星の空と雲の海
Q:空を舞台にしたゲームなのに、なんで海の要素を持ち込んだのか
A:今回の話が最初に浮かんだから
本当に最初期の予定だと、主人公は海から離れるはずだったんですけどね……
「昨日も見たけど、あれが北斗七星。アリオト、メラク、ベネトナシュ、フェグダ、ミザール、ドゥーベ……あと一個なんだったかな」
「きゅー?」
目を覚ましたころにはすっかり夜。突発イベントもなく、普通に9時間を寝て飛ばしたので到着まであと6時間ほど。今は船体の下20メートルほどに広がる、見渡す限りの雲海の上を航行中。
俺はと言うと、シナトを抱きかかえてその温かさを感じつつ、右舷側の手すりに寄りかかって綺麗な月と満天の星空を眺めている。
昨日もこうして天体観測をしていたわけだけど、全然飽きない。現実だとド田舎でもなければ一等星や二等星くらいの明るい星しか見えないというのに、夜が暗いということを忘れさせるほどの無数の煌きが視界に広がっている。
ここまで多くの星が見えたら逆にどれがどれだかわかりにくいと思うものだけど、それがそうでもない。明るい星の輝きはより力強くなり、大気が汚れた現実世界でも見えるというそのパワーを大いに見せつけてくれる。昔のとある国では視力検査に使用されていたという死兆星アルコルもばっちりしっかり見える。死兆星って、日本だと見えたら死ぬんだっけか見えなくなったら死ぬんだっけか。
思い出すのは小さいころに見た、古いタイプのプラネタリウム。すでにAR技術の発展で手のひらサイズの天球を立体視できるような技術が出てきていた頃、親父がなんの気まぐれか天文科学館に連れて行ってくれたんだ。
まだ1、2歳だった優芽をどうしてもと言って俺が抱かせてもらいながら、座席に座って丸い天井に投影された星空を見上げた。線が星々を結ぶことで浮き上がった星座を呆けたように眺めながら、ヘラクレスだのオリオンだのと星座の解説に出てくる聞き慣れないギリシャ神話系の名前を半ば聞き流していた。今でならゲームでよく知ったものだけど、当時は全くわからない完全に異世界の話だったもんな。
あの時に感じた圧倒感をまさかゲームで、それも雲の上を航行する飛行船の甲板でカワウソを抱きながら再び味わうことになろうとは、人生わからないもんだ。
紅鮭丸には余計な照明もないのでなおさら月と星の明るさが際立ち、雲の上に出ているがゆえに遮るものなど真上に浮かぶバルーン以外に何もない。
そうして星空を見上げていたら、パシャっと小さな音が下の方から聞こえた。何だろうと思いつつ紅鮭丸の下に広がる雲を見ると、種類はわからないが空魚が数匹跳ねていた。
ということはこの下にある雲が空魚が生息しているという、海のような性質を持った雲の『海雲』か。サデナ島の説明文には付近が海雲の合流地点になっているとあったし、どんどん目的地に近づいて来てるんだな。
「見ろよシナト、俺たちが扱う(予定の)交易品が雲を泳いでるぞ」
「きゅー!」
上ばかり見ていて気付かなかったが、よく見れば遠く海雲の上に小さな光がぽつぽつと見える。特殊な設備がなければ海雲に乗ることはできないはずだから、あれはおそらくサデナ島を拠点にしているという漁船が夜の漁をしている光だろう。もしくは特殊な設備をつけて漁船プレイをしているプレイヤーかもしれないが。
パシャパシャと様々な空魚が跳ねて海雲から現れる。中には結構大きいのもいるな、今跳ねたのなんて80センチくらいあるんじゃないか?
おおお!さすがは空の魚だ、ジャンプした後スゴイ距離を滑空していったぞ、トビウオみたいだな。つーか空魚は距離の長い短いこそあれど全部飛べるらしいし、みんなトビウオの進化系みたいなもんか。
「ひょー、スゲー!バショウカジキみたいなのが猛スピードで飛び出ていったぞ!!ははは、こりゃあサデナ島が空魚漁の拠点になるわけだ!おうシナト、お魚島までもうちょっとだな!」
「きゅあ!」
シナトと2人ではしゃぎながら海雲を眺めていた時に、それは現れた。
何の前触れもなくズゴゴと大きな音を立てて、白い海が天へと突きあがった。逆巻く瀑布のように持ち上げられた膨大な海雲は、やがて重力に従って豪雨が如く降り注ぐ。
海雲が猛烈な勢いで天へと昇るという異常事態がすぐそばで起こったせいで、小さな紅鮭丸は激流に流される木の葉と同じく激しく揺れる。
とっさにシナトを強く抱き留め、手すりにしがみついて揺れに耐える。ともすれば船から放り出されるんじゃないかと思うほどに強烈な、船を縦に突き上げる動揺。
バルーンと船体を繋ぐワイヤーとロープが、急な縦揺れで撓みと緊張を繰り返しギシギシと嫌な音を立てた。木材で出来た船体自体も悲鳴のような軋みを上げる中で、シナトを庇いつつ何とかこらえた俺は顔を上げた。
20メートル下から紅鮭丸のバルーンを超える高さにまで海雲を突き上げたものは、白亜の巨壁。そして俺の視線の先には、こちらを見据えるひとつの大きな大きな瞳。ぎょろりと動いたそれと、目が合った。
それは大きさこそ違うものの、魂の故郷で見飽きるほどに見てきた瞳。
時には俺がその瞳の持ち主となり、また時には俺がその瞳の持ち主を狩ってきた。
視界を埋め尽くさんとする白壁の正体は雲色の体を持つ大鯨。海雲の中にある体を含めれば100メートルは下らないという、巨大すぎる勇魚。あまりにも雄大な、あまりにも立派なその姿に声を上げることもできない。
いまだ俺の乗る船は揺れに襲われ軋んでいるはずなのに、すべての音が消えた。時が止まったような静寂の中で、俺と白鯨はどれほどの間か見つめあった。
ふっ、と白鯨が目を閉じた。そしてゆっくりと巨体を前のめりに海雲へと倒し、水飛沫ならぬ雲飛沫を大量に巻き上げながら、最後には尾を高く高く振り上げて雲中へと消えていく。
はっと気づいて慌ててスクリーンショットを起動させ、完全に雲へ潜航する前の白鯨が掲げた、月明かりを反射して白く輝く大きな三日月の尾を写真に収めることができた。
鯨が完全に海雲に消えて世界に音が戻った途端、体から力が抜けた。シナトを抱きかかえたままぺたんと甲板に尻もちをつく。腕の中の相棒と、2人そろって白鯨が巻き上げた雲飛沫に濡らされながら呆けることしか出来ない。
「……は、ははは。おい、見たかシナト。やべぇな、この空にはスゲーやつがいるぞ」
「きゅ、きゅー……」
笑い声が引きつる。腰が抜けるし膝は笑うしで、まだ立てそうにない。腕を放すと、抱かれるがままだったシナトも脱力しきっているようで、そのままころんと甲板に転がった。
「俺たちのいるこの空には、あんなのいるのか……」
「きゅぅ……」
力なく項垂れる相棒の頭を撫でてやる。俺も初航海だけど、シナトなんてまだ生まれてすぐなんだ。あの邂逅で受けた衝撃は俺以上だっただろう。
まだ目に焼き付いている真っ白な巨体。もしも出現する場所がもう少しずれていたら、紅鮭丸はどうなっていたことか。予想していたよりもずっとずっと大きな存在との出会いに、体の震えは止まらない。
だが、その震えは決して怯えや恐怖から来るものだけではない。
「いきなりでビックリしたよな、船はヤバい音を鳴らすしめっちゃ揺れるしで怖かったよな。……でも、でもだ。あんな大物を扱えたら、それってすごいことだと思わないか?」
「きゅう?」
「想像してみろよ、俺たちがこれから何度も繰り返す交易の果てに手に入れた、大きくて立派な飛行船を」
「きゅ」
「その時には、今はまだほとんど真っ白な俺の航路図はたくさんの島で埋められてるんだ。お前は体も大きくなって風読みも上手くなっててさ。大きくなった船いっぱいに積んだ魚が、島の市場を溢れさすんだ」
「きゅぅ……!」
「それで、またあの鯨に出逢った時にこう言ってやるんだ。『どうだ、俺たちはおまえに負けないくらい立派になっただろう?』ってな」
巨大飛行船の船首に立った俺の傍らに、大きく成長したシナトが並び立つところを想像する。
空島の絵でいっぱいになった航路図を開いて、俺が指差した島までの風の航路をシナトが的確に読んでくれる。いい風に乗った飛行船が滑るように進み、雲間を通り抜けると海雲が一面に広がる。そして視界いっぱいの白い海原に注意深く目を凝らしていると、ぶしゅーっと高く潮が吹かれるんだ。
それを見た俺とシナトは顔を見合わせてニヤリと笑って、船の針路をそっちに向ける。ほどなくして潮吹きがされた場所に到着したら、またあの白亜の巨体が勢いよくせりあがってくる。
でも今度は揺れも軋みもしなくなった飛行船に、あの鯨の目は戸惑いに泳ぐ。そして俺とシナトは仁王立ちしてその目をじぃーーーっと見据えてやった後に、渾身のドヤ顔をかましてやるんだ。
「よーし、やるぞ、やってやる!あの鯨が目ん玉ひん剥いて泡吹いてぶっ倒れるような、ド級の船を造ってやるぞ!見てろよ、いつかお前を樽に詰めて冷凍して、空島の皆様の食卓へと美味しく提供させて頂くからな!赤信号印の空魚はいつも新鮮です!お安く卸させて頂きますのでどうぞご贔屓に!!」
「きゅあ、きゅあー!!」
揺れが収まった紅鮭丸の舷側で、満天の星空と月明かりに見守られながら、俺とシナトは大きく誓いの咆哮を上げた。
この後点検したけど、幸いにも空鯨との遭遇で故障や破損した場所は無かった。船体を吊っているワイヤーやロープも千切れたものはなかったし、船体も修理が必要なほどダメージを受けてはいなかった。
良かった……所持金200Gしかないのに修理が必要とか言われたら、青に金を無心する全力の土下座メールを出さなければならないところだった……。
そうだよ鯨だよ。空をゆったり泳ぐ鯨っていいよね……
青くて広いくらいしか共通点がないのにどうしてこうも空と海は親和性が高いんでしょうか。
今回の白鯨との邂逅は、航行中に起きるイベントの1つです。広大な海雲の上を航行していると、かなりの低確率で発生するレアイベントです。これを初航海で引いてしまうあたりが赤信号が主人公たるゆえんと言えばいいのか、海産物同士は引き合うとでも言えばいいのか……




