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君のこと、うたにしよう

作者: かちゃ
掲載日:2007/10/30

「健ちゃん、食後のコーヒー淹れようか?」

 わたしがそう言って振り向いたら、彼はもうぴったりとヘッドフォンをつけ、ギターを手にして曲作りをはじめていた。

「もう! いつもそうなんだから」

 わたしはやつ当たりするみたいに、ガチャガチャと音を立ててお皿やコップを洗う。


 わたしはどこにでもあるセルフカフェの店員で、健ちゃんはたくさんの人に愛されるミュージシャンだ。

ミュージシャンといったって別に、TVの歌番組に出たり、CDショップに新譜がどっさり積み上げられるほどの有名アーティストじゃないけれど、健ちゃんの音楽を待っている人はたくさんいるのだ。

そのおかげで彼は、大好きなスモークサーモン入りのサンドウィッチを頬張ることができる。

ま、サンドウィッチは毎日わたしが心をこめて作ってるんだけど。


 ぽつん。

 ガラスのサーバーの中に、コーヒー液のつぶが落ちていく。

健ちゃんは、丁寧にハンドドリップをしたコーヒーが大好きだ。

だからわたしは、親戚のやっている喫茶店になんども通って、おいしい淹れ方を教えてもらった。

わたしが健ちゃんの音楽を聴いたとき、すごくほっとするのと同じように、健ちゃんにも優しい一息を入れてほしかった。

だからわたしは、少しでもおいしいコーヒーが淹れられるようになりたい。

「健ちゃん」

わたしがマグカップを手にして声をかけても、ヘッドフォンの向こうにある彼の耳には届かない。

「コーヒー、ここに置いとくね」

 わたしは灰皿のとなりにマグカップを置いた。


 ぼとん。

 コーヒー液がたっぷりしみ込んで、ぷっくりとこげ茶色にふくれた吸殻を、生ゴミ入れに落とした。

なんだか立っているのもつらくて、わたしは台所の床にしゃがみこむ。

健ちゃんは、わたしが淹れたコーヒーに気づいてくれなかった。

わたしにとっては思いがたっぷりこもったコーヒーでも、健ちゃんにとってはそのへんにある灰皿とかわらない。

コーヒーの一杯ぐらいで、彼の心を和ませることができるなんて思ったわたしが情けなかった。

なんで、こんなちっぽけなことで泣いてるんだろう。



 つぎの日の深夜、わたしはセルフカフェのレジに立っていた。

いつもなら、うちでコーヒーを淹れている時間。毎日少しでも健ちゃんといっしょにいたくて、これまでは残業を頼まれてもことわっていた。

カフェは時間帯によって、くるくるとその表情を変える。

毎日のようにここで働いているのに、今日、はじめてそのことに気がついた。

仕事を終えたサラリーマンのおじさんが、ネクタイを緩めてくつろいでいる。OL風の女の子たちが、終わらないおしゃべりを楽しんでいる。

昼間のお客さんは、枝でひと休みする小鳥のように忙しく帰ってしまうけれど、真夜中のお客さんは、うちへ帰ってきたみたいにゆっくりと時を楽しんでいる。

わたしが注いだ一杯のコーヒーで、たくさんの人が和んでくれる。

いつの間にか、健ちゃんのことだけで頭がいっぱいのつまらない女になっていたんだなって、いまさらだけど思った。

つぎつぎと訪れるお客さんに、『おかえりなさい』って言いたい気持ちで、わたしはあいさつをして頭を下げた。


「いらっしゃいませ」

 わたしが頭を上げると、そこに健ちゃんが立っていた。

ぐしゃぐしゃに乱れた髪で、背中にギターケースを提げている。

「健ちゃん」

 彼は返事もしないで、怒った顔で、わたしの目をじっと見ている。

「ごめんね。今日は店が忙しくて、まだ帰れないの」

 わたしは小さい声で言った。

 朝、出かける前にスモークサーモンのサンドウィッチを作って、ラップをかけて置いてきた。

彼の頬にはマヨネーズがついている。大好きなサンドウィッチを食べたのに、ひとりで心おきなくギターを弾いていればいいのに、どうして店まで訪ねてきたりするんだろう。

「もうちょっとで終わるから、お茶でも飲んで待ってて」

 そう言ってコーヒーを注ごうとしたら、彼はわたしの手を乱暴につかんだ。

「うちで淹れればいいだろう?」

 すごくつめたい声。やっぱり健ちゃんは怒ってる。

「帰るよ」

 彼はわたしの手を強くにぎって放してくれない。

 わたしは彼に引っぱられるようにして、レジカウンターの脇に出た。

「まだ帰れないよ。お客さんがたくさん待ってる」

 レジに並んでいる人たちが、びっくりしてみんなこちらを見ていた。


「お客様、どうかなさいましたか?」

 わたしたちがもみ合っているのを見て、店長が慌てて走ってきた。

「この店は、テイクアウトもできないんですか?」

 健ちゃんは店長をにらみつけた。

「いえ……どの商品でも、お持ち帰りができますが」

 店長はわけが分からなくてオロオロしている。

「じゃあこれで、かわりの店員を雇ってください」

 健ちゃんは、店長の手のひらにポンとおサイフを置いた。


 ぼろん。

 ほかに誰もいない夜の公園で、健ちゃんはアコースティックギターを弾いた。水銀灯のつめたい光が、彼の横顔を照らしている。

「どうしてあんなことしたのよ」

 わたしはベンチに座った。

「誰かさんがとなりにいないと、ぜんぜん曲が書けない」

 彼は悪びれる様子もなく、にやっと笑った。

「おかげで、失業しちゃったわよ」

わたしはつんと横を向いてみせたけれど、本当はその言葉がすごくうれしかった。

「じゃあ、モデルやってみる気ない?」

 健ちゃんは言った。

「モデル?」

 わたしは聞き返した。

「そう。俺のとなりでじっと座って、うたのモデルになるのが、里奈の仕事。楽でいいでしょ」

 彼はにこにこと楽しそうに笑っている。

「なんか創作意欲わいてきた」

 健ちゃんは即興で伴奏をつけて、うたを歌い始めた。


 ――うちの里奈ちゃんは、皿を洗う音がうるさい


「何よ? その歌詞」

 わたしが言っても、彼は笑いながらそのままあとを続けた。


 ――きっと何か怒ってるんだろう?


 ――俺がニブイのも悪いけど


 ――言ってくれなきゃ、何を怒ってんだか分かんない


彼はそこまで歌うと、わたしに向かって首をかしげてみせた。

「こんな感じでどう? 2番もあるよ」

 

 ――うちの里奈ちゃんは、背中向けて泣くのがうまい


 ――たぶん俺が悲しませたんだろう?


 ――何も言えない俺、悪いけど


 ――気づいてないって、そう思ってんの? ニブイよ


 ぽろん。

 わたしの頬に、あったかいものがこぼれた。

「わたしがこっそり泣いたり怒ったりしてるの、全部知ってたんだ」

 心の中までじんとあたたかくて、そしてちょっぴり痛かった。

気持ちにぴったりヘッドフォンをして、健ちゃんのこと見てなかったのは、わたしの方だった。

「当たり前だろ。音楽家は耳がいいんだ」

 健ちゃんは胸を張ってみせた。


「夕べはどうして怒ってたの?」

 健ちゃんはわたしの顔をのぞきこんだ。

 ぴったり閉じたギターケースが、水銀灯の光を静かに浴びていた。

「わたしが怒ってたのは、あとで考えたらどうでもいいような小さなことだったの。なのにあんなに腹が立ったのは……たぶん、音楽にやきもちを焼いてたんだと思う」

 わたしは答えた。

「やきもち?」

 彼は不思議そうに言った。

「健ちゃんは音楽を作って、たくさんの人を喜ばせてるでしょ」

「うん」

「お店ではね。わたしの注いだコーヒーをおいしそうに飲んでくれる人なんていなかったの。だからそれがすごく寂しくて」

 わたしが言うと、健ちゃんは黙ってうなずいた。

「でも、今日はじめて思ったの。お客さんはわたしのコーヒーを飲むためじゃなくて、ほっとする時間を買いにお店に来るの」

「そうなんだ」

「だから、健ちゃんの音楽が、たくさんの人の気持ちあったかくさせるみたいに、わたしはあのお店を、お客さんがあったかくなれる場所にしたいの」

 わたしはそう言って、まっくらな空を見上げた。

「それを気づかせてくれたのは健ちゃんのうたなんだよ」

 すごく遠いところに、ちらちらと星が輝いていた。

「わかった」

 健ちゃんは寂しそうに言った。

「でもさ」

 そう言って、わたしの目をじっと見た。

「ときどき里奈のためのうたを作るから、たまには俺のそばにいてコーヒーを淹れてくれる?」

「いいけど、マグカップと灰皿をまちがえないでよ」

 わたしは言った。

「何? まさか、そんなことで泣いてたの?」

 健ちゃんは呆れたみたいに言った。

「そう。乙女は傷つきやすいのです」

「どこが乙女だ」

 彼はふふんと鼻で笑った。

「わたしのうたを作ってくれるのはいいけど、もっとモデルに忠実にきれいな曲にしてよ」

 わたしはきびしく注文をつけた。

「ダメダメ! いい曲にしたらCDにして売りたくなっちゃう。里奈のためだけに書くうたには、そういう飾りはいらない」

 健ちゃんは急にまじめな顔になった。


「じゃあ、お店に謝りに行こう」

 健ちゃんはそう言ってわたしの手を握った。

「今から?」

「だって……うちに帰る金が一銭もない」

「あ、そうか!」

 健ちゃんは店長におサイフを渡しちゃったし、わたしのカバンはお店のロッカーにしまったままだ。

「急いで行かなくちゃ。お店が閉まっちゃう」

 わたしは焦ってベンチを立った。

「せっかくお持ち帰りにしたのに、何だかもったいないけど」

 健ちゃんもゆっくりと立ち上がると、わたしをギュッと抱き寄せた。

「できれば、ここで食っちゃいたい」

 彼のいけない手が、おしりのところに下りてくる。

「顔にマヨネーズついてるよ」

 わたしは意地わるく言ってやった。

「げっ、嘘っ! 早く教えてよ」

 健ちゃんは慌てて手の甲で頬をぬぐった。

「それでよし! 男前になった」

 わたしはきれいになった彼の頬にキスをした。



 健ちゃんは、わたしの帰りが遅い日には、深夜のカフェに迎えにやってきて、あの公園でわたしのうたを作ってくれる。

健ちゃんのうたは、わたしに力をくれるのか、あの日いらい、カフェのお客さんで「コーヒーおいしかったよ」って言ってくれる人が増えたような気がする。


 わたしは、健ちゃんとそのうたが大好きだ。

いつか、健ちゃんのうたのように、たくさんの人を喜ばせることができたら……そう願って、わたしは毎日コーヒーを淹れている。

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