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年が明けて*其の一


 ……最近、光の様子がおかしい。


 近頃の夫の様子を思い返しながら、葵は密かに、首を傾げていた。




 およそ三年前に決行された〝夕顔救済作戦〟と、その後、何故か世間で持て囃された〝蔵人少将の妻問い〟を経て、夕花を暁唯一の愛妻として認識させることに成功し。

 前世で四人の弟妹を育て上げた意地とプライドにかけても、絶対に夕花の出産を無事に終えてみせると、妊娠中からあらゆることに気を配り、分娩時は図々しくも産屋にまで出張った。現代の医療知識を惜しみなく披露して迎えた『玉鬘』誕生の瞬間は、必死過ぎて記憶はほぼないけれど、どうやら稀に見る安産だったらしい。母子ともに健康のお墨付きをもらったときは、思わず内心で「現代医学バンザイ!」と叫んでしまったけれど。よくよく考えれば、『原作』の『夕顔』も子どもは特に問題なく産んでいたから、別に葵がいようがいまいが、夕花のお産は安定していたのだろう。

 そして――生まれてからこそが、葵の本領発揮。初めての子育てに戸惑う夕花の相談相手として、左大臣邸の中だけなら構うまいと便利グッズをどしどし作って(お乳のよく出る乳母がなかなか見つからず、『アーカイブ』を漁って粉ミルクもどきまで作ってしまった)、生まれた『玉鬘』――撫子の子育てに絡んだ。家族水いらずを邪魔するつもりはないし、葵とて夫を放置してまで兄家族に首を突っ込むつもりはないから、主に昼間だが。この三年、西の対と行き来したり、子育てグッズを作ったり、たまには六条邸へも顔を出したりして、昼の時間帯はそれなりに忙しかった。最近では、すっかり葵に毒された撫子が、夕花の忙しい時間帯に一人で気軽に東の対へ遊びに来るようにもなって、叔母と姪の血筋は馬鹿にできないなとしみじみ思う。


 そんな、平和で穏やかな日々を過ごして。撫子も少しずつ大きくなり、赤子のときほど大人の手が掛からなくなって、周囲を見回す余裕が戻ってきて。

 近頃、ふと、気付いたのだ。――光の様子がおかしい、と。


(なんだろう。怒ってるとか悲しんでるとか、そういう悪い気配は感じないけど)


 会話の途中、何気なく言葉が途切れた沈黙の先に、じっとこちらを見つめる光の視線があったり。

 寝入る前、御帳台の中で。抱き締める前、無言でしばらく、髪や背を撫でてきたり。

 口づける直前、少し躊躇う素振りが見えるのに。口づけそのものは、以前より長かったり。


(何か言いたいこととか、したいことがあるけど。……私を思うと言い出せない、的な?)


 こういう気配を特に感じるのは、葵と二人でいるときだけだ。楓や野萩が控えていたり、たまに兄家族も交えて簡単な食事会を開くときなどは、以前と様子が違うと思うことはない。

 だから、誰にも……楓にすら、相談できなくて。こうして一人、抱えてしまう。


(……ううん、違う)


 相談しようと思えばできるのだ。これまでだって楓には、楓の知らない前世の話を散々してきているのだから。「楓の前ではあまり感じないんだけど」と前置きを入れた上で、二人きりのときの光について相談するのは、別段おかしいことではない。

 それが、できないのは。


(心当たりが、あるからよね。……光が、言いたいことに)


 数日前に、年が明けた。四年前、光の元服に合わせて始まったこの生活も、五年目へ突入したことになる。

 この四年間、光は変わることなく、葵にとって最高の夫だった。結婚当時はまだ十二歳、現代令和人の感覚が染み付いている葵からすれば、まだまだ子どもだったにも拘らず、光は本当に誠実で良い夫でいてくれた。

 それは、きっと。光にとって葵が、『原作』通りの気位の高い、とっつきにくい姫君ではなく――幼い頃を共に過ごした、気心知れた〝友〟だったから。自惚れでなければ、〝友〟として最上級に、好かれていたからだ。十二歳という年頃からすれば、その〝好き〟だけで充分、結婚する理由と価値があった。


(けれど……人はいつまでも、幼いままではいられない。日々成長する中で、嫌でも自身の内面と向き合うときが来る)


 結婚当初から、光はしょっちゅう、宮中での催しものに呼ばれていた。宴だの、何かの集いだの、集いのあとの打ち上げ的飲み会だの。

 それらは、帝が、最愛の息子と同じときを過ごしたくて開いたものだ。当然、同じ場には帝もいる。

 そして、帝がいるならば。


(いらっしゃるのでしょうね。主上のご寵妃――藤壺様も)


 御簾に隔てられ、直接顔を見ることはできないけれど。

 互いの声、姿(シルエット)――気配を感じられる距離で。


 そうして、逢う回数が重なれば、やがては。


(幼い頃は無自覚だった想いに、気付く日が来るはず――)


 真面目な光のことだ。ある日、己の本当の心を知って、真実愛する(ひと)は誰なのか自覚してしまい、葛藤しているのだろう。

 あの日、葵との婚姻を望んだのは、他でもない自分なのに――と。


 幼き日の思い出に引きずられ、友として最上級に好きな相手への好意を恋情と思い込み、意気揚々と結婚した。

 けれど、結婚生活を続ける中で、彼自身も成長する中で、「一緒に過ごす分には楽しいけれど、これは本当に恋なのだろうか?」とある日疑問に思って。

 落ち着いて周囲を見回したとき、そこにはかつて芽生えて、気付いていなかっただけの、恋の花が咲いていた。

 その相手は、よりにもよって、父帝の愛妃で――!


(だとしたら、二重の意味で言いにくいでしょうし。私の前で、挙動不審になるのも分かるわ)


 告げたからとて、どうにかなるものでもないのだ。葵と別れて藤壺女御ルートが開かれるのなら今すぐにでもこの手を離すが、今上帝からの愛を一身に受けている彼女が、堂々と光と結ばれる未来はあり得ぬこと。そう思えば、『原作』の『光源氏』は、自身と相手の立場を崩さない中で、最も〝結ばれる〟に近い最適解を出したのだとも取れる。『藤壺女御』の気持ちをミリも考えていない行為に、間違っても賛同はできないけれど。

 既に結婚して四年も経ってしまった。今のところ、光は葵以外に見向きもせず、遊び歩いている様子は微塵もない。世間は、名実ともに〝左大臣家の大君〟を〝光君〟の北の方と捉え、比翼連理の夫婦と称える声もあるという。

 そんな状況下では、光の気持ちが葵にないとしても、おいそれと離婚することすらできない。下手な別れ方をしてしまったら、殿上人としての光の評判に瑕疵がないからこそ、ここぞとばかりに突かれるだろう。


 光とは、望むひとと結ばれて幸せになってほしいけれど。

 恋によって身を持ち崩すような、『原作』の二の舞を演じてほしくもない。


 光の最良の〝友人〟として。

 葵にできることが、何か、何かないだろうか――。




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