母と
「母親と話してみないか?」
次の日の夕方、またペンギンの提案だ。過去二回そうだったように意味のないことは簡単にわかった。あの母親が僕に話しかけてくれたことは一度だってない。僕に向けた言葉はなにもないんだ。
「父親のことは気にならないのか?」
聞いた所でなにも話してくれないさ。
「しつこく聞いてみろよ。話してくれるかもしれないだろ」
僕はしばらく考えてみる。僕があの日屋上にいたことは間違いじゃないことを証明しようと思った。母親はリビングにいる。ちょうどいい。話しかけてみよう。これが最後の会話だ。会話とは呼ばないか。最後の独り言をしにリビングへ向かった。
母親はまたソファーでテレビを見ていた。こちらに背を向けた状態だ。なんて言おうか。自分の父親のことを聞くなんて久しぶりだ。考えたこともなかった。離婚をしたにしてもなんでこの母親が親権を持ったのかも疑問だった。僕と話したくないなら父親に譲ればよかったのに。
「母さん。聞きたいことがあるんだけど」
当然の無視。母親はテレビを眺めていた。いつもなら用件を言ってそれで終わりだけど今回は母親が話してくれるまで粘り続ける。何度も呼びかけたけど返事はなかった。僕は移動してわざと母親とテレビの間に入りこむ。これなら動かなければテレビは見れない。これならさすがに動くだろうと思ったが母親はテレビがある方向を一心に見つめているだけだった。まるで僕がいないかのように。そう思った瞬間。また僕が薄くなった気がした。テレビの間に入って何度も呼びかける。だけど微塵も反応がなかった。本当に僕を認識していないんだ。
僕はいままでやったことのないことをしようと思った。母親に触れる。触れたらきっと母親もなにかしらの反応を示してくれるはずだ。母親の肩に手を触れて前後へ揺する。母さん、母さんと何度も呼びかけながら。
「なに?」
母親の一言。初めて母親から言葉を貰った。不機嫌な感じはない。無機質に、事務的な心のない言葉。目は僕を見ていた。それだけでも僕はうれしかった。いままで声は聞いたことはあっても僕に向けてくれた言葉はなかったから。
「聞きたいことがあるんだ。なんで母さんはいつも僕を無視するの? 僕の父親はいったいどこにいったの?」
抱えていた疑問二つ。二つ目は小さいころはすごく気になったが今となってはささいなこと。母さんはなぜ僕を無視し続けるのか。これを聞いてみたかった。僕は悪いことはしていない。そもそも接触してなかったのだから悪いことをしようがない。不快なことをするはずがないのだ。
母親は死んだ目で僕を見つめている。全て見えるはずなのにまるでなにも見えていないような。瞬間に盲目になってしまったような目。そして母親はゆっくりと口を開いた。
「あんたはね。お母さんが勝手に持って帰ってきただけなの」
なにを言っているのかまったく意味がわからなかった。母親の母ってことはおばあちゃんが……。勝手に拾ってきた? じゃあ僕は……。
「だからあんたはここの子供じゃないわけ。父親はわからないし、ましてや母親も誰なのかわかないってこと。母が勝手に持って帰ってきて養子として迎え入れちゃったから、仕方なくうちに居続けさせているだけ。迷惑なの。勝手に親権を与えられて勝手に養わなくてはいけないんだから」
母親が淡々と言った。生きているのか死んでいるのか。僕に言っているのかどうかもわからない。だけどその言葉は心に重く突き刺さる。僕は母親の肩から手を離した。今度は僕が死んだような目で部屋へ戻った。もうリビングには居られなかった。母親は母親ではなかった。そうか。僕は本当に誰からも必要とされてなかったんだ。僕は要らない子供なんだ。おばあちゃんが拾ってきたってことは僕が外とか養護施設かそういうところに落ちていたってこと。産みの親からも捨てられて、あそこにいる人からも捨てられて、友達と思っていたやつらからも突き放されて、クラスのやつらからも捨てられた。僕はこの世界で居場所がなくなった。
もう寝よう。明日は死ぬ日だ。朝すぐに学校の屋上へ行って……。僕にははじめからなにもなかったんだ。
ご覧くださりありがとうございます。
そろそろ終わりですので、最後までお付き合いください。




