M-002 リムお婆ちゃん
晩春の夜空に月が上がってきた。
2つの月がまるで双子のように寄り添っているのがゴーグルを通して見える。
まだまだ肌寒い季節なんだけど、お婆ちゃんに貰った革の上下は暖かく身を包んでくれる。
頭に被った革の帽子はぴったりと頭に張り付いて耳だけが露出している。
お婆ちゃんの鞍の後ろに何度か乗せてもらったけど、ガルパスってホントに不思議な生物だと思う。動きが鈍そうな亀なんだけど、このように自在に動かせるなんて……。
サナトラムの町が遠くに見えたとき、不意にチロルの動きが鈍くなって停止した。
私の意識が悲しみに染まり始める……。
お婆ちゃんが亡くなったんだ……。
私は直ぐに理解した。お婆ちゃんとチロルの意識は深いところで繋がっているようだ。チロルの慟哭が私にも伝わってくる。私はチロルの甲羅を優しく撫でた。
「チロル……、悲しいのは判るわ。でもね、私達の寿命はガルパスの貴方より遥かに短いの。お婆ちゃんは幸せだったと思うわ。だって、何時も貴方がいたから……。あの、スマトル大戦も貴方と一緒だからお婆ちゃんは頑張れたんだと私は思ってる」
チロルの慟哭が無くなり、深い悲しみだけが残った。
やがて、静かにゆっくりと進路を北東に取って進みだした
チロルの悲しみは消えないけれど、進む速度は少しずつ増してきた。
何時の間にか街道を山に向かって進んでいる。
この街道はノーランドへの街道だ。
段々と空が白み始めると、チロルは街道脇の休憩所に滑り込むようにして止まる。
ここで休憩なのかしら。
私はバッグからお弁当を取り出すと、モシャモシャと食べ始める。
チロルが首を伸ばして鞍のバッグを見ていので、中を覗いてみると、そこには球形の野菜が半分に切られて入っていた。
チロルもお腹が空いたのかもしれない。私は、その半分になった野菜をチロルの前に持っていくと、首を伸ばして食べ始めた。
きっと、ネウサナトラムに度々行っていたんだと思う。この休憩所はその時に必ず立ち寄る場所だったに違いない。
連合王国は6つ国から構成されている。私が暮らしていたエントラムズ王国の東にはモスレム王国とテーバイ王国がある。北にはカナトール共和国、南にはサーミスト王国があるし、西にはアトレイム王国がある。
そんな沢山の王国をお婆ちゃん達は縦横無尽に移動して連合王国を作ったのだ。
戦いの話は一度も話してくれなかったけど、各国を廻って色んな狩りをしたことは良く話してくれた。
その中に出てくる2人の女性と1人の男性。ミズキ姉さんとディーねえさん。それにアキト兄さんだ。単にお兄さんと呼ぶ時もある。
その3人と同じくハンターのマキナチームが一緒になって旅に出たらしい。
連合王国の頂点に立つと言われるようなハンターが、いったい何のために旅に出たのだろう?
お婆ちゃんはその真相が判らなかったようだ。リムお婆ちゃんなら知っているのだろうか?
それは明日には判るだろう。サーシャお婆ちゃんが、私なら探せるかも知れないと言った訳も教えて貰えるかもしれない。
ギョエー……と鳴く野鳥の声で目が覚めた。
ちろちろと燃える焚火を前に、チロルを背にして何時しか眠ってしまったようだ。
焚火を掻き立てて、改めてお茶を沸かす。
干し魚を炙って朝食にした。昼過ぎにはネウサナトラムの村に着けるだろう。今夜は宿に泊まれそうだ。
焚火の後始末をしてチロルの背に乗ると一目散に山の坂道を上って行く。チロルにとっては良く知った道なんだろうな。
石畳の街道を峠に向かって上っていくと、左手に山を切り開いた道が見えてきた。分岐点に立っている道標には左ネウサナトラムの文字が書かれている。
私を乗せたチロルは、何の躊躇もなく左にカーブして尾根を廻る道を進んで行く。
大きく尾根を廻ると村が見えてくる。
村と言うよりも。町以上の大きさだ。遥か先のこの道の終点には石造りの門まで見える。北には丸い金属製のドームのような屋根を持った建物があり、まるでガラスで作ったような建物が2つ立っている。民家はログハウスのようだが石造りの2階建ての建物が何戸か見える。
この村には連合王国の王族の別荘があると聞いていたが、たぶんあれがそうなのかも知れないな。
「止まれ! 亀兵隊ではないようだな。ハンターがガルパスに乗るのも無くはないが……。この村に何用だ?」
虹色の鱗のある皮で飾られた革よろいを着た門番さんが私の通行を止める。
「お婆ちゃんの言い付けでリムお婆ちゃんに合いに来ました」
「お婆ちゃんとは?」
「ミーア・パロンです」
私の言葉を聞くと直ぐに私の目の前に交差させた槍を引く。
「月姫様の孫娘殿か! リム様はご在宅だ。場所は分かるな?」
私は、ちょっと驚いて頷いた。王国が違ってもお婆ちゃんの二つ名が知られているなんて……。
門番さんに頭を下げてチロルを村の中に進めると、大きなロータリーにが現れた。西と北に通りが伸びている。
チロルはゆっくりした歩みで西の通りを進んで行く。
何軒かの石造りの立派な建物を過ぎると通りの右手には林が続き、左手にはログハウス風の民家が並び始めた。
そんな通りの片隅に場違いのような感じでぽつんと石像が立っていた。高さ4D(120cm)程の石像だが、その脇には林の中に続く石畳の道がある。
チロルは躊躇いも無く林の小道に入っていった。100D(30m)近く進むと突然前方が開けて湖が顔を出した。
石畳の広場の片隅には高さ15D(4.5m)程の1本の木が緑の葉を茂らせている。その近くにガルパスの10倍程もある亀が鎮座しているが、どうやら本物ではないようだ。
反対側に小さな石造りの家がある。その扉の前でチロルは止まる。
ここが、リムお婆ちゃんの家なんだろうか?
チロルから降りると、チロルは私をおいて林の小道を進んで行く。どこに向かうか分からないけど、チロルがこの村に立寄った時に訪れる場所があるみたいだ。
2段程の階段を上って扉を叩く。
「だれにゃ? ここはヨイマチ一族の家にゃ」
「ミーナといいます。ミーアお婆ちゃんの言い付けでリムお婆ちゃんを訊ねてきました」
私の答えを聞いて直ぐに扉が開かれた。
ネコ族のお姉さんは、典型的なハンター装束だ。「こっちにゃ!」と言いながら私を大きなテーブルに案内してくれた。
「大きくなったわね。どうぞ座って。……それで、どうしたのかしら? 急に私を訪ねて来るなんて」
私を見詰めるリムお婆ちゃんは何時も通りの優しい目をしている。ミーアお婆ちゃんと違って数歳も違わないのに若々しい顔だ。ハーフエルフの血を色濃く残しているんだろうか?
私は兄弟で1人だけネコ族の特徴を持っている。それと同じような感じなのかもしれない。
「実は……」と、ミーアお婆ちゃんの残した言葉をリムお婆ちゃんに伝えた。
お姉さんが私達に用意してくれたお茶を飲みながら、話を続ける。
「昨日、連絡が届いたわ。これで残ったのは私1人になってしまった。アルト姉様もいるけれど、私達とは一緒にならないことを祈っている。
でも……、やはり……、そうなんでしょうね。ミーアちゃんはいつもアキト兄様のことを話していた」
ぽつりぽつりと、リムお婆ちゃんが昔を思い出すように呟いている。
「50年程前は、この家に6人が暮らしていた。何時までも一緒に暮らせると思っていたけど、10年にも未たない年月だったわ。いつも楽しく暮らしていたわ。大きな戦もしたし、長い旅もしたけれど、ちゃんとここに戻って来れた」
そう言って溜息をつく。
この小さな家でサーシャお婆ちゃんやミーアお婆ちゃんは暮らしていたんだ。
「そんな日が続くと思っていたけど、30年程前に兄様達は旅に出たわ。私達も行きたかったけど、兄様はガンとしてそれを拒んだの。4カ国の王族が見守る中、兄様達は同じハンター仲間の「マキナ」というチームと一緒に出掛けたのよ。何度か連絡はあったけどミーアちゃんの子供の結婚を伝えたのが最後かしら……」
ようやく、ミーアお婆ちゃんが私をここに向かわせた訳が理解できた。
リムお婆ちゃんはミーアお婆ちゃんのお兄さんが向かった場所を知っているということなんだ。
「私は、お婆ちゃんがアキト兄様と呼ぶ人達に合いたいんです。向かった先を教えて頂けませんか?」
私の問いに、しばらく目を伏せて考えているようだ。
私のお母さんが嫁いだのは30年も前の話だ。リムお婆ちゃんが知っている場所から更に移動しているかもしれない。
でも、ちょっとおかしな話ではある。連合王国は東西に長い版図を持っているけど、ハンターなら当然その町や村のギルドで管理される。連絡がつかない筈がないのだ。
「サーシャちゃんが言ってたわ。『探せるとしたらミーナ位のものじゃ!』ってね。そう言うことなのね。でも、探すのは簡単ではないのよ。仲間がいればいいんだけど……。ちょっと待ちなさい」
狩りをしなくとも腰には幅広のベルトをしている。その腰にあるバッグから四角い箱を取出して何やら始めた。あれって通信機だと思う。ミーアお婆ちゃんの部屋で見たことがある。沢山の通信器が互いに通信を遣り取りするから、連合王国内では簡単に連絡が出来るの、と教えてもらった。
チカチカと光が瞬くのをリムお婆ちゃんが眺めている。
それが止った時、私に顔を向けた。
「直ぐに知らせてくるとは思うんだけど……。ところで、ミーナちゃんは兄様達はどこにいると思っているのかしら?」
「そこが疑問なんです。連合王国内であれば通信機で連絡が取れる筈です。更に遠距離でもバビロンの科学で通信できるとお婆ちゃんから聞きました。それに、ハンターであれば必ずギルドの管理下にある筈です。……そうなると、連合王国の外、しかも何らかの原因で通信機が使えない場所ということになります」
リムお婆ちゃんは、私の話をうんうんと相槌を打って聞いている。何時の間にかネコ族のお姉さんはリムお婆ちゃんの隣に腰を下ろしていた。
「なるほどね。その答えはかなり正確だわ。アキト兄様の最後の通信は……、ちょっと待ってね」
今度はバッグの中から大きな巻物を取出した。
「地図の見方は出来るかしら?」
その問いに私が頷いたところで、巻物をテーブルに広げた。
ミーアお婆ちゃんが持ってた地図よりも縮尺が大きい。ユグドラシルやエルフの里、それに東の端にはコンロンの文字が見える。
「ここが最後の通信地点よ」
リムお婆ちゃんが指差した場所は、テーバイ王国から東に500kmも離れた山岳地帯だった。
思わずリムお婆ちゃんの顔を見上げてしまう。
「何かの異変に気が付いたのかも知れないわ。当時の私達は夫や子供がいたから、連れて行ってもらえなかったのかも知れない。未だに帰ってこられないんだから何かがあるんでしょうね……」
「この辺りにいるのでしょうか?」
「それは分からないわ。7人とも旅なれているから更に先に向かったのかも知れない。でもね、マキナのフラウさんの話では、遠くであっても通信は可能だったらしいわ。となると……」
「通信機が使えない場所ってことになりますね」
私の答えを聞いて笑みを浮かべる。
だが、問題は距離だ。遥か彼方の未知の土地になる。赤4つの私で、果たして行けるんだろうか?
通信機に光が点る。チカチカと瞬いているのをジッとリムお婆ちゃんが眺めていた。
「ヴォルテンがやって来るわ。明後日になるそうだから、この家に泊まって、この村で準備を整えなさい。準備は私も協力してあげるわ」
私は改めてリムお婆ちゃんに頭を下げた。
夕食は、大きなお魚の串焼きだった。家の直ぐ裏の湖で釣れるらしい。王都では滅多に食べられないから美味しく頂いた。
「ここがミーアちゃんとサーシャちゃんが暮らしていた部屋よ。調度は当時のまま。あのクロスボウはミーアちゃんがアキト兄様に作ってもらった品よ。素人細工だから無骨だけど、ずっとここに飾っていたの」
ミーアお婆ちゃんが寝ていたベッドに腰を下ろすと、今にも部屋の扉がバタンと開かれて2人の女の子が入ってきそうな気がするな。
リムお婆ちゃんは隣の部屋にいるそうだ。昔からの部屋はやはり落ち着くのかも知れない。