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雨降る夜に*其の一

時間はまたまたがっつり飛びます。

ようやく、『原作』五十四帖のうち、二帖目へ進みました。


 ――雨が、しとしと降っている。


「光、いるか?」

「暁? どうぞ、入って」


 宮中、後宮殿舎の一つ、桐壺。本来ならば帝の妃に与えられる部屋は、光が十七歳となった今もなお、主上の命により彼の部屋のままとなっている。最近……否、去年の新年頃から、光が宮中で夜を明かすことはますます減り、宿直当番のときに仮眠を取る以外で使われることはほぼなくなっていたが、息子を溺愛する今上帝はどうしても、宮中に彼の居場所を確保しておきたいらしい。


「よっ。遊びに来たぞ」

「遊びに、って。身も蓋もないね。一応、この宿直は、なかなか明けぬ長雨を憂いて、天へと祈るべく殿上人が宮中にて謹慎する、という建前のはずだよ」

「あくまでも建前だろ。色好みと評判の若い連中はこぞって後宮の女房たちを口説きに行ってるし、お大臣方はそれぞれ酒盛りだ。俺だけ殿上の間で真面目に読経するのも馬鹿馬鹿しい」

「それはまぁ、そうだけど。神に祈ったところで雨は降らないし空も晴れない、って葵も言ってたし」

「あー、なんか言ってたよな。天をどうこうするより……」

「――人がすべきは、天を操るなんて大それたことじゃなく、天から与えられたものを如何にして人の世で上手く捌くか、だよ。それが恵みであればできるだけ多くの人が受け取れるよう、禍いであればできるだけ被害が減らせるよう、工夫できることこそが人の強みだ、って前に言ってた」

「そういえば、長雨の備えについて、予め父上にも進言してたな」

「うん。左大臣家の荘園と、荘園のある国の長官たちにも〝備え〟を伝授できたからか、今年は例年より田畑を守れているらしいと、左府殿が随分と喜んでいる」

「相変わらず、左大臣家の益になることばっかしてるなぁ」

「目敏い者たちがそろそろ、左大臣家には何かあると感じ始めているから、対策しないとね」


 苦笑いしながら言う光の手元には、暇潰しのためか、かな文字の本が広げられている。……あれは確か、以前夕花が葵へ贈った、最近流行りの物語本だったか。今日が宿直日なのは分かっていたことなので、退屈しないよう気遣い、葵が持たせたのだろう。


「なんにせよ、妹夫婦の仲が変わらず良好なようで、良かった良かった」

「突然何を言い出すかと思えば……当たり前だよ。良好じゃなきゃ、私が困る」

「結婚して六年目になるが、光はずっとブレずに、葵一筋だもんなぁ。何なら、年々愛が深まってすらいる」

「そんなことを言ったら、君だって夕花姫一筋だろう?」

「気持ちの上ではそうだが……」

「暁のことだから、政略婚を繰り返すより先に夕花姫と出逢っていたら、他の結婚は受け入れなかった気もするけどね。実際、夕花姫を娶ってからは、新しい結婚話は断っているだろう?」

「まぁ、話を持ちかけられる頻度自体、減ったしな」


〝蔵人少将の妻問い〟を目の当たりにしてなお、身内を暁と縁付けようと画策できるのは、よほどの自信家か、身内を自身の出世の駒としか認識していない人でなしかの二択である。どちらにせよ、お近づきになりたい存在ではないので、断りも入れやすい。


「とはいえ、俺は一応、色々な女を経験してから夕花と出逢ったからこそ、この想いが恋情からくる愛で、彼女の他はあり得ないと確信できたんだ。その点お前は、出逢いからこれまで、葵以外に目もくれない。たまには他の女を知ってみたいとか、思わないのか?」

「怒るよ」


 ぱたん、と音を立てて本を閉じ、こちらを向いた光の目は、完全に据わっている。――半分はわざとだが、どうやら虎の尾を踏んだらしい。


「他の(ひと)など、知るまでもない。葵こそが私にとっての唯一で、死ぬまで私の最愛だ。君は、たまたま夕花姫と出逢うのが遅くて、他の女人を知る機会があったから、そういう風に思うだけだよ」

「じゃあ、葵以外とどうこうなりたいと思ったり、すれ違ったり垣間見た誰かに惹かれたことは……」

「くどいね、暁も。――ないよ。これまで、一度も」

「……飽きたりしないか?」

「飽きる? 葵に?」


 本気で言ってる? と問う光の瞳には、暁の正気を疑う色がありありと宿っていた。


「暁らしくもない質問だね。――知れば知るほど新しい顔が増えて、どれほど深く触れ合ってもなお、深淵に手が届かないどころか覗くことすら容易ではないひとだよ、葵は。彼女が見せてくれる〝世界〟は驚きに満ちていて、彩り豊かで、果てがない。あのような女性にどうやって飽きるというの?」

「お、おぉ、そうか……」

「私はどうやら、母譲りの綺麗な顔立ちをしているらしいから、誰とも知れない者たちより、誘いの文は届いているけどね。どのような文を見ても、心惹かれるどころか、ぴくりと動くことすらないよ。昔から、私の心を動かし、惹きつけて止まないのは、いつだって葵だけだ」

「おう……えっ、恋文貰ってるのか!?」


 あまりに自然に差し挟まれた告白のため、うっかり流しそうになってから、流すべきでないと我に返って問いただす。暁の様子に、光はきょとんと頷いた。


「そんなに驚くことかな? 文くらい、暁だって貰うだろう?」

「貰うが……葵が唯一だって公言してるお前に文を送る猛者がいることも、そんな文を突っ返さずに受け取っていることも、結構意外だぞ?」

「あぁ。それはもちろん、本音では受け取りたくないけれど」


 そう言って、光はやや、自嘲めいた笑みを浮かべる。


「暁も言った通り、妻も愛するひとも葵だけと公言している私に、それでもと文を送ってくるということは、軽い気持ちじゃないだろう。……そんな文を受け取りもせず、無情に突き返しなんかしたら、送り主の想いがどこでどう捻れて、どんな怨嗟を引き起こすか、予想がつかない」

「光、お前――」

「たったひとりを一途に、盲目に愛し抜くことが、必ずしもそのひとを幸福にするわけじゃないことは、父と母の例からも明らかだからね。私は、父と同じ轍は踏まない。葵だけを愛して、かつ、葵を苦しめることなく、葵と一緒に生きていきたいんだ」

「そこまで、考えて」

「それくらいは、ね。葵のためなら、顔も知らない相手の文だって受け取るし、当たり障りない返事だって書く。それだけの話だよ」


 光は、自身の顔と立場が持つ影響力を、誰に言われるまでもなく、十二分に理解していたのだ。それらが、振る舞い一つで葵に災禍を及ぼしかねないことまで理解して、彼女を守るべく、打てる手を打っていた。――両親の悲劇を、教訓として。


「何ていうか……葵も常々言ってるけど、年齢に見合わない視野の広さを持ってるよな、光は。人生何回目だ?」

「知らないよ、生まれ変わる前のことなんて。今世で得たものだけが、私の全てだ」

「そりゃそうか。――で?」

「で? ……って、何が?」

「お前が貰った恋文の山は、どこにあるんだ?」

「まさか、読むつもり?」

「生涯、女は妻一人って公言してる美男子に、敢えて送られた恋文だぞ? 格好の暇潰しになるじゃないか」

「うわぁ、趣味悪いなぁ。……この場限りだよ?」

「当然だろ」

「――そこの厨子(ずし)の中」

「よっしゃ」


 老成していようが、愛妻がいようが、光もまだまだ若い男。鬱々とした長雨の中、男同士だからこそ気兼ねなく話せる下世話な話が、楽しくないわけない。こういう話に乗ってくれる辺りは、充分に年相応であった。


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― 新着の感想 ―
雨夜の品定めですね。恋文送る猛者の確認になっとる…こう来るか(笑)
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