第三章 恋は突然に
第三章 恋は突然に
入部からの一週間、僕は部室には行かず、学校にも行かなかった。別に部活を避けていたわけではなく、用事があり実家に帰っていたからだ。
水島先輩にはそのことは伝えていたが、木村には必要ないだろうと何も言っていない。そして木村から28回の着信と48件のメールが残されていた。特に用件はないのだろう。メールの内容が暇つぶしとしか思えないものばかりだったから返信もしていない。大学生活が始まったばかりとはいえ、連絡をしてくる人間が木村だけという現実は今の僕には虚無感しか与えてくれない。
実家は海が近い田舎の町。大阪のような巨大なビル群はなく、どこまでも青い空が広がり、空をさえぎるのは新緑の山々だけ。名前も知らない鳥たちが優雅に滑空し、太陽が沈んだら辺り一面真っ暗になる。時間の流れも遅く、自然と呼べる場所しかない。自然が豊かという聞こえのいい言葉で包み込んだ、ただの田舎だ。
大阪の大学を選んだのは都会に憧れがあったから。まあ偏差値的にも選べるほどじゃないんだけど。
とにかくずっと希望していた都会での生活が始まったものの、理想と現実はほど遠く、都会の街での遊び方もわからず、そういった付き合いのできる友人も出来なくて、僕は早くも滅入っていた。そんな時に親戚の不幸があり帰ってきた。改めて田舎がいいなんて思わないが、気分転換に長めの帰省にしてみた。
はぁ、また携帯電話の着信が鳴っている。どうせまた木村だろうと画面を見ると水島先輩だった。
「はい、草野です。」
『あ、ごめんね。帰省しているんだよね?歓迎会の日程を決めたいんだけど、いつ大阪に戻ってくるのかなって。』
「明後日には戻る予定です。すいません、僕のせいで予定が遅れてしまって。」
『大丈夫だよ。それより木村くんが発狂しているわよ、草野くんがいないから。』
そういって笑う水島先輩。発狂してるってどういうことだよ。帰る予定を延ばそうかな・・・
『くーさーのぉー、どーして僕様のコールで出ないのだぁー・・・』
水島先輩の電話越しに呪いの言葉が聞こえたような気がしたので用件を済ませて電話を切った。
2日後、部室を訪れた僕を待っていたのは社会的抹殺という現実だった。
「よう、おかえり、お尋ね者くん。」
「は?どういうことでしょう武田先輩。」
「知らないのも無理ないか、なんといっても当事者だからね。でも君は少し迂闊だったんじゃないかな?」
読んでいた本を閉じ、何やらニヤニヤしながらしゃべり始めた武田先輩。不安がよぎる。
「だからどういうことなんでしょうか。」
「いや、君が木村くんに黙って帰省したもんだから、木村くんが君を探し回ってたのは知っているよね?電話はつながらない、メールは返ってこない、そこで木村くんがとった行動は恐るべき手段だったんだよ。」
もう考えたくない。木村という人物は、たかが一週間ほど遊び相手が不在だっただけで、ただそれだけで恐ろしい事件を引き起こすことができる人物だったことを思い出し、今更ながらに後悔していた。
「どんな方法をとったか知らないけど、ほら、授業の休講とか知らせるエントランスの掲示板あるだろ?あそこの鍵を開けて君の顔写真入りの『この人を探しています』というチラシを貼ったんだよ、懸賞金10円付きでね。まあ安心したまえ、その日の午後には撤去されていたよ。」
クックックッ、と愉快そうに笑う武田先輩。そりゃあなたには他人事でしょうよ、このメガネめっ!僕は学生だけでなく先生方にまで無意味に顔を宣伝しちゃったんですよ!
そうか・・・だから部室へ来る途中で複数の視線を感じたのか。あれは僕への憐れみの視線だったんだね、泣いちゃいそうだよ。
あぁ、某ゴルゴさんに木村のコメカミを狙撃してもらいたい、メガネ先輩もろとも。
さあ、そこへ悪魔の登場だ。最悪としか言いようがない。
「くーさーのーっ!心配したぞこの野郎!どこの世界まで行っていたんだよぉ。僕様を置いて行くなんて薄情じゃないかよぉ。おかげで僕様の体重200グラムくらい減っちゃったんだぞぉ。」
と頬を膨らませる木村。女子がして可愛いしぐさをお前がする権利はないはずだ。くそぉ、小学生の頃にもう少しカメハメ波の練習をしておけばよかった。
「あれぇ?どうした草野?なんだか目がウルウルンだぞ。そうかそうか、そんなに僕様との再会が感激の嵐で渦巻きなんだね。僕様も乳首を長くして待っていた甲斐があるってもんですよ。」
今なら本当にカメハメ波が撃てそうだ。気をためるんだ孫草野!
とそこへ部室のドアが開き、水島先輩に連れられた天使が迷い込んできた(ように見えた)。
その迷える天使は泣き出しちゃいそうな僕に爽やかな自己紹介をしてくれた。
「あっ、こんにちは。草野さんですよね?初めまして須藤夏樹です。」
一目で僕が草野さんであることを見抜いた理由は考えたくもない。
「木村くんからお話は聞いています。あと”アストライア”の『本日の特別メニュー』に顔写真が載ってましたよ、51円で。」
とクスクス笑っている。
木村くーーーん!!!ちょっとやりすぎじゃないのかーい!
今の僕の表情は果たしてどんな形相をしていたのだろう。しかし、ごめんね、と罪もないのに可愛く謝ってくれた須藤さんに免じて許してやらんでもない。
落ち着いた茶色のボブカット、唇がプルっと震えそうなみずみずしいピンク。美人というジャンルではないが、なんとも愛らしい顔だ。身長は160センチくらいかな?フリルの付いた長めのスカートに、デニムのジャケットを合わせている。これが甘辛コーデってヤツなのか!
っとこちらも自己紹介をしないと。
「初めまして、草野拓斗です。」
って普通ー!ボキャブラリーが貧弱な僕っ!
「よろしくねっ!」
と微笑んだ須藤さんの瞳は僕の時間を根こそぎ奪ってしまった。周囲の音が、特に木村の声が聞こえなくなり、僕だけが世界から取り残されたように場面が移り変わる。心臓の鼓動だけが体を揺らし、指さえ動かず言葉も出てこない。ああ、なんてベタなんだろう。これが一目惚れっていうんだろうなぁ。
その後、遠征していた意識が戻った僕も含め少々雑談したが、内容はほとんど覚えていない。衝撃的な出会いの記憶が強すぎて今日の記憶をすべて上書きしていく。
須藤さんは少し雑談した後すぐに授業に戻っていったので、ある意味では幸いだった。
僕は恋に落ちた。きっと周りが恥ずかしくなるくらい、恋に落ちた瞬間を体現したんだろう。先輩たちにもこれからいじられるんだろうな。木村にはエクスカリバーで対抗してやる。
その日の帰り道、駅まで木村と歩いた。珍しく僕から木村を誘った。どうしても聞いておきたいことがあったからだ。
「どうやって須藤さんを言語研究会に入部させたんだ?」
「おやおや草野軍曹、やはり夏樹に惚れたか?」
「なっ、夏樹って、呼び捨て!?」
「ふっふっふっ、そんなことはどうでもいいのだよ軍曹。あの反応じゃ僕様のイーグルアイを持っていなくても誰でも気付く。草野はわかりやすいなぁ。ますます気に入っちゃいましたよっ!」
「そういう木村だって水島先輩目当てで入部したんじゃないのか。」
ついにエクスカリバーを振りかざしてやったぞ、どうだ、一刀両断だっ!
「当たり前だろう?何を今更。安心しろ、僕様はすでに水島先輩に愛の言葉まで伝えてある。」
僕がエクスカリバーだと思っていたものはただのガラクタだったようだ。
「それで、水島先輩にフラれたのか?」
「貴様っ!勝手な想像で僕様を陵辱したなっ!言葉のレイプだっ!だがしかし残念ながらこればかりは反論できないな。はぐらかされてしまったよ。しかーし!僕様の愛の言葉を聞いた水島先輩の恥ずかしそうな表情、僕様の放った愛の矢は水島ハートに確実に届いているはずなのだよ!」
木村先輩かっけぇー・・・なんてポジティブ、なんて行動力、ある意味というか真正のバカなんだが、ここまでくるとすごい。
「それはそうと草野軍曹。」
「軍曹はそろそろ止めにしてくれないか木村総督。」
「うむ、よかろう。僕様の水島先輩陥落計画のために手足として、いや足の小指の爪のアカとして働くというならなっ!」
「働くかよっ!なんで僕がそんな恐ろしい計画に加担しないといけなんだよ、しかも限定的な爪の垢として。」
「いいのかな草野。僕様が君のあまぁい恋路を放置すると思っているのかい?目の前にチョコレートブラウニーが置いてあるのに放置するOLがいると思っているのかい?」
こんな時、どんな言葉を発すればいいのでしょうか。誰かっ、誰か助けてくださいっ!
自己中心的な木村の世界の中心で愛(?)を叫ぶ草野くんです。
水島先輩陥落計画 下請け決定




