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〈閑話〉とある女房の総評*其の五


 とはいえ。


「お二人の関係が今のままなら、『予言』の内容は絶対に起こらない、って断言できないのが怖いところではあるけど」

「ふむ……可能性は低くなっても、決して無くならない、と?」

「姫様も仰っていたの。『あれほど美しい男性なら、誰かが一方的に懸想して、一方的に想いを募らせて、一方的に彼が愛する女性を呪っても、まったく不思議じゃない』と。正直、私もそれは同感」

「それを杞憂と笑い飛ばせないのが、源氏の君の恐ろしいところだわね……」

「歳を経て、少しは人間味が出てこられることを期待していたけど、まさか人間味が出てきたことで、ますます美しさや魅力が増すとは思わないし」


 葵の尽力もあって、今の光はまさしく、眩いばかりの美しさと適度な親しみやすさを併せ持ち、仕事は勤勉にこなし、妻と婚家を大切にする、〝理想の公達〟そのものとなった。葵が言うところの〝ユルガバ貞操観念〟な宮中において、彼が常々公言している〝愛妻一筋〟という信念だけは、少し前なら硬派で無骨な変わり者扱いだったかもしれないが。葵が画策し暁が実行した〝蔵人少将の妻問い〟の効果もあったのか、宮中の潮目も少し変わってきているらしく、昨今は女に不実でない、誠実な男と評価が高いのだ。

 ――つまり。


「結局、光様が〝光様〟でいらっしゃる限り、姫様との仲がどうであろうと、〝源氏の君に恋をしたどこかの女から、嫡妻の葵姫が呪われる〟って可能性は、残念ながら低く見積もれない、ということよ」

「まったく、残念なお知らせだこと」


 婿君として不足ないどころか、どこから見ても完璧で、敬愛する〝姫様〟の夫としてこれ以上あるまいと思えるほどの方なのに――それほどの方だからこその不安要素が、この先ずっと、付き纏うとは。


「だからといって、姫様と光様が距離を取れるようにする、というのも違うし」

「それだけは、止めた方が良い。他ならない姫様と、私たち自身のためにも」


 かつて葵がやろうとして挫折した作戦を当て擦った楓の発言は、思った以上に真剣な音色をした母の声に遮られた。少し驚いて野萩を見ると、彼女は真面目な顔で、葵たちがいる御帳台の方を見つめている。


「お母様?」

「これまで、女房としてあちこちの〝婿君〟にお仕えしてきたけどね。源氏の君は、その中でも飛び切りの、〝下手に触ったらいけない部類〟のお方よ」

「下手に触ったらいけない?」

「えぇ。こだわりのある事柄において、女房の勝手な手出しを厭う方、と言い換えても良いわ」

「それって……こだわりがあるなら、基本どなたもお厭いにはなるでしょうけれど」

「そうねぇ。でも、普通はお厭いになっても、『次からは控えるように』で済むのよ」

「……光様は、それだけじゃ済まない?」

「もしも、私たちが姫様を源氏の君から遠ざけようとしたら――その素振りをちらと見せただけでも、彼の方は容赦なく、私たちを左大臣邸(こちら)から追い出すでしょう。あるいは、大殿様を上手く言いくるめて、姫様を二条邸へ連れ去り、ご自身に忠実な女房をつけられるか」

「えっ……」


 光の葵に対する執着心はかなりのものと睨んではいたが、まさかそこまでとは。

 絶句した楓に、野萩はなおも、言い募る。


「忘れないで、楓。源氏の君は、主上のご子息ということを」

「それは……」

「主上は……かつて、狂気の沙汰と人々に言わしめるほどの執愛を桐壺更衣様へ注がれていた。かのお方が儚くなられてもなお、その面影を追い求め、藤壺女御様を迎え入れられたほどに」

「そう、だけど」

「もちろん、子が必ず親に似るとは限らない。でも、姫様だけを求め、邸の中でひと時たりともお離しにならない源氏の君のお姿は、話に聞く主上の若かりし頃を、どこか彷彿とさせる」


 野萩の指摘は、言われてみればその通りで。

 これまで光を、葵への愛が重い婿君としか捉えていなかった楓は、母から見た〝源氏の君〟の仄暗さに思わず息を呑んだ。


「彼の方は、ただ顔が綺麗で愛妻家なだけの〝婿君〟ではないでしょう。姫様の夫という立場を得ても、そこに慢心はしていらっしゃらない。姫様と離れることがないように――二度手放すことがないように、いつもこちらを具に観察しておいでだもの」

「か、観察?」

「えぇ。源氏の君は、私たちが姫様の幸福のためなら、あらゆる手段を講じる女房だと、この四年で確信を持っているはず。――特に、姫様と誰よりも近いお前のことは、信頼していると同時に最も警戒し、注視していると思うわ」

「警戒……」


 そう。――確かに、そうだ。

 葵の最側近である楓を、光も重んじてくれてはいるけれど。いつもどこか、見極めの気配を感じていた。先ほどは入浴の間、楓に葵を任せてくれたが、あれは「(じぶん)(あるじ)にとって利する者である限り、楓は主人夫妻の仲を良好に保つ方を選ぶ」という、これまでの四年間で培った確信あってこそだろう。

 即ち。


「私……光様に、〝姫様との仲を邪魔する存在〟とならないか、いつも警戒されているのね」

「私もだけど、お前の方が警戒はされているでしょうね」

「ただでさえ〝できる人〟の光様に、常日頃から警戒なんかされてたら……何か策を立てた時点で勘付かれておしまい、ってことか」

「そういうこと」

「……本当に、隙がないお方。敵には、回したくないわ」


 はぁ、とため息を一つ落として、楓は少し視線を遠くに飛ばす。


「……これは、姫様が仰っていたことなんだけど。『予言書』によると、光様がお若い〝今〟は、まだまだ『予言』の最序盤に過ぎないのですって」

「へぇ……」

「この先、ご成長されるにつれ、光様には数多の出逢いと、幾つもの試練が訪れる。その折々で光様がどのように動かれるのか……『予言書』の通りとなるのか、はたまた全く違う道を進まれるのか。姫様をお守りする策を練るのは、それを見極めてからでも、決して遅くないと思うの」

「ひとまずは現状維持、ということね」

「何かあったときのため、備えだけはしておくけども」

「えぇ」


〝婿君〟に警戒されようがされまいが、楓のすべきことはただ一つ、葵の幸福を守ること。それだけは、何があろうと変わらない。光がこれから先も葵を愛し、守ろうと全力を尽くす婿であるなら、変わることなく厚遇するし。


(何か思いもよらないことが起きて、『原作』のように姫様を苦しめる婿君となられたら……その時点で、東対の敷居を跨がせなければ良い)


 葵が絶対の東対においては、今上帝の愛息子という肩書きすら、無価値に等しい。

 (あるじ)にとって最善か否か。それが唯一の指標にして、全てなのだから。


 ただ。願わくは――。


(この夜が明けた朝も、その先もずっと。姫様と光様が、お互いを何よりも大切に想い合う、比翼連理でありますように)


 心の奥底では、もう随分と前から夫に惹かれ、けれど『原作(さき)』ゆえに自身の想いを受け入れられずにいた葵が、今宵ようやく、一歩を踏み出したのだから。

 想う人に想われる、単純で、だからこそ難しい幸福が、どうかこの先も最愛の〝姫様〟と共にあるよう、楓は密かに祈るのだった。


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