第4笑【見える者、見えざる者】
「あー!」
翌日の放課後の教室、私は頭をかきむしりながら机を叩いたいていた。
今の私の意志はただ一点、どうすればヤツを、ピエロマスターを倒せるかという点だけだ。
「…それに」
思わず、声が出る。
ブー子もそうだったけど、どうしてああもこの場の一時しのぎのために簡単に『芸人』になれるのか私は理解できなかった。
「お金ももらってないのになあ…」
机に突っ伏した体を起こしボーっと教室の隅を見る。
「また居るよ…」
毒づく私の視線の先、ピエロマスターがまた紫の霧を吸い込んでいる。
ヤツを倒さなければならない!決意を新たにする。
ヤツを倒さなければ、ブー子然り、クラス中の芸人、もといいじられ役達が救われることは決してないのだ。
ヤツはこの場を恐怖で支配している。あいつの姿を認識した瞬間、人は冷静でいられなくなるんだろう。この私以外は!
「ん?」
そう思い込んだところで私は思考を巡らす。
「そういえば一人いたっけ」
知っている。そう、私みたいにクラスの中で独立している人間が一人いた。
彼はいつも教室の隅でひたすら勉強に打ち込んでいた。そいつはクラス内で『ガリベン』と言われていて、大将の腰巾着の一人『悪ガキ』がよくちょっかいをかけているが、動かざること山の如し!とでも言わんたげな体裁で一切の無視を決め込んでいた。
「ガリベンもクラスないで独立していると言えなくもないかなあ…」
私とは全く違う意味で。
そんな思考の折、ヤツと目が合う。そう、ピエロマスターだ。
そんな私の思考を見透かしたかのようにヤツは邪悪な笑みをたたえている。
『思い知らせてやる』そんな意志を感じた。
そして前のように、私の意識は壮大な旅に出る。といっても他人の記録を追体験するだけだけれど。
放課後の教室、私は誰もいない教室を俯瞰して見ている。
そんな教室にガリベンが入ってくる。彼は忘れ物をしたのだろう、自分の机の中の物を取り出す為に自分の椅子に座る。その時ふと、教室の隅を見た。見てしまった。ピエロマスターの姿を。
ひっ!という小さな悲鳴を出した後
「誰だっ!」
得体のない気配を感じたのだろう。上ずった声を上げた。
「うわああ!見るな!みるなあああ!僕を見るなあああああーーー!」
ピエロマスターの瞳に彼は何を見たのか…。忘れ物を取りに来た事も忘れ、奇声を上げて教室から逃げ去ってしまう。
「たったこれだけ?」
放課後の教室。
呆気にとられる私。
今回も当然のようにピエロマスターの姿はない。
今回のビジョンは全然短かった。だが後ほど嫌がおうもなく気付かされることになる。
ヤツがコレを私に見せた意味を。
『ヤツを見た』だけで人は驚くほど変わってしまうことに。
次の日からガリベンの様子が変わった。
彼は明らかにクラスの営みから、この笑いの場から全力で目を逸らすかのように全力で勉強に打ち込むようになった。少し異様なほどに。
「ん?」
その様子を大将の集団も気付いたのだろう。例によって日課の様に悪ガキがガリベンに近づく。
「ったく、また勉強かよ!」
いつものからかいを始める。普段はここでガリベンは一切表情も態度も崩さずに勉強を続けるのがこの時だけは違っていた。
ペンが一瞬、止まったのだ。
それを見逃す悪ガキではなかった。
「あれ?…だんまりですか?」
ワザとらしくガリベンの前に回りこみ、俯いた彼の顔を見下すかのように声をかける。
だが、コレがいけなかった。ガリベンがキレたのだ。
「うるせえなあ!」
初めて彼が、笑いの場に関わった。
「いっつも、いっつも俺の事を覗き込みやがって!」
フッと一呼吸出した後にすぐ間断無くさらに続けざまに
「そんなに好きか!俺の事が!お前はホモかっ!!」
まくし立てるように言葉を吐く。ゴジラが火炎放射をするが如く。
それはまさしくテレビでよく見るあの芸人がよく使う芸、切れ芸だった。
最後の「ホモかっ!」あたりがキレつつも相手をなじって攻撃している。やられっぱなしでは無いところが良い味を出している。
「うう…くそう」
ガリベンの気迫にたじろいだ悪ガキはすごすごと退散する。
「だっはははははーーーー!」
ドッという笑いがクラスに巻き起こる。
クラス内では新たなジャンルの笑いが獲得された瞬間である。
『キレ芸のガリベン』
彼の二つ名は完全にクラス内で定着してしまい、彼をさらに苦しめることになるのだった。
そして私は知ることになる。ピエロマスターの本当の怖さを。
あれから数日、毎日のように悪ガキとガリベンのやり取りは続いていた。
そしてクラスも大いに盛り上がっていたが、ある日から突然、キレてこなくなった。
その日の放課後の教室、いつまでも座っているガリベンがいた。黙々と勉強をしている。まるで家に帰ることを拒むように。今まで、下校になるやいなや誰よりも早く教室を後にしていた彼だけに今日の様子は異様といえた。
「じゃあ、お先」
だが私は彼に何も言えずに教室を出るしかなかった。私には踏み込めない。彼は全てを拒むかの如く勉強に没頭している。いや没頭せざるをえなかったんだろう。そう思えるほど彼の顔は憔悴と焦燥と鬼気迫る眼光で満たされていた。
「ふう」
いたたまれなくなった私は教室を出た。
「っ!」
そんな時すれ違いざまに悪ガキが教室に入っていく。咄嗟に私は気付かれないようにそっと中を覗き込んだ。
「何やってんだ!お前はっ!」
すぐさま悪ガキの絶叫が響き渡る。彼はガリベンを椅子から強引に持ち上げると、前後に大きく力任せに揺らしながら叫んでいた。
「お前、おかしいだろ!何でここにいんだよっ!」
「何をどうしようと僕の勝手だろう」
もはや、キレる事すらせずに鼻で笑うかのように力なく応えるガリベン。
だが、悪ガキは追及する。
「どうって、お前、お袋さんの調子、悪いんだろう?早く帰ってやれよ」
「どうしてそれを」
驚くガリベンに悪ガキは事情を説明していく。
「最初はな、お前をいじるネタが無いかと思って友達のフリしてお前の家に行ったんだよ。そしたら、お前の親父が出て、妻の調子が悪いって、それどういうことだよっ!」
「他にも聞いたぞっ!お前、お袋さんのことが大好きらしいなっ!」
「そんで、看護師のお袋さんみたいに医療に携わりたいって、勉強に没頭してさあ」
まくし立てる悪ガキの言葉をガリベンは黙って聞いていたが、やがて決意したように言葉を口にする。
「そう、お前の言うとおりさ。家族が、母さんが倒れたんだ。今まで病気一つしなかった元気な人だったのに」
彼は怒りをなみなみとたぎらせた瞳で教室の隅を睨みつけながら、鬼のような形相で叫んだ。
「なんでこうなったかお前には分かるかっ!」
「お前はヤツを見たか?」
「ヤツって何だよ」
「そこの隅にいるだろう。ユーホーキャッチャーで取れるような雑なつくりのピエロのぬいぐるみが…そいつがいやらしく笑っているのが見えないのか」
「ピエロって何だよ!お前、なんか見えんのかぁ?」
悪ガキは目を凝らして教室の隅を見ていたが、どうやら何も見えないらしい。
「そうか…」
ガリベンは力なく呟き、諦めたようにように首を振ると悪ガキに向き直り言った
「そうだよ。とりあえず僕には見えるんだ。」
そして彼は言葉を続ける。
「僕にはヤツが見えたんだ」
「あの時ヤツの瞳はこう語っていた」
『面白いことをしろ!さもないと不幸が舞い降りるぞ』
「そういっていた気がするんだ」
「なんか分かるんだよあいつの考えてることがさ」
気持ち悪い。と言いながらガリベンは力なく項垂れると呪詛を吐くように言葉を続ける。
「最初は、気のせいだと思ったさ、でもその日、家に帰ったら母さんが倒れていた」
「心配する僕に母さんは『気にせず頑張りなさい』と言ってくれた。だから次の日も学校に行った。そんな時にお前が絡んできた。だからキレてしまった」
昔の罪を神父に懺悔する罪人のようにガリベンの独白が続いた。
「家族のことが、大事なんだな」
ガリベンの家族への想いが通じたのか、悪ガキは優しい笑みをガリベンに向けた。ガリベンはそれに安堵したのか言葉を続ける。
「最近、ピエロの目が怖いんだ。ヤツの目を見ていると、早く面白いことをしてヤツを満足させないと、もっとひどいことが家族に起こるような気がして」
そして「だから…」といって悪ガキに一つの提案を持ちかける。
「これからも僕をいじってくれないか?明日からは僕もいつもどうりちゃんとするから…僕が笑いの中心にいないとまたヤツが家族に、母さんに何をするのか分からないから」
顔を上げ決意のこもった瞳で悪ガキを見据えるガリベン。
「何だよそれ!なんだよおおおおーー!」
悪ガキの拳が机を叩く。悪ガキは涙していた。そして彼も独白する。
「俺さあ、両親の仲がだいぶ悪いんだ。もう、離婚寸前って程にね。それで家の中がギクシャクしてて帰り辛くて、家にもあんま帰りたくなくて…、お前みたいに家族が、家が安らぎの場じゃなくてさ。だからついついムシャクシャして、大将さんの命令もあったけど…もう、ほとんど八つ当たりで、お前に絡んでいたんだよ」
「そうなんだ…」
それを聞いてガリベンは全てを悟ったかのようなやさしい笑みを向けて悪ガキに言った。
「じゃあ、明日からよろしく」
「おう、分かった」
固い握手を交わし、二人は友情を確かめ合った。
だがその友情も場の笑いは容赦なく喰らい尽くしていく。
翌日、そこには諦観したのか、完全にふっきれたガリベンの姿があった。
悪ガキとの相性も良くなり、絶妙の掛け合いで二人はクラスの笑いの中心になっていた。
そこに不報が届く。
「吉田はいるかっ!」
叫びながら休み時間中の教室に入ってくる先生。
先生を不安な表情で見るガリベン。無理も無い、吉田はガリベンの苗字だからだ。
「お前の母親が倒れた!危篤だそうだ!直ぐに来い!」
彼の顔から血の気が引く。そして震えながら、全てを悟ったかのように叫び出した。
「やっぱそうか、昨日のアレいけなかったんだ!昨日僕が、キレることを辞めてクラスに笑いを振りまけなかったから」
怯えるように教室の隅を見据え、そこにいるピエロに窺うように言う。
そしてその反応を見たガリベンは、悪ガキのほうを見て目配せをする。
その目は言っていた。私には分かった。
『やれ』と。
悪ガキも少し逡巡していたが、決意を固めたように神妙な面持ちから無言で頷く。
その意志を受け取ったガリベンは全力で叫んだ。
「だから母さんが倒れたーーー!あーっはっはっはーー!」
完全に壊れた…おそらくフリだ。私達三人以外はそれに気付いてない。
「お前の母ちゃん、身体弱すぎだろー!」
堪えきれずに流れた涙を流しながら悪ガキはガリベンをいじり
「なんてこというんやっ!」
鬼の形相で涙を流しながらキレるガリベンは直ぐにフッと自嘲的な声を漏らし
「まあそやな、こんなんじゃ看護師失格やなあーーー!はーはっはー!」
涙を流してガリベンは自虐的に笑う。そして二人の友情をあざ笑うかのように
けたけたけた
そんな擬音を響かすかのごとく、口をあけて一切声を出さずに笑っているピエロマスターの姿があった。
そして時が止まったように二人をただ黙って取り巻いているクラスの様子をがあった。
それがピエロマスターの望んだ最高の喜劇的結末とでもいうように。
翌日、ガリベンの母親の調子はウソのように調子が良くなり。直ぐに退院してしまった。
そう、まさにピエロマスターのご機嫌が取れたから命が助かったとでも言わんばかりに。
あれから幾日…放課後
来る日も来る日もガリベンと悪ガキ二人のコンビはキレ芸を披露している。
クラスの中でもある程度の笑いの位置についている。
でも二人はもう完全に達観し、別の世界に逝ってしまったかのように生気を感じられない。
涙を流しながらキレるガリベンの姿を見ることはもう無いだろう。そしてもう二人が泣くこともおそらく無いだろう。
――二人は完全に笑いの『場』へと堕ちたのだから――
一度『芸人』になってしまえば、イバラの道が待っている。厳しい道だ。だが、それは自らの意志でソレを選んだ者たちの事であって…ピエロマスターへの恐怖から、無理矢理なるものじゃない。
二人の様子を見守りながら、私は声にならない声でヤツを断罪する。
「恐怖から笑いを創っている…それで、お前は神にでもなったつもり?」
睨みつける私の眼光を受けてもヤツはただひたすら邪悪な笑みを崩さずに微笑み続けるだけだった。