第3笑【女子世界ではブスが場に平穏をもたらす】
放課後、ピエロマスターがいた
ヤツは教室の隅で相変わらずにやついている
私だけに見えるんだろうか?
紫の怨念の集合体のような毒々しい霧みたいなものがピエロマスターの周りを取り囲んでいる。そしてヤツは仙人が霞を吸うようにゆっくりとソレを取り込んでいく。
瞬間、ヤツと目が合う。途端に私は意識を失い、不思議な感覚を得る。どこかふわふわして、現実感の無い感覚。もしかして私死んだっ!だが、すぐさま誰か他人の意識が強引に入ってくる。というより観せられている。丁度、夢を見るみたいに私は誰か他人の記憶を覗いている。
あたしは『ブー子』とクラス内で言われている。その子と言ったほうが正しいのかもしれないが…。子豚のように愛おしいかららしい…でもそれはウソだ。デブと言うだけで勝手にキャラ付けされただけだ。
「ブー子はクラスのマスコットだよね!」とも言われるけど、乗り気じゃない。それはいじられ役と同義、死刑宣告のようなものだから。
その子はいじられ役としてただただ日々をこなしていくしかない。それはもう地獄だ。
女子のみんなはその子をブスだブスだとはやし立てる。それに乗っかって男子もブスだブスだとはやし立てる。今まで一度もキレイだなんて言われた事が無い。いや、誉められたことさえ今まで一度も無かった。でもピエロ君は違った。
『君はすごいね!』
とある放課後、ピエロ君はひとりで泣いている時に言ってくれた。誉めてくれた、認めてくれた。
「君はすごいよ。その小さな体ひとつでクラスを笑いに包んでいる。僕は男子メインだから、なかなか女子のところまでは気が回らないからね」「それに君と僕は同じいじられ役だけど、君のほうが良く働いている気がする」
そしてピエロ君は宣言した。
「一緒に頑張ろう『同志』」
その子は、それだけでとても救われた気持ちになっていた。
そして、ピエロ君に恋していることに気付いた。
『この場所にはピエロ君がいる、この場所にはピエロ君がいる』もうそれだけで良かった。ピエロ君だけは理解してくれている。ピエロ君が私がいじられ役として頑張ってることを知っている。
もうそれだけで良かった。
どんなことにも耐えられたし、何でも出来そうな気がした。
それからもクラスの女子から、男子からブスだブスだと言われ、笑われ続ける日々が続いた。でもその子は全然平気だった。「一緒に頑張ろう」と言ってくれたピエロ君がいるから。「同志」だと手を繋いでくれたピエロ君がいるから、自分は一人じゃないと思える。そして恋の魔法で無敵になれた。多少ひどいことになっても耐えられた。
そんな時、その子は教室の隅にクレーンゲームのぬいぐるみくらいの大きさの怪しげな影を見るようになった。影は日を追うごとに鮮明になり、邪悪な笑いを称えたピエロがそこにいた。
その子は怖くなって、ある日、ピエロ君に相談した。でも、それを聞いたピエロ君は本当に嬉しそうな顔をしてあたしを見た。
「えっ!見えたの?マスターのことっ!」
本当に自分のことのようにはしゃいで話してくれた。
「これで君と僕は本当の意味で『同志』だ。このクラスを二人で一緒に笑いで満たそうっ!」
その子の手を両手で掴み、追い詰められた政治家が有権者と交わす握手以上に熱心に手を包んでくれた。それはとても幸せな時間だった。
ピエロ君がっ!ピエロ君がっ!手をとってくれているっ!
興奮が収まらない。その子の呼吸は自然と荒くなる。
「頼りにしてるよっ」
そうやってはあはあ言っているその子を抱きしめてピエロ君は言ってくれる。その子は思った。
天にも昇る心地だと。
そして、呆けた瞳で教室を見渡す。
「……っ!」
教室の隅でピエロマスターが笑っている。
急に氷水を浴びせられたように今ままでの熱が一気に冷める。
「怖がらないで…マスターのこと怖がらないで」
そんなその子の震えを感じたのか、ピエロ君は小さな子供に諭すように優しく話しかけてくれる。
「マスターはいつも僕たちを見守ってくれている。守り神だ」
ピエロ君の言葉はその子のこころをふわりと包んで暖めてくれた。不安が弱まっていくのが分かる。でもそれでもなお、ピエロマスターの顔を見るとどうしても不安を消すことが出来なかった。
そして不安は現実になった。
「あー!つまんねえなあ」
翌日、クラス内が静かになると、またあの大将のフリのサインがでる。本当に空気が悪くなるというか、息苦しい感じが消えない。こういう時、誰かがクラスを笑いで包まなければならなくなる。そう、あたし『達』しかいないっ!
こういうときのフリは決まって恐ろしいレベルのものを要求されるが、あたしは怯まない。ピエロ君が見ててくれるから。その事実があたしを強くしてくれる。
視界の端、教室の隅にピエロマスターの姿が目に入る。あたしを真っ直ぐ見て笑ってる。お前がやれ!とでも言わんばかりに。それに答えるかのようにあたしは立ち上がり、クラス全員に向って答える。
「あたしが、ブー子がやります!」
正直、冷や汗が止まらなかった。やるべきことが何も決まっていない、つまりノープランで手を上げてしまったからだ。口の中が干上がって口をパクパクさせるしかなくなる。小劇場にいきなり立たされた若手芸人のようだ。
かなりテンパった。
あたしが救いを求めるように大将のほうを見ると、隣に居るピエロ君がぐっ!と親指を立てて応援してくれている。負けられない!
そうしている間にもクラスの雰囲気はますます悪くなる。
「早うやれよ」
小声で舌打ちと一緒にあたしをあせらせる言葉が出てきだす。
「じゃあ、ブー子!今日はもっとブー子をかわいくしてあげる♪」
突然の助け舟にあたしが振り向くと、そこにはあたしをいつもいじめる女子グループのリーダーがやたら上ずった声で教室の隅を見ながら、若干冷や汗をかいたような顔で立っている。もしかしてピエロマスターが見えているのかも知れない。
「っ!」
だがすぐに気を持ちなおして、あたしに向って言い放つ。
「さあ、猛獣使い!アニマルショーの開園でーすっ!」
その手にはいつの間にかロープが握られていて、新人のマジシャンのようなたどたどしい手つ
きで、あたしを縛っていく。
縛られる間、あたしの耳元でリーダーが呟く。
「あんたも、ヤツのこと見えてんでしょ。なら協力しなさいよ。あいつの目、次はお前だっ!って言ってんだもん、ならあんたなんかでも組んだ方がマシよ!」
震える唇で言葉を出す。
あたしこそごめんだねっ!言葉に出さなくともあたしは思った。あたしはリーダーが助かる為の生贄にされたのだと気付いたから。
そしてあたしは完成した。
「…むぐう」
口に猿ぐつわをされ、言葉を奪われたあたしは小さな声で叫ぶことしか出来ない。
「…これでよし」
リーダーは一仕事終えた職人のように言い放って宣言する。
「さーーあ、ブタのようにおなきいいーーー!」
縛った時に余ったロープの端であたしの体を執拗にぶち始めた。
「きええええーーー!」と気合を入れた一振りがあたしの体に打ち込まれる。
あたしがぶたれる度に、クラスが笑いに包まれる。あたしは一仕事終えた余韻に浸ろうとしたがそれどころじゃない!苦しい、どんどん苦しくなっていく。
「ほほほほほほ…」
そんなことお構い無しにリーダーの折檻は続く。もはやこれはイジメだ。先生が来たら全力で止めるレベルの。
そんな時、ピエロ君が無言であたしに近づいてくる。
「…っ!」
あたしは待った。あたしを救ってくれる『王子様』の一言を。
もう、息も絶え絶えなあたしに向ってピエロ君が言った一言は残酷なものだった。
「とってもキレイだよ」
満面の笑みであたしにだけ聞こえるように耳打ちした。
その瞬間、あきらめというか何というか考えることがどうでもよくなったというか……たぶんこれが『絶望』っていうのかなと思えるほどドロッとしたタールのような黒いものがあたしの心の中を多い尽くして…あたしは発狂した。
「ブヒヒヒヒヒイーーー!」
絶叫に続ぐ絶叫、その子は何度も叫び続けた。全てを忘れ去ろうとただひたすらに。
そしてあたしの意識は笑いの場に落ちていった。
「っ!」
気付けば私は全力で机を叩いていた。ブー子の意識で笑いの場に落ちたはずなのに、なぜか放課後の教室に戻ってきていた。それにしても怒りが収まらない。
こいつらはなんだ?まるで笑いの場を維持するために捧げられる『供物』そのものじゃないかっ!
その手の痛みで私は理解した。
ピエロマスターが発したであろう周りにあった紫の煙を吸い込んでしまったからか、ブー子の記憶を覗いていたはずなのに、戻って来たと思ったら、もうすでにそこにはピエロマスターはいなかった。まるでタヌキに化かされたようだった。
激昂が収まらない私はピエロマスターがいた教室の端に向かって叫んだ。
「私達はあんたのオモチャじゃない!」
そこに丁度言いとしかいえないような悪意のあるタイミングで笑い声が重なった。
バカにするんじゃないわよ!
あんたたちなんかに私達は負けないわ!
「覚えてなさい!」
笑い声のするほうへ向って、おそらくいるであろうヤツを見据え、私はケンカを売った。