大蜘蛛退治
結に抱き着かれたまま、掛ける言葉も見つからず時ばかりが過ぎていく。
さすがにこのままでは世間体が悪いと思い、行成が口を開く前に結が離れた。
「…結」
「諦めないから。
あと、アタシの父様はユキナリちゃんに怒ってないよ。
陰陽師の役目を放棄したわけでもないしね。
でも守れるものの範囲を狭めたことはダメだって言ってた。
守れる範囲に限度があってもその範囲を自分から小さくしちゃいけないって」
「あの人らしいな…」
結同様にノリが良くておちゃらけた一面こそあるものの、陰陽師としての信念を突き通す。
それが陰陽三家・鮎川家現当主、鮎川直太朗という人物だ。
そして世間に公表こそしていないものの行成は直太朗の弟子である。
だからこそ引け目を感じ、直太朗がいないうちに鮎川家を訪れた。
「アタシもユキナリちゃんが理由もなく京を捨てたなんて思ってない。
あのね、」
「ー----結さま、来客です」
壁から声が聞こえる。
鮎川の式だ。
結は行成との会話を一旦切り上げ、その声に応じる。
「怪異の相談なの?」
「さようでございます」
「困ったわ。
長期出張の依頼もあるのに…」
鬼が都を襲っても通常の怪異が消えるわけじゃない。
直太朗がいないのもそれが理由だ。
行成はこれ以上、結と話したくはなかった。
何もかも捨てたのに、昔を思い出させるような話は聞きたくなかったのだ。
「なら、その長期出張の依頼、俺が引き受けよう」
「ユキナリちゃんが?
でも、鬼退治で帰京したんじゃ」
「早く着きすぎて、他の陰陽師が来るまでひと月ほどある。
家計のためにも何個か依頼は引き受けるべきだと思っていたしな」
「うーん、じゃあお願いしちゃおっかな。
父様も太鼓判を押すユキナリちゃんなら大丈夫だろうし」
「…あぁ、任せてくれ」
太鼓判、その言葉に唇を歪ませたものの、行成はその依頼書を受け取った。
山乃富士に妖刀の依頼をしたのは、京が魔都と呼ばれるが故。
和やかな田舎より人の瘴気に満ちているこの場所では、妖の強さ、数も桁違いなのだ。
だが、さっきの今で妖刀が出来るはずもなく、行成は綾香のみを伴って出発した。
「行成さま~、やっぱ帰りましょうよ。
この依頼、絶対面倒ですって」
「一応、今の京の妖のレベルを知っとかないとな」
「いや、ここ京から少し離れてますよ。
桂山…でしたっけ」
「いきなり京の妖と戦ってうっかり死んだらどうするんだよ」
「私、行成さまの式ですからお守りしますよ」
「さすがに女の子に守られる陰陽師とか世間体が悪すぎる。
それにお前はさぼり癖があるだろ」
「私、有事にすらサボると思われてる!?」
普段の行いの結果である。
行成は牛車に揺られながら、もう一度依頼書を確認する。
”桂山には獣を狩り、木の実を採取して生活を営む五色村が2年前まで存在した。
都にも毛皮や干し肉を卸す為、交流が続いていたものの二年前の大規模な積雪により飢餓に陥った。
都も雪の影響を受け、五色村を援助することができず、その村は壊滅。
以来、旅人がその村を通過する度に巨大蜘蛛が現れるようになった。
縁ある五色村が壊滅後、そのようになっているのは許しがたい。
また物資の運搬の障害となり、大きく迂回しなければならないので排除をお願い申し上げる”
「巨大蜘蛛ねえ…。
桂山にはそんな伝承はなかったはずだが」
「絶対、ご新規さんの妖ですって。
特徴も分からないのにやっぱ止めましょー-」
「ひいいいいいいいいい」
甲高い悲鳴だが、声からして男だろう。
チッと綾香が舌打ちするが、行成は無視して声の主の元に向かう。
「助けて!助け」
「たす…け、たす、て」
「タスケ、テ」
次第に小さく、ぐぐもっていくが、それでも懇願の声はしかと道を示していた。
何かがおかしい。
道が歪んでいく。
森林が乱立する視界の悪い山の中とはいえ、今は昼時。
目の前が真っ暗になることなどありえないはずなのに、一寸先は何も見えない。
「行成さま、これ」
「あぁ、霊道に誘われているな」
「うへぇ、だとしたらあの声、かなり怪しくないですか?」
「十中八九、偽物だろう…うん、なんだこの木」
森林の木は一般的な杉の木から、不気味な青に色が置き換わっていた。
青い木なんぞ大量発生するわけがない。
完全に霊道に誘い込まれたのだろう。
「行成さま、この青木、実が生ってます!
しかも銀色!」
「素手でもぎ取るな」
「女は度胸ですよ。
それに私は式ですし、試しに一口…」
「そんな度胸は是非とも捨ててこい」
しかし、銀色か。
明らかにこの世の物ではない。
この世のものでない実といえば有名なのはトキジクノカクノコノミであるが、あれは不老不死の妙薬だったはず。
だが、綾香が持っているのは呪法の気配を感じる。
自然発生していないものであるのは確実だろう。
行成が依頼を受けたのはあくまで大蜘蛛の討伐。
裏まで調べる必要はない。
気にならないといえば嘘になるが、この業界ではその好奇心が死を招く。
「とりあえずその銀の実から手を離せ」
『ダメぇぇぇぇ。食べテぇぇぇぇ』
行成は懐から紙人形を出し、不動明王の炎を纏わせて後方に飛ばす。
『阿河っひど、ひどいヨおおおおぉおお』
二本の脚で顔を覆い、残りの五本で器用に立つ大蜘蛛がぐぐもった音を上げて泣きわめく。
合計で七本しかない足。残りの一本は先の被害者にでも取られたのか。
行成の紙人形が直撃したらしい胴からはガラガラと頭蓋骨や橈骨、肩甲骨などがあふれ出ていた。
一体いつからそこにいたのか。
それは考えるだけ無駄だ。
テリトリーに入った時点で、察知などは効かないに決まっている。
それが怪異なのだ。
「行成さま、向こうからも何体か動いてるように見えるんですが…」
「さすがは式。目が良いな。
俺には分からないからそちらの対処は頼むとしよう」
「うへぇ…大蜘蛛なんで一体じゃないんですかぁ。
依頼書、複数体なんて書いてませんよね」
「テリトリーに侵入いたら通常は生きて帰れないからな。
よくあることだ」
「よくあったら困るんですが。
せっかく行成さまに全て押し付ける計画が」
「諦めて行ってこい♪」
「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そう言いつつ、得物を持って向かっていくところは素直なんだか、何なんだか。
行成が相手をしなくてはいけないのは五体。
綾香もそのぐらいの数だろう。
てっきり百ぐらい行くかと思ったが、そんなに大所帯でなくて良かった。
これなら引き返すまでもなく、駆逐できる。
行成は十字を切り、まず一体。
さっき紙人形で攻撃した奴は時間経過で死ぬだろうから放置してあと三体。
かさかさとこっちに向かってくる様は気持ち悪いことこの上ないが、対処しなくては終われない。
一体の蜘蛛の胴体の下に入ることで、他の蜘蛛にその蜘蛛を攻撃してもらい、十字を切ってトドメ。
そのままだと道ずれになるので、胴体の下から滑り込んで出て、紙人形に不動明王の炎を纏わせ、二体の蜘蛛に飛ばす。
蜘蛛はそもそも炎に強くないし、胴体がかなり柔らかい上、足も簡単に抜ける。
弱点を知っていて、倒す勇気があればさほど難しくない相手だ。
これで綾香の方も倒し切れば依頼終了だが。
「あっけなさすぎる」
おかしい。
いくら鬼の対処に陰陽師が回されたからと言って、二年も放置されている依頼とは思えないあっけなさ。
それにこれは陰陽三家たる鮎川家への依頼だ。
こんな簡単に終わるのは不自然なのだ。
蜘蛛が複数体いることだけでなく、青の木に生る銀の実についても報告書には無かった。
テリトリー内だから不思議ではないのだが、さすがに謎も多い。
「蜘蛛は銀の実を食べて、と言っていたな」
この大蜘蛛発生および村の消滅にはこの実が関係あるのではないか。
ならば持ち帰って調べるべきだろう。
もし大蜘蛛の発生に関与しているなら、また大蜘蛛が出てくる。
そうなれば依頼不履行と見なされてしまう。
「さっさと綾香を探してここを出るか。
あまり長居はしたくないな」
ここはあの場所と気配が似ている。
かつて都の陰陽師として数多の陰陽師とともに依頼を受け、敗北したあの場所に。
陰陽師として最も惨めな敗北。
「それはどうして?
私はここの居心地はかなり良いと思うのだけどね」
女とも男とも判別できないが、まだ幼い童の高く涼やかな声。
そう、この声だ。
行成をかつて敗北に追い込み、屈辱と嫌悪を与えた主は。
振り返りたくない。
だが、怪異の霊道で怪異に向き合わぬことはすなわち死を意味する。
行成は陰陽師としての矜持をかき集め、紙人形を放ちながらかの人物と相対した。
「酒天童子…!」
この世の理からはずれ、かつてと変わらぬ可憐な姿を保つ鬼は甘ったるい笑みを浮かべている。
その紫の髪は肩までしかなく、管理もされていないのか跳ねている。
利発そうな知性を宿した目は深紅で、瞳に走る黄色の輝線が人ならざる存在であることを示していた。
「私が良いと思うのだから、君にとっても良いはずなのに、おかしいねぇ」
深紅の目と行成のこげ茶のそれが重なり合う。
しまったと思うが、もう遅い。
意識がかすれていく。
行成は膝をつき、頭を押さえる。
「ちが、う。
俺は陰陽師で、」
いや、陰陽師として都を守る役目から行成は逃げた。
かろうじて人を守る役割こそ遂行しているものの行成は逃げたのだ。
ー--ならば、なぜ俺は再び酒天と対峙している?
かすかに残る思考が冷たく行成に囁いた。