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年が明けて*其の三


 ――そうやってひそひそ話を続けている間に、そこそこの時間が経過していたらしい。ふと耳を澄ませると、ぎしぎしと床板を踏む音が、風呂場の方から聞こえてくる。楓と二人、ほぼ同時に気付き、どちらからともなく距離を開けて座り直した。


 やがて。


「――お待たせ、葵。楓、世話をかけたね」

「おかえり、光」

「とんでもございません」


 すっと頭を下げた楓は、それ以上何かを言うことなく、優雅な衣擦れ音とともに立ち上がった。


「では、姫様。光様も戻られましたので、私はこれで」

「えぇ、楓。わざわざありがとう」


 穏やかに笑った楓は、そのまま静かに立ち去っていく。

 ――冷たい風が流れ込む中、光は不自然なほどゆっくりと、葵に近づいてくる。


「……ちゃんと待っててくれたね、葵」

「わたしの方から話を持ちかけたのだから、待たずに寝るなんて不義理はしないわよ?」

「そうか。――そうだね。葵は、そういうひとだ」


 何かを納得したのか、光は数度、大きく頷いてから、腰を下ろした。


「ちゃんと湯船で温まった? 冬は特に、上がった後が寒いから、しっかり温まらないと風邪引くわよ」

「大丈夫、温まったよ。新年の間は、私たちが帰ってくる時間に合わせて、風呂を焚き直してくれているんだね。この時間なのに、お湯も熱いくらいだった」

「まぁ、そうね。我が家の風呂は他所と違って、追い焚きにそれほど労力がかからない仕様にはなっているけど」


 逆に、そういう風呂だからこまめに追い焚けるとも言える。夕花を迎え入れた際、今後出産や子育ててお湯が山ほど必要になると気付いた葵は、現代文明には遠く及ばずとも、と一念発起し、半自動でお湯が沸かせる装置を開発したのだ。燃料を焚べたり水を運んだりといった人力を完全に排除はできなかったので、あくまでも半自動ではあるけれど、それでもこれまでに比べて、圧倒的に利便性が高まった。

 それらの仕組みを、炊事場や風呂場にも導入したところ、左大臣邸で働く雑色たちからとんでもなく感謝されているらしい――と、これは楓情報だけれど。こんな素晴らしいものをお恵みくださって、と感謝した彼らは、それ以降、主たちの帰宅に合わせて風呂を焚き直す、夜食を温めるなど、自発的に利便性をこちらへ還元してくれていた。


「……左大臣邸は、本当にすごいよ。風呂一つ、食事一つ取っても、他とはまるで違う。下手をすれば、宮中すら比べものにならない。全て葵の『異能』あってのこと、なのだろう?」

「お父様が好きにさせてくださることに甘えて、昔から、あまり自重はしなかったの。思い浮かぶことを形にしていただけで、作業工程そのものは誰にでもできることだし、摩訶不思議な現象を起こしているわけでもないから、『異能』という感覚は薄いんだけどね」


 葵の自認はあくまでも〝前世の記憶持ち転生体〟であるため、己が『異能』持ちであると言われてもピンとこない。この〝前世の記憶〟と、付随する『アーカイブ』こそが『異能』なのだと言われたら、まぁそうとも言えるかもしれないと思う程度で。


(それこそ、前世に記憶持ち転生主人公の創作物は氾濫してたけど、前世の記憶があるだけの主人公は一般人と変わらない扱いだったしなぁ)


 大抵の主人公は、前世の記憶そのものより、転生特典チートにより超人扱いされていたイメージがある。葵の場合、そのチートも〝前世が見聞きした記憶のみ詳細まで閲覧可能〟という、便利なんだか不便なんだか分からない仕様だ。これが、前世世界の書籍やネットの集合知を余すところなく閲覧できるものだったら、超人として胸を張れただろうけれど。

 さすが今上帝の愛息と言うべきか、光は皇族由来の力である『異能』に詳しかった。どうやら結婚前に、父左大臣から軽く聞かされてもいたらしい。葵が突拍子もないことをやらかしても、『異能』がそうさせているのだろうと鷹揚に受け止めてくれて、そこは素直にありがたくも思う。

 思うが……葵の〝これ〟を『異能』扱いし、何かと過大評価するのは、むず痒いので勘弁してもらえないだろうか。


「足元から温風が噴き出て、体や髪を乾かせる部屋なんてものは、充分に摩訶不思議だと思うよ?」


 ……どうやら無理らしい。


「あぁ、〝乾燥室〟ね。でもあれって、温まった空気は勝手に上昇するという自然の仕組みを応用して作ったものだから、理屈さえ分かればさほど不思議ではないのよ? その温かい空気も、炊事場や風呂焚きで出たものを流用してるだけだから、装置が大仰な割に起こっていることは単純なの」

「高名な学者でも、温まった空気が上昇するなんてこと、知らないだろう」

「わたしの中には、気付いたらあった知識なのよね。空気は温めれば軽くなって上へ昇り、冷たくなると重くなって下へ降る。なぜそうなるのかまで説明すると長くなるけど」

「でも、知っているんだよね?」

「ざっくりと、概要だけはね。――知らなくても、〝乾燥室〟を作るのに支障はなかったと思うけど」


〝概ね平安時代〟なこの世界、当然ながら女性陣の髪は長い。長いのに、入浴の習慣自体はある。こんな世界で毎日ちゃんとした洗髪などできるわけがないから、髪を本格的に洗う日以外は頭の上部にまとめて布で包み、なるべく濡れないようにお湯へ浸かるわけだが、それでも多少は濡れる。普段の日でさえそうなのに、入浴が習慣化しているせいか、髪を洗う頻度も前世知識で知る平安時代より多かった。

 風呂上がりにいつも頭が重いのも億劫だし、週一で髪がずぶ濡れになり、およそ数時間、何もせずに寝転がっているだけになるのも時間の無駄甚だしい。物心ついて割とすぐにそう感じた葵が、「そうだ、ドライルームを作ろう」と思い立ち、風呂場と炊事場が近かったのもあって、この仕様になった。温風が漏れないダクト作りと噛ませる除湿素材の調達に手間取ったけれど、それさえ整えれば後は自然の摂理が身体を勝手に乾かしてくれる。

 現代の科学知識が頭に入っている葵からすれば、現代人なら誰でも思いつきそうなアイデアに思うけれど。現代知識持ちが葵しかいない現状では、特別視されてしまうのも仕方がないと、理解はしている。……ただ、気持ちが追いつかないだけだ。


「葵が『異能』を惜しみなく使って、左大臣邸の住み心地を良くしてくれるから、私もここへ帰るのが年々楽しみになるよ。もちろん、結婚当初から、葵が待つ家に帰れるだけで、心は存分に湧き立っていたけれど」

「夕花様がいらして、撫子が生まれて、ますます自重しなくなったものね、わたし……」

「全て、夕花姫と撫子姫のためだから、左府殿も暁も、強くは止めなかったのだろう。わたしも、好きなことに活き活きしている葵を見ているのは、楽しかったよ」

「……好き?」

「好きだろう? ――もの作り」


 言われ、初めて腑に落ちる。……そうか、わたしはもの作りが好きなのか、と。

 文明レベルがあまりに異なる世界へ転生し、必要に迫られてやっているだけと、自分では思い込んでいたけれど。言われてみれば、限りある知識を使って創意工夫し、この世界に存在しない〝未知〟を生み出すのは、ワクワクして楽しかった。狙いどおりに作れると嬉しくて、次はあれを作ろう、これを作ろうかと、構想は止まらず。

 そう。――ただ、楽しかった。


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