〝運命〟との邂逅*其の二
乗り込んだ先の牛車では、薬が必要な張本人が、扇の陰で必死に笑いを噛み殺している。
「……光。ちょっと失礼じゃない?」
「……いや、うん、済まない。葵はいつも通りなのだけれど、ちょっと惟光たちの反応が面白くて」
「あなた普段、わたしのことをどんな風に話しているの?」
「ありのままを話しているつもりだよ。他の従者はともかく惟光には、葵が幼い頃、後宮へ毎日忍び込んで私に会いに来てくれていたことも、東の対の庭で便利な道具の発明に勤しんでいることも話してある。その話だけで、葵が世間並みのおとなしやかな姫でないことは分かるはずだが」
「わたしと対面するときの惟光は、とてもじゃないけどそんな変な話を聞かされている人には見えなかったわよ?」
「ふぅん。惟光のことだから、私の話を変に美化して受け取ったのかもね」
……まぁ、惟光に限らず、「左大臣家の姫が庭で発明品を作っている」と聞いて、姫本人がトンカチやノコギリや火吹き棒を振るっている様を想像する人は、ひょっとしたら少数派かもしれない。通常、葵くらいの身分の女性は、家政を取り仕切る場面で自ら道具を持つことはなく、得手な女房たちを采配して指揮するもの。縫い物も染め物も料理も、家や妻が誉められる影には、手足となる女房や雑色たちがいるのである。
頭を抱える楓に、葵は敢えて軽く笑いかけた。
「バレちゃったものは仕方ないし、せっかく少人数でのお忍びなんだから、これを機会に光の従者の皆とも距離を縮めたいわ。御簾越しで対面するたび、必要以上に畏まられるの、なんだか申し訳なかったのよ」
「姫様のご身分ですと、あれくらい畏まられて当然なのですけどね……ご気性にそぐわないというお話でしたら、致し方ありません」
生まれたときから同じ時間を過ごし、〝前世〟の記憶が蘇ってからも変わらず傍にいてくれた楓は、おそらくこの世で一番の理解者だ。そんな彼女が許してくれるくらいだから、側から見ても葵の高貴な姫君ムーブには、相当の無理があったのだろう。
ようやく笑いを収めてニコニコ頷く光に、楓は若干の呆れ顔を向ける。
「光様は呑気でいらっしゃいますね。姫様が、実は高貴な姫君の常にない親しみやすい方だと従者方に知れて、必要以上に距離を詰められたり、あるいは親しみやすいがゆえに軽んじられたりといった懸念はおありでないのですか?」
「それは愚問というやつだよ、楓。――私が、葵を軽んじたり、私を裏切るような真似をしたりする不届者を、まず東の対に入れていると思うのかい?」
顔だけはにこやかなまま、光の口から、なかなかにエグ味の強い言葉が発された。……言われてみれば確かに、光の身分であれば従者は数十人規模で存在するはずが、東の対で見かける顔はほぼ固定されている。それこそ、今日のお忍びに同行している者たちプラスアルファくらいしか、葵は光の従者を知らない。
何を言えば良いか迷って、結局無言で光の顔を見つめるリアクションを取った葵に、彼は軽く苦笑して。
「父上はあの通り、私に対して過保護すぎるほど過保護だし、そうでなくても私は一応、今上帝の息子という立場だからね。黙っていても、従者は勝手に増えていくんだ。……その中には当然だけれど、あまり好ましくない筋から送り込まれた間者もいる。面倒だけれど、面倒だからと放置していては、思わぬところで足を掬われかねないからね。従者の見極めはさり気なく、けれど慎重に行なって、その中でも特に信頼できると判断した者しか、左大臣邸には同行させていないんだ」
「左様でございましたか……余計なことを申し上げました」
「いいや。葵付きの女房としては、尤もな心配だと思う。従者の中には、主の威を借りて好き勝手に振る舞う者もいれば、主に侍る中で見聞きした秘事を吹聴する不心得者もいる。その実態を知っていれば、楓の警戒はごく当然だろう」
「……その辺りの事情は、従者も女房も、さほどは変わらないのね」
女主人が家を統率する上で、最も警戒すべきは外の敵でなく、主一家に敬意を払わぬ女房を飼うことであると、葵の母は以前言っていた。特に、家中のことをペラペラ何でも他所へ吹聴するような女房は、どれほど仕事ができても雇い続けるべきではない、と。その鉄則が邸の隅々まで行き渡っている左大臣邸は、中がどれほどワンダーランド化していても、その実情はチラとも外部に漏れ出していない。
それは、光と結婚する前も……してからも、だ。
「光が従者にまで気を配ってくれていたから、私は安心して、好きに家で過ごせてたってことか。――ありがとう、光」
「大したことはしていないよ。私とて、葵を私の唯一の妻と心得て、きちんと尊重できる者でなければ、御簾越しであっても葵の前には立たせたくなかったからね。それが結果的に、左大臣家の考え方と近かったというだけの話さ」
互いの視線を絡ませ、葵は光と穏やかに笑い合う。見守る楓がほっと息を吐いたところで、牛車の外からざわめきが聞こえてきた。
「――中将様」
「惟光。薬草は集まったかな?」
「はい。北の方様にご確認頂いてもよろしいですか?」
「もちろんです。楓、受け取って」
「承知いたしました」
短いやり取りの後、楓が牛車から少し身を乗り出して、大きく膨らんだ布包みを中へと引き入れる。開いてみるとそこには、独特の匂いを放つオウカコウが山となっていた。
ざっと見分し、葵は顔を上げる。
「はい、問題ありません。これだけの量を摘むのは手間だったでしょうに、よくやってくれましたね」
「勿体無いお言葉にございます。この薬があれば、若様……いえ、中将様の御病を祓えると聞いて力を尽くさぬ者など、ここにはおりません。どうぞ北の方様も、他のご用事等ございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」
「皆の忠義に感謝します。――心強いわね、光」
「そうだね。私は果報者だよ。……惟光、すぐに出発できそうかな?」
「はっ、滞りなく」
惟光の返事を合図に、牛車はまた、ゆるゆると山を登り出す。……とはいえ、オウカコウを見つけた時点で、もうかなりの高さまで登っていたはず。山頂までは、もう幾ばくもないはずだ。
葵の考えは正しく、それからさほど登らないうちに緑が深くなり、かなり山の奥深いところまで進んだ先、岩に囲まれた場所に立つ寺が見えてきた。都の中に比べて肌寒いくらいの外気温は、それだけこの場所が山の高いところにあることを体感で教えてくれる。
寺の前に牛車を停め、惟光たちが要件を伝えるべく、寺へと入っていく。ここまで来て断られたら決まりが悪いけれど、オウカコウは入手できたから、最悪、このままとんぼ返りしても問題はない。……まぁ、『原作』に沿った展開になるならば、断られることなどあり得ないが。
「なんと……拙僧が『腰を悪くした』などとお答え申したせいで、こんなところまでご足労させてしまうとは、畏れ多いことです。足腰を弱くして以来、世俗と関わることは控え、加持祈祷の修行も疎かになっておりますので、お役に立てますかどうか……」
――予想通りというべきか。惟光たちの話に驚き、一行を招き入れた聖は、光の身なりを一目見て、並の人ではないと見抜いたらしい。身元を隠してここまでやって来た高貴な客に何もしないわけにはいかないと思ったのか、すんなりわらわ病の加持祈祷をすることが決まる。『原作』にあった通りの展開に、葵は思わず光の後ろで『アーカイブ』に潜り、該当箇所を読み直してしまった。




