第269話 観光客が来た時の事
あのキャンプから一ヶ月、ある程度日差しも和らぎ、そろそろ秋口かなーと思っていた頃、スズランとラッテのお腹がかなり目立ってきた。
「あ、動いた」
「こっちも結構動きとか感じるよー」
俺はそんな会話をニコニコとしながら聞き、春の少し前からなんか夜のお誘いが急に激しくなったから、スズランはそろそろ二十四週目辺りかなーとか、簡単に逆算してみた。
ラッテも一ヶ月くらい遅れてからかなりせがんで来たし、二十週目とかか? まぁ、二人共年越ししてからが出産かな? その時までわからないけど。早ければスズランは年越し前後か……。まぁ、心構えだけはしておこう。
「んじゃ、仕事に行ってくるよ」
俺は麦茶を飲み干し、カップを洗っておいてと言って、裏口から執務室に入って色々な書類を書き始める。洗い物? もちろん俺がしましたよ。朝食後の少しゆったりした時間に、お茶飲んでただけだし。
そして、ある程度の時間になったらウルレさんに声をかけ、セレナイトのガラス工房に様子を少しだけ見に行く。
んー。工程表とかないけど、大体予定通りかな? 麦の刈り入れ頃には完成しそう。そう思いつつ、邪魔になるので声はかけずに遠くから作業を見ていたが、なんか滅茶苦茶怪しい男が一人、作業場中の職人達を見ている。服装自体は一般人だが、なんか辺りをキョロキョロとしてるし、かなり目立つ。
そろそろクリームを作って百日くらいだっけ? 色々動きだすとしたら遅いくらいか。
まぁ、害はまだないけど、嗅ぎ付けるまではそろそろって所だな。カルツァの領地がどのくらいあって、大小合わせてどの程度の町村があるかは知らないけど、アクアマリンのシール貼ってあるし、噂を知ってれば直ぐに来るわな。
ビゾンに町の噂を聞くまでもないけど、あいつにもクリーム渡してるからなぁ。やっちまったなぁ……。アクアマリンがどこにあるかを知らなくても、絶対に噂は流れてるよなぁ。まぁ、後悔しても仕方ない。
一回クラヴァッテの子供のパーティーに出てるのも、身割れする噂が流れるには十分か?
まぁ、考えたって仕方ない。とりあえず特徴だけでも覚えて……。特徴がなさ過ぎてどうしたらいいかわからない……。
なんか頭に耳もなければ、肌に特徴がある訳でもない。尻尾もないし、髪の色も栗色で人族とも言えない。何とも言えないなー。
さすがに相手も馬鹿じゃないよなぁ。けど今回は疑わしきを罰する訳にもいかないし、島に戻ったら各所に警戒だけする様に言うしかできないな。
幸いにも犬系魔族を各村に一人移動してもらって、歩哨狼とかは配備済だから、船から抜け出してどこかに潜んでたらわかるだろ。
まぁ、そう簡単に島に乗り込んでくる馬鹿じゃない事を祈ろう。俺も噂が出回ってて、特徴で代表兼魔王って知ってれば、一発でばれる見た目だからな。さっさと引き上げるか。
俺は蒸留所から島に転移し、各村の村長と北川にセレナイトの事を口頭で伝え、一周してからキースの所に行くと、狼がお客様に吠えていた。
「申し訳ありません。まだ訓練中なものでして……。あれ、お客様。観光ですか?」
俺は商人の船がない事と、定期船だけ停泊している事を確認し、ニコニコと言った。かなりきな臭いけど、ガラス工房を見ていた奴みたいに挙動不審な感じはない。そして特徴らしい特徴もない。
「えぇそうなんです。ベリル酒作りを見学したくて」
「そうだったんですか。ではご案内しますので、自分の後ろに付いて来て下さい」
そして観光客の死角にいるキースが狼を指さし、自分の口を指してから人差し指をクロスさせてバツ印を作ったので、俺は親指を軽く上げておいた。多分だけど狼が嘘を言っていると言いたいんだろう。さっきアオアオって変な鳴き声を出してたし。
犬って人の感情とかわかるらしいし、なんか物質が出ててそれでわかるとかなんとか。ガンとかと糖尿病を発見できたりするしなー。こいつは嘘をついている臭いだぜ? ってか?
「あーそうだ。お客様の部屋を掃除しておいて欲しいって言っておいてくれ」
俺はキースの名前を一応出さずに言い、言われた通り工場見学っぽい事をし、試飲もさせて村を自由に見て回っても良いと言っておいた。
そして救いと言えば、定期船は第一村のある湾に停まる事と、容器がないから今日はクリーム作りの作業をさせていない事だ。
そしてウルレさんにもう一度声をかけ、今度はフルールさんの鉢植えを持ってカルツァの屋敷まで転移する。
本人がいなくても、鉢植えだけを預ければ良いって考えだ。
そして門番に声をかけ、本人がいるって事なので、かなり緊急性の高い内容だと伝えると、よく話し合いをしている部屋の窓からカルツァが顔を出して、仕草でこっちに来いとした。なので小走りで玄関に向かうと、丁度メイドさんがドアを開けてくれ、そのまま部屋まで直行した。
「無作法で申し訳ありません。早速本題です。今までクリームに関する事で何人処理しました?」
俺は座ってフルールさんの鉢植えを置きながら言った。
「そろそろ二十人ってところかしら。なにせ私の所に優先的に売ってくれないかしら? ってのが多くなってきたところよ。そっちにも来たのかしら?」
カルツァは今まで見た事もないような表情で、疲れたように言い、飲みかけのお茶にわざとらしく砂糖を足した。
爵位とかで断れないとか、派閥が色々あるんだろうなぁ。貴族って大変だな。
「えぇ。今まで来た事のない観光客が一人。そして鼻の良い優秀な部下が、その事を嘘と言っていたので、今は島の中で泳がせています」
「そう。なら判断と基準、その場合の処理は任せるわ。上手くやってちょうだい」
「えぇ、もちろん。そっちに送ったスパイが戻ってきてないんだけど、何か知らない? って言ってくる奴はいないでしょうし。あ、それと何かあればこちらの花に喋りかけて下さい。島に自生してる同じ花が、全て同じ個体のアルラウネとなっておりますので、手紙よりは早いです。フルールさん、ちょっといいですか?」
「なによ? また島じゃない場所なのね」
「えぇ、最近訪ねる事が多いですし、お互い多忙の身ですので。連絡手段が手紙だと遅いですし、俺が訪ねてもいないと無駄足なので。申し訳ありませんが、ここの屋敷にも一鉢置かせてください」
「貴方、この女の事が嫌いなんでしょ? なのになんで渡すのよ」
「嫌いでしたが、今じゃ好きでもありません。普通です。なので問題はありません」
そういえば事務所で靴ペロの事を喋ったから、一応フルールさんも、俺とカルツァがどういう関係かも知ってるんだよな。
「ちょっと。本人の前で嫌いだとか好きだとか、言わないでくれない? 仕事仲間としては失格よ?」
俺とフルールさんが少し話していたら、横からカルツァが突っ込みを入れてきた。うん、たしかにそうだね。失礼だね。
「仕事仲間だと思ってくれているとは光栄です。てっきり税金を取っていくだけだと思っていましたが、今後はそういう関係でよろしいのでしょうか?」
少しだけ皮肉を言ってみた。これでどう言葉が帰って来るかだな。
「ふんっ、いまさらでしょ? 領地に住んでる者の相談に乗らないのは、どうかと思うわ。それにこんな危険な物を、私一人で抱え込む気にもなれないわ」
「素晴らしい建前と、本音をどうもありがとうございます。では今後は一応仕事仲間って事で……」
「そうね。一応それでいいわ」
俺が嫌らしく笑うと、カルツァも同じような顔で言い返してきた。お互い利用する感じか。まぁ、実際そうなんだけどね。
カルツァが、多少のリスクを分散してくれるだけでありがたい。こっちは赤字にならない程度に生産して、島民に不自由な思いをさせなければ良いだけだ。それでも人気があるから、どんどん生産数上げてるんだけどね。
「では、こちらの判断で全てやって良いという事で……。お時間をいただきありがとうございました、では失礼しますね」
俺が立ち上がると、メイドさんがお茶を持って入って来てしまったので、飲んでから帰る事にした。締まらないなー。
俺は転移で島に戻り、とりあえず普段は絶対に置かないフルールさんの鉢植えを、お客様用の家の居間や寝室に置いておく。そして普通に仕事をして、食後の第四村も一応断って執務室で仕事をした。
そして夜になり、いつもの黒の戦闘服に着替え待機しておく。
「フルールさん。なにか独り言とか怪しい行動ってしてませんか?」
「流石に独り言はないわね。あと食事は普通に食べてたわよ?」
「そうですか……。動きだしたら報告をお願いします」
「はいはい。そこまで心配しなくても、ちゃんと報告するわよ」
「カーム君そわそわし過ぎ。ちょっと落ち着いたらー?」
「はい、お茶」
ラッテに注意され、スズランは麦茶を淹れてくれた。まぁ、確かにちょっと落ち着きがない気がするけど、なんかスパイ的なのがいるって思うとなぁ。
とりあえず深呼吸し、平然を装ってお茶を飲んで待機する。
「今回で二回目だっけ? 前回は人族だったけど。カームは魔族を殺せるの?」
「あ、それ思ったー。何かあってもおっぱいに顔を埋めるだけだから、こっちとしてはいいんだけどねー」
「気軽に言わないでよ。殺しってのは結構心に来るんだから。それと、最前線の時に、魔法で何人か巻き込んだかもしれないし。広範囲だったし、直接殺してはないからそこまで罪悪感はなかったけどさ……」
俺はカップを両手で持ち、傾けたり、回したりして底に沈んだオリを浮かせたりする。どうしても落ち着かない。
深夜になり、スズランとラッテには寝てもらっているが、まだ動きはない。そして結局朝になってしまった。
「おはよー」
「おはよー……って、今まで起きてたの!? ちょっと、寝てないのに仕事するの?」
朝食を作り、起きて来たラッテに挨拶をし、戦闘服のままだったのでちょっと叱られた。まぁ、そうだよね……。
「ちょっとだけ交易所に顔出して、昼まで寝かせてもらうー。それから勇者と今後の相談。んじゃ、少し早いけどスズランも起こすかぁー」
そして朝食を終わらせ、着替えてからウルレさんに挨拶をして、訳を話してから家に戻って寝る事にした。
そして昼になったら起こされ、半目のまま昼食を食べてゆっくりと頭を覚醒させていく。
「第四村に行って、北川と対策の話をしてくる」
「気をつけて」「いってらっしゃーい」
二人に見送られ、転移をして北川に昨日の事を相談した。
「で、こっちに来た理由はスパイはこっちで好きにして良いと。んー、問題は判断基準をどこに置くかだよな……」
北川は腕を組んで、眉にに皺を寄せながらそんな事を言った。
「真夜中に起きてたのは、コーヒーだかチョコの時に、人族が村を見て回ったり家探ししてたからな。今回もその手の物だと思ってたが、もしかしたら今回は偵察だけで、定期船が来るか、商人の船が来たら帰るかもしれない」
「数回に分ける慎重派か。で、その女貴族様はどんな基準で、スパイを処理してるか聞いて来なかったのか?」
「あぁ、こっちに任せるって言ったからな。一応こっちは元が付くが日本人だ。海外の某特殊機関とかの基準とかは本当に知らないし、第二次世界大戦前後の、旧日本軍とかは疑わしきは罰するっていうのは、なんか船がそのまま過去に行った漫画でしか知らん」
「コイツをCICから叩き出せ。って奴だな。確かに俺達の世代の日本基準じゃ無理だな。それこそ魔女裁判だ。魔女と認めるまで拷問し続けるのはスマートじゃない。深夜に動いてからでいいんじゃないか?」
拷問し続けて、認めたら殺して、認めるまで拷問し続けて死ぬの違いだからなぁ。あの時代は本当に理不尽だ。
「真夜中に抜け出して空き家とか、工房を調べる感じか? 確かにその方が俺達には良いのかもしれない。前に殺した奴もそれが決め手だったし」
「ならその辺りを基準だな。酒場もなければ、エロ目的の店もなし。ちゃんとした宿屋もないんじゃなぁ」
「まだ観光に手を回す余裕がないんだ。最初期の予定では観光優先だったけどな。まずは人口とか色々だ。まぁ、落ち着いたらそういうのも要検討。目標は各村人口百人超えたらかな」
俺はため息を吐きながら立ち上がり、ゆっくりと腰を伸ばす。
「一応夜中は黒い服で寝て、フルールさんが何か言ってきたら即行動ってな感じで動くさ。悪いけど奴が帰るまでは、第一村で大人しく執務をしてる奴を演じるぞ」
「あぁ。んじゃしばらくはこっちに来ないって事でいいな?」
「そうだ。一応普通の恰好で仕事してる体で。変に動くと警戒してるのが丸わかりだし、寝室や居間に鉢植えを置くのも、某国のホテルっぽく、盗聴器を仕掛けてるみたいで嫌なんだけどな」
「なんだよそれ。そんな事があったのか?」
「あぁ、あったらしい。某国の国外の人向けのホテルに盗聴器があって、その国の悪口を言うと、専門の機関が入って来て拘束。某国では観光客が、右手を四十五度上げて写真を撮ったら、実刑一年」
「あー。前半はわからないが、後半は挙手しないで指を上げる国だな」
「そうだ。話は逸れたが、とりあえず今回は落ち着くまでは製造方法って言うより、材料の秘匿だな。しばらくは観光客が増えると思うが、取り合えずの判断基準はその辺が落としどころだろう。誰か勇者で、対スパイに詳しい人いないか?」
「普通いねぇだろ? いても極々少数だ」
「だよなぁ。公安とか諜報関係じゃない限りは、一般人はほぼ無縁だよな」
俺達は海岸付近で、腕を組みながらボソボソと話し合い、とりあえず落としどころを見つけ、最悪今育ててる部隊の教材として、持って来る事を言っておいた。
時間にして十分はかからなかったが、俺が第一村にいないと怪しまれそうなのでさっさと帰り、フルールさんに観光客の事を聞いたら、少し前までナンパしてて、今は湾内で気持ちよさそうに泳いでると、パルマさんが変化して言ってきた。
本当に観光してるんじゃないか? と思えてきたわ……。
スパイって目立つ事しないんじゃなかったのか? けど観光って言ってるし、そのくらいは……。わかんね! 午前中にできなかった書類処理しておくか。
◇
二日後。人族側の大陸から魔族側の大陸に行く船が来て、自称観光客を名乗る男は、それに乗って帰って行った。
本当に怪しい行動はせずに、俺が急遽交易所に置いたラム酒、キャメルミルク石鹸やコーヒー豆を、お土産として展示したら買ったくらいだ。本当にスパイかどうか、疑いたくなるくらい観光客してた。
「あーなんかすんげぇ疲れた」
「狼達も全員、嘘ついてる臭いって言ってたんだけどなぁ」
「三日間とも夜中は来客用の家から出なかったわよ? 買ったばかりのお酒を飲んでたくらいかしら?」
観光客が帰ってから執務室にキースが来たので、少し愚痴ってみたが、狼達は観光目的じゃないと言ってたらしいし、フルールさんも夜中の外室はなかったと……。
「あーもう。本当何なんだよアイツ! このままだと気苦労がぁー」
「もういいんじゃねぇか? 普通に寝てて、フルールが反応してからで。これから来るスパイ共全員に、気を配ってたら絶対体壊すぞ?」
「あぁ、次からそうするよ。次がいつかはわからないけどね。一定の線引きして、それを越えなきゃ手荒な事はしないって、勇者との話し合いでも決めたから、夜中はもう警戒しないで寝るわ。狼は夜行性だから、最悪勝手に歩き回ってる時に見つけたら、吠えてって言っておいてくれ」
俺はガリガリとカロリーバーを齧り、お茶で流し込んで無理矢理糖分を摂取して疲れをとる事にした。
「その様子だとかなり参ってるな」
「あぁ、この三日は熟睡できなかったわ。本当いい経験させてもらったわー、あんなのが当たり前になってきたら、貴族も気に留めなくなるか、事が起こる前の線引きが緩いはずだわ」
俺はため息を吐きながら、お茶に少し多く蜂蜜を入れて飲み干した。
「んじゃ、今日も残り半分頑張りますか!」
俺はそう言って立ち上がり、第四村に移動する準備を始めると、キースが片手を軽く上げて執務室から出て行ったので、軽く俺も手を上げてから転移をした。




