俺たちの野望はタンクトップワキゲゴリラの魔手に阻まれた
黒い女とサンタクロース。この街で出会い、今でも狭い部屋で共に暮らしている二人の怪異にまつわる話を聞いた棗は、二度瞬きをしてから至極まっとうなことを言った。
「お前、頭おかしいんじゃねえか」
「まあ、信じられねえのも無理ねえけどな」
「そうじゃない。なんで死ぬのを楽しみだしてんだよお前。さすがにその自称サンタクロース女に同情するわ」
至極心外であった。こいつなら分かってくれると思ったのに。無二の理解者を失い、俺はすっかり途方にくれた。
「まあいい。話を聞いた限りだと、そのサンタクロースってやつが黒い女を作ったんだろうな」
「え、そうなのか?」
「黒い女は『止まってしまった人間の成れの果て』で、サンタクロースは時間を止めることができるらしい。素直に符号を嵌めるなら、サンタクロースは黒い女の誕生に少なからず関与しているはずだ。そうして生まれた黒い女の側に、サンタクロースは今も居続けている。まだ推定だらけだが、この二人の関係性については追ってみる価値がありそうだ」
棗は立て板に水がごとく詠唱した。彼の言っていること自体は理解できる。だが、一つ引っかかることがあった。
「ちょっと待てよ。お前、今の話を信じるのか? 自分で言っといてなんだが、悪霊でサンタクロースで死に戻りだぞ? 俺が知ってる現実ってやつはもうちょっと厳格なはずだ」
「んなことどうでもいいだろ。嘘だろうと現実だろうと妄想だろうと、面白ければ俺は乗るぞ。お前の話は面白い。だから俺は乗った。それ以上の理屈なんて考えてたらお利口さんになっちまう」
口笛を吹いた。こいつ、なかなか良いことを言う。お利口さんなんて俺だってごめんだ。
「続けるぞ。鍵になるのは二人の関係性。解くべき謎は、サンタクロースはなぜ黒い女を生み出したのかだ。それを暴くには、二人の間に何があったのかを知るのが先決だ」
「言ってることはわかるけどよ。暴くっつってもどうやるんだ? まさか本人に聞くのか?」
「それは最後の手段だな。まずは外堀から攻めていきたい。あいつらのことを知る人とか、誰か心当たりはあるか?」
「いや、知らん。黒い女はずっと部屋にいるし、サンタクロースも基本的には黒い女にべったりだ。他に知り合いがいるような様子は無かったが……」
その瞬間、ふとした閃きがあった。確かにあいつらに知り合いがいる様子はない。だが、あいつらのことを知っている人間は、俺と棗だけではないはずだ。
「俺の部屋さ、家賃月一万五千なんだよ」
「めっちゃくちゃ安いな。それがどうかしたか?」
「なんでこんなに安いかって言うと、事故物件だからだ。とにかく金が無かったから、わざわざ事故物件サイトから部屋を探したんだよ。まあ、実態は事故物件なんて可愛いもんじゃなかったわけだが、それは良い。大事なのは、不動産屋はあの物件が事故物件だと知ってたってことだ」
「なるほど……。だったら、不動産屋はあの部屋について何か知ってるかもな」
「そういうこと。ただ、一つだけ懸案事項がある」
自分で出した案だが、正直俺は気乗りしなかった。この案には無視しかねるリスクがある。
「あの部屋を紹介した不動産屋、髪型がツーブロックなんだよ」
「はあ、ツーブロック。それがどうかしたのか?」
「不動産屋でツーブロックだぞ。まともな人間だと思うか? 言っちゃ何だが、人間の言葉が通じる類いじゃねえぞありゃ」
「どういう偏見だよ。ツーブロックだろうが不動産屋だろうが仕事は仕事だろ。普通に聞けば答えてくれんじゃねえの?」
棗は楽観的なことを言うが、実際にソレと話した俺はとてつもない困難を予想していた。
世の中には、どうにもならないことってやつもままあるのだ。
*****
まったくもって惨敗であった。
あの霊長類に一切の話は通じず、聞きたかったことは何一つとして聞けず、ただただ時間を無意味に空費しただけだった。
「おい灰原……。なんだありゃ。いくらなんでもあそこまでとは聞いてねえぞ」
「言ったじゃねえか。不動産屋なんてロクな奴いねえって」
あれは絶対に元野球部だの、月イチで古巣の高校に顔出してはOB風を散々吹かせて帰るタイプだの、後輩たちからタンクトップワキゲゴリラの蔑称で呼ばれているに違いないだの、俺たちは奴の悪口でひとしきり盛り上がった。それこそ無意味な時間であった。
わざわざ講義をサボって――これ自体は何も特別なことではないが――駅前まで出てきたというのに、得られたものは皆無である。それどころか、ただでさえ乏しい手がかりがなくなってしまっただけだった。
「いや……。いや待て。まだだ灰原、まだ終わっちゃいない」
「諦めろよ棗。俺たちの野望は、タンクトップワキゲゴリラの魔手に阻まれたんだ」
「聞けって。不動産屋ってのは所詮仲介業者なんだよ。あんな奴を間に挟まなくたって、大家に直接聞けばいい。違うか?」
「あー、その手があったか。ちょっと待ってろ、連絡先メモってあるはずだ」
不動産屋に比べれば与し易いのは違いないが、だからと言って大家が話が通じるタイプかと言えばそうでもなかった。大家がツーブロックゴリラというわけではない。それどころか、素敵にお年を召した柔和なおばあちゃんである。心配事はと言えば、少々お年を召し過ぎていて認知症の気があったのだ。
俺は大家に電話をかけた。ツーコールの後に転送が入り、それからまたツーコールして通話はつながった。
「はい」
電話口から聞こえてきたのは、若い女の声だった。
「ええと……、もしもし。灰原です。山沢荘大家様のお電話で間違いないでしょうか?」
「はい。大家の月島ですが」
「あの、ひょっとして若返りました?」
「は?」
ピンと来た。おそらく大家は若返ったのだ。なにせあのアパートには時を操る女がいる。大家の若返りくらいあって然るべきと考えるのが、合理的な思考と言うやつである。
「ああ、祖母のことを仰っているのですね。前大家の祖母は今年の春で引退しました。今は私が引き継いでおります。ご挨拶遅れまして申し訳ありません、現大家の月島千秋と申します」
まあそんなところでしょうね。
「そうだったのですね。二〇四号室の灰原雅人です。よろしくお願いします」
「……二〇四号室? 二〇四号室の方ですか?」
女の声音に緊張が走る。まるで、俺が二〇四号室の住民だということが不都合極まりないといった様子だった。何かしたかと思ったが、記憶をさらえど思い当たる節は無い。そもそも会話するのもこれが初めてだ。状況は読めないが、ひとまず会話を進めることにした。
「そうです。その二〇四号室についてお聞きしたいことがあるのですが、少々お時間いただけますでしょうか?」
「知りません。あの部屋のことは何もわからないです。用事があるので、これで」
通話はそこで切れた。
あまりにも素早い切断だった。俺はただ立ち尽くし、物言わぬ板となったスマートフォンを見つめた。ちくしょう、一体何なんだ。
「電話、切られたんだけど」
「聞こえてたぜ。もっかいかけ直せばいんじゃね?」
もう一回かけなおした。今度は何回コールをかけても繋がらなかった。一度切ってから再三の発信をすると、自動応答メッセージが相手側の電話機の電源が入っていないことを教えてくれた。
「繋がらないんだけど……」
「仕方ねえな。火炎瓶でも作るか」
「暴力は全てを解決するのはこの世の真理だが、少なくとも今じゃない」
思うようには進まないが、全くの徒労と言うほどではない。少なくともあの女は二〇四号室について何かを知っている。むしろ、知っているからこそ関わりたくないといった様にすら思えた。
そこに手がかりがあるのは間違いない。電話に出ないと言うならば、直接乗り込むまでだ。
「灰原。お前、大家の居場所を知ってるか」
棗も同じ考えのようだった。
「うちのアパートの一〇一号室だ。前の大家はあの部屋に住み込みで管理していると聞いた。あの女が大家を引き継いだのなら、あの部屋に住んでるかもしれない」
「へえ。お前ってめぞん一刻みたいなアパート住んでんだな」
「めぞん、なんだって? そりゃなんだ?」
「おい冗談だろ、それマジで言ってんのか!?」
棗は愕然としていたが、そんなことを言われても知らないものは知らない。
少なくとも、サンタクロースと悪霊女が住むアパートなんて、他に聞いたこともなかった。




