M-009 ヴァルキューレ
【カチート】の障壁の中でなら安心して眠れる。
生憎と私は覚える機会は無かったが、私達のパーティではリードさんとキャシーさんが使えるからありがたい話だ。
でないと、誰かが常に焚き火の番をしなければならない。
ぐっすりと眠っていた私が、不意に目を覚ました。
誰かにジッと見詰められているような感じだったけど、上半身を起こして月明かりの荒地を見渡したのだが、何も見つけられなかった。
すっかり目を覚ました私は、焚き火から離れて置かれていたポットからカップにお茶を注いで飲む事にした。まだ空は真っ暗だ。2つの半月がぼんやりと辺りを照らしている。
ふと、再び視線を感じてそちらに顔を向ける。
誰かがこちらに歩いてきているようなんだけど……、脚の動きが感じられない。荒地の上を滑るように近付いてきた。
皆を起こそうとして、「あっ!」と大声を上げた。
焚き火の傍には誰もいない。私1人だったのだ。
周囲には【カチート】の障壁も無くなったのだろうか。お婆ちゃんのグルカの柄をそっと掴んで、近寄ってくる人影を見据えた。
それは女性だった。優しげな目で私を見ている。まるで、私を知っているようだが、私には誰かが分からなかった。
「案ずるでない。ここは我が作った心象世界。実際のお前は夢の中じゃ。お前が旅立ったのを知って少し協力してやろうと思ったのじゃ」
そう言うと、私の前に座りパイプを取り出して焚き火で火を点けた。
「失礼ですが、何方でしょうか? 私を知っておられるようですが、私は貴方を知らないんです」
「知る分けがない。お前が生まれる前に我は既にこの世のものでは無くなっておる。じゃが、カラメル族の力で魂魄はこの世に留まっておる。ちょっとした行き違いで本来渡すべき者に渡すのを忘れてこのような始末じゃ」
そう言って苦笑いをしている。
歳は20歳前後だろうか。ハンターのようないでたちをしているけど、背中に背負っているのは長剣だ。筋肉質にも見えないんだけど、その姿で最後の時を迎えた亡霊なのだろうか?
「幽霊ではないぞ。我はアテーナイ。肉体は遙か彼方のアトレイム、サマルカンドの町にある蒼の神殿の地下墓所にあるはずじゃ」
「お婆ちゃんが、良く話してくれるモスレムの元お妃様ですか?」
「いかにも、ミーア達とはだいぶ一緒に生活したものじゃ。ミーナとは暮らした事は無いが、ミーアの孫であるなら、我も無下にはできぬ。我がお前を鍛えてやろうぞ!」
ちょっと待って、お婆ちゃんの話を思い出してみた。
確か……。
『兄様の強さは半端ではなかった。テーバイ戦では5千人の敵兵を前に1人で立ったとまで言われているのよ。それでも、ディー姉様やマキナの人達は兄様を越えるかも知れないわ。兄様がよく言ってたから……。そうそう、兄様を越える人と言えば、サーシャちゃんのお祖母さんは別格だったわ。既になくなったから、貴方は知らないけれど、兄様と試合をして引き分けたのよ。それも長らく患った後でね……』
人間族では最強なんじゃない!
そんな人が私に教えてくれるなんて……。
「何をぶつぶつ言っておる。このままではミーナはこのパーティの足手纏いは確実じゃ。心象世界とは言え、そこでの経験は実世界に繋がる。早速始めるぞ!」
お婆ちゃんの話ではアテーナイ様は銀4つ。王族である事からそれ以上にレベルをあげることができないらしい。
それに引換え、私のレベルは赤の4つだ。習う価値は十分にあるんだけど……。威圧が半端じゃないんだよね。
それでも、グルカを抜いてアテーナイ様に向かって構えた。
「フム……。構えから直さねばならぬな」
そう言うと、私の傍に来て両足と両腕の位置を変えた。
「足は爪先で立つのじゃ。どちらの足にも同じように体重を掛けるのじゃ。そうすれば一瞬で体重移動により体の向きを変えることが出来る。
グルカは小指で握るのじゃ。相手に叩きつける寸前に人差し指に力を入れればよい。もう片方の腕も遊んでいてはいかんぞ。婿殿は鎧通しを握っておったが、採取ナイフでもよかろう。……そうじゃ。敵が飛び込んでくれば、採取ナイフと言えども立派な武器になろう」
それからしばらくは体さばきを教えて貰う。いかに相手の攻撃を避けて攻撃を繰り出すか……。しばらく続けると、アテーナイ様が教えてくれた構えの意味が理解できてきた。
いかに早く反撃を繰り出すか。あの構えは敵の攻撃を待って攻撃に転じる構えだったのだ。
「クロスボウはミーアが教えた筈じゃ。攻撃はクロスボウでもよいが防御となると剣が良いぞ。ネコ族の血を色濃く継いでおるなら長剣は無理じゃろうが、グルカであれば申し分ないはずじゃ」
何時間か過ぎて、再び焚き火を前に私達は座った。お茶のカップを渡すと、美味しそうに飲んでいる。
「ミーアの血を継いでおるから、覚えは良いようじゃ。ヴォルテンにはまだ人に教える事はできそうもない。たまにやってくるぞ。それまでは先程の練習をしっかりしておくのじゃ」
そうってお茶のカップを置くと、アテーナイ様の姿が段々と薄れていく。
私も少し疲れたようだ。確かここはアテーナイ様の心象世界だと言っていた。ここで眠れば、起きた時には皆の所に戻れるかも知れないな。
ふと、目を覚ます。
ガバッ! と跳ね起きて周囲を眺めた。
「どうした? 悪い夢でも見たのか。今日は歩かずにここで休むからのんびりしていてもだいじょうぶだぞ」
リードさんが、そんな私に声を掛けてくれた。
「不思議な夢を見たんで……」
そう答えると、久しぶりに泉の水で顔を洗う。いつもは【フーター】のお湯だけど、朝の洗顔はやっぱり水がいいな。
焚き火に戻って来ると、キャシーさんが朝食のスープと平たいパンを渡してくれた。皆は既に朝食を終えたようだ。
ヴォルテンさん達はパイプを咥え、キャシーさんは毛皮の上で足のマッサージをしている。
「それで、どんな夢なの? お母様は夢には不思議な力があると言っていたわ」
私が朝食を終えるのを待っていたかのようにキャシーさんがたずねてきた。
「若いお姉さんがやってきて、構えと体の動かし方、それにグルカの使い方を教えてくれたの」
「それは、おもしろい夢だな。そこで少し演舞をしてみるがいい」
リードさんの言い付けで、軽く構えから体の動き、そしてグルカを振るった。あれだけ練習したんだもの、体も軽く動く。
だけど、私を見ていた2人の口からパイプが落ちた。
「グルカ2級?」
「それ以上かも知れん。……ミーナよ。お前に教えてくれた娘は名乗らなかったのか?」
「名乗ったの。でも……、信じられないの。だって、アテーナイだよ!」
「なんだと!」
ヴォルテンさんが大声を上げた。
その後は、3人とも焚き火傍で黙ったままだ。私はちょっと気後れしながら、自分の席に着いた。
「アテーナイと名乗ったのだな?」
念を押すようにリードさんが聞いてきたので私は黙って頷いた。
「アテーナイ様って?」
「俺の母はオーロラと言う名だ。その母はアルト様、そしてアルト様の母がアテーナイという名なんだ。俺の生まれる前に亡くなったが、あのアキト様をして俺より強いと言わしめた女傑だよ。隠退した後はネウサナトラムでアキト様達と暮らしていたらしい」
「とんでもないお方が味方についてくれたな。アテーナイ様が剣を教えたものは2人ともそれなりに名を上げているぞ」
「だけど、夢の中でいくら練習しても強くはなれないわ」
「アテーナイ様は我の心象世界だと言ってた」
「まて。心象世界と言ったのだな? それもアテーナイ様の!」
「どういうことだ?」
「どうもこうも無い。心象世界であれば話が違う。そこでの経験は現実世界に繋がるのだ。アキト様はカラメル族の戦士や長老と何度も心象世界で試合をして不思議な技を得る事ができたと言われている。ミーナが心象世界でアテーナイ様の教えを受けたのなら、それは現実世界でも使えるのだ」
「だが、アテーナイ様は既に亡くなっているんだぞ!」
「聞いた事があります。カラメル族は死しても魂をこの世に残す事ができる。エルフの隠れ里の長老は、その亡骸に自らの魂を残すと……。アテーナイ様も何らかの方法で魂をこの世に残しているのではないでしょうか?」
魂だけが心象世界を作れるのだろうか?
私でもできるの? 今度あったら聞いてみよう。また直ぐに合えそうな気がするもの。
「それなら、子孫の俺のところに来て欲しいものだ」
「赤4つでは……。と思って来てくれたのだろう。お前は鍛えても仕方が無いと思われてるのかも知れんぞ」
そう言っておもしろそうな顔をしてヴォルテンさんを見ている。
「ちぇっ……。まあ、確かに我が道を行くという人だったらしいからな」
ヴォルテンさんはそんな事を言ってるけど、私にはいい人に思えるな。きっとミーアお婆ちゃんも大好きだったに違いないと思う。
そんな事があったけど、オアシスで2日の休みを取って私達は歩き出した。
先は長いけど、アテーナイ様に戦い方を教えて貰えるのが分かってちょっと嬉しくなる。なんとなく足取りも軽く感じられる。
そんな思いで歩いていると、不意に何かを感じた。
慌てて、リードさんの歩みを止めて、その気配を探る。
「左前方から何かが近付いてます!」
私の言葉に、ヴォルテンさんが双眼鏡をバッグから持ち出して、私の告げた方角を確認している。
「サルだ。あれは戦士タイプだな。2体がこっちにやって来るぞ!」
「いや、3体だ。後ろの奴は魔術師タイプだな。あの岩陰に隠れるんだ!」
私達は姿勢を低くしてリードさんの指差した岩陰に隠れた。6D(1.8m)位の岩だけど、見つかって無いだろうか?
「見付かったか?」
「イヤ、まだのようだ。ミーナの勘に感謝だな。だが、こちらに近づいている事は確かだ。場合によっては一戦せねばなるまい」
戦うにしてもまだ間がある。
ヴォルテンさんが簡単にサルとの戦い方を教えてくれた。
それによると、サルの頭に付いている頭は寄生種らしい。本当の頭はお腹にあると教えてくれた。
「戦士のサルを殺るのは厄介だ。あの腹に付いてるお面のような板を割らねばならない。それ以外は砂と樹脂で体毛をヨロイのようにしているから長剣でも刃が立たないぞ」
それでも、戦士2人はリードさん達が引き受けると言っていた。私は後ろの魔術師が担当だ。クロスボウなら木の板ぐらいは打ち抜けるからね。キャシーさんは【メル】で戦士を攻撃すると言っていた。
「俺の合図を待つんだぞ!」
ヴォルテンさんはそう言って、彼らの近付く姿を見ている。
私は弦を引いて、最初のボルトをセットした。