雨降る夜に*其の四
「中流の女が良いという若者たちの言葉ですが、尊い身分の姫君方と違って気安いという他にも、理由はあるように思いますよ」
「ほぉ。それはどういう?」
話上手な隼に乗せられていることは承知の上で、暁は傾聴の姿勢に入った。隼の方も調子が上がってきたようで、イキイキと口を開く。
「優れた家の姫君が立派に育っていても、それは家が立派なのだから当然としかならないでしょう。しかしながら、例えば人が住んでいるとも思えない荒屋に、見目麗しい姫がひっそりとお暮らしでしたらどうでしょう。思わぬところで思わぬ人と巡り逢った、どうしてこんな寂れたところに、これほど立派な方がと、想像もつかないだけに気持ちもぐっと惹きつけられます。とても荒屋住まいとは思えないような嗜みがあり、芸事にも秀でていたら、実際は十人並みより少し上程度の腕前であっても、興味を唆られると思いませんか?」
「要は……意外性があって面白い、と?」
「そうです。そんな姫を見つけられたら、なんと珍しいひとと巡り逢えたのだと、我が身の幸運に震えます。家柄も心映えも嗜みも申し分ない女人を選ぶという話なら、そういった女は候補にも上がりませんが、これはこれで、なかなか捨て難いものです」
「そういうものか……」
隼の話はある意味夕花にも通じるが、暁は荒屋に住む姫の意外性に惹かれて彼女を想うようになったわけではないので、心の底から「そういうものか」という感想しか浮かばない。光に至っては、普通に顔を顰めている。
「隼はそう言うけれど、高貴な姫君にだって、意外性がないわけではないよ。現に私の妻は、左大臣と女宮様の間に生まれた、上から数えた方が早いくらい高貴な姫だけれど、意外性の塊のようなひとだからね」
「いやいやもちろん、北の方様のご良妻ぶりは、日々聞こえてきますとも。以前お招きに預かった左大臣邸での宴で拝聴しました琴の音は、まさしく天上の調べでございました」
「えぇ。あれほどの腕前は、宮中の宴でも滅多に聞けません。隼が申した〝立派な育ち〟を大きく上回る、あれこそこの世に類稀な珍しさと言えるでしょう」
「……まぁ、琴の腕前もそうなのだけどね」
肝心の葵の〝意外性〟については、いくら親しい間柄とはいえおいそれと吹聴できるものではないため、言い足りない様子で光は引き下がった。葵をよく知る左大臣邸の者であれば、「姫様の〝アレ〟は意外性なんて可愛らしいものじゃなく、開けてびっくり雀の葛籠の親戚ですよ」くらいのことは言いそうだが。光は葵にベタ惚れのため、左大臣邸で葵がやらかしている全てを好意的に捉えてくれているけれど、ごく普通の公達であれば、自ら道具を持って物作りに励む上流階級の姫など、意外性を通り越した得体の知れない生物扱いして終わりだろう。荒屋にひっそり住んでいる姫とは比べものにならない衝撃こそ受けるが、「珍しい姫だ! 是非とも妻にしたい!」とはならないと自信を持って言い切れる。
(……そう考えたら、葵の婿が光で良かったとしか言えないな)
そもそもの出逢いからして、葵が左大臣邸から抜け出て内裏へ忍び込んだゆえに起きたという事実もあるだろうけれど、光は葵の常識外れをまるで厭わない。加えて、盲目的に肯定するだけでなく、「世間から見れば異常なことは知っているから、なるべく左大臣邸の外へ漏れないよう手を尽くすことで葵を守る」といった手回しまで抜かりないのだ。これほど〝葵にとって〟最良の婿は、都中見回しても、光以外は居なかっただろう。
――暁が密かにそんなことを考えている間にも、隼の話は続いている。
「しかし、光様も暁殿も、誠に素晴らしい女人を妻とされたものですよ。私が知る限り、お二人ほど素晴らしいと思える夫婦は滅多にいらっしゃいません」
「そうなのかい?」
「若い者が言う、『遊ぶなら中流の女と』という話も分かりますがね。やはり、中流の女は遊ぶには良くても、妻にするとなると、なかなか難しいものです。世のあれこれを支える男と違い、女が切り盛りするのは家庭の中だけとはいえ、妻として夫を支えるとなると、不充分では許されない大切な仕事があれこれ多いでしょう」
「……ふぅん?」
「妻として家を支え、夫をしっかり世話して、しかし女としての魅力と風情を忘れず、ちょっとしたやり取りでもこちらを楽しませる気の利いた返答ができて、世の道理を弁えた慎み深さと教養を持っていて、何か危急のことでもあればテキパキと対応してくれる頼もしさがあって……そのように過不足ない妻を求めるとなると、なかなか見つからないものです」
「それはそうだよ」
「そりゃそうだろ」
隼の言い分に呆れて出た言葉が、意図せず光とダダ被りした。自然と視線を交わし、考えていることがそこまで離れていないと確認し合う。
反論の口火を切るのは、葵過激派の光に任せよう。
「隼はどこまで女人に求めるつもりだい? 家を支え、夫を世話して、女の魅力を忘れず、会話を楽しませて、慎み深く、教養もあって、しかも頼もしくもあって欲しい? 無茶苦茶だよ。私の妻以外に、そんな女人、この世のどこにも居やしない」
「あー、妹がある意味そういう女人なのは否定しないけどな。女に求め過ぎって意見には賛成だ」
「そうでしょうかね?」
「今の隼の言い分を男に置き換えると、夫として家を支え、妻を養えるだけの充分な稼ぎがあって、男の魅力を忘れることなく常に磨き、妻を悲しませることはせずいつでも喜ばせる気配りができて、家庭や子育てといった妻の事情に共感して助けとなり、何か家に困ったことがあればすぐさま駆けつけて解決する――そんな夫を求められているようなものだと思うよ? 君は、自分がそれほど完璧な夫だと思うかい?」
「い、いえ、思いませんが……」
「が?」
「男がそれほど、女を気遣う必要はないでしょう。男は宮中で常に気を張り、世のため働いているのです。そんな男を支えるべく、妻が家庭を切り盛りする。そうして世の中は回っているのですから」
葵が聞いたらにっこり笑って毒舌連発必死な言い分に、頭で考えるより早く、言葉が飛び出してくる。
「外で働いているから、家の中では妻へ求めてばかりで、自身は良い夫でなくとも構わないって? 隼お前、妻帯した今でもそんな考えだと、早晩捨てられるぞ」
「捨て!?」
「当たり前だろ。女人はお前の言うことを聞いて当然のお人形じゃないんだ。彼女たちにも考えがあって、意思がある。完璧を求められるばかりで、求める方は自分の希望も考えも尊重してくれないなんて、自分の身に置き換えたら続くわけないって分からないか?」
「そもそも、だよ? 妻がそれほど完璧な女人なのに、連れ添う夫が大した稼ぎもなければ家では自分勝手に振る舞うだけの粗忽者となれば、周囲から笑われるのはどう考えても夫の方だろう。完璧な妻に恥じない夫であろうと努力しない限り、釣り合いの取れていない夫婦が破綻するのは目に見えている」
「そう……なりますでしょうか」
「なるだろ。確かに、妻を選ぶ上で条件ってのが無いとまでは言わんが。やっぱり一番大事なのは、『このひとと生涯連れ添いたい』って心底想える愛情だと思うぞ。お互いに情があれば、自然と相手を思いやれるし、少々理想と違っても『そういうところも彼女の魅力だ』って前向きに捉えられるしな」
「うん。暁の言う通りだね」
暁と光、二人がかりで詰められた隼を、武が気の毒そうに眺めている。彼は元々大学で勉強していた学者で言葉数は少なく、こうして集まっても聞き役に徹するのが常だ。その分、話の流れもよく読めるのだろう。




