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光が葵を照らすとき*其の四


 父帝による、光贔屓はあからさまが過ぎる。

 もしも光が、幼い頃からコツコツと、「人の気持ちを考えて尊重し、相手の嫌がることをしてはいけない」や「人にはそれぞれ立場があって、光の立場はとても強く、だからこそ他の人を虐げるのではなく守る行動が望まれる」といったことを葵から教えてもらえてなかったら――。


「父上に愛されている私は特別なのだと勘違いして、相手の気持ちを考えずに横暴な振る舞いを罪悪感なくしてしまう人間に、なっていたかもしれないな……」

「んん?」

「いや、ごめん。何でもないよ」


 つい、心のうちが漏れた。軽く手を振って誤魔化していると、御簾の外から「頭中将殿」と暁を呼ぶ声がする。

 惟光が応対に出て、数度言葉のやり取りをして、何かを受け取ってから戻ってきた。


「暁に誰か用事かい?」

「あぁ、そのように重いものではございません。――中将殿、北の方様と姫君様より、お文が届けられました」

「んん? 夕花と撫子から?」


 惟光から渡された紙は、随分と厚みがある。正確には、手紙でよく使われる料紙と、あまり他所では見ない厚さの紙が束ねられているようだ。


「分厚い方の紙は、左大臣邸でだけ使われている、草を煮て作るという〝草木紙(くさきがみ)〟だったね?」

「あぁ。中のは……あぁ、やっぱり。撫子の絵だな」


 開かれた〝文〟の中を、光も見せてもらう。筆と墨ではあり得ない、色とりどりのくっきりした線で幾つもの丸や線が描かれた、子どもらしい大らかな絵。――蜜蝋と染料を混ぜ、冷やし固めて作られるという〝蝋画具(ろうがぐ)〟もまた、光は左大臣邸でしか見たことがない。蝋燭は確かに、布や紙に強く擦り付ければ線のような跡がつくけれど、そこから逆転の発想で、蜜蝋に染料を混ぜ込んで絵を描く画材にしてしまおうなどと、よく考えついたものだ。


「ははっ、なるほど」

「どうしたんだい?」

「いや。どうやら撫子が、描いた絵を俺に見せたいと言い張ったらしくてな。俺の今日の帰りが遅くなることを知らされて、随分とぐずっていたんだと。仕方がないから、手紙ごと文として送る、と」

「そういうことかぁ」

「共にいた葵から、この時間帯なら宴の開始待ちの空き時間だから、桐壺辺りで光とゆっくりしているはず、と教えられたそうだぞ。お前、そんな細かい予定まで伝えているのか?」

「いつ何時、葵が私に文を送る用ができるか分からないからね。空き時間の共有は必須だよ」

「……愛されてるなぁ、葵」


 感心したような、呆れたような暁の相槌を流し、光は改めて、撫子姫が描いたという〝絵〟に視線を落とす。


「……夕花姫は、葵の『異能』のことを?」

「……葵が普通でないことは知らせているが、細かい部分まではまだ、な。夕花の生まれじゃ『異能』のことすら知らない可能性は高いから、もう少し落ち着いてから話そうと思ってる」

「今はまだ、撫子姫に手がかかるものね」


 葵の持つ、『身近な自然物を別のものへと作り変える方策が浮かぶ』という、変わり種中の変わり種な『異能』によって、左大臣邸には他所ではあまり見ない――左大臣邸にしかないもので溢れている。〝草木紙〟も〝蝋画具〟も、紙と書くものとだけ捉えてしまえばどこにでもあるものだが、詳細を掘られれば掘られるほど、その異様さが浮かび上がってくるだろう。何も知らない者が安易に外へ情報を流してしまっては、いくら左大臣邸の防備が万全でも安心とは言い切れないため、暁にとってもその辺りの対応は悩みどころのようだ。

 何しろ。


「葵が子ども好きなのは、結構前から知ってたけどな。撫子が生まれる前と、生まれてからのあれこれを見るだけでも、その辺の知識がずば抜けているのは分かる。あれもおそらく、『異能』によるものなんだろう」

「子育てに関する知見が、経験豊富な乳母でも太刀打ちできないくらいだからね」

「それだけならまだ誤魔化せるものを、『子育てに必要なものが足りない』と言い出しては、庭でゴソゴソ作り出す。〝草木紙〟も〝蝋画具〟も、作ったのは撫子が生まれてからだ。なんだっけか、『子どものお絵描き道具がない!』とか叫んでたな」

「他にも、〝保湿薬〟とか〝おくるみ〟とか〝擬乳〟とか、色々作っていたよ。木綿の花からあれほど上質な布が作れるなんて、その道に詳しい学者たちでも知らなかったことだ」

「牛の乳の加工法もな。どれだけ出し惜しみしていたのかと、父上が驚いていた」


 撫子が生まれる前から出産準備に余念がなく、妊婦の世話も物馴れていて、何なら産屋にまで同行し、これまで見たことのない出産方法を伝授した葵。産まれてきた赤子の取り上げから後産(そういうものがあるらしい。撫子姫の出産で初めて知った)の進行も実に円滑で、十五歳という若い姫君の出産にしては異例なほど安定していたと、夕花のお産を担当した女房が驚いていた。妊婦の体勢から、常識には当て嵌まらないお産だったらしいが、左大臣直々に「嫁の出産は、全て葵に任せよ」と厳命されていたこともあり、異議はどこからも上がらなかったそうだ。

 そして、それは出産後も変わることなく。母となった夕花姫は歳上の義妹を何かと頼りにし、頼りにされた義妹の方は、足繁く兄夫婦の対屋へ赴いては「あれが足りない、これも欲しい」と自身の東の対へとんぼ返りし、庭で道具製作に励む。――近頃ようやく落ち着いてきたけれど、最近まで割と毎日、こんな感じであった。


「葵はたぶん、自分の『異能』が特別なものだという自覚が薄いんだ。赤子に必要なあれこれにしても、出し惜しみしていたわけではなくて、これまでは特に必要なかったから、作ろうとも思わなかっただけだろう。前にちらりと言っていたよ」

「なんて?」

「『全部自分で思いついてるんなら天才だけど、わたしはどこかの〝世界〟の〝誰か〟が見つけた知識を、誰かから教えられているだけだから。この先を生きる天才が見つける発見を、生み出す技術を先取りしているだけで、凄くも何ともない。それどころか、とっても狡いことをしていると思う』――って」

「……『異能』持ちゆえの葛藤、ってやつか? 凡人の俺にはよく分からん」

「私にだって分からないよ。〝誰か〟の知識であったとしても、それをこの世界で実行可能なように整えて、実際に生み出したのは葵だ。それだって充分に立派で讃えられるべきことだろうに」

「そういう考えはない、ってことだよな?」

「そうだね。『異能』の結果、自身がこの世界にもたらしたものが特殊なことは理解しているけれど、厳重に秘すべきものはその中でもほんの一部で、製法も作成物も、もっと世間へ広めて良いと思っている節すらあるな」

「……めちゃくちゃ頭良いくせに、なんでそんなところだけ考えが足りてないんだ?」

「ねぇ? 撫子姫用のあれこれを作っているときも、『これが広まれば、世の子育て中の方々が少しは楽になるかしら』って笑ってたよ。楽しそうだったから、葵が作ってるあれこれが左大臣邸の外へ出ることはないだろうなと思ったけれど、口に出すのは控えておいた」

「助かる」


 渋面で礼を述べた暁へ、光は苦笑しつつ頷いた。


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>>蜜蝋と染料を混ぜ、冷やし固めて作られるという〝蝋画具〟 クレヨンの事かな?
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