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年が明けて*其の二




「――葵?」


 すぐ傍で聞き馴染んだ声がして、葵ははっと顔を上げる。

 いつの間に帰ってきていたのか、黒の袍に身を包んだ光が、頬を上気させながら、しかし眉根を寄せた難しい顔で、葵を見下ろしていた。

 そのまま、彼はスッと膝をつく。


「おかえりなさい、光」

「うん、ただいま。……葵、どうかした?」

「何が?」

「帰ってから何度か呼んだけれど、返事がなかったから。部屋に誰もいないのかと思ったよ」

「そうだったの」


 一度頷いてから、光と視線を絡ませて。

 変わらず物言いたげな、彼の顔を見て、決める。


「……ごめんなさい。少し、考えごとをしていたものだから、気付かなくて」

「考えごと? どんな?」

「話をする前に、お風呂、入ってきたら? 今日はもう、どこへも出かけないのでしょう?」

「今日も、明日も、明後日も。新年の参内も一通り終わったから、明日から二日間、お休みを頂いてきたよ」

「それなら尚更、お湯に浸かって、ゆっくり身体をほぐした方が良いわ」

「――葵は?」

「え?」


 よく分からない返しに、首を傾けると。


「葵は、お風呂どうするの?」

「この時間だもの。私はもう、いただいたわよ」

「そうか。……そうだね、こんな時間だものね」


 例によって例の如く、新年の宮中では連日なんやかんやと宴が開かれ、もう日は落ちている。一日家で過ごした女人が、この時間に入浴していないことは基本ない。

 頷いた光は、それでも何故か、なかなか動かず。――じっと、葵を見つめている。


「光……?」

「――葵。話を、するんだよね?」

「え、えぇ」

「私が風呂から戻ってきたら、君と、私で、話をするんだよね?」

「そ……うよ?」


 何だろう。何か、他のことを暗示させるような、ややこしい言い回しをしただろうか。

 内心で首を傾げながら頷くと……ややあって、ようやく、光は頷いた。


「――分かった」


 頷いて、光は音もなく立ち上がり、御簾の向こうへ消えていく。

 最近様子がおかしいけれど、今日はいつにも増して様子がおかしいな――と思っているうちに、「失礼いたします」と声がして、何故か楓がやって来た。


「楓? どうしたの?」

「姫様がお呼びだったのでは?」

「え、呼んでないけど」

「はい?」


 きょとんとお互いに首を傾げてから、楓が改めて口を開く。


「先ほど、ご入浴へ向かわれた光様に、『私が戻るまで、葵を頼むよ』と申しつけられたもので。てっきり、姫様に何かご用があって呼ばれたのかと」

「えぇ? 本当に何もないけど。……どうしたんだろう。本格的に、宮中で何かあったのかな」

「宮中?」

「あぁ、うん。……楓、ちょっと近くまで来て」


 女房たちは皆下がらせているが、プライバシー保護の概念がないこの時代、どこに耳目があるか分からない。ギリギリまで楓に近づいてもらい、葵はひそひそ声で囁く。


「この後の話し合い次第だけど……ひょっとしてもしかしたら、わたし、独り身に戻るかも」

「は!?」

「しーっ!」


 葵の言葉が想定外だったのか、楓の本気で驚いた顔が間近にある。人差し指を立てて静音を指示すると、その驚き顔のまま、楓がふるふると首を横に振った。


「いやいやいやいや……あり得ないでしょう。仮に姫様が別れたがっても、光様が離しませんよ。どうしてそう思われたのです?」

「楓の前ではあんまり変わらないけど、わたしと二人きりのときの光、最近様子がおかしいの。言いたいことがありそうなのに、実際言葉に出すことはないというか」

「そうやって、お互いだけが測れる間合いがある感じが、まさしくご夫婦ですね」

「茶化さないで。――光も十六歳になったことだし、そろそろ友情と恋愛の〝好き〟の違いに気付いて、わたしへの気持ちが友人へのものに過ぎないと、認識しても良い頃よ」

「姫様、そこ疑いませんよねぇ……」

「――そりゃあね。結婚当時はともかく、ここまで大きくなってなお、わたしの隣で深く考えずに眠れるのは、わたしのことを女としては見てないからよ」


 その点に関しては、揺るぎない自信がある。そもそも論として、男女の違いを意識する前から共に育った幼友だちに〝異性〟を感じるのは、なかなかの難易度だろう。幼馴染モノは、創作だからこそ良いのである。

 光との肉体的接触は、結婚して一年と少しが過ぎた頃に求められた口づけより先には進んでいない。それも、唇同士を軽く触れ合わせる、ライトなもの。光から「口づけをしたい」と言われ、そろそろ男女の触れ合いに興味が出てくる年頃よねぇと、受け入れた。これとていずれは精神的な不義になるだろうかとも思ったが、バードキス程度なら挨拶の国もあるし、若気の至りだったで割り切れる範囲かなと。

 夫として口づけを求めた以上、光さえその気になれば、その〝先〟を望むこともできたはずだ。しかし、そうはならなかった。

 ――つまり。


「口づけはしてみたけれど、それ以上しようという気は起こらなかった。話に聞く〝恋愛〟とはちょっと違うな? と思った……って考えるのが自然じゃない?」

「……さすがに、光様が可哀想になってきました」

「えぇ?」


 どうやら楓は、葵の推論に頷けないらしい。眉根を寄せて問い返すと、クソデカため息が返ってくる。


「……個人的な印象としては、下手を打たれたな、といったところですけれど。光様は『原作』をご存知ないわけですから、その状態で姫様の思考を正確に読み解けというのは無理があるでしょうし」

「勘違いでなければ、わたし、貶されてる?」

「姫様はこのとおり、考え過ぎてドツボにハマる癖があるのですから、考えさせる前に押し切れば良いだけの話なんですけどね。姫様のこととなると慎重に慎重を重ねられる光様ですから、そこまで思い切られるのは難しいのでしょう」

「さっきから、何の話してるの?」

「『アーカイブ』から得られる情報も有益ですが、たまにはまっさらな目で〝世界〟をご覧になるのも良いのでは? というお話です」

「それ励ましてる? 慰めてる?」

「光様との夫婦仲を危惧されている件でしたら、この上なく励まして……というより、心配ないと太鼓判を押しております」

「えぇー……何それ」


 楓の言葉は分かるが、意味が分からない。この状況で「心配ない」とは。

 戸惑う葵の前で、楓は一人納得したようで、うんうん頷いている。


「あぁなるほど、理解いたしました。光様が何故、私を呼ばれたのか。……同じ轍は踏まないというわけですね」

「楓?」

「理解はしましたが、これはこれで……なかなかの重さといいますか」

「ねぇ、分かるように話して?」

「――前言撤回します、姫様。光様との結婚を後悔していらして、逃げたいとお望みなら、今夜が最後の機会かもしれません」

「いきなり怖いこと言い出したわね??」


『原作』状態ならともかく、葵自身が光から逃げる理由はない。夫としての光は、葵が当初想像していた未来図を悉く裏切る、最高の存在なのだから。

 唯一、別れたい要素を敢えて探すとするなら。


「今のところ、内実は大きく違っても起こった事柄は『原作』どおりだから、そういう意味では別れたいかもしれないけれど……光と結婚したことそのものに、不満や後悔はないわよ?」

「夕花様がこちらへ迎え入れられたのは、『原作』どおりではないのですよね?」

「そうね。主にわたしのせいだけど、お兄様がまず『原作』と違い過ぎるし、加えてわたしも違い過ぎるし。ここまでイレギュラーが重なったら、どれだけ違ってきても不思議じゃないとは思うけど」

「加えてお尋ねしますが、光様も『原作』とは大幅に、性格や行動が異なるのですよね?」

「そうね。これもたぶん、ほぼわたしのせいだけど」

「……なら、えぇ、姫様がよろしいのであれば、無理に離れる必要もないかと」

「だから、この場合はわたしの気持ちより、光の気持ちだってば」


 楓と二人、額を突き合わせて、葵はひそひそ言葉を交わす。


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