第九章 夢と酔っ払い
第九章 夢と酔っ払い
前期テストも終わり、1年の後半戦が始まった気だるい暑さの続くある日、いつものように僕は授業の合間に部室へ向かっていた。
「お前の血は何色だーーー!!!」
部室から聞きなれた奇声が聞こえてきた。
ガチャッ
「こんちわー。」
「あ、草野くん。」
部室には夏樹ちゃんとレナ先輩が座っていて、窓辺には嘆きうずくまっている木村がいた。
「どうしたの、木村のヤツ。今日も相変わらずハイテンションでうるさいけど。」
「うん、ほら、木村くんの好きなチュトロベリーチョコが床に落ちてるでしょ?さっき食べようとしたらハエが止まったの。そのショックで彼いわく、地獄の業火に焼かれるより熱く苦しくなったんだって。」
「あぁ、それで外に向かって吼えてるんだね。そこの道を通る学生たちには、この部は近寄りがたい変人の集まり部に決定しちゃってること間違いなしだ。」
「くーさーのー!何を呑気に話してる?指令だ。悪の王ベルゼブブを生け捕りにするのだ。僕様の宝玉を魔に染め上げやがった。全身の血という血を抜いて首をさらしてくれるわっ!」
「おいおい、ハエの血なんて見たことないし、どこからが首だよ。そこの宝玉、ちゃんとゴミ箱に捨てておけよ。」
「ふっふっふっ、ベルゼブブよ、貴様には今まで味わったことのないような絶望を与えてやろうではないか。イフリートの業火で焼かれたいか?それともラムウの雷に撃たれたいか?簡単には殺してやらぬぞーーーー!!!」
「木村くん木村くん、悪の王ですが、レナ先輩の殺虫剤的絶望によって虫の息です。」
「なにぃ!?よくやった大天使ガブリレナ。」
プシュー
「あああああぁ!止めてぇ!僕様は虫じゃないですぅ!殺虫剤かけないでぇ!あ、でも見方によっては僕様はレナ先輩にまとわり付く悪い虫。てへっ♪」
プシュー
「あああああぁ!冗談ですぅ、もう言いませんですぅ!」
「ふぅ。これ以上変なこと言うと殺虫剤では済まさないから。」
「うむ。よかろう。それはそうとレナくん。悪の王を倒した褒美に椅子の下方に安置された宝玉をぐわむっ!うぐっ!うぼわあああああ!」
レナ先輩が椅子の下の宝玉を主の口に放り込み、どうやら木村はあまりの嬉しさにトイレに走っていったようだ。
レナ先輩も手を洗うために部室から出て行ってしまい、部屋には僕と夏樹ちゃんだけになった。
『あのっ』
2人の声がかぶってしまった。少し気まずい雰囲気。
「何、夏樹ちゃん?」
「んん、なんでもないよ。前期のテストどうだったのかなって思って。」
「ははは。なんとか20確保できたってところかな?夏樹ちゃんは?」
「あたしは28とれたよ。木村くんはどうだったのかなぁ?」
「あぁ、アイツは6単位だよ。」
「たったの6!?嘘でしょ!?」
「いやホント。僕もびっくりしたよ。出席だけでとれるような授業2つで4単位、と言っても代返で取りやがったけどね。それと僕と一緒に受けたテストでとった2単位だけ。その2単位もびっくりするような取り方だよ?テスト前夜に僕の家にいきなりテスト勉強だって無断侵入し、結局いつもの調子で意味の不明な時間を過ごしてテスト本番。開始10分前に僕のノートで要点だけチェックして、法律と相対性理論だったか量子力学だったか、よくわからないところを結びつけて、なんとテスト用紙の裏面まで論文をびっしり書いてAだったみたい。僕はCでギリギリ通過だったってのにさ。」
「あはははっ!さすが木村くんね。でもなんで他のテストはダメだったのかな?受けてたのって3講座だけじゃないでしょ?」
「うん、20講座くらい登録してたと思うよ。まあ理由はよく知らないけど、ハンデだって言ってたよ。」
そこへ噂の主が何事もなかったかのように戻ってきた。
「やあやあレナ先輩も照れ屋さんだなぁ。バレンタインデーはまだ先なのに、僕様のお口に直接愛を届けるなんて♪待ちきれなかったんだね!」
なんて前向きなバカ野郎なんだ。ここまで来ると本物としか言いようがないな。
「ところで草野に夏樹よ、土曜は暇か?暇じゃなくても僕様に付き合うがよい。飯でも行こうじゃないか僕様の、この僕様の奢りで。」
「どうした木村、やけに気前がいいじゃないか。僕は大丈夫だよ。夏樹ちゃんは?」
「あたしも大丈夫。どこ行く?」
「では駅前の”ほんわか”に19時集合だ。遅れたら月に代わっておしおきだ。」
意味不明な言葉を残し木村は去っていった。どうやらレナ先輩から受けた愛のダメージが消えないらしい。
そして土曜、僕は集合場所に向かった。まだ夏の熱気が去ろうとしない9月の中旬。少しずつ日が暮れるのが早くなってきたように感じる。
ちょっと時間が早かったけど、店に入って2人の到着を待とうとしたとき木村から電話があった。
『くーさのーっ!すまんが風邪を引く予定なので僕様は欠席ちゃんでよろしく。』
「ちょっ、待っ」
プツッ ツーツーツー
どういうことだよ。電話は掛け直しても不通だし、風邪を引く予定って元気な声だったじゃないか。まさかアイツ・・・
僕は店に入って予約を確認すると、木村の名前で2名となっていた。あの野郎、最初からそういうつもりだったのか。
レベル4の僕がこの状況で応用が利くと思ってんのか!今2人で食事という、大学の前期テストを遥かに超える難題が迫ってきた僕。せめて予習をさせてください!
とそこに夏樹ちゃんがやってきた。
「ごめん、遅くなっちゃった。・・・あれ?木村くんはまだ?」
木村との食事の予定で気合いを入れてきたのか、いつもより可愛く見える。ミニスカートから覗く絶対領域から目が離せない。
「あっ、木村なんだけど、さっき電話があってさ、用事で行けなくなったって一方的に切られたよ。ホント勝手だよアイツは。」
「そっか。」
一瞬だけさびしそうな表情でつぶやくと、いつもの笑顔に戻った夏樹ちゃんは、まるで僕に気を使うかのように振舞いだした。
「じゃあ2人で飲も飲も!木村くんが奢ってくれるって言ってたんだから請求書は木村くん宛だ!」
「ははははっ!そうだね、せっかくだしいっぱい食べてやろうよ。」
そして、僕たちの仕組まれたディナーの幕開けとなった。
木村への愚痴から始まり、部活のことなどいつものように他愛のない会話が続いていた。
「そうそう、草野くんさぁ、もう少し気をつけた方がいいよぉ?」
「ん?何を?木村のこと?」
「違うよぉ、女の子を見るときの視線。わかんない?し・せ・ん。」
「夏樹ちゃん、もう酔ってる?少しペース早いんじゃないか?」
「らいじょうぶ、これくらい平気。それより視線だよぉ。あたしがお店入ってきたとき、上から下までジーっと見てたでしょぉ?目の動きって案外相手に筒抜けなんだよぉ?」
うぐっ!?なんてお恥ずかしいご指摘!
「あのっ、それはつまり夏樹ちゃんが可愛いなぁって思って。」
「あははははっ!もぉ草野くんエローい。実は太ももフェチでしょぉ?視線がそこで止まってたように思いますが、いかがでしょう軍曹?」
「なんか木村みたいなしゃべり方になってるよ?確かにちょっと、その、そうです太もも見ちゃいました。ごめんなさい。」
「正直でよろしい。いい教訓になりましたね。視線は相手に読まれるんだよ?ではここで問題です。今あたしは草野くんのどこを見ているのでしょう?」
夏樹ちゃんがじっと僕を見ている。これはいかん。目が少しとろんと溶ろけ、頬は薄っすらと赤く、唇はピンクに濡れている。木村風に言えば、僕のニュートンが万有引力に逆らって上を向いちゃいそうだ。落ち着け草野、そしてニュートン。ここで超常現象を起こしてはいけない。
「ねぇ、早くしてよぉ。」
おぅっ!なんだかエロス!
「ちょ、ちょっと待って、照れるよ。うーん、目、だよね?」
「ぶっぶー!不正解でーす!正解は右目でしたぁ!」
「目やん!正解やん!」
「夏樹はそれじゃ満足できないのぉ。」
「夏樹ちゃん、かなり酔ってきてるよね?」
「んんー、そうかなぁ。」
グラスが空になるペースがかなり早い。この機会に木村のことを聞いてしまおうか。それとも僕の気持ちをそれとなく意識してもらおうか。そんなことを考えていると夏樹ちゃんから話題を振ってきた。
「木村くんってさあ、結局水島先輩のこと好きなのかなぁ。レナ先輩にもよく絡んでいくよね。でもあたしに対して木村くんが話したりする内容って、2人の先輩とはニュアンスが違うんだよね。なんていうか、女性じゃなくて友達としてのオトボケっていうのかな。なんでだろ。あたしは木村くんにとって女性に見られてないのかな。魅力ないのかなぁ。」
「そんなことないよ、夏樹ちゃんは可愛いよ。木村はあんな性格だからさ、うまく言えないけど、その場が面白かったらいいって理念で行動してるんじゃないかな?本当に好きとかそうじゃないとか、そういうのって見せないんじゃない?夏樹ちゃんの魅力は僕が保証するよ。僕はその、好きだよ。」
言っちゃったよぉ!勢い余って勇気百倍、って意味わからん。とにかくつい出ちゃったよ!あぁ、1秒が長い!心臓が暴れて息が苦しい。
夏樹ちゃんはちょっと驚いた表情になったけど、すぐに笑顔に戻って”ありがとう”とだけ言ってくれた。
あーあ、なんかかわされちゃったな。やっぱり友達フラグは簡単には外せないか。
少しの沈黙のあと、いつもの日常的な話題に戻ってしまい、僕の気持ちはモヤモヤしたままとなってしまった。フラれるわけでもなく、不完全燃焼。いっそフラれて傷ついた方がよかったとさえ思えるようなフラストレーションがみぞおちの辺りに残っている。それを流し込もうとモスコミュールを飲み干して見るが、やっぱりスッキリしない。
夏樹ちゃんはやっぱり木村のことが好きで、僕は友達なんだろう。でも僕はこれくらいで諦めたりしない。悔しいけど木村を見ていたらこれくらいなんてことないように思えてくる。非常に不服だけどね。
明日にはneo草野ver1.03として再び燃焼してやるぞ!この寝顔を朝まで見るために。ん?
「寝てるしっ!!」
どうする草野。こんなシチュエーションは教科書で習ったことありませんぞ?応用編ですか?それともこれは何かの間違いか?夢か?仕組まれた罠か?
さて、そろそろこの難題を解決しようか。
①無理やり起こす。
②起きるまで待つ。
③持ってかえ・・・いや、僕には無理だ。
④ちゅーする。
おっ!?我ながら名案だ。普通④だよな?普通だっけ?でも④って数字はいい数字だしな。うん、④にしよう。
「お客さーん、そろそろ食べ物のラストオーダーですがご注文ございますかぁ?」
「あ、冷たい水を2杯お願いします。」
あぁ、そうです。ヘタレです。それってザ・僕。ザ・ヘタレな僕。時刻は10時半をまわったところ。11時半が閉店時間なので、電車の時間もあるしそろそろ起こさないと。この寝顔を写メに撮るくらいはいいよな。決してストーカーとか変態行為じゃない。ただのイタズラだ。そう、イタズラなのです。
パシャ・・・パシャ・・・パシャ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「夏樹ちゃん、そろそろお店出ようか。ほら、お水。」
とグラスをピンクのホッペにむにゅっと押し付ける。
「ひゃん!」
眠そうに目をこすりながらゆっくり顔を上げる夏樹ちゃん。ぽへーっとしてて小動物みたいだ。
「あ・・・寝ちゃってたのか。ごめんね。何時ぃ?」
「もうすぐ11時になりますよ、お姫様。」
「えっ!あぁ、もうそんな時間かぁ。じゃあ出よっか。」
お会計を済ませて外に出る。まだ風は少し暖かいけど、夜空を見ると季節が変わってきたように感じる。
「くーさのー。おんぶぅ。」
「夏樹ちゃん飲みすぎだよ。大丈夫?駅まで歩ける?」
「もぉ歩けないぃ。おんぶぅ。」
やばいぞ草野、またしても難題が出題された。今度はいけるよな、草野拓斗。頑張れ僕!
①冗談として流して駅まで連れて行く。
②本当におんぶしちゃう。
③本当におんぶしちゃったうえで持ってかえ・・・
④ちゅーする。
やっぱり④って数字はいい数字だよなぁ。しかしこの場合はいかがなものか。
普通に考えるとやっぱり①ですかねぇ。どう思う?って誰に聞いてんだ僕。
「はーやーくーしーろーよー。」
あぁ、なんだか木村がいるみたいだ。
「うわっ!」
「さぁ!しゅっぱーっつ!」
夏樹ちゃんが背中に乗ってきて強制おんぶとなった。これはレベルの低い僕にはラッキーとしか言いようがない。こんな経験したことあるか?いや、ない。皆無だ。ありがとうお酒の力。
うぬ。意外と重いぞ。しかしここで涼しい顔をして男らしく力強さをアピールすることが、唯一今の僕のレベルで可能なスキルだ!
僕もアルコールが入っているせいで少し足元が頼りないが、この状況で失敗するわけにはいかない。あぁ、近いはずの駅の入り口がなんて遠くに見えるんだ。時間も時間なのであまり人の出入りはなくなっている。そもそもこの駅は学生以外の利用はあまり多くない。
「こらこら草野ぉ、どこに行く気なのだぁ?」
「どこって駅だよ。決まってるだろ?」
「学校へ行くぞぉ!部室へ向かうのだ!」
「無茶言うなよ、こんな時間に開いてるわけないじゃん。」
「なんだよぉぷーっ!」
駅に向かって歩く僕。揺れるたびに夏樹ちゃんの髪からシャンプーの甘い香りがする。背中から伝わる温もり。耳にかかる吐息がくすぐったい。そして掌に伝わるこの感触、考えると、あぁ、これはヤバイ。掌に汗をかいてしまう。
「草野くん、いつもありがと。」
「ん?何もしてないよ。何もしてあげられてないよ、僕は。」
「草野くんが優しいからつい甘えちゃうんだ。ダメだね。でもエロい視線は気をつけろよぉ。わかるんだからなぁ。」
「はい。すいませんでした。」
「今も変なこと考えてるんじゃないのかね?」
「んなっ!?考えてないよ。考えてない。嘘ですすいません。ドキドキしてますごめんなさい。」
遠くに見えた駅も歩き出すとすぐに到着してしまった。もう少しこうしていたかった。
「ありがと。こっからは自分で歩くよ。」
そう言って背中から降りた夏樹ちゃんがふいに僕に近づき・・・
ちゅぷっ
「じゃあね。草野くんも気をつけて帰るんだぞぉ。」
おぼつかない足取りで改札を抜け階段を下りていく夏樹ちゃんを僕はただ見つめていた。
初めてのキスはオレンジ・ブロッサムの味がした。




