【 其の壱 】 一ノ寸 (はじめのとき) ~2~
『死』……それはある日突然、誰にでも訪れる。
もしかしたら、本人や身近にいた人たちは予見できたかもしれない。
しかし客観的な視点で……つまりは他人から見れば、それはやはり『突然』の出来事にちがいない。
これは特に、珍しいことではない。
森羅万象の理 (ことわり)の中においては、ごく当たり前であって、ごく普通のことである。
自然死、病死、事故死……『死』は多様なかたちで多様なときに訪れるものではあるが、彼のそれは『特別』であると死神は言った。
今のところ……ただひとつ、ぼんやりと気がついたことがあった。
それは『死ぬ』ことで全てが終わるのではなく、どうもその先に……
続きが、あるらしい。
死神と出会ったその少年はふと、そのように思った。
でも、やっぱり……
「死んだ……何となく分かっているつもりでした。どうも『体』が見えないから……」
一寸 (いっすん)という名の少年は、ひとりごとのようにつぶやいた。
「いやいや、本来は死んだ直後に霊体という名の『形 (ぎょう)』に変わるのじゃが……まぁ『体』といってもいいかのぅ」
え? そうなの?
「それでもって人の場合は、とある河原で手続きを行うのが通例なのじゃが……」
ぬいぐるみのように丸っこい死神は、少し考え込むようにして言葉を切った。
「ワシの『声』を聞くことが出来た。他にもいろいろとあるのじゃが、とにかく訳あっておヌシは『特別』じゃ。あれじゃ、頭だけの『おんりーわん』じゃ!」
何だろう、この気軽な言いかた……
死をつかさどる神様というより、馴れ馴れしい普通のオジイサン?
それとも、ワザとこのように振る舞っているのだろうか?
でも、今はそれより
「あ、頭だけって……僕は今、生首状態ってことなのですか?」
一寸は想像しただけで、お化け屋敷の嫌悪感……って、あれ?
不思議と特に、何も感じない。
まぁ、実感がないから当たり前なのかも。
「いやはや、人の言の葉というのは何というか……言いかたを間違えたかのぅ。むぅ、これは……そうそう、こんな姿じゃ」
死神はそう言って右の手のひらを上にすると、そこから小さく細長いガスのような青白い炎をひとつ、浮かべるようにして出した。
「本来であれば、このような状態で浮かんだままなのじゃが……」
死神は、小さいその炎を手の上でゆっくりと回すような仕草をしている。
「そのまま何もしなければ……ホレ、こうして消えてなくなってしまうのじゃ」
その炎にふっと息を吹きかけて、消してしまった。
するとほんの一瞬、断末魔の叫びみたいなものが聞こえたような……
気のせい、かな?
「しかし、おヌシは我ら八百万 (やおよろず)のものたちのみが持っている『権 (ごん)』で守護しておるから、消えることはない。おヌシはワシと『約定』を交わしたからのぅ」
さきほど消えた青白い炎を、死神は再び浮かべる。
そして今度は、ドクロの形をしたランタンのようなものに、その炎を入れて2、3回ほど勢いよく振り回した。
「え? あの名前を書いた巻物みたいなものは『約定』だったのですか?」
いったい、何を約定したのだろう? ふと一寸は、そう思った。
「そうする必要があったのじゃ。おヌシを守護するのも、そのうちのひとつじゃ。そして今、常ではないことが起きておる……『ナナシ』という厄災、わざわいじゃ」
死神は一寸の近くで耳打ちするように、やや低い声でささやくように言った。
「ナナシ? わざわい?」
これって、何だか大変なことになっているような気が……
「そうじゃ『ナナシ』じゃ。これは元来、おヌシらと同じように命を持っているものなのじゃが、何らかの所以 (ゆえん)で『ゐ (い)』が歪められ、不安定になってしまうのじゃ。それゆえに森羅万象の理 (ことわり)の均衡を乱す存在、つまりは『異形』となってしまうのじゃ」
死神は、やや遠くを見るような表情をしながら、小さな両手を目いっぱいに広げている。
「それで、おヌシはこの『ナナシ』のひとつに触れてしまい、死んでしまったのじゃ。いわゆる『おおあたり』じゃな」
夏祭りの夜店で聞いたことがある、太鼓と鐘の音が聞こえ……たような、気がした。
「そんな『当たり』はいりません! でも、触れただけで死んでしまうモノなのでしょうか?」
自分の短い人生の末路をまさか、こんなに軽く談笑するように言われるとは思わなかったよ、ホント。
「そうじゃな、ワシが知っておる『ナナシ』は八百万のものたちの内々に作用する単なる流行病 (はやりやまい)のようなものじゃ。おヌシら人の世では……『てんぺんちぃ』というたかのぅ」
天変地異……おそらく巨大地震や大津波、大火災や異常気象などのことだろう。
そんな、凄まじいものに触れてしまった。
そういうことなら、仕方ないのかな……不思議と一寸は、妙に納得した。
「そもそもこの『ナナシ』は生者が直接、触れることができる存在ではない。じゃが、おヌシに触れたということは何らかの『縁 (えにし)』があるはず……」
死神は、一寸の周囲をぐるりと回りながら何か考え事をしている。
「と、いう訳でおヌシに声をかけたのじゃ。これはたしか……『すかうと』じゃったかのぅ?」
何か品定めでもしているように、こちらをじっと見ながら言った。
「でも、こんな僕に何か出来ることがあるなんて……そう思えないのですが」
普段なら、こんな素直な気持ちをすぐに言うことはない。
だけど、ためらうことなく自然に一寸の口から出てきた。
「ん? それはオヌシの勘違いじゃ。オヌシはワシの声を聞き、そしてそれに応えた。これこそが『特別』なのじゃ!」
死神は、空を切るように一寸の目の前で大鎌をひと振りした。
「そうでなければ、おそらくはおヌシも『ナナシ』となるか若しくは、その一部になっておったかもしれんのじゃからのぅ」
「そ、そうだったのですか?」
もし、自分がその『ナナシ』になっていたら死神は……
「仮におヌシが『ナナシ』になっておれば、その動きを止めるべく封じておったろう。今まで後追いじゃったが、ようやく『先 (さき)』を捕まえた。この機は逃したくないからのぅ。ほんに骨が折れるようじゃったわぃ」
死神は、首筋に手をおいて2、3度ボキバキと音を出しながら首を回した。
ちょっとおかしな方向に動いたような……まぁ、いいか。
「とりあえず、じゃ。とりあえず今はこれ以上広がらぬよう、ワシがこの『ナナシ』の動きを一時的に封じておる。それゆえワシ本来の力の多くは使えんし、このような姿に老け込んでしもうたわぃ」
死神は今度は背中を丸めて、わざとらしく腰を軽く叩いた。
「だとすれば、その『ナナシ』をどうやってやっつけるのですか?」
死神の老け込む前の姿のことは……今は聞かないことにしよう。
「やっつけるのではないぞ。この『ナナシ』というのを完全に消し去ることは、ワシら八百万のものたちでも難しいかもしれん。まぁ、周囲に伝染しないように限りなく弱める、というほうが分かりやすいかのぅ。命の中心にある『ゐ (い)』自体は滅びぬからじゃ」
「限りなく弱める……それで、その『ゐ (い)』というのは何なのでしょうか?」
死神の話に少し興味を引かれてつい、一寸は尋ねてしまった。
「ヨシヨシ、ではおヌシにちと説き明かすとするかのぅ」
なんだか待ってましたと言わんばかりに死神は、ゆったりした感じの声で淡々と話し始めた。
~・~・~・
おヌシら人間を含め、大小多様な生きものにあふれる、この森羅万象には命 (いのち)というものがある。また他には、うんぬん……(略)
でもって、その命は数えきれないほどある『世』の中のひとつにたどり着き、さらにその広い『世』の中のとある所において『生 (せい)』を受ける。
それは輝きを放ち、ゆっくりと変化しながら、ある程度の刻 (とき)が過ぎたのちに、やがて光を失って死を迎える。
この『死』というものも実は多くの過程があって、うんぬん……(略)
その死の直後に『霊体』として変化し、『黄泉 (よみ)』という間 (はざま)を通り抜けて『冥 (めい)の世』へたどり着く。
そうして『冥の世』の様々な過程を経たのちに『霊体』は『形 (ぎょう)』と『ゐ (い)』に分かれる。
死後の『形 (ぎょう)』は、やがて朽ち果てるが、『ゐ (い)』は新たな『形』にうつり、次の『生』となる。
この『生』はワシの専門外じゃが、うんぬん……(略)
そして新たな『生』は新たな『世』に……新たな『命』としてまた、輝きを放つことになる。
こうして命の根源である『ゐ (い)』は、様々な『形 (ぎょう)』という姿の中で少しずつ変わりながら絶えることなく廻 (めぐ)りゆく……
~・~・~・
「そして、この『ゐ』の中の扱いについてなのじゃが……むぅ、とにかく複雑で面倒じゃ。それと、おヌシに説くのも……そろそろ疲れてきたわぃ」
死神は大鎌を脇に置いて座ったまま、青白い炎で出来た『ゐ』や『形』の文字を宙に浮かばせて話をしていたが、ため息をつくようにして、その文字を消し去った。
ああ……やっぱり
思っていたとおり、話が少し長くなった。
死神の話し方が、途中から何となく母さんの世間話のように聞こえてきて、相槌を適当にしていたが……
つい聞いているフリをして、ほとんど聞き流してしまった。
死神は、気を悪くしただろうか?
いや、確か今は体がない『青白い炎』だから態度や表情がわからない……ハズだ。
「む? 記憶がちと戻ってきたかのぅ?」
何か反応を見るような感じで、こちらをじっと見つめながら死神は言った。
「いえ、ほんの少しだけしか覚えていません!」
思っていたことを見透かされたような気がして、一寸はつい、慌てて答えてしまった。
それに、カマをかけられたような気もして、妙に複雑な心境だ。
「要するにのぅ……ワシの声を聞き、ワシと名を交わしたおヌシは今、ちと『特別』なのじゃ。よって、これからワシの『役』のひとつを担ってもらうこととなる」
死神は、うわずった一寸の声など全く気にすることもなく、何か別のことを考えているようだ。
それを見て、一寸は何故だかホッとした。
「これは……何と言うたかのぅ? こう、喉元まで出かかっておるのじゃが……」
首の骨を左手で掴んで揺さぶっている死神は、何か思い悩んでいる。
その真剣な表情と珍妙な動きが重なって見える様子は何だか、笑いを誘うちょっとした喜劇のように見えた。
「おお、そうじゃ! 『あるばいと』じゃ!」
そう言うと死神は、思い出したかのように黒いフードの懐の辺りから何かを手にして、それを宙に撒き散らすように振った。
白っぽい霧の中、死神がいるその先で突然、どこからともなく赤っぽい砂ぼこりのようなものが吹き荒れる。
それが嵐のような突風となってあっという間に過ぎ去って行き……と思ったら、今度は重厚な石造りのような引き戸らしきものが、忽然と目の前に現れた。
「あの、僕に選択肢がないのは何となく分かったよう……」
死神に何かを尋ねようとしたけど
あ……れ?
「ん? 声を失ったか? ともかく、細かいことはその都度に説くとして……」
死神はそう言うと、大鎌の柄で一寸を手元に引き寄せ、扉の前に近づいた。
「ではさっそく、行くとするかのぅ。ちなみにこれは自動扉、『いっつ・おーとまちっく』じゃぁ!」
すると扉は、何かすりつぶすような重たい音を立てながら、ゆっくりと開いていく。
揺らめくはかない炎の姿のまま、彼は何も考えずにいた。
仮に何かを考えたとしても、それはあまり意味を持たないような気もする。
なぜなら今は、自ら積極的に行動するためのものが余りにも……足りない。
少年は仕方なく、時々ヘンなことを言うこの『死神さま』にすべて、と言っても体はないから……『魂』を委ねることにした。
まぁ、どうなってもいいや……
【 其の弐へ 】