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〈閑話〉とある女房の総評*其の二


「かあさま! かえでもおてつだいします!」

「まぁ楓! あなた、どうしてこんなところに!」


 その〝ひめさま〟の一大事、と名乗りを挙げた無謀な忠誠心は、良識ある左大臣邸の人々によって、程なく回収され。

 ――数日後、局に戻ってきた母から、〝ひめさま〟が峠を越して奇跡的に回復し、目を覚まされたと聞かされた。

 すぐにでも会いたい、と湧き立つ楓に、野萩は。


「姫様は、まだちゃんとお元気になったわけではないの。しっかりと元気になって頂いてから、改めてご挨拶をしましょうね」


 母らしい言葉で、宥めてくれた。


 そうして、待って待って、当時の感覚だとずいぶん長く待ったけれど、実際には数日かそこら待って、ようやく元気になった〝ひめさま〟とお目通りが叶った日。


「……楓? 久しぶり、元気だった?」

「ひ、ひめさま……?」


 どこか違和感のある〝葵〟と、対面したのだ。

 ――後から聞いたところ、葵は病で生死の境を彷徨ったことで『前世』の記憶と人格が蘇り、あのときの彼女は幼児の体に大人が入ったような状態になっていたため、違和感があって当たり前だったが。

 それでも、違和感こそあっても、楓は目の前にいるのが〝ひめさま〟であることだけは疑わなかった。

 姿形が同じ、ということもあったけれど。楓が大好きな凛とした空気も、夏風のような清涼感ある気配も、何一つ変わらなかったから。


「おひさしぶりです、ひめさま! きょうはなにをしてあそびますか?」

「えっと……そうね、貝合わせ、とか?」

「しょうちしました!」


 きっと、葵が倒れるより前と同じように、二人で楽しく遊んだことを、覚えている。




 ――葵の〝奇行〟は、それより少し後から始まった。


「貝殻……」

「ひめさま? かいがどうしました?」


 たとえば、貝合わせの貝殻を持って、じっと何かを考え込んだかと思えば。


「……ねぇ、楓? 絵のついていない、食べた後の普通の貝殻って、手に入るかしら?」

「か、かいがら、ですか?」

「えぇ、できるだけたくさん。あと、海藻も……前に見たことあるのよね、シーアスパラガス」

「しー……?」

「あ、えっとね。こういう形の海藻」


 ――そうして集めた材料を、彼女は雑色たちの手も借りながら、驚くほどの手際で加工していき。


「できた、石鹸……!」

「せっけん、ですか?」

「四歳の幼女が作るもんじゃないよね……! でも、公衆衛生大事だし!」


 葵が作り上げた泡立つ石、〝石鹸〟は、手や体を洗う洗粉の代わりとして、瞬く間に邸中の人間が使うようになった。

 その、結果。


「左大臣様は病知らずと、宮中ではもっぱらの評判だそうだぞ」

「石鹸は、大抵の病原菌を殺してくれますからね。手洗いは最も手軽にできる病の予防です」


 左大臣邸では、不意の病に倒れて儚くなる者はほとんど居なくなり。


「せっかくお風呂がある世界なんだから、ドライルームもあった方が良いよね……週一でぐっしょり濡れた髪乾かすのも大変だし」

「えぇと、姫さま?」


 彼女の〝ひらめき〟が、邸の人間全員を幸せにする改築を生み出したり。


「んー、平安食、そこそこ美味しいけども。やっぱり調味料の少なさはネックか。胡椒はちょっと難しいにしても、砂糖と塩と醤油、みりん、出汁の合わせ方くらいなら伝えられる……?」

「姫様、今度はどうされました?」

「あ、楓、あのね。厨房って見せてもらったりできる?」

「はい?」


 高貴な姫にはあり得ない場所にまで出入りして、左大臣邸の食卓を豊かにしたりと――〝風変わりだが家の役に立つこと〟を、その小さな手で実現し続けたのだ。

 ずっと傍で見続けた楓にとって、葵はまさに、不可能を可能にする奇跡の使い手であり、女神であった。歳を重ねるにつれ、どんどん親しみやすい雰囲気になったけれど、纏う空気と気配は、凛として清涼なままで。左大臣家の姫としての教育も疎かにせず、歌も漢詩も楽器も舞踊も、招いた講師たちから「当代一」とのお墨付きをもらいつつ、これだけのことを成し遂げる彼女を、同い年ながら心底尊敬していた。

 それでいて――。


「あっ、楓! 見て見て、綺麗な結晶ができたの!」

「まぁ、すごい! こちらは、塩……でしたっけ?」

「そうよ。でも、ここまで作るの、大変だったわ。本職の人に感謝よね」


 目の前のことに一喜一憂して笑う、どこまでも〝人間〟な彼女を、愛していた。


「ね、ねぇ、楓? 今日の姫様、あれは、何をされていたの?」

「……興味がおありなら、作業をご一緒されては?」

「きょ、興味とか、そういうのじゃないの! 〝神の寵児〟でいらっしゃるお方に侍るなんて、畏れ多いわ」


 ――葵が一つ、左大臣家に何かもたらすたび、これまで彼女を持て囃していた女房は、一人、また一人と離れていった。単純に葵を気味悪がって離れた者もいれば、このように、彼女を崇めるがゆえ、傍に寄れない者もいた。


(……姫様は、この世のものとは思えぬ知識で新しい〝何か〟を作り出していらっしゃるだけで、ご本人は昔と何一つ変わらないのに)


 幼心に楓がそう思い始めた頃、事態を重く見た左大臣と北の方により、成人を待たず葵が東対に入ること、その采配が野萩に任せられたことを知らされた。野萩はさっそく、葵の傍付きを自身と娘の二人に限定し、他の女房を葵に好意的な者(ただし傍には寄れない)で固め、幼い主を守る陣形を整える。――楓が正式に葵付きの女童となったのは、このときだ。


「……姫様。母屋に比べ、こちらは随分と静かですが、寂しくはありませんか?」


 東対へと移り、しばらくが過ぎた頃。場所は変われど、変わらず何かを生み出すべく庭で作業をしていた葵に、楓はふと思い立って、こう尋ねてみた。母から、これは姫様をお守りするための措置だと聞かされてはいたが、肝心の葵の気持ちはどうなっているのか、気になって。

 しかし、想定に反し、返ってきた言葉は。

 

「んー……他の女房には悪いけど、実はそれほど。逆に、これまでは人が多すぎたし、近すぎたというか。ずっと落ち着かなかったのよね」


 生まれたときから大勢の女房に囲まれていたとは思えない、姫君の発言であったのだ。


「姫様のお心を無駄に騒がせる、不届き者でもおりましたでしょうか? 名を教えて頂ければ、然るべく対処いたします」

「たぶんわたしのせいだろうけど、あなたも随分と難しい言葉を使うようになったわよね、楓」

「姫様」

「誤魔化してるわけじゃないし、誰かに嫌なことを言われたわけでもないのよ? ただ……〝わたし〟が、四六時中、眠っているときまで、誰かに見られている生活に馴染めないだけ」

「そ、れは、どういう……?」

「……ねぇ、楓。楓は、不思議に思ったことはない? わたしがどうして、こんな風に、見たことない材料で見たことないものを作り出せるのか」


 その日――楓は、葵の〝秘密〟を知った。


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