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〝運命〟との邂逅*其の五


 良清をはじめとした従者たちが持ち寄った噂話に花を咲かせたり、葵と楓で軽食を振る舞ったりしているうちに、気づけば日は西へと傾きつつあった。

 光の熱発作は午後から起きることが多かったから、日が暮れつつあっても彼が元気な姿を見て、従者たちは安堵の息を吐いている。


「発作もお起こりにならなくなったようですし、今日中に下山できそうですね」

「そうなれば、ありがたいけれどね。まずは焦らず、(ひじり)殿の見立てを待とう」


 光の言葉が聞こえたわけではないだろうけれど、それからほどなくして、聖が岩屋へ入ってきた。昼間ほど仰々しくはない、簡単な読経と(はらい)の儀式を光に施してくれた後、顔色などを視診してふむ、と頷く。


「病は概ね祓われましたが、都の高貴なお方ゆえか、物の怪などもついているようです。念のため、今夜一晩はこちらで身をお清めになり、明日、お戻りになるのがよろしいかと」

「そうなのか。自分ではそれほど悪い感じはしないけれど、分からないものだね」


 聖の言に、光は素直に頷いた。屏風と几帳で囲まれた女人用のスペースから二人の様子を見ていた葵は、含蓄深い聖の言葉に感心する。


(確かに、光の熱発作が治っているかどうか、今の時間ではまだ判別できないものね。最後の発作が落ち着いてまだ20時間くらいだし、短く見積もってもあと20時間くらいは様子見しないと、治ってるかはっきりとは分からない。その状態を〝物の怪〟と表現するなんて、この時代の医療も案外、馬鹿にできないな)


 光が罹患中の〝三日熱マラリア〟は、48時間周期で繰り返す熱発作が特徴だ。つまり、熱が出なくなれば、病の峠は越したと考えられる。聖は最初の加持祈祷を行う際、光の詳細な病状を聞き取り、最後に熱が出たのはいつ頃か、下がり切ったのは何刻前かと尋ねていたから、次に熱発作が起きる時間も予測できるはず。次の熱発作予想時刻まで、患者の様子を見ておきたいと思うのは、医者ならむしろ当然であろう。


(改めて、この時代の僧侶は、宗教家と医療従事者という、二つの側面があったのね)


 そういえば、前世の〝彼女〟がプレイしていたゲームに、法師をしつつ薬師もしているキャラクターが登場していた。あれの舞台は源平合戦時代だったが、あのキャラ設定はある程度、当時の世情を研究した上でつけられたのかもしれない。

 ――閑話休題(それはともかく)


「物の怪が悪さをしたら大変です。聖殿のお言葉に甘え、今晩はこちらでお世話になりましょう」

「私も惟光殿に賛同いたします」

「まずは、御病を確実にお祓いになることが肝要かと」


 聖の話を聞いた従者たちが、口々に光へと言い募る。これまで、光と従者たちのやり取りを間近に見たことはなかったけれど、どうやら彼はとても慕われているらしい。幼い頃の彼を見ていた身として、また妻として、光が慕われる主であることは、純粋に喜ばしい。

 そんな感慨に耽っていると、その当事者がくるりとこちらを振り向いた。


「どうやら、今晩はこのお寺で泊まりになりそうだけれど……葵はそれでも大丈夫?」

「わたしたちは問題ないわ。泊まりになることも考慮した上で、荷造りはしてあるから」

「なら、皆の言うとおり、今宵は聖殿のお言葉に甘えようか。明日の明け方頃に出発して京へ戻れば、聖殿やお寺の迷惑にはならないだろう」

「手前どものことまで慮ってくださり、恐縮に存じます。皆様方をお泊するのに、我々が不都合を感じることはございませんが……何分、男所帯の寺ゆえ、高貴な女人様には行き届かないことも多く、奥方様が不愉快を覚えることがあるやもしれませぬ。それだけが、心配事にございまして」

「それは……」


 光の表情が、複雑に動いた。幼い頃から塀の間をすり抜けるように後宮へ忍び込み、自宅では邸の奥に隠れ住むどころか庭に出て自ら火を起こしている(つま)が、たかが山奥の寺で一晩明かす程度のことを気にするとも思えない。妻の性質を正確に把握しつつ、それをありのまま聖に告げるのは、さすがに貴族としての一般常識が邪魔をしたのだろう。結果、表情筋が妙な動きをしたと見える。

 葵は几帳の裏から、控えている楓にそっと耳打ちした。身内である従者たちはともかく、外の人である聖に己の破天荒を知られてしまうのは、光の外聞的にもよろしくない。高貴な女人と思われているのなら、そう振る舞っておくのが無難であろう。


「聖様のお心遣い、誠に嬉しく思います。我らは元より、殿の病を祓うため山へ入った身なれば、少々の不便も殿のお身体のために必要なことと、心得ております。殿の病を祓ってくださる方々に覚える不愉快などございませぬゆえ、聖様におかれましては、どうか心易くお過ごしくださいませ。――御方様は、そう仰せにございます」


 屏風越しに楓がそう代弁すれば、聖が安堵の息を吐いたのが分かった。……今更ではあるが、やはり、こんな山奥の寺に女連れで訪れる客は、相当に珍しいのだろう。京の貴族女性がお参りするのに人気の寺はいくつかあるが、基本は牛車で行きやすい場所にある。山道をえっちらおっちら登らねば辿り着けないところに建ててある寺は、女人が来ることをそもそも想定していない。つまり、女人を迎える用意もないのだ。

 葵から、「不自由することはあっても咎め立てするつもりはない」と言質を得られたからか、聖は心なしかリラックスした様子で微笑んだ。


「これより護符を煎じて参ります。そちらをお飲みくだされば、あとは夜まで、特に行う加持などはございません。まだしばらく外も明るいでしょうから、よろしければ奥方様と、山中の散策でもいかがでしょう? 下の僧坊集落などは、それぞれの庵で庭の趣なども異なり、歩いていて目に楽しいですよ」

「そう、だね。……うん、そうしようかな」

「ぜひ、そうなさいませ」


 従者たちはにこやかだけれど、光はおそらく散策ではなく、冒頭で告げられた〝護符〟に気を取られてしまっている。葵の前で好き嫌いを見せたことのない光がこれほど怯え腰になるとは、一体あの護符はどれだけとんでもない味がするのだろう。

 ――部屋から一度下がった聖が、そう時間を空けずに護符の入った椀とともに帰ってきて。光が意地で表情を変えず椀の中身を飲み干したのを確認し、聖は辞去を述べ、岩屋から出ていった。


「……光、大丈夫? ほら、お茶よ」

「う……ありがとう、葵」


 とても飲みづらかったと聞いていたので、聖が護符を煎じに下がっている間、楓に頼んで口の中がスッキリするお茶を淹れてもらっていたが、正解だったようだ。決してぬるくはないお茶を一気に飲み、光は大きく息をつく。


「ふぅ、口の中が洗われたようだよ」

「良薬は口に苦いけど、苦味ってどうしてか、いつまでも口の中に残るものね。お茶で濁せるなら、それに越したことはないわ」

「気遣いのできる妻を持てて、私は幸せ者だよ」


 息をするように葵への賛辞を挟んでくる光の眼差しがくすぐったい。心なしか従者たちにも生温く見守られている気がして落ち着かず、葵は市女笠を被ると立ち上がった。


「そ、それじゃ、散策に行きましょう?」

「そうしようか。山道は危ないから、きちんと私に掴まって歩くんだよ」

「邸の奥に籠りきりの方々と違って、わたしは外歩きに慣れてる方だけど……整備されていない道を歩くのは確かに初めてだし、頼らせてもらうわね」


 差し伸べられた手を取り、垂れ衣越しに目と目を見交わして、葵は光と微笑み合った。


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