プロローグ 妖精との出会い
11/4まで6話連投予定
11/1 18:00 プロローグ
11/2 00:00 001
11/2 18:00 002
11/3 00:00 003
11/3 18:00 004
11/4 00:00 005
「腰いったぁ……」
丸一日かけた荷ほどきがようやく終わった。
時計を見ればすでに一時半を回っている。
すっかり真夜中だ。
身体を伸ばすと、いたるところからバキボキと音が鳴る。
クッソ痛い。
けれど、気分は清々しい。
俺こと守屋貴己は東京での大学生活を開始するべく人生の大半を過ごしてきた片田舎から脱出した。
そして、幼なじみのツテで紹介してもらったこの高台にあるアパートの一室にやって来た。
駅から徒歩十分。
坂の上にあって見晴らしが良く、近くにバス停や桜の咲き乱れる公園、スーパーマーケットもある。
すぐそこの坂を降りればコンビニもあるという、至れり尽くせりな好物件。
家賃を初めて見たときは飛び出た目ん玉が日本一周して戻ってくるんじゃないかと思ったものだが、これでも東京の物件の中では安い方とのことだった。
幼なじみには感謝しつつ、ひとまず荷ほどきを頑張った自分と輝かしい未来に乾杯でもするかと思ったその時、ズボンに入れっぱなしだったスマホが震えた。
俺はポケットからスマホを出しながら、相手も見ずに出て先制攻撃をかます。
「おいマサ、今何時だと思ってやがる」
けれど相手は対面だろうが電話越しだろうが変わらずこちらの耳を突き刺す声量で、
『おっはよーたかみー! 元気してるかー?』
「うるさっ」
俺は思わずスマホを耳から離した。
案の定というべきか、相手は予想するまでもなくマサだった。
「うるせえ、今何時だと思ってるんだって言ったばっかだろ」
『えー、何時?』
年中元気な幼なじみに負けじと言葉を返すが、のほほんとした返答。
のれんに腕押しとはこのことだ。
「夜の一時過ぎだよ、時計見ろ時計」
『ほへー、そんなに。でもヴァンパイアには昼の一時だよ?』
「ああそうだな、ついでに昼夜逆転の不健康生活してる奴にとってもそうだな」
マサ。
俺の幼なじみの一人。
完璧な夜型人間のため、こちらが意気消沈する頃に元気はつらつになる。
家が隣だったときは寝ていたのに物干し棒で窓を叩かれ起こされ、俺が物干しぼうを叩き折った回数は数えきれない。
「で、何の用なんだよ」
俺の苛立ちで刺々しくなる声音にもマサは動じない。
『別に主だった用はないよん。今さっき起きたから発声がてら電話しただけ』
「人を自分の目覚ましコールに使うんじゃねえ。切るぞ」
『わー、ちょっと待った!』
「なんだよまだ何かあんのか」
『……何か、言うことはないのかね』
電話越しの声が途端にもったいぶったようなものになる。
俺は特に反応せず、思ったことを言う。
「夜中に電話かけてくんな」
『おいおい君ぃ、それが好物件を紹介してくれた人への態度かね?』
「……そういうことかよ」
そう。
俺に部屋を紹介してくれた幼なじみとはマサのことである。
な俺が上京しようとしていることを打ち明けたその日(まだセンター試験すら受けていない年末の話だ)、東京で不動産屋をやっている叔父さんに良い部屋を見つけてくれるよう頼み込んでいたのだという。
後から知った俺は「流石にせっかちすぎだろ」と笑い飛ばしたのだけど、マサはどこかふてくされた顔で「受かろうが受かるまいがどーせ『おら東京さ行くだ』って言ってたよ」と謎の返答をしてきた。
でも、確かにその通りだったかもしれない。
俺が東京の大学を受験した理由は『東京なら何か見つけられるかもしれない』という程度のふわふわしたものだった。
『おやおや、だんまりかね。たかみくん』
マサの声で過去から引き戻される。
いや、正確にはここを紹介してくれたのはお前のおじさんなんだが。
そう言いたいところだけど悪ふざけなのは分かり切っているし、マサの性格的に乗らないと文句を言ってくるので乗ってやることにする。
「……この度は私めのためにこのような場所をご紹介いただき誠に感謝しております。このご恩は忘れるまで忘れません。それでは」
『えっじゃあ三歩で忘れちゃうじゃん』
「うるせえ寝癖ニワトリヘッド! もう切るぞ」
『うへーい、元気そうで良かったよ。あ、みんなたかみと話したがってたからたまには自分から――――』
途中で切り上げ、スマホをポケットにしまい直す。
きっと今のことを言いにわざわざ電話しに来たのだろう。
難儀な。
数秒と経たずスマホがブーッと震えたが、今度は単発の震えが連続している。
大方マサが抗議のスタンプを連打しているのだろう。
スマホの電源を落としたところで意識を切り替える。
先ほどやろうとしていたこと、そう、転居祝いだ。
「とりあえず祝杯でも上げますか」
祝杯と言っても未成年だから酒を飲むわけでもなし。
ちょっと下のコンビニまで行って適当にお菓子とジュースを買ってくるだけだ。
祝ってくれる友人は一人もいないし、すでに夜中の一時を回っているけれど、誰にも気兼ねなく好きなお菓子とジュースを買えるというだけでなんだかワクワクしてくる。
「こんなことしようもんなら絶対止められてたしな……」
靴を履き、玄関の棚に入れたばかりの薄手のコートを取り出しながらつぶやく。
そもそもコンビニまで片道三十分だからやったことはなかったが。
一人暮らしの実感をこんなことで味わうことになるとは思わず、俺は苦笑しながらドアを開けて未だ冷え込む四月の夜に飛び出した。
「ちょっと買いすぎたかもしれん」
冷たい夜風に首をすくめつつ、片手に肉まんを頬張りながら、もう片方の手に提げられたビニール袋を見やればこんもりと膨らんでいた。
ついでとばかりに菓子パンや惣菜パンもいくつか買ってしまったのが原因だろう。
少し重たいくらいだけど急ぐ必要もなし、長い坂をゆっくりと登っていく。
「あの店員さん可愛かったな……」
等間隔に並ぶ街頭の先に見えるアパートをぼんやりと眺めながら、レジ対応してくれた店員さんのことを思い出す。
小さい背丈でちょこまかと動く姿は小動物のようだった。
肉まんを取り出すとき火傷して「あちゃちゃちゃ」と慌てていたのが心配だ。
「俺もバイトしなくちゃなぁ……」
両親からの仕送りは『生きていくのに不自由しない程度』与えられている。
そこから先を求めるならバイトして稼いで自分でやれ、とのことだ。
ごもっともな言い分で特に否定する要素はなかったし、どこでバイトするのがいいかとか来る前にもいろいろ考えたりした。
なんならそこのコンビニでバイトするのもいいかもなあ、なんて思ったところでアパートの目の前まで来た。
肉まんの残りを口に放り込み、ポケットから鍵を取り出しながら階段を登って行く。
カンカンと小気味良い音を立てて登りきったところで、俺は立ち止まった。
――――誰かいる。
いや、誰かいること自体は全く不自然じゃない。
当然ながらここには他の入居者だっている。
問題なのは、見知らぬ女性が俺の部屋の前に立っている、ということだ。
見知らぬと断言できるのは、まず俺の異性との交友関係が本当に片手の指で数え切れること、そしてそいつらがここに現れることはないと分かり切っているからだ。
来たとして、連絡の一本も入れずにサプライズで来るような奴はいない……ことはないが、そいつはマサだ。
通路の奥に立つ女性をまじまじと見てみる。
綺麗な横顔だった。
ほっそりとした目鼻立ちに、背中を流れる藍がかった長い黒髪。
格好はクリーム色のコートとカーキ色のフレアスカート、胸の膨らみでコートからは白いシャツが覗いていた。
……オシャレだ。
第一印象、というか遠巻きに見た印象はそれだった。
東京の人にとっては普通なのかもしれないが、適当なパーカーと無地のシャツにスウェットなどの動きやすいズボンを無限ローテさせている俺からしたら身なりに気を遣っている人はみんなオシャレに見える。
ただ、怪しい要素が一つ。
その人の上半身ほどもある大きな黒いケースを背負っていることだ。
流石に小さすぎるとわかってはいても、状況が状況なだけに死神の背負う棺桶のようにも見えてくる。
俺の部屋じゃないかもしれないと各部屋の門灯を数えてみるが、確定させるだけだった。
……新聞やテレビの契約か、宗教勧誘か。
なんにせよ、このままここにいれば風邪をひいてしまう。
俺は意を決して歩き出した。
近づいて来るビニール袋と足音で気づいたのであろう女性がこっちを見る。
正面から女性の姿を見て、俺は息をのんだ。
正直に言おう。
……めっちゃ美人だった。
俺の好みに限りなく近かった、という方が正しいだろうか。
それでもひいき目、かけ値なしに美人だった。
綺麗な瑠璃色の瞳に、昔どこかでこんな色のビードロを見たなと懐かしい記憶が脳裏をよぎる。
おかげで足を止めてしまった俺に女性が声をかけてくる。
「あのっ! ここの、二◯五号室の方ですか?」
「そ、そうですけど……何か用ですか?」
たじろぐ俺を前に、女性は瞳を潤ませながらこう言った。
「わたしを、中に入れてくれませんか」
「――――へ?」
間抜けな声が漏れた。
なんだ、どうなっている。
突然の展開に脳の整理が追いつかない。
視界がぐるぐると回るような錯覚すらしてきた。
ぐるぐる、ぐるぐると回り続けて。
そして。
「お、おじゃまします」
女性のか細い声と、ドアを閉める音が背中ごしに聞こえる。
……入れてしまった。
今さらすぎるけど、女性を家に連れ込むのは大変まずい気がする。
主に社会的な意味で。
でも一度入れたのに追い返すことなどできようはずもない。
三月も末とはいえ、夜はまだまだ冷え込む。
女性を三月の真夜中に一人放っておくことなど、俺には到底できない。
だからこれでいいんだと自分に言い聞かせ、ひとまずケースを持って玄関に立ちすくんだままの女性に声をかける。
「上がっていいですよ。それとか重いでしょ」
女性はうつむきがちに目線を合わせようとしないままゆるゆると首を振る。
「気にしないでもらって大丈夫です。私はここで構いません」
「いや、玄関に人立たせた状態で気にするなってのは無理ですって」
「わたしのことはその……妖精だと思ってもらえれば」
「妖精、って何言ってんですか」
あまりに荒唐無稽な言い分に思わず開きかけた口をとっさに塞ぐ。
まあ、確かに人ならざるような美しさではあるけど。
女性は自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、耳の先と頬を赤く染めながらそっぽを向く。
「ともかく、本当に大丈夫なのでわたしには構わず。……というか構わないでください。中に入られても迷惑なだけでしょう」
このままじゃ俺が引かないことを察したのであろう女性は語気を強めて拒絶の意思を示してきた。
それも本心などではなく、こちらを気づかっての意図であることは罪悪感を含んだような表情と固い声音でわかりきっていた。
この人――名前もわからないし妖精さんとでも呼ぼう――は本当にこの部屋、この空間にいられさえすればいいんだろう。
「わかりました」
俺の返答に妖精さんがどこかホッとしたような表情を浮かべる。
そしてこちらを見たところで言葉を継ぐ。
「……なんて言うわけないでしょ」
「!?」
突然の来客だろうが妖精だろうが、俺は一度招いた客を玄関に立たせっぱなしにさせておくような教育は受けていない。
俺は妖精さんの方に一歩踏み出して言う。
「そっちが構わなくても、俺が構うんです。迷惑だって言うなら、そこに立たれたままの方が迷惑だ。中に入って普通の客として振る舞ってくれる方がよっぽど良い」
今度は俺が強く言い切る番だった。
妖精さんは観念してくれたようで相変わらず赤い頬のまま小さくうなずいた。
それでいい。
妖精は幸せを運んで来てくれるとも言うし、なおさらもてなさなければいけない。
「俺は飲み物しまってくるんで、適当にリビングでくつろいでいてください」
妖精さんは俺の言葉にもう一度うなずき、黒いケースを置いてからしゃがんで靴を脱ぎ始める。
それを見て安心した俺はキッチンに向かい、ビニール袋からジュースやら牛乳やらを取り出して冷蔵庫にしまっていく。
その間に妖精さんがリビングに入ってソファに座ったのを確認しつつ、適当にいくつかつまめるお菓子をあける。残ったお菓子は戸棚に放り込んだ。
飲み物も持っていこうとしたけど、あいにく冷えた飲み物がない。
喉が乾いたら持ってくることにしようと思いながらリビングに戻って、俺は思わずギョッと目をむいた。
「……っ。……っ」
妖精さんがポロポロと、大粒の涙をこぼしていた。
傍に黒いケースを置き、ソファに座った状態で涙もぬぐわず泣いている。
「うぇあ……あの、て、ティッシュ……」
あわてて皿をテーブルの上に置き、かわりに置きっ放しだった箱ティッシュから数枚とって差し出すと妖精さんは泣きながら受け取ってくれた。
渡した際に指と指が触れて思わず心臓が高鳴るが、今はそういう状況じゃないと自分を叱咤する。
「だ、大丈夫ですか……?」
俺の問いにうんうんとうなずいてくれはするが、涙が止まる気配はない。
大粒の涙を鼻やぬぐう手に伝わせ、手首からスカートへと滴らせるばかり。
これ以上、俺にできることは何もない。
なら、何もしてやらないのが一番だろう。
「俺、奥の部屋にいるんで何かあったら呼んでください」
そう言って、立ち上がる。
泣きたい時は気がすむまで泣けば良い。
無理に止めたら本当に泣かなきゃいけないときに泣けなくなる。
俺が自室に入って部屋の扉を閉じると、扉越しに嗚咽が聞こえてきた。
誰もいなくなったことで抑えられなくなったのだろう。
「……なんなんだ、ホントに」
正直、わからないことだらけだ。
妖精さんが何者なのかも、ここに来た理由も、泣いている理由も、何一つ。
けど俺はベッドにもぐり込み、今だけは声を聞かないように頭から布団を被り、じっと強く目をつむった。
このままいつの間にかいなくなっている方がいいのか、ちゃんと事情を説明してもらえる方がいいのか、わからなかった。
「――――んぁ」
薄暗い部屋の天井、電気のついてない電球を見て跳ね起きる。
目をつむっているうちにいつの間にか眠っていたらしい。
少しうたた寝をする程度のはずだったのに、締めたカーテンの裾からは白んだ光が漏れていた。
ひとまずベッドから抜け出る。
シャワーも浴びないまま寝てしまったから身体が硬い。
一度大きく伸びをしてから部屋を出れば、リビングには見慣れぬ黒いケースとソファにもたれかかって寝息を立てる見慣れぬ黒髪の女性がいた。
「…………夢じゃないよな、やっぱり」
頬を引きつらせつつ俺がそう呟くと、コートを掛け布団がわりにしている妖精さんが「んぅ」と可愛い声と共に薄くまぶたを開いた。
「おねえちゃん……」
どうやら寝ぼけているらしい。
どこか安堵するような笑みを浮かべている妖精さんに申し訳なく思いつつ、起こす意図も兼ねてはっきりと発音する。
「いや、すみません、俺です」
俺の言葉に、妖精さんはこっちが驚くくらいバッと目を見開いた。
数秒間俺を見つめた後、瞳だけを左右にゆっくりと動かして周囲を確認し、それからこれまたゆっくりとソファの上で膝を抱えた。
下唇を噛み、いまにも泣き出しそうなほど真っ赤にも関わらず、妖精さんは上目遣いに俺を見ながらご丁寧に挨拶をする。
「お、おはようございます……」
「おはようございます」
一人暮らし一日目。
名前も知らない妖精さんと、一つ屋根の下で夜を明かしてしまった。
ゆるいラブコメです。
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