおよそ3週間と少し長めの出張となり、絢音は授業の関係でどうしても一緒に連れていくことができない。上手くいけばもう少し早く切り上げられそうだが、とにかく向こうに行ってみないとわからないのだ。この1週間ほどは、絢音を少しでも離したくなく、濃厚な夜をずっと続けていた。だからこそ余計に今朝離れ難くなってしまった。
もう以前の様には戻れない。絢音と恋人ですらなかったころの会話だけの関係、絢音にキスしかできなかったころの恋人関係、今思えばどうして触れずに、繋がらずに我慢できたのか、想像もできない。
「アヤ…アヤ…絢音…絢音…愛している…本当に…愛しているよ…」
「征爾さん…私も…」
「あぁ…離れたくない…アヤを置いていきたくない…なんで3週間もあるんだ…なんで今の時期なんだよ…せめて…夏休みの時期なら絢音を連れていけたのに…絢音…アヤ…アヤ…もっと…もうちょっとだけ…」
征爾は再びキスを繰り返した。
一方絢音は征爾がこれから出張に行ってしまうことで寂しくてたまらなかった。でもこれは彼の大事な仕事だ。自分は邪魔してはいけないと、とにかく寂しい感情を飲み込んでいた。だが征爾にはすぐに気づかれてしまう。毎晩征爾から激しく求められて、身体はすっかり征爾のものになってしまった。3週間も離れて暮らせるのか、自分も不安がある。キスだって…こうして濃厚なキスをしてもらうのが当たり前になってしまって…毎朝のキスが3週間もない…自分が征爾にこんなに依存してしまっていたことも驚きだが、それが当たり前だと思ってしまっている自分にはもっと驚きだ。
征爾は絢音にギリギリの時間までキスを続け、本当に仕方がない、という時間になってようやく唇を離した。
「アヤ…行ってくるね…」
「うん。行ってらっしゃい。」
「アヤ、毎日連絡する。俺からの連絡には絶対に出るんだよ。」
「うん…待ってます。」
「これからご両親のところだよね。」
「うん…征爾さんいないと…寂しくて…」
「アヤ…俺も…俺も離れたくない…でも…」
「うん。わかっています。征爾さん、お仕事だから。私…その間にレポートがんばるね。」
「…あぁ。戻ってきたら…しばらくは二人で過ごそう。」
「うん…」
「ちゃんと食事取るんだよ。お父さんとお母さんによろしくね。」
「はい。行ってらっしゃい。」
「アヤ…もう一回だけ…」
征爾はもう一度だけ絢音にキスをすると、名残惜しそうにして出張に出かけていった。