002 願いの対価、その答え
11/4まで6話連投予定
11/1 18:00 プロローグ
11/2 00:00 001
11/2 18:00 002
11/3 00:00 003
11/3 18:00 004
11/4 00:00 005
言葉の内容を理解するのに、数秒を要した。
「…………………………………………はい?」
「だから、わたしをこの部屋においてく」
「いや聞こえてはいる! 大丈夫! だから二回も言わなくていい! ていうか言わんでくれ!」
俺が手で制すと妖精さんはこくりとうなずき黙った。
起きたばかりの混乱した表情とは打って変わって、真面目な表情。
ひるがえって俺は今最高に困惑している。
自分がどんな顔をしているか、鏡で見てみたいくらいに。
「部屋においてくれって……つまり、住まわせて欲しいと?」
「そうです」
「………そういう新手のセールス商法だったり?」
「ないです。同棲を持ち出すセールスって、そんなのあるんですか?」
「わかんないですけど……」
「少なくともわたしは違います。なんせ無職ですから」
そう言って妖精さんは鼻から息を抜くように笑む。
なんでちょっとドヤってんだ。
「う、うぅん……」
言いたいことが多すぎて、何から言えばいいのかわからない。
寄りに寄りまくる眉根を右手の親指と人差し指で揉みながら言葉を紡ぐ。
「えっとですね、そもそも俺はあなたの名前すら知らないわけでして」
「水島天希と言います。水の島に天が希う、で水島天希です」
「い、いい名前ですね……」
希うとはロマンチックな。
思わず感心してしまった俺に水島さんがぺこりと頭を下げる。
遅れて揺れる黒髪は風に吹かれるカーテンを連想させて……って違うそうじゃない。
慌ててブンブンと頭を振って続ける。
「水島さんも」
「天希で構いません。天希と呼んでください」
「……天希さんも俺の名前を知らないわけじゃないですか」
「守屋貴己さん……でよかったですか?」
「はっ?」
なんで知ってる?
思わず目を丸くした俺に、天希さんは淡々と種明かしをする。
「表札に『守屋』と書いてあったし、洗面所のタオルの何枚かには『貴』に『己』という文字が書いてありました」
「なるほど……」
「あれはなんて読むんですか」
「たかみです」
「良かった、人様の名前を読み間違えたらどうしようかと。己を貴ぶ、良い名前ですね」
「ど、どうも」
自分の名前が一般的でないのは自覚しているし、間違われるのが普通だった。
初見で読みを当ててきた人なんて高校の国語の教師以外いない。
マジで何者なんだと頬を引きつらせつつ、目の前でホッと胸を撫でおろす天希さんを見つめれば、目が合った。
微笑みと共に小さい顔が傾けられ、耳元にかかった髪の一筋がはらりとこぼれ落ちる。
「お互いの名前はこれで分かりましたよね。貴己さん」
名前を呼ばれた瞬間、背筋から脳天にかけてぞわぞわと謎の痺れが駆け抜ける。
やばい。このままだと天希さんのペースに飲まれてしまう。
が、上京したての芋学生が年上美人と渡り合う術など持ち合わせているはずもなく、顔をそむけてさしあたっての言葉を返すしかない。
「そもそも、なんでここにいたいんです? まさか家なき子とでも言うんじゃないでしょうね」
「そうですよ」
「――――え」
顔を見れば、微笑んでいた。
寂しそうに、あるいは切なそうに。
天希さんは視線をわずかに下げて続ける。
「もちろん、わたしの寝食を担保してくれる場所自体はあります。けど、わたしの心が帰る場所は、ここしかないんです」
「心が帰る場所……?」
「はい」
俺のおうむ返しに、天希さんはふわりと微笑んだ。
先ほどと違ってだいぶストレートな笑みでこれまた心臓に悪い。
心を落ち着けるため目をそらして大きく息をはくと、天希さんはチャンスとばかりにたたみかけてくる。
「貴己さんにとっても、悪い話じゃないと思いますよ。わたしにできることならなんだってやります。家事も全般できます」
「いや、一人暮らしだから家事くらいは自分でやろうと思ってたし……」
「わたしがいれば毎日ご飯作ってあげられます」
「ん゛ん゛っ!」
だいぶ、いやかなり、めちゃくちゃ魅力的なセールスポイントだった。
さきほどのオムライスで料理の腕は判明している。
どこかの何かで見た話によれば、美味いオムレツを作れる人は料理が上手いらしいし、きっと他の料理も美味いんだろう。
「自炊、大変ですよね。わたしが栄養たっぷりの美味しいご飯を作ってあげますよ」
「……それは、良いな」
片手を口元にやって、ささやくような声音で示される提案。
対して俺はゆるむ口元をなんとか手で覆い隠す。
非現実的とまではいかないでも、だいぶ特殊なシチュエーションに正しい理性はとっくに失われそうになっていた。
「それに……もし、貴己さんが求めるのなら、わたしは答えますよ」
天希さんの方を見れば、恥じらいで耳は根元まで赤くなっているけれど、取りつくろったりせずにに俺を見返してきた。
本気とまでは言わないでも、冗談でした発言じゃないということだ。
普通なら、この提案は魅力的に思えるんだろうか。
思えるんだろう。
実際、俺だって心臓がばくばくと高鳴っている。
ただ、俺はこの提案で理性を取り戻していた。
「なんでそこまでして体を差し出そうとするんです?」
「なんでって、逆に貴己さんはなんでそんな頑なに受けようとしないんですか。……まさかイン――」
「インポテンツでもホモでもねぇよ! ついでに無性愛でもない!」
何ならめっちゃ好みの顔です、とは流石に言えない。
はっとこの世の真理に気づいてしまったかのような顔でとんでもないレッテルを貼られそうになり、つい口調を荒げてしまった。
はあと大きく息をはき、呼吸を整えてから言葉を紡ぐ。
「だって天希さんは『ここに』居たいのであって、『俺と』居たいわけじゃないでしょう。なのにそんなことを言われても不可解って思うのが当然ですよ。まあ一目惚れしたとか言うんなら話は別ですけど」
「一目惚れ……」
天希さんは言葉を止め、おとがいに手を当てて、ジッと俺を見てくる。
え、嘘だろ。まさかホントに?
愕然とする俺を前に、天希さんは不意に口元をほころばせて、
「ある意味では、そうかもしれません」
「………………………………ソウデスカ」
俺は頬が真っ赤になるのを自覚しつつ、なんとかカタコトで返すのが精一杯だった。
天希さんはしどろもどろな俺を見てクスリと微笑む。
「だから、別に嫌ではないんですよ?」
貴己選手、ノックアウト――――
うなだれて、倒れこむように食卓に額をゴンとぶつける。
「のわぁ!? あ、頭大丈夫ですか!?」
「大丈夫じゃないっす……」
内も外もやばいです。
けど、思考はしっかり働いていた。
大きく深呼吸をしてから体を起こし、ゆっくりと言う。
「わかりました。天希さんの要求、受けます。……でも!」
ふわりと嬉しそうな表情をしてから首をかしげる天希さんに、俺は腕で大きくバッテンを作る。
「スるのはなし! 順序もルートもおかしいし、俺はまだ健全な青少年でいたい! それに体を目当てに許可したと思われるのも嫌だ!」
やっぱり正当な手順を踏んでから、然るべき相手と然るべき時にしたい。
据え膳食わぬは男の恥とも言うかもしれないけど、俺には俺の食い方があるんだと言い返してやりたい。
「お互いまだなんっも知らないですし! もっと歩み寄って、いろいろ知って、それでも良いならそんときは……そんときです」
天希さんは少し驚いたような表情で俺を見て、ぷっと吹き出した。
そのまま可笑しそうに声をあげて笑う。
綺麗なソプラノだなおいと突っ込みを入れたくなった。
「やっぱり良い人なんですねえ」
「絶対思ってないでしょ……」
天希さんは目尻の涙をぬぐいながらまだ小さく肩を揺らしている。
こっちはクソ真面目に本心を伝えたというのに。
おかげでなんだか力が抜けてしまった。
「とにかく、体を重ねるのはなし。あと、これからは敬語もなしで。一緒に暮らしていくパートナーなんですから、何かあったら遠慮なく言ってください」
「えっと……」
「お、なんですか」
「わたし、急に敬語を外すのは苦手なんです」
天希さんが申し訳なさそうに苦笑する。
そう来るとは思わなかった。
「……じゃあ、せめて名前だけでも」
俺が妥協案を提示すれば、天希さんはしっかりとうなずいて。
「ん、わかりました。貴己くん」
貴己選手、本日二度目のノックアウト――――
けれど今度は食卓に額を打ち付けることなく、ぎりぎりで留まった。
天希さんが俺の額を覗き込むようにして心配してくれている。
「だ、大丈夫ですか?」
「なんとか……」
名前を呼ばれるだけで死にそうなくらい心臓が高鳴るのに、これから生きていけるのだろうか。
割と本気で心配しつつ起き上がると、天希さんが俺の無事に安堵しつつ問いを飛ばしてくる。
「あの、遠慮なくっていうのは、本当に遠慮なくでいいんですよね?」
「そりゃもちろん」
「じゃあ聞きたいんですけど、貴己くんって童貞なんですか?」
俺は思わず仰け反り、椅子から転げ落ちそうになった。
二重の意味で暴れ狂う心臓を押さえつけつつ、きょとんとしている天希さんを見やる。
「な、なぜそんなことを?」
「さきほどのするしないの発言でそうなのかなって」
「……童貞で悪うございましたね」
俺が顔を逸らして吐き捨てると、天希さんは首振り手振り弁明する。
「悪いとは全く! するしないは人の自由ですし、わたしもその……処女ですし」
逸らした首が全力で元に戻った。
言ってから恥ずかしくなったのか、天希さんは頬を赤らめてうつむいてしまっている。
こういう時、非童貞なら気の利いた返しができるんだろうか。
少なくとも俺は死にかけの金魚のようにぱくぱくと口を開閉するだけになっていた。
天希さんは顔を上げて、ふわりと、いたずらっ子のような笑みを向けてくる。
「これでお互い一個ずつ知り合いましたね」
けれど、真っ白なその頬には未だ赤みが残ったままで。
「………………ソウデスネ」
だめだ、このままここにいたら、だめだ。
何がどうとは言えないけど、だめになる。
「……ちょっと外の空気吸ってくる」
俺はたまらず逃げ出し、外に出る。
門前の通路の手すりに手をかけて、しゃがみこむ。
内にこもりっぱなしだった熱を、大きなため息と共に時間をかけて吐き出す。
「東京の人ってみんなこうなん……?」
もしかしたら俺は、とんでもない魔境にきてしまったのかもしれない。
そんなことを思いながら立ち上がれば、空は快晴だった。
暖かい日差しが東京の街並みに降り注いでいる。
「春だなぁ……」
一人暮らし二日目。
俺の一人暮らしは終わりを告げた。
次で連投は最後になります。
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イケイケになったら筆がスルスルになります。