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光が葵を照らすとき*其の一

作中、前話より一気に時間経過しています。ご注意ください。


 ――あの、世間を大きく騒がせた〝蔵人少将の妻問い〟から、早いもので三年と少しが過ぎた。




 暁の初恋の君である夕花姫の懐妊疑惑が持ち上がってすぐ、葵が迅速に動き、姫の心をすぐさまほぐしたことで、かなり円滑に事は運んだ。

 ほんの僅か、すれ違っていた暁と夕花姫は、互いの心を素直に打ち明けあったことで、夫婦の絆をさらに深め。妻として左大臣邸に迎え入れたい女人がいるのだと聞かされた父左大臣と母宮は、思ってもみなかった嫡男の恋に驚きはしたものの、情緒に欠けた息子を夢中にさせた〝嫁〟を、快く受け入れた。暁の子を身籠っているという事実もさることながら、何より夕花姫本人の人柄が素晴らしく、左大臣家嫡男の妻として申し分なかったというところが大きい。

 まさか暁が、自ら望んだ女を自宅に住まわせるなどと思わなかった他の妻たちは驚き、抗議の手紙を送って寄越したが、暁の答えは実にあっさりしたもので。どの妻にも同じく、「あなたのことは、これまでと変わらず通い妻の一人として遇するが、私の愛情は自邸に招いた妻、ただ一人に捧げてしまった。それを不実と詰るのも尤もゆえ、別れたいと望むのであれば受け入れよう。今後も私を夫とするか否か、あなたに決めてほしい」という内容の手紙を返した。――これが世に言う、〝蔵人少将の妻問い〟である。


「結果的に通う先が三割まで減ったから、いやー、葵様々だった」

「当たり前だよ。私の妻は、いつも正しい。全てを見通す、慧眼の持ち主なんだ」

「本当に、息するみたく惚気を挟んでくるよなぁ、光は」

「口にしないと想いは伝わらないって、義姉上との一件で君も痛感したんじゃないのかい?」

「それはそうだ」


 本日は終業後、後宮内で催される宴に出席予定の光は、同じく呼ばれている暁(この三年の間に、無事、頭中将へと出世した)と連れ立って、自室である桐壺へと赴き、くつろいでいた。本音を言えば左大臣邸へ帰宅したいが、父帝に名指しで招待されては拒否もできない。結婚当初より頻度は落ちたが、父は未だにこうして、光を宮中へ留めたがる。……こうして、桐壺を与えたように。


(それだけ、父上にとって、母上が特別だったということだろうけれど)


 ――宮中、後宮内の殿舎の一つ、桐壺。本来は帝の妻の住処であるが、父帝は亡き母、桐壺更衣を偲んで新しい女人を召すことなく、忘れ形見である光に、殿舎ごと部屋を与えていた。元服時、父から贈られたものの一つで、当時は光も深く考えなかったが、あれからそろそろ四年が経ち、光も十六歳になって、さすがにこの待遇は異様だなと感じている。東宮となった兄が梨壺に住むのは当然として、自分の後に元服した弟たちの誰も、後宮に殿舎など与えられていない。親王の位と役職を授かり、それぞれに見合った邸を与えられているが、それだけだ。


「どうした~?」

「あぁ。仕事上、宮中泊まりの日も多いから、こうして自室があるのはありがたいけどね。いくらなんでも、臣下に降った元宮にする待遇じゃないなと考えていた」

「主上にとって、身分や位は関係なく、光は最愛の我が子だからなぁ。本音を言えば、光こそ東宮にしたかったんだろうし」

「驚くほどに興味がないな。東宮なんかになったら、さすがに妻は一人といかないじゃないか。葵と気ままに生きていきたい私には、臣下の地位がちょうど良いよ」

「知ってる。光が今の身分に不満一つないことも、なんなら臣下で良かったと本気で思ってることも、俺たちは知ってるけど。周囲から見たお前は、実に有能で優秀で、上からも下からも信頼篤い、今をときめく近衛中将殿だからな。これほど才有る方が、母君の身分ゆえ臣籍に降ろされ、仕える立場に甘んじているなんてと、涙ぐんでる連中は大勢いるぞ」

「大きなお世話だよ。人に傅かれ、仕えられる立場が良いばかりでないことは、父上を見ているだけでも分かるんだ。思ったほど自由はないし、仕えている者たちの意思だって無碍にはできない。あれほど窮屈な地位に、私のような我儘人間は似合わないと、私なら思うけれど」

「そこは、俺も同感だ。だが、大きな問題は――涙ぐんでいる筆頭が、他でもない主上なんだよな」

「……そこなんだよねぇ」


 暁と二人、揃ってため息をつく。もとより仲の良かった暁だが、彼が夕花姫を左大臣邸の西の対へと迎えたことで、互いの気持ちはまたぐぐっと近付いた。〝蔵人少将の妻問い〟によって、お互いに義務でしかなかった浅い付き合いの妻と軒並み縁を切り、子どもが居たり、夫としての情があったりといった理由で夫婦関係を解消したくなかった数人のみを通い妻として残した暁は、月の大半を左大臣邸の自室で過ごしている。帰る場所を同じくする光と行動を共にする機会は更に増えたし、お互いに事情はあれど愛する妻はたった一人という部分にも共鳴し合い、今では暁から光への態度に、元皇族への忖度は消えた。こういうところはさすが葵と兄妹だなと、密かに思う光である。


「――失礼いたします。若様、中将様、お茶をお持ちしました」

「惟光か。入れ」

「はっ」


 返事とともに、椀の乗った折敷を持った惟光が入室する。桐壺は後宮の殿舎だから、当然ながら多くの女房が控えているけれど、光は彼女たちをあまり側へ寄せないようにしていた。左大臣邸の東の対が側付き女房二人という超少人数体制のため、人が少ない気楽な環境に慣れたというのもあるが。


「若様……今日も、女房たちを呼ばないので?」

「私を見て『幸せだった頃のお方様に、ますます似てこられました』と涙ぐむ、お決まりのアレがないなら良いよ?」

「無理でしょうねぇ……」


 桐壺の女房たちは、光の亡き母、桐壺更衣に仕えていた者たちだ。父帝が光に桐壺を与える際、馴染んだ者たちの方が気安く過ごせるだろうと、そのように取り計らった。子どもの頃から知っている顔ぶればかりなので、確かに気安いし、名を覚える手間が省けるという意味では助かるが。


「父上の気遣いはありがたいが、どこかズレてもいるんだよ。桐壺の女房はあくまでも母上に仕えていた者たちで、子育てに精通した年長者はほぼ居なかったのに、そのまま幼い私に仕えさせるし。大弐が来てくれなければ、私は当然の世話すらされなかっただろうね」

「勿体無いお言葉にございます。母も喜びましょう」


 大弐とは、惟光の母、光の第一乳母の呼び名である。現在は体調を悪くして下がっているが、幼い頃は何かと世話になった。身の回りの世話は大弐が、人として大切なことは葵が、それぞれ整えてくれたようなもの。この二人が居なければ、最低限の真っ当ささえ身に付けられなかった自覚のある光は、それぞれに深く感謝している。


「あー……まぁ、桐壺の女房が子育てを知らず、幼い光をほぼ放置だった件は、言い逃れできない失態だもんなぁ。まだ大人しい女児に分類される撫子(なでしこ)ですら、近頃は目を離すとどこかへ消えてるんだから」

「撫子姫の場合、行き先はほぼ十割で葵のいる東の対だから、〝どこか〟ではないよ?」


 一気に父親の顔になった暁へ、光は敢えて軽く応えた。



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