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雨降る夜に*其の五


「いえ……しかし、ですよ」


 そんな友人の視線を知ってか知らずか、隼はなおも言い募った。口数の少ない武とは対照的に、隼は昔から口達者で、仲間内の集まりでは常に口が動いているようなところがある。寡黙な武と賑やかな隼、正反対の二人だが、どうしてか彼らは昔から仲が良い。


「愛情と仰いますが、かの有名な『妻問い』をなさった暁殿ならお分かりでしょう。男女の愛は、永遠に続くわけじゃありません。共に暮らすうちに情も薄れ、ふとした瞬間、他所の女が素晴らしく思えることもあると」

「……俺はそもそも、家に迎えた妻と出逢うまで、女人を愛しく思ったことがないからな。最初から無かった情ゆえ、続くも続かないもないぞ」

「私はずっと妻一筋で、妻以外の女人に心惹かれたことはないよ」

「……それだけ、お二人の北の方様が素晴らしい女人ということでございましょう」


 静かに相槌を入れたのは、そろそろ隼が可哀想になってきたらしい武だ。それほど瑕疵のない妻なら目移りすることはないけれど、並の女人ではそうもいかないと、言外に添えたのだろう。

 友人の援護に力を得て、隼は何度も頷く。


「お二人と北の方様のようなおしどり夫婦には、縁のない話やもしれませぬ。ですが、並の男女の情は、春の天気よりも容易く移ろうもの。愛情だけを頼みにしていては、無くしたとき、取り返しのつかぬことになりかねません」

「例えば?」

「ほんの子どもの頃、女房が寝る前に読み聞かせてくれた物語に、こんな女がおりましたよ。いつも穏やかで、お淑やかで、夫の薄情な振る舞いにも文句を言わず、上辺は何でもない風を装いながら、いよいよ我慢ができなくなると、悲しい置き手紙や形見を残して、忽然と姿を消してしまったんです」

「ほぉ」

「幼い頃は、それほど思い悩むなんて可哀想にと、女に同情して泣いたものですがね。今から思うと、なんとまぁ軽はずみな女かと。まだ深い愛情を持ってくれている夫を見捨てて、辛いことがあったのだとしても、男の気持ちを考えもせず姿を消すなど。そうやって愛情を試そうとしているうちに日が過ぎて、一生悲しく暮らすなんてことになったら、どちらにとっても不幸でしょう」

「……ふぅん?」

「この上、出家などしてしまった日には、もう目も当てられません。そうなってから、夫の深い愛情を思い知っても遅いのですからね。もし夫が他の女に心変わりしたとしても、『知っていますよ』と匂わせる程度に留め、恨むことなく鷹揚に構えていてくれたら、それだけで夫の浮気心は収まりますよ。下手に恨まれ嫉妬されると、愛情は薄れるばかりですから。――そう考えるとやはり、愛情だけでなく、落ち着いたしっかり者の妻を選ぶ必要があると思いませんか?」

「いやまったく」

「悪いけど、全然共感できないかな」


 妻にしたい女人の条件のときにも思ったが、それに輪をかけて自分本位な隼の意見に、一周回って頭が冷えた。こんな考えを葵の前で述べたが最後、怒りを通り越して縁切りを宣言されること間違いない。


「話の前提からしておかしいだろ。穏やかでお淑やかな女人相手に、夫が薄情な振る舞いをしてる時点で、深い愛情なんてどこにもない」

「うん。思い悩む女人に同情した、幼い隼が正解だと思うよ。妻へ薄情な仕打ちをしておいて、深い愛情だの、男の気持ちを考えずとか、どの口が言うんだって話じゃないか。深い愛情を持って〝くれている〟って言い回しも気になるね。すごく上から言われている感じがする。妻に辛い思いをさせておきながら、こんなに愛してやっているのになんて上から目線で言われても、気持ちと言動が釣り合ってないですねとしか妻も返しようがないんじゃないかな?」

「は、はぁ……」

「男の気持ちを考えず、って言うけどな。じゃあ逆に、妻へ薄情な振る舞いをしていた夫は、女の気持ちを考えてたのか、って話にならないか? 生涯連れ添う覚悟で結婚した夫が、浮気心を繰り返して外で遊んでばかりなんて、裏切られたと思って当然だ」

「姿を消したのも、夫の愛情を試そうとしたわけじゃなく、単純に愛想を尽かしたからだと私は思う。出家してから夫の愛情を思い知ってもと隼は言ったが、そんな薄情な夫を待ちながら独寝を繰り返す毎日より、御仏に仕える日々を過ごす方が、妻にとってはずっと有意義かもしれないよ? 夫は裏切るけれど、御仏は裏切らないからね」

「そ、そこまで仰いますか」

「そうやって御仏に仕える道を選ぶような女人より、浮気を知っても恨まず、『知っていますよ』と匂わせるだけで鷹揚に構える女人の方が良い――って言うけれど。隼はすごいね。私は無理だよ」

「は、ぁ……すごい、とは?」

「だって――君は、もしも妻が浮気をしたら、そのように振る舞えるってことだろう?」

「――はぁ!?」


 目を剥いた隼は、大慌てで身を乗り出した。


「何を仰いますか。浮気心のある女人など、言語道断です!」

「どうして? 隼は、浮気をした夫に対して、そう振る舞うのが妻の理想だと言ったじゃないか。相手に理想を押し付けて、自分は妻の浮気の一つも許さない狭量さを見せつけるのかい? 浮気を恨んで、狭量さを見せれば見せるほど愛情は薄れると、君が言ったんだよ?」

「いや……それはあくまでも、夫の妻に対する愛情の話でして。浮気などされましたら、どれほど愛情を傾けていても、その瞬間、その女への想いは消え失せますよ」

「――同じように、浮気夫への愛情は妻の中から消え失せる。それだけの話だろ」


 暁の言葉に、隼は思ってもみないことを言われたという顔で、口をぱくぱくさせている。……逆に、どうしてその発想にならないのか、心底不思議だ。


「……あのな、隼。今の世じゃ確かに、男は何人妻を娶っても良いし、どれほど大勢の恋人の元へ通おうが自由だ。けど、別に女人の重婚を禁じる法もないし、夫ある身で恋人を持っちゃいけない決まりもない。女人は家から出る機会が少ないから、男に比べて出会いの数も少ないってだけで、恋愛に関しちゃ実は男も女も平等なんだよ」

「そ、れは、そうです、が」

「男の浮気に寛容であれって女に求めるなら、男だって女の浮気に寛容でなきゃいけなくなる。お前が妻の浮気を嫌だと思うなら、妻がお前の浮気を責めても、それは仕方ないことだと受け入れなきゃ平等じゃない。ましてや、浮気に耐えきれなくなった妻が姿を消してから、『深く愛しているのに』なんてのたまう権利はないってことだ」

「……はい」


 自分より歳上の、昔は兄のように慕っていた相手へ説教するのは、いささか居心地が悪いが。実の兄へ定期的に雷を落とす葵のような存在もいることだし、これくらいは許容範囲内だと受け入れてもらいたい。

 しゅん、となった隼を見かねてか、武が少し膝を詰めてきた。


「――まぁまぁ、暁殿も光様もその辺りで。昔はともかく、今の隼は、節操なく女人を渡り歩くような遊びはしておりません。お二人にとっては北の方様が第一でしょうけれど、隼のように女人関係で苦い失敗を繰り返すことで、良い出逢いに巡り会うこともままあるのですよ」

「……へぇ? どんな失敗か、興味があるね」

「確かに。若い頃は随一の色好みと謳われた左馬頭殿の恋語りだ。さぞ聞き応えがあるだろう」

「お二人とも、意地の悪い顔をしておいでですよ――」


 ほろ苦く笑った隼だが、気分は充分に持ち直したらしく、話す気満々の表情だ。

 聴衆と化した光と暁の前で、隼の口がゆっくりと開く――。


平安文学に令和の価値観を投入すると、諸々盛大に事故る、というお話でした。大体全部、主人公が悪い。

男性陣視点は、もうしばらく続きます。

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― 新着の感想 ―
まあ、なんだこの観念は、となりますが、異質なのは光と暁の方なんですよねえ。この時代に身分がある家では女子は財産でしかないだろうし。暁様もちゃんと妻通いをしてるし、光様は跡継ぎではないしで許されてるけど…
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