光が葵を照らすとき*其の五
光も大概世間知らずに育った自覚はあるけれど、それでも初めて葵の作り出すものたちを目の当たりにしたときは、「これらが一つでも世間へ流出したら、既存の権力構造がひっくり返るだけじゃ済まないな」と遠い目になった。左大臣が個人的に、左大臣邸で使う分だけを確保するには問題ないけれど、京中の貴族が求めるとなると追いつかない生産物が原材料な品が山ほどあるのだ。これまで使われていたものが用済みとなることで、職を失う者も出てくるだろう。――葵の発明品は、あらゆる意味で慎重に扱わねばならない〝激ブツ〟なのである。
ただ、当の本人にその自覚はあまりない。あれほど聡明で慎重な彼女が、唯一軽はずみな点と言っても良いだろう。「いずれは誰かが見つけることだから」と、特別なことをしている自覚もなく、ただ撫子のためになるものだからと、あまり自重なくぽんぽん常識外れな品々を生み出している。それだけ撫子を可愛がっている葵のことは素直に愛しいし、できることは何でも手伝いたい……が。
「――悪用しようと思えば、いくらでも悪用できる『異能』だ。詳細を知れば、欲しがる奴はうじゃうじゃ湧いて出る。際限ない欲望の前じゃ、〝左大臣家の一の姫〟って立場にも意味はないからな。葵自身を守るためにも、この『異能』について知るのは、信頼できる限られた少数であるべきだろう」
「うん。私も心底、そう思うよ」
通常の(という表現も変だが)『異能』であれば、人智を超えた不可思議が目の前で展開される畏怖こそあれど、その特性さえしっかり理解できれば、度を越して警戒するほどではない。ただ、「普通の人にはできない、こんなことができる人なんだな」で終わる。
しかし。――葵の『異能』には、底がない。
「今の世には存在しないあらゆるものを、彼女の『異能』はその気になれば生み出せる。……葵は自身の異能について、かなりぼかした説明をしているけれど。あれは『手にした自然物の加工法が分かる』というより、『作りたい〝もの〟の〝作り方〟が分かる』『とある〝問題ごと〟に対する〝最適な振る舞い方〟が分かる』といった、問いから答えを導く力だ。しかも、その〝答え〟は今のところ、ほとんど外れがない」
「欲深で、かつ、欲を満たすのに手段を選ばない連中からすれば、これほど都合の良い『異能』もないからな。しかも、よくある『異能』と違って〝使用感〟がすぐ分かるわけでもないし、もたらす効果も生み出した〝もの〟によってバラバラだから、隠すのは容易だ。実際、父上は、邸の中では好き勝手させつつ外での振る舞いに気をつけさせることで、葵を十六年、完璧に隠し切っている」
「あぁ、これまではそれで良かった。けれど……こうして夕花姫が、葵の〝発明品〟を外へ出しているだろう?」
「――あの、若様」
基本、控えてはいても主と友人の会話に加わるような真似はしない惟光だが、言うべきことは言う性格だ。少しだけにじり出て、口を開く。
「若様のご心配も、もっともかと存じますが……西の対の方におかれましては、そのご懸念、杞憂かと」
「……そうなのかい?」
「何しろ、文をここまで持ってきましたのが、福寿丸ですので。おそらく、中将殿へ文を差し上げるよう仰ったのも、その手配をなさったのも、西の対の方ではなくお方様かと」
「あぁ……そういうことか」
惟光の言う〝西の対の方〟は夕花姫、〝お方様〟は葵のことだ。謎が解けたとばかりに、暁が手を打つ。
「夕花にしては、大胆なことをすると思ったんだ。葵の紙を送ってきたのもそうだが、いくら合間の時間とはいえ、普段の彼女は私的な文を宮中へ、俺の仕事場へ届けさせるなんて真似はしないから」
「葵だって、私には送ってこないよ。よほど、撫子姫がぐずったんだね」
「早く帰らないとなぁ……」
「妻と娘が待っていますので、と言って欠席できる場なら良かったんだけどね」
「俺はそう言えるが、光は妻だけだぞ?」
「妻だけでも充分だろう?」
「お前は本心からそう思ってるんだろうけど……真面目な話、子どもが居ないと色々、障りが多いんじゃないか?」
「――馬鹿馬鹿しい」
暁が悪いわけではないが、つい、顔色が険しくなってしまう。――昨年頃から本格的に言われるようになった、「ご結婚されてしばらく経ちますが、未だ、北の方にご懐妊の気配がないようで……」から始まる新しい婚姻の提案にうんざりしているからこその、苛立ちであった。
「ああいった輩は、子どもができたらできたで『姫君、男君だけでは』と言い出すし、一男一女が生まれたら『お一人ずつでは』と言う。連中が望んでいるのは娘と私を娶せることだけで、子どもは単なる口実だ。葵が私の子を産んでくれても、あの手の声かけが完全に無くなることはないよ」
「まぁ、そりゃそうなんだけどな。光自身はどうなんだ?」
「どうとは?」
「年が明ければ結婚して四年になるのに、未だ子ができないのは確かだろう? 葵さえ居れば良いと思っているのは大前提として、加えて子もできたら良いなとか、子ができない不安とか、そういうものはないのか?」
「いや、まったく」
「そうなのか。まぁお前の場合、娘を入内させてどうのみたいな展望はないから、そういうもんなのかもな」
暁は一人で納得しているが、光が子を望まないのも、できない不安がないのも、まったく別の理由である。
嘘のつけない惟光が、すまし顔を取り繕うのに苦戦しているのを横目で見つつ、光は内心、そっと笑った。
(そもそも……子ができる行為を一切していないわけだから、子どもが欲しいとかできなくて不安だとか、それ以前の話なんだよねぇ)
新婚時の誓いを律儀に守り、光はこの四年近く、ほとんど毎日葵の隣で眠りながらも、深い触れ合いには及んでこなかった。近衛中将としてのお役目に邁進し、宮中での足場固めを優先して。
さらに、葵の方も、夕花姫を迎えたことで忙しくなり、撫子姫が生まれてもっと忙しくなって。
光の身体が徐々に大人へと近づく中、男性の欲を実感して苦しいときもあったが――本音を言えば年々辛くなってはいるが、撫子姫のためにと奮闘し、疲れ切って寝入る葵に無理強いする気もなく、そうこうしているうちにこれほどの時間が経過してしまった。光の足場固めは割と早いうちに仕上がっていたから、改めてこの件について持ちかける機会を逸したともいえる。
(でも、そうか。年が明ければ、結婚して四年になるのか)
暁に指摘され、改めて気付く。葵と過ごす毎日が楽しくて、夢のようで、深い触れ合いこそなくても夫婦であることに変わりはなく……割と早い段階で口づけまでは進んでいたから、それほど焦ることもないかと構えていたら、いつの間にか、それだけの年月が経っていた。
(いい機会だし……話してみるのも良いかもしれない)
子どもに関しては本当にどちらでも良い――葵が子ども好きだから、できたら喜ぶかなという気持ちと、できたら子どものことばかりになって、積極的に関わりに行かないと下手したら忘れられるのではという危機感がある――が、単純に、愛する女人とはもっと深く触れ合いたいから。
結婚五年目を迎える来年にまた一つ、葵との関係を深めるのは〝あり〟だと、光の中でしっくり落ちた。
「……どうした?」
「ん? 何が?」
「いや、なんか一人で笑ってたから、悪巧みでもしていたのかと」
「……惟光もそうだけど、君も大概、失礼だよね」
男の下心と欲望など微塵も感じさせない、生まれ持った綺麗な顔を存分に生かして、光は〝妻の兄〟の追求をさらりと躱わすのだった。
次回より、主人公視点です。




