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夕顔救出作戦*其の二


 高貴な平安の姫様あるある、〝周囲の空気は基本読まない〟を発動し、夕花の女房たちの怪訝そうなざわめきに気付かない風を装って、葵はずいと身を乗り出す。


「お兄様って、元服と同時に北の方とご成婚されましたし、その後も通う先は増やされましたけれど、そのどれも政略とか仕事のお付き合いの延長で、ご自分から好きになった方はいらっしゃいませんでしたの。『互いに義務で結ばれているだけなのだから、必要以上に家族同士まで親しくすることはない』が口癖で、お義姉様は何人もおいでなのに、わたし、これまでご挨拶すらさせてもらえませんでした」

「そ、そうなのですか」

「その、お兄様が。先日、久々に訪ねて来られたと思ったら、『一生を添い遂げたいと願う女人と巡り逢えた』と! それはもう驚いて、『ぜひご挨拶申し上げたいのですが』と申しましたら、『うちと親しくできることは、夕花にとっても良いことだから、俺からも頼む』と仰って」

「まさかそんな……暁様が?」

「えぇ。――つまり夕花様は、お兄様が初めて出逢われた、〝義務ではない〟お方なのです。これほど特別なことはございませんわ」


〝兄の初恋を知り、ウッキウキになって会いに来た、純粋無垢な公卿家の姫〟を上手く演出できているだろうか。やりすぎ、または足りないことがあれば、後ろに控えてくれている楓のフォローが入るはずなので、今のところは問題ないと信じたい。

 ちなみに、演じる姫の要素に〝純粋無垢〟を混ぜ込んだのは、『原作』に出てくる『夕顔』が、自分より上と感じた相手に、本心――特にマイナスの感情を隠す節があったからだ。これまでエンカウントした『登場人物』たちは、多かれ少なかれ『原作』要素を内包していたし、ある程度の人格形成が済んだ後に出会った椿に関しては、『六条御息所』を感じる場面が何度もあった。この法則に則るならば、現在十四歳程度と思われる夕花も、『夕顔』要素がほぼ完成していると見て間違いない。


(だとしたら……きっと、彼女は)


『原作』の男たちには〝ともすれば悪い男にあっさり騙されそうなほど素直で、恨みごとは吐かず慎ましやかで、もの知らずでおっとりした女〟と評されていた『夕顔』だが、彼女がそんな人だと、葵には思えなかった。

 騙されそうなほど素直なのは、通う男に身を任せることでしか、家と自分を守れないと承知しているから。薄情な男に恨みごと一つ言わないのは、そもそも相手をそこまで信用していないから。『原作』で彼女が『頭中将』に届けた歌も、自分はともかく娘は気にかけてやってくださいという、母としての思いだ。二人の男に翻弄された『夕顔』だけれど、彼女がその二人の男を真実愛していたと、はっきり読める描写はほとんどない。

 おそらく――彼女は根本的に用心深く、人を簡単には信用しない性質だ。だから、子まで成した『頭中将』のことも信じていなかったし、何なら彼が思うほど愛してもいなかった。ただ、当時の彼女は彼に頼らねば生きていけないほど、暮らし向きに困っていたのだろう。だから何も言わず受け入れたし、男が何を言ってもハイハイと頷いて、信じたように見せていたのではなかろうか。その態度が男からは、〝素直で扱いやすく、こちらが何を言っても疑うそぶりすら見せない、思慮の浅い女〟に見えたのだ。

 辛さや苦しさ、恥ずかしさといった感情を表に出さないのも、立場が上の人間に自身のネガティブな面を見せても碌なことがないと、承知しているから。――葵が『原作』から感じ取る『夕顔』は、悲劇のヒロインであると同時に、他者に自らの心全ては預けず、むしろ男の恋を上手く利用して生きていこうとする、鋼の理性の持ち主なのである。

 そういった面が隠れている人から、〝本心〟を引き出すには。


「あのお兄様が恋をして、女人を特別に想う日が来るなんて! わたし、本当にびっくりして、それ以上に嬉しいのです。お兄様がお心を寄せる方なら、わたしだって義妹(いもうと)として、ぜひとも仲良くして参りたいわ」


 少々デリカシーに欠けた発言も混ぜつつ、自分の内心を素直に吐露して。ただ目の前の現実に喜び勇んでいるだけという、純粋無垢ゆえの〝幼さ〟を纏う。葵は夕花より二つほど歳上ではあるが、名実ともに左大臣家の一の姫として、表向きは邸の奥深くでひっそりと育てられた、まさに深窓の姫君だ。大事に大事に育てられたがゆえに世間知らずで、年齢ほど老成していなくても、別段不思議なことはない。

 葵の身分は夕花とは比べものにならないほど高く、年齢も上。『夕顔』要素がほぼ完成している夕花であれば、本来絶対に信用はしない相手だ。

 だが、二つほど。夕花が葵の〝上〟を取れる点がある。


「義妹……そんな、私のような者が、葵様ほど高貴なお方の義姉となるなど」

「身分も年齢も関係ありませんわ。お兄様の妻である夕花様は、紛れもなく、わたしのお義姉様でいらっしゃいます」

「……葵様」

「わたし、昔からお姉様が欲しかったの。お兄様はあの通り、人の心に疎いところがおありでしょう? 男の方ってそういうものとも聞くから、もしもお姉様がいたら、楽しかったことも辛かったことも、たくさんお話しできたのにと思って」

「そう、なのですね。……ですが葵様、姉という生き物全てが、妹に優しいわけではありませんよ? 世の中、色々な人がいますから」


 おっとりとそう言って、夕花はほのかに、ふんわりと笑った。これまでとは違う、彼女の〝内側〟を感じる笑みに、葵は内心拳を握る。


(よしっ、最初の堤は壊した!)


 用心深く、簡単には心を開かない、鉄壁の理性の持ち主ならば――少し汚い気もするが、用心する必要のない相手だと、侮らせれば良いのである。夕花が葵の〝義姉〟である事実の強調と、深窓の姫君らしい〝幼さ〟を意識した葵の振る舞いは、どうやら夕花の警戒を取り去るに、一役買ってくれたようだ。


「もちろん、そんなことは承知していますけれど。夕花様は、意地悪なお方ではないでしょう? あのお兄様が、お心を寄せられる方なのですから」

「先ほどから、そのようにお伺いしてはおりますが……暁様は本当に、私のことを想っておいでなのですか?」

「何を今更なことを。本心から想っておいででない方のことを、お兄様はわたしにわざわざお話ししませんわ」

「葵様のご様子を拝察するに、そう、なのでしょうね。ですが……」

「……何か、ご不安なことでも?」


 そっと水を向けてみると、夕花は少し考え込むように、視線をずらす。

 じりじりした沈黙が続く中、耐えかねたのか、夕花の背後に控えていた女房がにじり出た。


「ご歓談中、口を挟むご無礼をお許しくださいませ」

「あら、あなたは?」

「こちらのお方様の側付きとしてお仕えしております、右近と申します」

「そう、右近ね」


 なるほど。この女房が『夕顔』の乳姉妹、『右近』か。『源氏物語』は女房たちが影の主役と言って良いほど大活躍するが、その中でも数奇な運命を辿る一人である。


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