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007 ギャルとゲロ(後編)


「へえ、上京してきたんだぁ。大変だね」


 対面に座る真野は微塵も大変と思ってなさそうな声を出して、美味しそうに煮物を食べている。


「まあな」


 俺は肩をすくめて焼き鳥を噛み、串から引っこ抜いて食べる。

 天希さんの料理の方が美味しい気がする、と思うのは贅沢なんだろうか。

 そんな疑問が胸中に浮かぶ。

 煮物をごくりと飲み込んだ真野が手を伸ばす。


「あ、それ一本ちょーだい」

「好きなだけ持ってけよ、そっちの金なんだし」

「わーい」

 

 ネギまと皮を一本ずつ取る真野を見ながら、思う。

 居酒屋に来て、俺はなぜ身の上話をさせられているのか、と。

 料理が来るまで暇だから何か話して、と無茶振りされたのが始まりだった気がする。

 と言っても本当に簡単に、高校まで田舎暮らしだったから大学で上京してきたとその程度のもので。

 そして案外早く届いてしまったおかげで会話は途切れることなく続いていた。

 

「一人暮らしなんでしょ? 自炊するのとか辛くない?」

「う……ん、まぁ。まぁ……」


 真野は両手に串を持ったまま怪訝そうに首をかしげた。


「なんでそんな歯切れ悪いし」

 

 俺は表情を崩さないよう、努めて振る舞う。


「今は大変だけど、そのうち大変じゃなくなるだろうしってことで、どう返答したらいいか迷ったんだ」

「ふーん、じゃあ大変じゃなくなったら守屋のご飯食べてみたいかも」


 にっ、と真野が笑う。

 平時であればそれだけで心が暖かくなるような眩しい笑顔。

 けれど、俺の背には冷や汗が流れまくっている。

 ……家に来られるのはまずい。

 天希さんとの同棲は今のところ誰にも言っていない。

 両親やマサにもだ。

 なぜか。

 悪いことだから?

 わからない。

 悪いことなのかも、たとえ悪いことじゃないとしてもなぜ誰にも言わないのか。

 自分でもよくわからない。

 確かなのは、真野にも絶対にバレるわけにはいかないということ。

 

「……大変じゃなくなったらな」

「言ったね! 絶対だかんね! 約束ぶっちしないようにルイン交換しとこ」

「えぇ、そこまでやる……?」

「やるし!」

 

 温度差に困惑しながらも、俺は真野と連絡先を交換した。

 大学生活一日目。

 あまり嬉しくない理由でギャルと知り合いになった。

 

「今更だけど、飲み会の方は抜けてきて良かったのか」


 ここがチャンスと、俺は自分でも露骨と思うくらいに話を変える。

 真野は小さく息をはいて視線を外した。


「アレは先輩に奢ったげるから来てよ〜ってしつこく言われて行っただけ。適当なとこで帰ろって思ってたんだけど、持ち帰ろうとして無理に飲ませてくるし、もう最悪」


 そう言って吐き捨てる真野に同情せずにはいられなかった。


「これに懲りたら酒はやめとくんだな。まだ未成年なんだし、可愛いからこれからもっと狙われるぞ」


 タイプでない俺からしても真野は可愛く見える。

 だからせめてもの忠告……のつもりだったのに、当人はふにゃりとその相好を崩していた。

 へにゃへにゃと緩ませた頬を上気させて俺を見つめてくる。


「え……アタシ、可愛い?」

「なんだその口裂け女みたいな質問は」

「でも今可愛いって言ったじゃん」

「言ったな」

「じゃあもっかい言って」

「なんでだよ」

「お願い! もっと奢るから!」


 至極まっとうな問いだったのだが、真野は拒否されたと思ったらしい。

 メニュー表を俺に突き出してくる。

 

「モノで釣ろうとするな。っていうかこんなところでそんな使わないほうがいいだろ」

「初めてのバイト代入ったばっかだし、任せてよ」

 

 俺がメニュー表を元の場所に戻しつつ聞けば、真野はサムズアップで応えた。

 なるほどそれなら別にいいか……と思ったが、全く良くないことに気づいた。

 嘘であることを願いつつ、俺は問いを重ねる。


「なあ、それってつまり俺への奢りが初めてのバイト代の使い道ってことにならないか」

「なるね」


 真野はあっけらかんと言った。

 俺は自分の口がゆっくりと開かれていくのがわかった。


「ダメだろ!」

「ダメじゃないし!」

「ダメダメだし! 初めてのバイト代って普通はこう……お世話になった人へのお礼とかに使うもんだろ?」


 俺はまだバイトをしたことはないけれど、初めて自分で稼いだお金は家族や親しい友人ために使った、という話は結構聞く。

 実際、俺もそうするつもりだ。

 少なくともその日に会っただけの同級生に居酒屋で飯を奢るのは間違った使い方だと思う。

 けれど真野はなんてことないようにうなずく。


「うん、だからそうしてるんだけど」

「いや、俺何もしてないんだけど?」


 俺がそう言うと、真野は一瞬固まってからプッと吹き出してから声を出して笑う。

 やっぱり透明感のある笑い方だ。

 真野が笑っている間、俺は笑い声をBGMに残りの焼き鳥を食べた。

 贅沢な食べ方だった。

 串を皿に置くと同時に、真野がおしぼりで目尻の涙を拭いつつ俺を見る。


「やっぱそういう感じかー」

「? 何が『そういう感じ』なんだ」

「んーん、こっちの話。ってゆーかさっきだってお世話になったばっかりじゃん。だから奢らせてよ」


 真野はバッグからほぼ空になった水のペットボトルを一瞬取り出し、ちゃぽちゃぽと揺らした。

 どうあっても奢りたいらしい。

 なら、これ以上断る方が失礼に当たるだろう。


「百二十円で奢られるのは偲びないけどな」

「それならアタシからの上京祝いってことで」

「そりゃどうも」


 メニュー表を開く俺に、真野は思い出したように付け足して言う。


「あ、千円までね」

「上京祝いこっすいな」







「すっかり遅くなっちまったな」


 アパートへの坂道を早足で歩きながら時刻をすれば、とっくに十時を回っていた。

 

「天希さんもう寝ちゃったかな……」

 

 そんなことを思いながら見上げた街灯は、真野との別れ際に見た車のヘッドライトを思い起こさせた。

 


「ねえ、守屋」

「うん?」


 居酒屋の帰り道、真野と二人で駅への歩道橋を歩きながら下の道路に向ければ、ヘッドライトを点けた車が橋の下を高速で通り過ぎていくところだった。

 まるで夜の海を征く魚のようだ、とかそんなことを考えていると不意に袖を引っ張られた。

 見れば真野が瞳を伏せがちに、おずおずと伺ってくる。


「あんまり楽しくなかった?」

「え、なんで」

「そう見えたから……もしかして迷惑だったのかな、って」

「とりあえず今の今まで迷惑だったという可能性を考えてなかったことに驚いてる」

「ご、ごめん。でも、そうだよね、言われてみれ、ば……?」


 俺は手で制し、真野の言葉を止めさせる。


「別に迷惑だとは思ってない。今言ったようにただ驚いただけだ。それでも俺が楽しくないように見えたなら、それは……ある理由が原因だと思う」

「ある理由?」


 首をかしげる真野に、俺は深呼吸してから答える。


「……俺はギャルが苦手なんだ」


 正直に白状すれば、真野はぱちぱちと長いまつ毛を上下させた。

 嘘じゃない。

 俺の心はギャルを見るとざわつくようにできている。

 本能と言うと大げさだけど、断じて嘘ではない。

 正直、一笑に付されてもおかしくない言葉だ。

 けれど、真野はしごく真面目に言葉を返す。


「ギャルなんてどこにもいなくない?」

「………………は?」

 

 絶句しかけた。

 こいつ、まさか。


「まさか、自分がギャルじゃないとでも言い張るつもりか……?」

「え、ギャルなのアタシ」

「逆になんだと思ってたんだよ!」


 思わず大声で突っ込んでしまった。

 無自覚ギャル。

 そんなものがこの世に存在していようとは。

 頭を抱えたくなった。

 が、実際に頭を抱えているのは真野の方だった。


「え、なんでそっちが頭抱えてんの」

「だってぇ……! アタシはお兄ちゃんに『大学デビューはこれで間違いない』って言われた格好しただけだし!」


 真野は頭を抱えてしゃがみこみ、半身でこちらを振り返りながら言う。


「お兄ちゃんいたんだ……」

「いたし! アパレルでバリバリ働いてるもん! だからお兄ちゃんに聞けば間違いないって思ったのに……〜!」


 抱えた頭をわしゃわしゃとする真野を見て、俺はなるほどと感心する。

 無自覚ギャルは無垢な妹が兄に騙されて生まれたのか。

 どうりで所々育ちの良さがにじみ出ていたわけだ。


「でも口調とか立ち振る舞いとかめっちゃギャルだったぞ。それで自覚なかったっていうならもう天性のギャルなんだよ。そのまま突き進んでいいと思う」

「やめてよ恥ずかしいから! ってゆーか天性のギャルって何!?」

「さあ……?」


 知るかそんなもん、と投げっぱなしで返せば真野ははっと何かに気づいたように身体を抱く。


「もしかしてこの格好……似合ってなかった? アタシ場違いな格好してた?」

「いや、似合ってるし可愛いよ。生まれた瞬間からそうだったんじゃないかってくらい」

「ふ、ふ〜ん……」


 俺が答えると、真野は身体を抱いたまま立ち上がる。

 そうしてこっちを振り返れば、すっかり元どおりの笑顔だった。

 

「帰ろっか!」

「お、おう」


 急にどうして機嫌が良くなったのかわからないまま、俺は鼻歌を歌う真野の後を追う。

 そうして追いつけば、真野は俺に笑顔を向けてきて、


「キャンパスで見かけたら声かけていい?」

「絶対やめてくれ」


 俺はハッキリと、そう返した。



「絶対声かけてくるんだろうな……」

 

 アパートの階段を登りながら、独りごちる。

 もはや確信めいていた。

 せめて俺の方からは声をかけないようにしよう。

 そう思いつつ、ドアの鍵を開けて中に入る。

 真っ暗だから電気をつけて、


「おかえりなさい」

「うぉわ!?」


 思わずのけぞりながらドアに張り付いた。

 そこにいたのはパジャマ姿の天希さんだった。


「足音が聞こえたので開けようとしたんですが……驚かせてしまってごめんなさい」

「いやいや、こっちこそ遅いのにありがとう」


 礼を言えば、天希さんは眠たげな顔でうなずく。


「ホントです。流石にちょっと遅すぎですよ」

「ご、ごめん。思ったより長引い、てっ!?」

 

 俺はドアに張り付いたまま限界まで背伸びした。

 不意に天希さんが急接近し、俺の服の匂いを嗅ぎ始めたからだ。

 すんすんと鼻を鳴らし、離れる。


「タバコの匂いはしませんね。吸ってないようで良かったです」

「あぁ、そういう……酒もタバコもやってないよ。誘われても断るし」


 俺が心臓をドキバクさせながら答えれば、天希さんはウンウンとうなずく。


「健康のためにもそうしてください。ところで……タバコの匂いはしませんでしたけど、スズランの香水の匂いについて心当たりは?」

「へ? スズラン?」

「はい。女性がつける香水としてよく使われているんですよ」

「へえ〜……ぇ」


 思わず感心しかけて、天希さんの言葉の真意に気がつき固まった。

 天希さんは固まる俺にどこか安堵するように息をつく。


「良かったです。貴己くんも男の子だったんですね」

「待って! 違う! いや男だけども! 本当に違うから!」


 部屋へ戻ろうとする天希さんに弁解するため、俺は大慌てで靴を脱いだ。


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