表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

71/76

〝運命〟との邂逅*其の一

いよいよ『若紫』の北山編、始まります。


 明け方前に北山へ出発することが決まった光に、どういうわけか同行することになったわけだが、戸惑っていたのは当の葵だけであったらしい。楓を呼び、「光と一緒に北山へ行くことになったから、急で申し訳ないけど、わたしと楓の分の準備もお願いできる?」と尋ねたところ、「むしろ行かないおつもりだったことに驚きました。光様ならば姫様をお連れになるだろうと思い、既に準備は済ませてあります」とごく普通のテンションで返されたのだ。なんでも、葵が惟光に「源氏の君は自ら北山へ赴こうとするだろうから、用意しておいた方が良い」と助言した段階で、どうせ一緒に行くことになると予想済みだったとか。


「たった一日、紀伊守邸へ方違えなさるだけでも、離れ難いからと姫様をお連れになった光様ですからね。何日かかるか定かでないお籠もりの間ずっと、姫様と離れ離れになって耐えられるとは思えません。光様の堪え性のなさは、いい加減に姫様もお気付きなのでは?」

「まぁ……それは、ね?」


 光が、というより『光源氏』がそれほど忍耐力のあるキャラクターでないことは、それこそ〝前世〟から知っている。堪え性のある人間は、あれほどホイホイ気になった女に次々と手を出すような真似はしない。『朧月夜』など、薄々政敵側の娘だと察しながら、興味本位で関係を持つのだから、ある意味天晴れである。

 この〝世界〟は『源氏物語』そのままではないけれど、『原作』に出てくるキャラクターと対応する人物たちの人格は、ある程度の類似性があった。〝前世〟に引き摺られている葵はさておき、椿も夕花も時雨も、話してみれば『原作』に描写された女君たちを何となく感じ取れる。それは光も同じで、物腰柔らかな貴公子然とした振る舞いとは裏腹に、その気質は意外と硬いところや、思い込んだら一直線なところ、……楓の言う通り、さほど堪え性のないところなどは、『光源氏』を彷彿とさせる、光の性質の一部なのだ。


(ただまぁ、光の場合、その性質全部、『原作』とは違う方向へ発揮されているから、結果として全然違う性格の人みたいになってるんだけど)


「姫様。姫様がどうお考えかは存じませんが、光様はこの先、命ある限り、姫様をお側へ留め置かれることに全力を尽くされると思いますよ? 北山どころか、もっと遠くまで姫様をお連れになる日も来るやもしれません。もしも本意でないのなら、早いうちに話し合っておかれるべきかと」

「本意でない、ことはないのよ。……光が一緒に行こうと誘ってくれるのも、遠出するのも、決して嫌ではないもの」

「……それなら、良いのですが」


 楓とそんな会話を交わした後は、明け方前の出発まで、しばしの仮眠を取って。

 ――予定通り、まだ日も登らぬほど暗いうちに、葵が所有している牛車の一つに乗り、左大臣邸を出立した。


「すごいね……京の花はもう盛りを過ぎているのに、この辺りはまだ満開だ」

「この辺りの桜は、遅咲きの種類なのかもね。……本当に、綺麗」


『源氏物語』にて〝北山〟と呼ばれている場所は、〝前世〟の現代日本における鞍馬山周辺一帯を示していたと考えられている。鞍馬寺や貴船神社などがあり、現代でも充分なパワースポットだ。悪霊や物の怪が現役でうろついているらしい〝概ね平安時代〟ともなればそれこそ、聖域にも等しい場所であろう。

 光と葵、そして楓を乗せた牛車は、そこそこの大きさと重さがある。山道が細くなるにつれ、これ以上先へ登れるのか心配になったけれど、どうやら件の修行僧がいる寺には牛車で立ち寄る客人もそこそこいるらしく、ある高さから道は牛車が通れるギリギリの幅で固定されるようになった。


「……こうして見ると、まるで都とは別世界だ」

「えぇ。仙郷か秘境にでも迷い込んでしまったのではないかと、錯覚してしまうわね」


 満開の桜が朝靄の中にぼんやりと浮かび上がり、目の前が霞がかる光景は、まさしく絶景と言えるだろう。決して物見遊山に来たわけではないが、思いもかけず良いものを見られて、葵の心は自然と浮き立った。


 ――と、そのとき。


「――ちょっと止まって!」


 目の端に映ったものに、思わず大きな声が出た。牛を追ってくれていたのは葵専属の牛飼童、福寿丸であったため、葵の声に反応してすぐさま牛の歩みは止まる。

 牛車の前後に控えてくれている光の従者たちのざわめき声が耳に届く中、扇を持つのも忘れる勢いで、葵は車を降りた。


「姫様!? 突然どうなさったのです?」

「楓! 新しい包みを持ってきて!」


 牛車で通り過ぎたばかりの道を急いで戻り、見かけた〝それ〟と『アーカイブ』内にある図鑑を照合する。

 ――照合して、葵はほっと、息を吐いた。


「……あった」

「――姫様」


 背後から呼びかけてくる楓に笑いかけ、葵は見つけた〝それ〟を指し示し、口を開く。


「あったわ、楓。オウカコウ――わらわ病に効果のある、薬草よ」

「えっ」


〝前世〟の〝彼女〟は、特に薬学に造詣が深かったわけではない。ただ、三番目の妹が薬の効き過ぎる体質で、本来の効果以上に副作用の悪影響を受けてしまうことから、人工的に化学合成された現代医療薬との相性が悪かった。そのため、副作用が少ないと言われる漢方薬やその材料、調合の仕方などについて一通り調べ、薬草図鑑なども読み込んでいたのだ。おかげで葵の『アーカイブ』には、結構な量の参考資料が揃っている。


「結構独特な匂いのある薬草なんだけど、見つけた以上、ここで摘んでいかないとね。包みをお願い」

「落ち着いてください、姫様。まさか、姫様が手ずから摘まれるおつもりですか?」

「そのつもりだけど」

「……ここは東の対ではないのですよ。高貴な姫君は普通、いくら貴重な薬草を見つけられたからといって、御自ら牛車を降りて摘もうとはなさいません」

「そうかもしれないけれど、こんな少人数のお忍びで、高貴も何もないでしょう」

「他の方々のお気持ちもお考えくださいませんと。私と光様はともかく、そちらにいらっしゃる従者殿方は、姫様の奇行に慣れていらっしゃいません。姫様を、慎みある深窓のご令嬢と好意的に思ってくださっていた方々の情緒が、今大変なことになっていますよ」

「あー……」


 今更ながら申し訳程度に扇を開いて、葵は牛車の方をチラリと見る。御簾越しに何度も顔を見たことのある者たちが、五人それぞれ悲喜交々な表情で、恐る恐るこちらの様子を伺っていた。


 ……うん。既に手遅れである。


「むしろ、これまで勘違いしてもらえていたのが奇跡ってことにしましょう」

「姫様!」

「話している時間が勿体無いわ。摘むわよ、楓」

「……いえ、あの、北の方様」


 背後から、そっと呼びかける声がする。これまで御簾越しには何度も声を聞いた、光の乳兄弟、惟光だ。


「惟光ですね?」

「左様です、北の方様。中将様より、命を受けて参りました。お察しするに、そちらの背の高い草が、何やら重要なもののようですね?」

「話が早くて助かります。こちらはオウカコウと申しまして、光様の病によく効く薬となる薬草なのです」

「何と!」


 端的に説明すると、惟光の顔がパッと輝いた。光が常々、「惟光は裏を読まなくて済むから、とても付き合いやすい」と言うのがよく分かる素直さだ。


「であれば、是非とも摘んでいきませんと。――力仕事は我々が行いますので、北の方様と楓殿はどうぞ、牛車へお戻りくださいませ」

「え……」

「感謝いたします、惟光殿。――姫様、戻りましょう」

「え、えぇ。ありがとう、惟光。よろしく頼みますね」

「承りましてございます」


 恭しく頭を下げる惟光に見送られる形で、葵は牛車へと戻り、ほとんど楓に推し込まれる形で乗り込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
この世界は葵が「すずめの子を犬君が逃がしつる」と言いそうですね……
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ