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雨降る夜に*其の三


 光と婚姻し、人妻となってようやく、寝殿での宴に席を設けられるようになり、招待客の前で琴を演奏する機会を得て。葵の腕前が、世間にも知られるようになった。


「……葵は最初から肝が座ってて、人前だからと緊張する素振りもなく、当代一の呼び声に恥じない演奏だったけどな」

「葵は特別だよ。緊張して頭が真っ白になっても、問題なく手が動くように、有名どころをひたすら弾き込んでいたらしいから」

「緊張すること込みで対策してた、ってことか。我が妹ながら、隙のないことだ」

「逆に言えば、葵ほどの腕前を持つ女人でも、そこまでしなければ緊張で演奏を間違えてしまうかもしれない、ということだ。女房や受領の娘といった女人たちの管弦楽の腕前は、手習を始めた頃から人前で弾く経験を積んだことで培わされたのかもしれないね」

「何事も、勿体をつけすぎるのは良くない、ってことか。――そういや、色好みと評判の連中も言ってたな。『恋を楽しむのなら、高貴な姫君よりも中流の女がいい』って」

「中流?」


 光の眉間に皺が寄る。そもそも、〝恋を楽しむ〟という概念自体、彼の辞書にはない言葉だろうけれど。


「中流って、身分の話かい?」

「そうだろうなぁ。上達部を上流とすると、それより下の、女房を輩出する家だったり受領だったりは中流ってことになるんじゃないか?」

「つまり、いわゆる上流の姫君方は恋をするにも勿体をつけるから、そういった堅苦しさのない身分の女人であれば、男の口説き文句にも気軽に応じてくれて、飽きて捨てるときも煩わさしさがなくて良い、って話だろう? 勝手な言い草だよ、葵が聞いたら怒りそうだ」

「あー、怒るだろうな。目に浮かぶ」

「そもそも、身分の上中下なんて、流動的なものだよ。特に、上流と中流はね。高貴な生まれであっても、政争に敗れて都落ちし、困窮しきった生活を送ることもあるし、逆に中流の生まれであっても上手く出世して上達部となり、立派な屋敷を建てている大臣だっているだろう。下手に中流だからなんて理由で女人を弄んでいたら、後からとんでもないしっぺ返しを喰らうかもしれないよ」

「まぁ、それは俺も同感だが……」


 頷いたところで、(ひさし)と母屋を区切っている御簾が揺れる。――ややあって、外に控えていたらしい桐壺の女房が、遠慮がちに入室してきた。


「失礼いたします、中将様。左馬頭(さまのかみ)様と藤式部丞(とうしきぶのじょう)様がお見えになりました」

「おぉ、(はやと)(たける)か」

「ありがとう。入ってもらって」


 左馬頭――隼と、藤式部丞――武は、共に父左大臣が親しくしている殿上人の息子で、暁とは幼い頃からの遊び友だちである。彼らの方が少し歳が上なこともあり、子どもの頃は兄のように慕っていた。成長し、一足早く元服した彼らが宮中勤めを始めたことで一時は疎遠になったけれど、暁も宮中勤めをするようになってからは、昔と変わらぬ関係を築いている。今では光も交え、親しく幼名で呼び合う仲だ。


「おぉ、暁殿、光様。やはりこちらにおいででしたか」

「殿上の間にお姿もなく、されど宮中にて御物忌となれば、暁殿の御座所は桐壺以外にあるまいと考えた我々は正しかったようです」

「そりゃそうだろ。仕事も終わってるし、他に行き場所もない」

「暁殿がそのご容姿にそぐう色好みでいらっしゃるなら、どこぞの女房の元へ忍んでおいでやも……と考えたかもしれませんが」

「いつの間にやら、光様に並ぶ愛妻家となられましたからなぁ」


 笑って頷き合う隼と武は、今でこそ妻帯してそれぞれ落ち着いたけれど、若い頃はかなり浮き名を流した遊び人であった。先ほど話していた色好み男たちの軽口は、光よりむしろ彼らが共感できる内容ではなかろうか。

 ちらりと光を見ると、彼も同じことを考えているようで、意味深な笑みを口元に浮かべつつ、暁が散らかした文をさり気なく集めている。

 ――もちろん、目ざとい彼らはすぐに食いついた。


「おや? 光様、それはもしや、恋文では?」

「もう返事も終わっているものばかりだよ。退屈していた暁が引っ張り出して読んでたんだ」

「それは、我々も興味がありますね」

「拝見してもよろしいですか?」

「構わないけれど……ここだけの話にしてくれるかい?」

「もちろんですとも」


 隼と武が文を読み、内容や手跡()の見事さなどを評論するのを聞きながら、光が良い頃合いで「そういえばさっき、暁が言っていたんだけどね」と切り出した。


「色好みで評判の若い男たちが、『恋を楽しむのなら、高貴な姫君よりも中流の女がいい』なんて言っていたそうなんだよ。でも、身分なんて流動的なものだろう? 彼らは具体的に、どのような人々を指して〝中流〟などと言っているんだろうと思ってね」

「そうですなぁ。確かに、人が定めた位などは、浮草の如く定まらないものですが。しかし、低い身分から成り上がったとしても、生まれながらに高貴でない家柄の者は、結局のところ、世間から軽んじられます。逆に、生まれこそ高貴であっても、世を上手く渡れず落ちぶれてしまえば、威厳なども消え失せてしまうでしょう。この二つの例は、中流とみなして良いのではないですか」


 光の問いに迷いなく答える隼は、やはり暁や光より、〝中流との恋〟に詳しそうだ。夕花と出逢った以上、他の女人は必要ないけれど、妻帯者にすら気軽に文を送ってきて恋を楽しもうとする女人への対応は気になるところだったので、光と二人、まずは耳を傾けることにする。


「地方へ赴任して財を貯めることに長けた受領階層も中流ではありますが、その中でも高い身分となれば位も四位ほどで、生半可な上達部なんかより、家柄も暮らし向きも立派ですよ。世間からそれなりに尊敬もされて、あくせくせずにゆったり暮らしている。最近では、そういう家の娘を交際相手に選ぶ若者も多いと聞きますね」

「そういう話はたまに聞くな。受領の家はとにかく裕福だから、一度婿入りしてしまえば、金策に困ることはないと」

「真面目にお役目をこなしていれば、それほど財を貯める暇もなさそうだけれど。地方には地方の役人がいるし、都から派遣されるお飾りの上官(かみ)ができることなど、私財を蓄えることくらいというわけか」

「こらこら、光。身も蓋もないことを言うんじゃない」


 受領たちが地方で蓄えている財のほとんどが、いわゆる賄賂や横領金であることは、いわば公然の秘密である。良いことではないけれど、それくらい黙認しないと誰も地方へなど行きたがらないから、罰せられることもない。あまりやり過ぎると目をつけられることは受領たちも分かっているので、地方の経済はきちんと回しつつ、そっと余剰分を懐へ入れている。この先もおそらく、受領たちが裁かれることはないだろう。

 光の茶々入れを軽く笑いつつ、隼は少し視線を上げる。


「そうは仰いますが、光様。実際、受領階級は侮れませんよ。財の豊かな彼らは、何しろ足りないものなどありませんから、娘でも生まれれば身なりにも教育にもお金をかけて、丁重に育てることができます。そうして育った姫が宮仕えに出て、帝の寵愛を受けて天子様を産むという僥倖を引き当てる例も多いでしょう」

「なんだ。結局、世の中はお金が全てってことじゃないか」

「だから、光。あんまり明け透けに言うんじゃない。要はそれくらい、中流とて馬鹿にはできないと言う話だろう?」

「そうなるのでしょうかね」


 一つ頷き、隼はぐるりと仲間たちを見回す。


かの有名な『雨夜の品定め』エピソードのやり取りは、いくつかの『源氏物語』現代語訳(瀬戸内寂聴版、角田光代版等)を参考にいたしました。

偉大な先達の方々に、この場を借りて深く敬意を表し、御礼申し上げます。

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