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雨降る夜に*其の二


 光の了承を得て遠慮なく厨子を開き、保管してある文を引っ張り出し、ふむふむと読んでいく。暁も夕花と出逢う前は、後宮の女房から誘われることも多かった身だから、いくつかの文の差出人には心当たりがあった。


「うっわ、これって梨壺の……手当たり次第って噂は本当なんだな、彼女」

「できるだけ良い条件の男を厳選しようとする、彼女の姿勢には感服するよね」

「こっちは梅壺? いや、麗景殿だったか? どっちかの女房だった覚えがあるぞ……」

「そんな悩むこと?」


 暁の様子がよほど面白かったのか、光はくすくす笑う。その様は男である暁から見ても優美で色っぽく、他人(ひと)の男と知りながら彼に惹かれてしまう女人たちの気持ちも、これほど魅力的なら分からなくはないなと感じてしまうことが恐ろしい。

 とはいえ、暁に男色の趣味はない(光との仲を噂されていることは知っているが、ないものはない)ので、あくまでも感心するだけで終わり、再び文の物色へ戻る。宮中に保管されている文だからか、送り主の約九割は後宮の女房のようだ。後宮外に住まう恋達者な女人たちはおそらく、二条邸の方へ文を送っているのだろう。


「こうして見ると、女房ってのはやっぱり積極的だな。自分から気になる男へ誘いをかけるなんて、上流の姫君方は思いもよらんだろう」

「上流の姫君方と女房たちとじゃ、役割が違うからね。当然、受けている教育も違うんだろう。……葵はそれが窮屈なようだけれど」

「あー、まぁな。葵はなー」


「そういう時代だということは重々承知の上で、敢えて申し上げますが。職業選択の自由がないというのは、やはり息苦しいものですね」とぼやいていた、かつての葵を思い出す。どの家に生まれるかによってある程度、将来が定まる今の世の仕組みは、確かに考えてみれば窮屈だ。光のように皇族として生まれれば、多くの場合は親王として皇族の役目を果たすことが求められ、暁のように上達部の家柄に生まれたら、若い頃から宮中での立場を固め、数少ない役職(いす)を同年代と奪い合わねばならない。女人とて同様で、内親王や公卿の娘として生まれ落ちたが最後、政略の駒となることは確定したようなもの。葵も言っていたが、彼女たちの結婚相手は、父親の意向もあるだろうけれどそれ以上に、適齢期の社会情勢――宮中での政局がどう動いているかで決まる。極端な話、上流階級の家に生まれた女人には、恋愛の自由など存在しないのだ。


「最初から自由に恋愛することが許されていない、大臣家の姫君ともなれば、『男と勝手に文のやり取りをしてはいけない』くらいの教育は受けているだろう? 事実、葵はそう教わったと言っていた」

「ま、それが一般的だわな。葵みたく、その教えの裏側までつぶさに理解して、達観した上で『はい』って返す姫君が珍しいってだけで」

「ところが、そういった政略など考える必要のない、五位、六位以下の父親を持つ姫たちとなると、男との文のやり取りも、そこまで厳しく戒められはしないんじゃないかい? むしろ梨壺の彼女のように、より高い身分の夫を得て裕福な暮らしができるよう、文のやり取りを推奨する教えすらあるかもしれない」

「それはまぁ。女房として勤めに出るなら余計、男だろうが女だろうが、必要あれば文を出さなきゃ仕事にならんしな。その辺の教育は確かに、〝上流〟とは違いそうだ。――思えば夕花も、恋人になる前から、ちょっとした挨拶とか何でもない日常を、躊躇いなく文にして寄越していたか。そういう気さくなところも魅力だと思うが、もしかしたらそもそも、『男と文のやり取りをしてはいけない』なんて教育、受けてないって可能性もあるな」

「夕花姫の父君は、三位の中将だったろう?」

「三位だが、夕花の父上が想定外に出世したってだけで、それ以上は望めない家柄だったらしいからな。堅実なお方で、三位だからと無理に夕花を入内させようとはせず、むしろ女房として後宮勤めをさせるべく、ツテを辿っておられた最中、病に倒れてしまわれたのだとか」

「身の丈に合わない位へ就いてしまうと出費もかさむし、作法や習慣の違いから、周囲と軋轢を生むこともある。それで却って宮中から爪弾きにされ、位こそ高くても家が没落してしまうこともあると聞くね」

「夕花はまさしく、その展開だったんだろうな。夕花の父上が宮中で鼻つまみ者だったという話は聞かないが、思いもよらず出世してしまったことで、余裕のない生活だったとは夕花が言っていた。だからこそ、総領姫である夕花(じぶん)に婿取りではなく宮中勤めを勧めたのだろうとも」

「さすがは義姉(あね)上。実に冷静な分析だ」


 光が夕花を〝義姉〟と呼ぶのは、多くの場合、暁を揶揄いたいときだ。振り返れば、話の流れ的に自然ではあったが、いつの間にか息をするかの如く夕花を話題に出していた。これでは、何かにつけ葵を話に出して惚気ると、おちおち光を笑うこともできない。


「ま、まぁ、夕花のことはともかくだ。――要するに光は、後宮の女房が特別図々しいんじゃなく、彼女たちにはある程度恋愛の自由があるから、文を出すのに気後れする理由がそもそもない、って言いたいんだな?」

「ざっくり言えば、そうなるのかな。だから、彼女たちが文を寄越すことそのものへの嫌悪感はないよ。女房たちには恋愛の自由こそあれど、立場は弱い。未婚の女房ともなると、それこそ夕花姫のように、金策が厳しい実家を支えるための宮中勤めという可能性もあるだろう。その場合、実家の両親亡き後、自分を庇護してくれる有力な夫や恋人を若いうちから探すのは、むしろ理に適っている」

「……そらそうか。惚れた腫れただけで、ここまで文は集まらんわな」

「文を出し慣れているからか、歌や文章が達者な女房も多いね。単純に作品として眺めてみれば、感心することも多いよ」

「あー、それは俺も思ったことある。意外と……って言ったら失礼か。女房とか、受領(ずりょう)の娘とか、そういう層の女人って、和歌とか漢詩とか管弦楽とか、一芸に秀でてる人結構いるよな」

「上達部の姫君と違って、練習するにも人前で披露するにも、あまり勿体ぶることがないからね。特に人前での演奏は、技術以上に度胸が演奏の良し悪しに関わってくる。人前で弾く経験を積めば積むほど、人慣れして上手に弾けるものだ――と、以前葵が言っていたよ」


 そういえば、昔、琴の手習を終えた葵がそのようなことを言っていたのを、暁も聞いたことがある。葵に琴を教えていた女房が、「このまま研鑽をお積みになれば、当代一の琴の名手となられるでしょう。私如きでは、もう姫様に教えられることはなさそうです」と下がるのを見送った後、少し顔を曇らせ、妹はこう呟いたのだ。

「いくら先生の前で上手に弾けても、人前で緊張しながらも弾く場数をこなさない限り、結局は拙いままなのに。変に琴の名手だなんて噂されて、お父様の恥にならなきゃ良いですが」――そう言った葵は当時、裳着すらまだの幼子で。あらゆる意味で〝左大臣家の一の姫〟を隠しておきたい父の思惑もあり、屋敷で開かれる宴に出る機会などあるはずもなく、彼女の琴は長い間、家族以外の前で鳴らされなかった。


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