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雨上がりの花々は*其の一

昨日の活動報告でもお知らせしました通り、今後しばらく、こちらのお話は月曜日のみの週一更新といたします。

ゆったりペースの更新となりますが、お付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。


 ――(はやと)(たける)を交えた桐壺での恋語りは、思った以上に盛り上がって終わった。

 二人とも、光や暁と違って恋の場数が桁違いなだけに、出てくる話はどれもなかなかに聞き応えがあって、このまま物語が書けるのではと思ったほど。夢中になって聴いているうち、いつの間にか雨は止み、外の女房に物忌が明けたことを知らされる。

 物忌が明ければ、もう内裏に留まる必要はない。恋語りをするうちに妻と会いたくなったらしい隼と武を伴い、四人で仲良く桐壺を後にし、渡殿を通って外へと向かう。


「……しかし、一口に『妻を悲しませない振る舞い』と申しましても、難しいのではありませんか? 特に、光様や暁殿のように、数多の女人からの憧れを一身に受ける方々は」


 桐壺を出てすぐ、何かを思い出したように、武が静かに切り出した。彼の言葉の意味が分からず、光と二人、無言で武へ視線を向ける。

 視線を向けられた武は、昔を思い出すかのように微苦笑して、ゆったりと言葉を紡いでいく。


「私も覚えがありますが、若い公達が宮中へ上がると、そんなつもりはなくとも女房から色めいた誘いを受けることがあるでしょう。下手に断ると『風流を解さぬ無粋者』『女に恥をかかせた』と女房たちの心象を悪くし、最悪の場合、出世に差し障ります。かといって気安く誘いを受ければ、風流な色好みであるという評判と引き換えに、妻を悲しませてしまう。……仮に遊びを控えたとしても、男が外で働いている以上、どうしたって家で待つ妻よりは、多くの人と接する機会が多いのです。全く悲しませず、妬心を抱かせないよう振る舞うというのは、口で言うほど容易くはないのではと、ふと思いまして」

「あー、そういう話か」

「特に、宮中でも人気を二分する光様と暁殿であれば、若い頃の我らなどとは比べものにならぬほど、多くのお誘いを受けておいででしょう。桐壺に届いた手紙だけで、あの量なのですから」

「……確かに。光様の北の方様はこれまで、ちらともご嫉妬なさらないのですか?」

「嫉妬……ねぇ」


 隼の問いに対し、諦めとも羨望とも微妙に異なる、複雑な苦笑を浮かべる光が答えだ。これまで、葵が光相手に嫉妬したことはない。光の表情は、「いっそ嫉妬してくれれば、こちらの愛情を思う存分伝える機会にできるのに」という願望の表れであろう。


(……まぁ、葵が嫉妬しないのは、光の愛情が目に見えて分かるからとか、そんな前向きな話じゃないんだけどな)


 有り体に言ってしまえば、葵は光の、自分に対する愛情を、〝勘違い〟だと信じ切ってしまっているのだ。詳しくは知らないが、彼女は『託宣』にて、〝光が真実愛している女人は、葵ではなく別の者〟だと告げられているらしい。これは葵本人からではなく、彼女の乳姉妹である(かえで)の言葉の端々や、彼女たちと接することが多い福寿丸から聞き取った情報を組み合わせて出した、暁の推測に過ぎないが。

 今現在の光の愛情を疑っているわけではないけれど、彼は幼馴染ゆえの気安さを〝恋〟だと勘違いし、真実、自分が愛している相手が誰か気づかずにいるだけ――そう頑なに信じている葵が、光の色ごとに妬心を抱くわけがない。男女の情を抱き、愛し愛された男だからこそ、女人の嫉妬は深くなるわけで、そもそも〝自分が光に愛されるわけがない〟と思い込んでいる葵には、妬み嫉む動機がないのである。


(まず第一に、葵が得た『託宣』の光は、正妻の葵を放っておいて方々を遊び回る色好み中の色好み男だったわけで……仮に光の恋愛話が噂として葵の耳に届いても、「知ってた」くらいで流しそうなんだよな)


 光の方も、葵が心の奥の奥底では、彼の気持ちを信じていないことを察しているのだろう。一瞬でもよそ見をすれば、葵は泣いて嫉妬するどころか「やっと自分の気持ちに気付いたのね」と祝福して関係を清算する心づもりであることを分かっているからこそ、間違っても手を離すわけにはいかないと、躍起になっているのだ。


(光にとっちゃ、自分にまつわる恋愛関係の噂話ほど、危険なものはないからなぁ。嫉妬してもらおうなんて小細工を弄する隙間も見当たらないくらい、葵の判定は容赦ないだろうし)


 ――とはいえ、そんな事情を明け透けに説明できるわけもない。苦笑したまま遠い目をする光をフォローすべく、暁は軽く笑って隼と武へ視線を流した。


「さっき光も言ってたが、俺の妹は、公卿の娘にしちゃ変わり者だからな。男社会の気苦労も宮中での振る舞いの難しさもよく分かってて、そういう場所だと割り切ってるから、光が多少女房から声を掛けられた程度じゃ、まず動揺しない。光は妹と細かい予定を伝え合っていて、その予定が急に変わるときは、手紙で知らせているしな。まず、嫉妬する要素がないんだろう」

「なるほど。そこまで細やかに北の方様をお気遣いされていると」

「世の道理を深くご理解されている北の方様もさすがですが、やはり光様のお振舞いが優れておいでだからこそ、心穏やかにお過ごしできるのでしょうね」

「……そんなこともないよ。全ては、妻の理解があればこそだ。彼女は少々物分かりが良過ぎて、不安や心配ごとは内に溜めがちだから、私としてはもっと頼って欲しいし、つまらない嫉妬だって大歓迎なんだけどね」


 そんなことを話しているうちに、桐壺の隣、宣耀殿へと差し掛かる。桐壺から建礼門までは遠く、あちこちの殿舎を通らなければならないのが不便と言えば不便だ。庭を突っ切るか、桐壺から程近い別の門を使えれば話は別なのだが、何かとしきたりの多い内裏では、そういう勝手もできない。


「――まぁ、光君」

「光君がおいでだわ」

「頭中将様もご一緒よ」


宣耀殿へ入った途端、御簾の内がさざめいた。桐壺に最も近い宣耀殿は、当然ながら光を目にする頻度も高いはずだが、御簾内にいる女房たちの浮かれっぷりはまるで、滅多にお目にかかれない有名人を見たときのようだ。これなら、左大臣邸の女房たちの方がよほど落ち着いている。

 光はいつものように、はしゃぐ女房たちへ御簾越しに穏やかな会釈をしながら、優雅に簀子を歩いていく。

 すると。


「――ねぇ、光君」


 御簾の中から、ついに、光へ声を掛ける猛者が現れた。暁といるときは女房たちも遠慮して、ただ御簾内からこちらを眺めているだけのことが多いが、今日はあまり見ない顔である隼と武がいたからだろう。見栄を気にする若い公達は、大勢の前だと無駄に取り繕って色好みぶり、女房の誘いに応じることがあるのだ。

 呼び掛けられた光は、ゆっくりと立ち止まり、御簾の方へ視線を向ける。


「何かな?」

「雨上がりに風情なく、いそいそお帰りでいらっしゃいますの? 雨露に濡れた花々は、厳重に囲われて咲く高貴な一輪とは、また違った美しさを持つものですわ。――たまには、他の花も愛でてみられませんこと?」

 

 まるで先ほどの武の言葉が聞こえていたかのような誘い文句に、光本人より、〝女房からの誘い〟を話題に出した武の方が青ざめる。源氏夫妻の仲睦まじさを知る隼もまた、少し表情を険しくして、御簾の中を見据えて。

 ――そんな友人たちへ感謝の笑みを向けてから、光はそのまま、柔らかく御簾内へと微笑みかけた。


「そうだね。雨上がりに咲く、雨露に濡れた花々には、さぞかし風情があることだろう」

「まぁ。では――」

「けれど、すまないね。咲く花がそれぞれ美しいことに心は打たれるけれど、私がこの手で摘み取り、愛でたいと請うのは、この世に一輪だけなのだよ。……外から見られるほど、その一輪は厳重に囲われていないけれどね」

「光君……」


 御簾内が不穏に揺れ、背後で隼と武が心配そうに光を見つめる。暁もこの話をどう収めるのだろうと、二人とともに光を注視した。

 図らずも、その場の全員の注目を一斉に浴びた光は、その美しい顔に哀愁ある苦笑を浮かべて。


「花々が悪いのではないよ。全ては、たった一輪しか愛でられない、私の狭量さゆえだ。なんとも不器用な男だと、どうか笑っておくれ」

「……そうですわね。光君がそのような殿方であるからこそ、憧れる者も多いと心得ております。どうぞ、唯一の〝花〟を大切になさって」

「ありがとう。――ここに咲く花々が、相応しい者にそれぞれ愛でられることを、陰ながら祈っているよ」


 見事な話し口で誘いを鮮やかに回避した光は、再び簀子を歩き出す。光について暁と二人も歩を進め、程なく、次の渡殿へ入った。


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